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ゲランドの塩生産者グレゴリー・ピタールさん、塩づくりについて語る~その1~

ゲランドの塩生産者グレゴリー・ピタールさん、塩づくりについて語る~その1~

ゲランド地方の塩田風景-©Pascal Fran㎜is

ゲランド地方の塩田風景-©Pascal FRANCOIS

2015年12月、ゲランドの塩生産者組合の組合長であるグレゴリー・ピタール氏、サリーヌ・ド・ゲランド社の代表であるロナン・ロワゾン氏の2名が来日しました。ご両名とも、パリで日本料理店に行ったことはありますが、本物の日本は初めて。短い滞在ではありましたが、現在のゲランド塩田の様子や、彼らの塩づくりに対する想いを聞き取ることができました。

2002年に始まり、今年で14年を迎えるゲランドとの交易。当時と比べて、産地の様子も大きく様変わりしたようで、生産者組合員も増え、販売量も拡大したそうです。今では、天然ガスや太陽光を始めとした地元産のエネルギーで塩田一帯の動力を賄い、年間8万人を超える観光客を誘致し、アフリカのベナンやギニアへは製塩の指導も行う、一つの大きな運動体となっています。

このようなゲランドの塩はフランス国内外でも大きく評価されており、ナチュール・エ・プログレ(有機認証)やラベル・ルージュ(フランスにおける最優秀食品に認定されるもの。塩はゲランドの塩のみが認定されている)に加え、2012年にはPGI(原産地名称保護制度のうち、地理的表示保護と呼ばれるもの。このマークが付与されているものは、定められた地域で定められた方法によって作られたことが保証される)をEU域内における食塩として初めて取得しました。

塩田で仕事をする塩職人グレゴリー・ピタール氏 ©Pascal FRANCOIS

塩田で仕事をする塩職人グレゴリー・ピタール氏 ©Pascal FRANCOIS

今回は、彼らからの聞き取りを通じ、本当に塩づくりが大好きなことが話し振りから良く分かるグレゴリーさんのお話を中心に、ご紹介致します。

― いつ頃から塩職人をされているのですか?
「私は今43歳で、1995年から塩職人としての修業を始めました。元々ゲランド地方で生まれ育ちましたが、家族が塩田を営んでいたわけではなく、塩職人としては一代目となります。」

塩田での作業風景

塩田での作業風景

― では、ご自身で塩職人になろうと思ったわけですね。何かきっかけがあったのでしょうか?
「大学では歴史学を専攻し、肉体労働が好きだったので、学費の足しにするために農家の手伝いなどをしていました。ちょうどその頃、学生時代の仲間がゲランドの塩田でできた塩を運んだり、塩田の作業を手伝ったりするアルバイトをしていたのです。『すごく面白い』という話を聞いて、ゲランドの塩づくりは昔から営まれている伝統的な仕事であることを知り、専攻である歴史学と自分の性に合った肉体労働が、頭の中でパッと結びついたのです。それで一気に興味を持ち、塩職人になろうと決めました。ちなみに、アルバイトをしていた3人の仲間も、全員塩職人になったのですよ!」

オイエと呼ばれる採塩池

オイエと呼ばれる採塩池

― 運命的な出会いですね。それだけゲランドの塩づくりに魅力がある、ということがよくわかります。ところで、今はどのくらいの規模で塩づくりをされているのでしょうか?
「池の数は、オイエと呼ばれる採塩池の数で数えるのですが、私は80のオイエを持っています。年によって異なりますが、平均して1つのオイエから1.3トン程度の粗塩が取れますので、大体年間に100トン前後の粗塩を作っていることになります。とはいえ、少ない年は10トンから多い年は200トン以上まで、天候や環境によって本当に出来が違うのですよ。」

粗塩の収穫

粗塩の収穫

― 自然を相手にした塩づくりならではの苦労がありそうですね。収穫期は夏の間と聞いていますが、具体的にどのような作業をされているのでしょうか?
「塩の収穫期は、毎年6月~9月頃です。収穫の日は、朝5時~11時くらいの間に塩田に出来た粗塩を集めて、ラデュールと呼ばれる場所に積み上げます。その日の気温条件が良いと、一番水温が高くなる夕方になって水面に塩の膜が浮かんでくるので、それを収穫します。これが『フルール・ド・セル(※仏語で塩の花、の意。ATJでは一番塩としています。)』です。天候によってできない日も多いのですが、未だに条件はわかっていません。ゲランドの塩全体の5%程度しか取れない貴重なもので、昔は生産者の秘蔵だったみたいですよ。」

 

事業部商品二課 若井俊宏

 

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