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パプアの森のカカオの物語Vol.1

パプアの森のカカオの物語Vol.1

インドネシア・パプア州ジャヤプラ県のグニェム地方は、オランダが1950年代にカカオ栽培を始めた地域で、現在でも主要なカカオ産地として知られています。ATJにカカオを送り出している産地のひとつクライスゥ村は、グニェム地方の中でも特にカカオ生産が盛んな村で、村人のほとんどが2ヘクタール前後のカカオ畑を持っています。

カカオ畑への道

オランダ時代からのカカオ畑へに向かう道

去る、9月7日、このクライスゥ村のカカオ生産者、サルモンさんにオランダ植民地時代に植えたカカオが育つ森に案内してもらいました。このカカオ畑は1950年代半ば、サルモンさんの両親がオランダ政府から与えられたカカオの苗数十本から始められたものです。そして、この時代、クライスゥ村というのはなく、いくつかの氏族が集まって森の中で暮らしていたそうです。現在あるクライスゥ村は山の中腹にあるのですが、昔住んでいたところはその山を下った川の近くでした。サルモンさんはパラン(鎌)一本を手に、先頭きって意気揚々と森の中に入っていき、追いかけるわたしたちは草木が生い茂る足元に注意しながら急こう配の山腹をフーフー言いながら降りていきました。

オランダ時代からの畑 

オランダ時代からの畑

オランダ植民地時代に植えられたカカオの木

オランダ植民地時代に植えられたカカオの木

森の中には食べられる植物も豊富です。「これはサユール・リリン(訳:蝋燭野菜)、この葉っぱも食べられる。これは野豚を獲る罠」といろいろ教えてもらい ながら山を下って1時間くらい、あと少しで川に辿り着くというところあたりで、気がついてみると周囲にカカオの木がありました。すぐに気がつかなかったの は、その木が大木になっていたからです。かれこれ60年近くたっている木でしょうか。「このカカオの木は父が一番最初に植えた木なんだ。」と堂々とした木 を見上げるサルモンさんでありました。

サルモンさんはこの辺りに住処があり自分はここで生まれ、10歳くらいまで過ごしたところだ、と懐かしそうに話してくれました。サルモンさんは1970年生まれですが、1980年代初め、インドネシア政府の近代化政策の一環として、森に住む先住民族を森の外に出して村落を形成させるというプログラムが実施されました。この時、住民は一時期森に入れず、カカオの木は放置されていました。

森を流れる川は生活の場でもあります。

森を流れる川は生活の場でもあります。

その後、1990年代、2000年代後半に再び政府によるカカオ栽培奨励政策で、カカオ生産が復活しました。インドネシア政府が導入した「近代的」カカオ栽培は、一定の化学肥料、農薬を使うことが前提でありましたが、サルモンさんはじめグニェム地方のカカオ生産者は化学物質は土や水を汚染し、それが自分たちの体も毒すると恐れ、自然栽培の道を貫いています。

 

サルモンさん

サルモンさん

ほんの数十年前まで森の中で生きてきた人びとは、木や土や水は自分たちの体の一部であると本能的に感じるのでしょう。パプアは手つかずの自然が残る地球上でも数少ない楽園と言われていますが、一方でこの地は大規模な自然破壊を伴う剥き出しの開発が進行している最前線でもあります。サルモンさんの森がある地域も近年、広大な面積の森林がパームヤシの単一栽培プランテーションに転換されるという脅威に直面しています。

こうしたなかサルモンさんは「われわれパプア人はパームヤシのプランテーションで生きることはできない。自分は森を守り、森の恵みで育つカカオと共に生きていく」ときっぱり言い切ります。ATJはパプアのカカオ生産者と日本の消費者がカカオの民衆交易を通してお互いに交流し学び合い、つながる関係を大事にします。そして森のエコシステムを守り、有機的な農業技術を向上させることでカカオの生産性や品質をあげて、豊かな暮らしをつくることを目指していきます。

カカオ事業産地責任者:津留歴子

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