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【PtoP NEWS vol.5 特集】職人たちが守るゲランドの未来

【PtoP NEWS vol.5 特集】職人たちが守るゲランドの未来

ゲランドの塩田

ゲランドの塩田

フランスの西海岸ブルターニュ地方、大小の入り江が入りくんだル・コワジック岬のふもとに、ゲランドの塩田が広がっています。ゲランド半島では、古くは3世紀ごろから塩田が整備され、現在の塩田の技術は9世紀以前には確立していた、という記録があるほど。
料理人たちがこぞって使いたがるこの「ゲランドの塩」は、一度味わうとなかなか他の塩を使う気になれません。塩辛さのなかに、何とも言えない甘美な味わいが舌に残ります。 どんな料理に使っても、決して主張せず、素材の味をギュッと引き立てる「ゲランドの塩」についてご紹介します。

 

㈱オルター・トレード・ジャパン(ATJ)が「ゲランドの塩」の販売を開始したのは、2002年のことです。バランゴンバナナやエコシュリンプを通じて東南アジアの国々の生産者と日本の消費者をつなぐ「南と北」の共生を掲げていたATJが、ゲランド塩田の塩づくりの伝統的な技術の継承、衰退していた塩田の再興に地域を巻き込んで取り組んだゲランドの塩職人たちの心意気、「ローカルに行動し、グローバルに考える」に共鳴したことがきっかけでした。今でこそ、「ゲランドの塩」はその風味の良さからフランス国内はもとより海外にもファンを広げるに至るブランド力を築き上げてきました。しかし、そこに至るまでの道のりは決して平坦なものではなかったのです。

 

ゲランドの塩田で古くから伝わる塩づくりは、特に16世紀から18世紀ごろに、ヨーロッパ中からの受注をうけて最盛期を迎えていました。しかし、20世紀以降に状況は一変します。塩をつくる技術が工業化し、大量生産が可能となります。加えて、交通手段が発達して工業化された塩が遠くまで運ばれるようになりました。

魚や肉の塩漬けなど、食品の保存に使われていた塩ですが、食品の保存技術が進歩したことから塩自体の需要も減り、地道な塩づくりは採算が合わず、塩づくりをやめる職人たちが出てきました。20世紀後半には、ますます大量生産・大量消費の時代に突入します。伝統的な手法で小規模に地道に作ってきたゲランドの塩は近代化すること自体が難しく、時代の波に乗り遅れ、衰退の一途をたどることになるのです。

 

ちょうどそのころ、ブルターニュをはじめとしたフランス西海岸一帯の衰退していた塩田地帯をリゾート開発の波が襲います。なかでも、直接的にゲランド塩田に影響を与えたのが、入り江と塩田の間に人工島を作り、レジャー用の船舶を停泊させるマリーナ計画でした。それに真向から反対運動に取り組んだのが、他でもない老若の塩職人たちでした。そして、彼らの毅然とした行動が、リゾート開発から塩田を守ることに成功したのです。

 

塩の収穫

塩の収穫

運動は成功したものの、次第に現状に安住しようとする旧世代の塩職人と、新たな問題意識を持つ若い職人との間に対立も起きました。しかし、「ゲランドの将来と地球規模で環境を考えた時の塩田の価値」について、多くの塩職人たちが賛同することにより、ゲランドの塩職人たちは、まさに「ローカルに行動し、グローバルに考える」集団となったのです。目標として、①塩田の保護、②塩職人の養成、③塩の価値を高めることを掲げました。そしてそれは、現在にいたるまで引き継がれています。

塩生産者組合長のピタールさん

水門の点検をする塩生産者組合長のピタール氏

ゲランドの塩生産者組合の組合長、グレゴリー・ピタール氏も、ゲランド塩田での塩づくりに魅せられ塩職人となった一人です。夏の間に限られた塩の収穫期以外も、堤防の修繕や塩田の水位のコントロール、堆積物を取り除くなどの塩田のメンテナンス作業は、作業は一年中休むことなく続きます。

自分の塩田に加えて、ピタール氏は一度放棄された塩田を復活させる取り組みを進めています。塩生産者組合のメンバーと共に、数年がかりで再生をさせ、そのことが組合員同士の連帯意識を生んでいるといいます。そして、それはゲランドの塩づくりには欠かせないものなのです。

 

 

たかが塩、されど塩。太陽と風、そして良質な粘土層といった独特の“テロワール”が生み出す「ゲランドの塩」。いいものを作り続けようとする職人たちの気持ちと大自然のパワーが詰まっています。

山下万里子(やました・まりこ/ATJ)

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