セミナー「フィリピン・ミンダナオと私たちの今を考える 『バナナと日本人』で描かれた問題は現在、どうなっているか?」報告

2016年10月7日

10月1日(土)午後、連合会館にてミンダナオ訪問団報告会ー「フィリピン・ミンダナオと私たちの今を考える 『バナナと日本人』で描かれた問題は現在、どうなっているか?」が、約60名の参加者を得て開催されました。

私たちの食卓と海外の産地がどうつながっているか、バナナを通じて追求した鶴見良行著『バナナと日本人』が世に出てから30余年がたちました。フィリピン・ミンダナオ島では60年代から日本市場に向けてバナナを生産する大規模な工業的なバナナの栽培を行うプランテーションが作られるようになります。そこで描かれた農薬被害や過酷な労働条件は、現在どうどうなっているのか。そうした状況を確かめるために、9月初めにミンダナオ現地に訪問団が派遣されました。

訪問したバナナ・プランテーションは、南コタバト州ティボリ町とコタバト州マキララ町にある、いわゆる「高地栽培バナナ」のプランテーションです。初期に開発された多くのプランテーションは輸出港であるダバオ市に近く、利便性が高い平地に立地していますが、2000年以降、標高500メートル(会社によっては250メートル)以上の高地でプランテーションが開発されています。自然な甘みをアピールする高地栽培バナナは、プレミアムバナナとして高めの価格で販売されています。

このうち、ティボリ町では住民グループがバナナ・プランテーションでの農薬空中散布に反対しています。空中散布がいかに住民の暮らしや健康に影響を与えているか、住民の証言をもとに現地の環境NGOが昨年、制作したドキュメンタリー・フィルム「毒の雨」を上映しました。

訪問団に参加した研究者3名と生協職員1名が、それぞれの視点から報告しました。

田坂氏は国際農薬監視ネットワーク(PAN)日本代表で、アジアの農薬規制や有機農業普及に関わっています。報告「フィリピンのバナナ生産地で使われている農薬とその人体への影響」では、現在、プランテーションで使用されている農薬は、急性毒性が低いものの、世代を超えて悪影響をもたらすおそれがあることを指摘されました。すでに数件、深刻なケースが報告されています。先天性の水頭症と口蓋裂をもった5歳の男の子は、農薬との因果関係をすぐに結論付けることはできないものの、ベトナム戦争で米軍が散布した枯葉剤の中に含まれていたダイオキシンがもたらす先天性異常と共通点があり、以前、フィリピンで生産されていた除草剤(2,4-D)にダイオキシンが含まれ、その影響が疑われるとのことです。
こうした被害を未然に防ぐためにも、農薬の危険性をしっかりと訴えていくことの重要性とさらなる調査の必要性をお話されました。

実際に訪問団も小型飛行機に遭遇しました。音がしてわずか数秒後、頭上を飛行機が通過。とても逃げ切れる余裕はありません。ちょうど通学時間帯に農薬空中散布が行われ、農薬を浴びて体中発疹が出た子どもの話を聞きましたが、空中散布の怖さを訪問団は体感しました。


動画 農薬空中散布に遭遇

フィリピン地域研究者である石井正子氏は、報告「多国籍企業のバナナ栽培と先住民」の中で『バナナと日本人』の時代との相違点を挙げました。30年前にはなかった高地栽培バナナのプランテーションが拡大し、山地に住む先住民族が開発に巻き込まれ、先祖伝来の土地を喪失しています。地元の地バナナであるバランゴンバナナの日本の生協との民衆交易は、先住民族が土地を守る上での力になっているものの、経済的にはまだまだ十分ではないこと、また、鶴見氏はプランテーションでの労働は農業労働者の生活向上には結びつかないと結論付けていますが、先住民族にとっては土地を長期リースする一方でプランテーション労働者として雇用されるため、安定した収入につながるケースもあるなど、関係は複雑になっていることを指摘した上で、本当の真の開発につながるあり方とはどんなものであるべきか、先住民族の価値観により沿って、考えていく必要性を強調されました。

東南アジア研究者で同地域のさまざまなプランテーションの現場を調査されている赤嶺淳氏は、「Food Basketと食の安全保障」と題する報告の中で、バナナだけではなく、世界的に需要が高まるパームオイルの原料となるアブラヤシのプランテーションがミンダナオで拡大していることをグローバルな視点から注視する重要性を指摘されました。

バランゴンバナナを扱うパルシステム連合会職員、堀籠美穂氏は報告「私たちの『選ぶ』が社会を変える」で生協の視点から、どうやって商品の価値を伝えていくかお話されました。自分の子が健康に育つよう、安全なバナナなどの商品を選びたいと思うのはお母さんたちの自然な願いであるとしながらも、毎日の買い物で生産者を想うことはどれだけあるだろう、と問いかけます。そして、生協として、消費者の「選ぶ力」を結集させることで効率優先の経済活動がもたらす農と食の危機に対抗することをめざしていると結びました。

質疑応答では、空中散布を止めるにはどういう手段が有効かについて意見交換がありました。田坂氏は、「毒をまく」空中散布は、1999年にフィリピンで制定された空気清浄法に違反する、これを根拠にフィリピン側で粘り強く政府に働きかけることが一つの手段ではないかと指摘しました。また、石井氏は、ご自身の体験から現地の空中散布反対の動きは日本の親会社も把握しており、企業の社会的責任(CSR)が浸透してきた中で消費者一人一人が声を挙げていくことが大切だと述べました。

ミンダナオでのバナナ・プランテーションはまだ拡大傾向にあり、その状況は決してよくなっていないどころか深刻な事態が発生している可能性が高いことがわかりました。この問題は日本の食のあり方が作り出す問題でもあり、ミンダナオで起きていることは日本にいる私たちにとって、重要な問題であると考えます。ATJでは、今後、現地からのアップデートや詳しい情報を出していく予定ですので、ぜひご注目ください。

政策室 小林和夫

バナナニュース258号:バランゴンバナナ産地紹介 ~西ネグロス州~

2016年9月28日
西ネグロス州の多くの産地では傾斜地にバランゴンバナナを植えています。

西ネグロス州の多くの産地では傾斜地にバランゴンバナナを植えています。

ネグロス島の西半分を占める西ネグロス州の人々は、イロンゴ語を話します。バランゴンバナナを輸出しているオルタートレード社(ATC)の本社は、西ネグロス州の州都バコロドにあります。西ネグロス州の主要な産業は砂糖産業(サトウキビ栽培、製糖、精製)であり、大規模なサトウキビプランテーションが多く見受けられます。2015年は、バランゴンバナナの出荷数量全体の約7.9%を占めている産地です。
バランゴンバナナの生産者の多くは零細農家であり、バランゴンバナナから得た現金収入は、日用品(食品・衣服・石鹸など)の購入費用や子供の学校までの交通費などに活用されています。ATCが2014年に行った調査では、他の産地に比べ総収入におけるバランゴンバナナの収入の割合は小さく、バランゴンバナナからの現金収入が全体の約8%です。
西ネグロス州のバランゴンバナナ産地はオルタートレード社(ATC)が管理をしており、生産者の暮らしの向上、持続可能な地域作りを目指し、生産者の組織化及び組織強化、バナナ栽培のサポート、持続可能な農業に向けたサポートなどを行っています。

パンダノン村の西安者の皆さん

パンダノン村の西安者の皆さん

西ネグロス州の産地の1つであるパンダノン村では、2006年に生産者協会(PIBFA)を設立し、バランゴンバナナ栽培に取り組んでいます。現在22名の生産者がおり、その内16名の生産者がバランゴンバナナだけでなくサトウキビも栽培し、マスコバド糖製糖工場(ATMC)に販売しています。2015年には、サトウキビの有機及びフェアトレード認証を取得しています。
バランゴンバナナ生産者は、①自分たちの家族、地域の人々の生活の向上、②有機農業の技術の向上を目指しています。また、しっかりとした組織を持つことで、政府や他の組織とも関係を持つことができ、様々なサービス、助成を受けることができています。

 

 

パンダノン村の生産者からのメッセージ:

エレゼル・マガパンさん

エレゼル・マガパンさん

エレゼル・マガパンさん
「バランゴンバナナからは定期的に現金収入を得ることができ、年に1回のサトウキビ収穫までの貴重な現金収入源です。また、他の作物の買取り価格は供給が多いと安くなりますが、バランゴンバナナは価格が一定なので、期待通りの現金収入を得ることができます。日用品購入の現金収入を得るために、今後もバランゴンバナナを植え続けます。」

ロヘリオ・トラべリアさん

ロヘリオ・トラべリアさん

ロヘリオ・トラベリアさん
「バランゴンバナナから得た現金収入は、日用品の購入に充てています。バランゴンバナナ栽培の難しい点は、しっかりと手入れをしても、台風や干ばつといった自然災害で、期待していた収量を得ることができない時があることです。また、バンチートップ病が広がると大変です。現在はバランゴンバナナの出荷数量が少ないですが、日本の消費者が産地を訪問して下さることを嬉しく思っています。」

ドローレス・セラルボさん

ドローレス・セラルボさん

ドローレス・セラルボさん
「バランゴンバナナを通じて、日本の消費者と良い関係を築けています。日本の消費者が産地を訪問して下さることが、私たちの誇りです。」

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【バナナニュース257号】バランゴンバナナ産地紹介 ~東ネグロス州~

2016年8月18日

ネグロス島の東半分を占める東ネグロス州は、セブアノ語圏であり、1989年にバランゴンバナナのテスト輸出を行った産地です。山々が海沿いまで迫る土地柄であり、バランゴンバナナの多くは山間部の傾斜地などに植えられています。バランゴンバナナの主要産地の1つであり、2015年は出荷数量全体の約28%を占めています。

ロウアカンダボン村を訪問した生協組合員と生産者

ロウアカンダボン村を訪問した生協組合員と生産者

生産者の多くは零細農家であり、バランゴンバナナから得た現金収入は、日用品(食品・衣服・石鹸など)の購入費用や子供の学校までの交通費などに活用されています。バランゴンバナナ以外に、ココナッツ、トウモロコシ、多品種のバナナを植えている生産者が多くいます。ATCが2014年に行った調査では、他の産地に比べ生産者の総収入におけるバランゴンバナナの収入の割合が多く、バランゴンバナナからの現金収入が全体の約28%を占めています。
東ネグロス州のバランゴンバナナ産地はオルタートレード社(ATC)が管理をしており、生産者の暮らしの向上、持続可能な地域作りを目指し、生産者の組織化及び組織強化、バナナ栽培のサポート、持続可能な農業に向けたサポートなどを行っています。

東ネグロス州では、奥深い山の中にバランゴンバナナを植えている生産者もいます。

東ネグロス州では、奥深い山の中にバランゴンバナナを植えている生産者もいます。

東ネグロス州の産地の1つであるロウアカンダボン村では、生産者がカンダボン・バントリナオ・サルバション生産者協会(CBSFA)を設立し、バランゴンバナナ栽培に取り組んでいます。CBSFAは①組織の発展、②子供たちを大学まで通わせる、③食べ物に不自由することなく健康に過ごし、農業を継続していくことを目指し、活動をしています。
他の産地では、ATCスタッフが袋掛け等の栽培管理状況の確認を行っていますが、CBSFAでは、自分たちで確認をする仕組みを導入しています。そのことで、ATCから5ペソ(約12円)/箱の活動資金が支給され、この資金で、買付所を兼ねている集会所も建設しました。ゆくゆくは自分たちでバランゴンバナナの買付けまで行うのを目標にしています。
また、ATCのサポートを受けながら、養豚にも取り組んでおり、豚の糞尿の堆肥・肥料としての有効活用にも取り組んでいます。

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<ロウアカンダボン村の生産者からのメッセージ>

ニコラス・パロマーさん

ニコラス・パロマーさん

ニコラス・パロマーさん:
「バランゴンバナナからの現金収入は日用品を買うのに役立っています。台風などといった天候被害で、バナナが収穫できなくなってしまうことが課題です。バランゴンバナナ栽培を通して、家族の生活を良くしていきたいと考えています。
バランゴンバナナ民衆交易は、仲買人が存在せず、生産者と食べ手が直接関係を持つことができます。」

 

ホメル・カシドさん

ホメル・カシドさん

ホメル・カシドさん:
「除草、バランゴンバナナの袋掛け、タグ付け、収穫が大変な作業です。バランゴンバナナは私たち農家の生活を良くしていくことに役立っています。」[/box]

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【バナナニュース256号】ミンダナオ島ツピの干ばつ被害状況

2016年7月15日

バランゴンバナナは干ばつ被害に伴う収量の減少により、3月末以降、十分にバナナをお届けできない状況が続いています。今回の干ばつは、大規模なエルニーニョ現象(現在は終息)とフィリピンの乾季(2-5月)が重なったためにもたらされました。
5月下旬から雨が降りだし、現在フィリピンは雨季に入っています。しかし、5月までの干ばつの影響が大きく、収量の低迷が継続しています。回復は10月以降となる可能性があります。
干ばつの被害を最も受けた産地はミンダナオ島南コタバト州のツピ地域です。昨年の出荷量に比べて8割減少しており、現在の全体の収量不足の主要な要因となっています。ツピはバランゴンバナナ出荷数量全体の約3割を占め、東ネグロス州と並び出荷量が最も多い産地でした。

ツピの状況

ツピの畑の様子。枯れずに生き残っているが幹は細い。

ツピの畑の様子。枯れずに生き残っているが幹は細い。

6月上旬にツピを訪問してきました。雨は5月最終週から降り始めていますが、干ばつの被害は深刻で、収量は4-5か月間は大きく回復しない可能性があります。川の近くの畑、灌水にお金をかけることができる生産者などは、干ばつの被害を和らげることができていますが、そのような対応ができている生産者はごく一部。多くの生産者が大きな被害を受けています。

細い幹の株からは生育不良の小さい実しかならない。

細い幹の株からは生育不良の小さい実しかならない。

脇芽の成長を促すため、見込みのない親株を切り倒した状態。

脇芽の成長を促すため、見込みのない親株を切り倒した状態。

枯れてしまった株は1-2割ほどと推測されますが、生き残った株についても、親株からの収穫の見込みはなく、次の世代の株の成長を待つしかない状態です。親株に実がついても、実は非常に小さく(日本で売られているモンキーバナナ並みかそれよりも小さい)、生育不良のものばかりです。親株は幹が細く、乾燥気味で、これから実がなっても小さい実しか付ける見込みがありません。そのため、次の世代(脇芽)の生育に栄養を回すために親株を切り倒す作業が始まっています。

ツピでは他の果樹も深刻なダメージを受けていました。枯れてしまったドリアンやランソーネスの木を多く見かけました。一方、ツピの多くの畑でバランゴンと混植されているココナッツは、幸い干ばつの中でも収量がある程度維持された作物でした。
生産者によると、今年の干ばつの程度は過去に例のないものだったとのことです。今年は特に気温が高いことが特徴でした。
生産者たちは現在、干ばつの被害を受けた圃場の復興作業(見込みのない親株の切り倒し、植え替え、施肥等)に取り組み始めています。

枯れてしまい欠株となった場所に新しく苗を植える作業

枯れてしまい欠株となった場所に新しく苗を植える作業

ツピの生産者 アルバート・バラソさん

アルバートさん(写真左)

アルバートさん(写真左)

2014年からバランゴン栽培を始めた新しい生産者です。今年8月に60歳を迎え、奥さんは公務員です。約2,270本のバランゴンバナナを植えており、干ばつの前には1回の収穫で約30バンチ(全房)出荷できていましたが、今はその1/5の6バンチ程度です。
現在の主な収入源はコプラ(ココヤシの果実の胚乳を乾燥したもの)。「ココナッツはまだ干ばつの影響を受けていませんが、3-4カ月後に収穫するものは収量が落ちるだろう」と話していました。
干ばつ被害を受けたものの、バランゴンの作付けを今後も増やしていきたいと、前向きに語ってくれたバラソさん。
「1989年からツピで農業をしています。今年の干ばつは、期間は短かったのですが、非常に暑かったのです。昔、7か月間干ばつが続いた年がありましたが、そのときはそれでもトウモロコシの栽培ができましたが、今年はできないほどの暑さでした。
6ヘクタールの土地があり、2ヘクタールがバランゴン。その他は、ココナッツ、果樹、コーヒーなどを栽培していますが、皆干ばつの被害を受けました。ランソーネスやドリアンの木はいくつか枯れてしまいました。バランゴンについては、見込みのない親株を切り倒す作業を終えたところです。
バランゴンを始めたきっかけは、ココナッツと混植する作物を探していて、畑に近づくことのある孫のことを思うと農薬を使う作物は植えたくなかったので、バランゴンを選びました。また他の作物と違ってバランゴンは盗難被害にあわないので、安心して夜眠ることができるのもいいです(注)。今回は干ばつ被害にあってしまいましたが、今後も作付けを増やしていきたいと思っています。」
(注:ツピ地域ではバランゴンの市場がないため盗難被害にあわないという意味。ツピではラカタンなど他の品種のバナナが食べられています)。

ツピの生産者 アルボレダ・ゼナイダさん

アルボレダさん(写真左から2人め)、自宅前で息子、娘、孫といっしょに。

アルボレダさん(写真左から2人め)、自宅前で息子、娘、孫といっしょに。

教会の活動から帰ってきたところをインタビューしました。干ばつの被害で収入が落ち込み大変そうな状況でしたが、インタビュー中も横から明るい娘さんの茶々が入り、悲壮感までは漂ってはいませんでした。インタビュー後に畑にお邪魔しましたが、復興作業(見込みのない株の切り倒しなど)まで手が回っていない状況でした。
「6歳のときに家族でツピに引っ越してきました。1983年に21歳で恋愛結婚。当時夫は農業(ココナッツ・トウモロコシ・パイナップル・カルダバ(バナナ)等)とトライシクル(3輪タクシー)の運転手で生計を立てていました。私も一緒に農業を手伝いました。
子供は14歳~32歳の6人。長男は運転手の仕事をしています。3人が大学に入学しましたが、お金が足りず、3人とも卒業はできませんでした。ちなみに私はハイスクールを2年で中退。夫は大学を2年で中退しています。
2014年1月に夫を亡くしました。現在は、2人の娘、1人の息子、3人の孫と7人で暮らしています。そのうち、学校に通っているのは、14歳の息子(警官になるのが夢)と、9歳の孫です。
現在の収入源は主に農業で、その他に家の前で小さなサリサリストア(小さな雑貨屋)があります。1ヘクタールの畑には、バランゴン、ココナッツ、グヤバノ、その他の果樹が植わっています。
2002年からバランゴン栽培をしています。ココナッツの間にバランゴンを植えました。現在は午前中の3時間、畑に出て作業をしています。義理の息子が日曜日に畑を手伝ってくれています。またバランゴンに袋掛けをする作業は、14歳の末の息子がはしごに登って行い、私ははしごを下で支える担当です。
干ばつによる被害で1月からほとんどバランゴンからの収入はありません。天候が順調なときは週に150㎏くらいの収量が見込めるのですが、先週は20㎏ほどの収穫があった程度です。水源から遠いため、潅水は行えませんでした。ココナッツも干ばつの影響を受けています。
現在は収入が減っていて、食事の量を減らすことまではしていないですが、近所の金貸しからお金を借りています。5,000ペソ(約1.2万円)を借りて、毎日100ペソずつ返済し、60日かけて6000ペソを返済する仕組みです。畑の復興作業が目下の課題です。」

事業部商品一課 松本敦

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バナナニュース255号:パナイ島で新しいパッキングセンター稼働!

2016年6月9日

2013年の大型台風ヨランダ、2014年の台風ルビー、2015年には干ばつと、多くの天候被害を受けたパナイ島。昨年末はバランゴンバナナが豊作で、たくさんのバランゴンバナナを収穫することができましたが、現在は干ばつの影響で、再び出荷数量が減少しています。そんなパナイ島から、うれしいお知らせが届きました!

台風ヨランダ以降、出荷数量が少なかったこともあり、この間パナイ島で収穫したバナナはネグロス島までトラックで運ばれ、箱詰めされていました。半日以上かけて運んでいるため、もちろんバナナの品質にもよくありません。

パッキングセンター開所式

パッキングセンター開所式

2016年4月、パナイ島のバランゴンバナナ産地の近くに、収穫をしたバナナを箱詰めするパッキングセンターを設置しました。
「天候被害による数量減少を乗り越え、パッキングセンターをパナイ島につくることができました。これでパナイ島で箱詰めすることができるようになったので、バナナの品質が良くなるでしょう」と、開所式でATC社長のヒルダ氏は述べました。

バナナの洗浄・箱詰め方法を指導するATCスタッフ(中央男性)

バナナの洗浄・箱詰め方法を指導するATCスタッフ(中央男性)

パナイ島のパッキングセンターでは7名がバランゴンバナナの箱詰めに従事することになります。皆バナナ箱詰めの仕事を早く覚えたいと意欲的で、真剣にATCスタッフの指導に耳を傾けていました。4月29日に最初の箱詰め作業が行われ、合計227箱のバナナが箱詰めされました。
台風ヨランダ以降、度重なる天候被害を乗り越え、新たな一歩を踏み出したパナイ島産地。これからもバランゴンバナナをよろしくお願い致します。

事業部商品一課 黒岩竜太

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バナナニュース254号:フィリピンで干ばつ!!~バランゴンバナナ産地被害状況~

2016年5月2日

現在、大規模なエルニーニョ現象(注)とフィリピンの乾季(12-5月)が重なり、フィリピンでは干ばつおよび高温に見舞われています。フィリピン農業省は、4月5日に、農業における被害総額が99億ペソ(約240億円)に達したと発表しており、バランゴンバナナも被害を受け、収量が減少しています。特に被害が大きいのはミンダナオ島ツピであり、ツピがある南コタバト州では、非常事態宣言が出されています。

バランゴンバナナの産地については「バランゴンバナナが日本に届くまで① ~バランゴンバナナ圃場の様子~」をご参照ください。

 

水不足で折れてしまったバナナ

水不足で折れてしまったバナナ

ツピでは、干ばつの影響を受け、バランゴンバナナの生育は鈍化しており、生産性が著しく低下しています。通常よりもバンチ(全房:房の連なり)が小さく、出荷基準に満たない細いバナナが増えています。また、収穫頻度も少なくなっており、通常であれば毎週収穫できますが、2週間に1回の収穫になっている圃場もあります。

ツピでの灌水の様子

ツピでの灌水の様子

バランゴンバナナ以外の農作物も干ばつの被害を受けており、ツピのバランゴンバナナ生産者によると、「過去にも干ばつは経験しているが、今年のようなひどい干ばつは初めて」とのことです。

4月の降雨量:左が過去30年の平均、真中が今年の4月の降雨量、右が平年比。赤くなっている地域が平年の40%未満。PAGASAのHPより

4月の降雨量:左が過去30年の平均、真中が今年の4月の降雨量、右が平年比。赤くなっている地域が平年の40%未満。PAGASAのHPより

 

フィリピンの多くの地域で、4月1日から14日までの降雨量は過去30年の平均を大幅に下回っており、ミンダナオ島の大半の地域では平年の40%未満の雨しか降っていません。PAGASA(フィリピンの気象庁)の予測では、4月もフィリピンの約四割の地域で、3カ月連続で例年の40%未満の降雨量になる見込みであり、特にミンダナオ島は引き続き厳しい状況が続きます。ツピでは、ポンプを使用しての灌水を行っている生産者もいますが、その努力もむなしく、今後も収量低迷が続くことが予想されます。

(注)エルニーニョ現象とは、太平洋赤道域の日付変更線付近から南米沿岸にかけて海面水温が平年より高くなり、その状態が1年程度続く現象です。

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バナナニュース253号:バランゴンバナナが日本に届くまで⑥~バナナのリパック~

2016年4月15日

長い旅路を経て追熟加工されたバランゴンバナナ。大きな房の状態で、ダンボールに箱詰めされて輸入されているので、皆さんにお届けするには、リパックをする必要があります。リパック後は各取引先に納品、その後皆さんに配達されます。皆さんが今食べているそのバランゴンバナナは、約1ヶ月前にフィリピンで収穫されたものなのです。

バランゴンバナナの袋詰め

バランゴンバナナの袋詰め

バランゴンバナナのリパックを行っているのは千葉県、三重県、福岡県の3か所。品質を確認し、大きな房からバナナを切りながら500g・1kgなどに計量、その後袋詰めをします。袋詰めの際には皆さんが今読んでいるバナナニュースも封入します。

 

 

バランゴンバナナの房を切り分けて計量

バランゴンバナナの房を切り分けて計量

産地などによって大きさが様々なバランゴンバナナ。皆さんも大きなバナナが届いたり、小さなものが届いたり、そんな経験はありませんか。大きさが均一のプランテーションバナナに比べリパックが難しいのですが、長年バランゴンバナナをリパックしている人は、見ただけで大体どの程度の本数に切ればいいのかわかるそうです。なので作業が早い!バナナを切って計量する作業は一番経験が必要だそうです。

バランゴンバナナ生産者とユーパッケージの皆さん

バランゴンバナナ生産者とユーパッケージの皆さん

また、バランゴンバナナは一般的なプランテーションバナナに比べて品質にばらつきがあります。

「今はだいぶ良くなったけど、昔は品質が悪いことが多く、持ったら軸からバナナがバラバラ落ちて、リパックするのが大変だった」

と話してくれたのは長年バランゴンバナナをリパックしているユーパッケージの社長、大崎さん。バランゴンバナナの前はプランテーションバナナのリパックの仕事をしていたそうですが、初めてバランゴンバナナを見た時は、見た目が悪くて驚いたそうです。今でも品質にばらつきがある時がありますが、生産者の苦労を思って、丁寧に作業をしてくれています。
栽培から皆さんのお手元に届くまで、様々な人を介しているバランゴンバナナ。まさに「ひとからひとへ 手から手へ」を通じて届くバナナなのです。

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アメリカで使用禁止の農薬をニカラグアで使い続けた企業の倫理的責任を問いたい~「バナナの逆襲」フレドリック・ゲルテン監督インタビュー~

2016年2月26日

ドキュメンタリー映画「バナナの逆襲」(第1話「ゲルテン監督、訴えられる」、第2話「敏腕?弁護士ドミンゲス現る」)の日本での公開に先立って2016年1月、フレドリック・ゲルテン監督が来日しました。ATJは、幸運なことにゲルテン監督を取材する機会に恵まれ、ニカラグアのバナナ農園での農薬被害をテーマに描いた第2話を中心に、監督の映画にかける思いを伺うことができました。

「バナナの逆襲」公式ウェブサイト

フレドリック・ゲルテン監督

1)そもそも、第2話を制作しようと思ったきっかけは何ですか。

私はスウェーデン南部にあるマルメで生まれ育ちましたが、1980年代からジャーナリストとして、中南米やフィリピン、アフリカで紛争や民衆運動を取材してきました。チリの独裁政権の最後の年にも立ち会いましたし、南アフリカのアパルトヘイトの終盤を取材していて、刑務所から出てきたネルソン・マンデラにも会いました。バナナ労働者の問題は知っていましたが、DBCP(注1)がアメリカでは使用が禁止されたにもかかわらず、ニカラグアでは使用が継続された結果、多数の労働者が不妊症に罹ってしまったという事実を知ったときに、映画を通して多くの人にその事実を知らせたいと思ったのが制作のきっかけです。

バナナは政治的な果物です。その歴史は血にまみれているといっても過言ではありません。南から北へ輸出され、南北問題を考える象徴的な果物です。スウェーデンではバナナは売り上げも儲けも大きく、どこのスーパーも売り上げの1%をバナナが占めるほど存在感があります。バナナ農園の労働者問題という古典的なテーマをどうやって見せるか知恵を絞りました。そして、ニカラグアの農園労働者がアメリカの弁護士とともにドール社と闘っていると聞いて、新しい切り口で描けるのではないかと思ったのです。そこで登場させたのが第2話「敏腕?弁護士ドミンゲス、現る」の主人公、ホアン・アクシデンテス・ドミンゲス弁護士です。陽気で車が大好きな型破りの弁護士の登場で映画がカラフルになりました。彼はニカラグアの貧しいバナナ農園と、アメリカのロサンゼルスにある巨大食品企業の橋渡し役になっています。聴衆はニカラグアとアメリカを舞台に活動する弁護士と一緒に冒険している雰囲気を味わえると思っています。

 

2)映画でもっとも伝えたいメッセージは何でしょうか。
私が強調したかったのは、非常にシンプルなメッセージです。それは世界最大規模の食品会社であるドール社が、アメリカでは使用禁止されていた農薬をニカラグアで使い続けていたという非倫理的な行為です。しかも、製造元のダウ・ケミカル社が危険であると使用禁止を通達したにもかかわらず、それは契約不履行だと脅し、使い続けたのです。

その結果、多数の労働者が不妊症(無精子症)になってしまったのに、1970年代から現在まで一貫して健康被害の責任をとろうとしていません。この映画ではニカラグアを取り上げたけれども、バナナ輸出国であるコスタリカ、パナマ、ホンジュラス、コートジボアール、そしてフィリピンもまったく同じです。

映画にも裁判の証人として登場したドール社のニカラグア責任者(映画制作時は社長兼CEO)のデビッド・デロレンツォですが、彼はニカラグアの後にフィリピン・ドールの責任者を務めています。驚くべきことにフィリピンでは1986年までバナナ農園などでDBCPが使用され続けます。アメリカで国内での使用制限をしてから9年間、製造中止を決定してから7年間も放置されていたわけです。(注2)

 

3)労働者の裁判はその後、どうなったのでしょうか。

裁判の結果は残念なものとなりました。映画で取り上げたように、最初の裁判で負けると、ドール社は弁護団を解雇します。そして、ジャーナリストを名誉棄損で訴える裁判に非常にたけている弁護士事務所と新しく契約します。裁判の闘い方はより攻撃的なものに変わっていきました。新しい弁護団は、まず3人の調査員をニカラグアに送りました。そして、バナナ農園労働者の組合活動の分断に入る訳です。要は一部の労働者を買収したのです。買収された労働者は、裁判の証人は実際にはドール社の農園で働いていなかったとか、子どもがいるといった虚偽の証言をして、それがロサンゼルスの裁判所にどんどん提出されました。しかも、そうして挙がってくる証言は、証人の身柄を守ることを理由にすべて匿名にされました。そうした中で弁護団は勝ち目がないと判断し、裁判から手を引いてしまっています。アメリカの司法システムでは、この裁判は最終的決断が下るまであと5年くらいかかるでしょうが、ドール社が勝つことは目に見えています。

しかし、このような司法の現実はあったとしても、私がつくった映画のメッセージは、裁判の結果には影響されません。つまり、ドール社が禁止されていた農薬を、その危険性を知っていながら使っていたということが問題なのだという映画のメッセージは何も変わらないのです。

第2話はニカラグアの900人のバナナ農園労働者にも見てもらいました。彼らはとても喜んでくれました。長い期間、彼らは労働者の権利を勝ち取るために闘ってきたわけです。そして彼らのそのストーリーが映画となって世界中を巡って、多くの人たちに伝えられているということをとても喜んでくれました。ただ、残念ながら映画に出てくる多くの人たちが亡くなっています。それは農薬の影響と私自身は考えているのですが。この映画が映画に登場する労働者に何か成果を与えたかと言えば残念ながらそのようなことはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

4)日本の消費者へメッセージをいただけますか。
スーパーにはたくさんの農産物が並べられていますが、有機だとか健康への良し悪しだけにこだわるのではなく、果たしてこの農産物は生産者の労働や健康、産地の環境問題などを壊していないのだろうか、と批判的な視点で見ることが大切です。

第2話の映画のポスターには農園労働者の上をセスナ機が農薬を散布している状況が描かれています。これは70年代の話ではなく、今も続いている状況です。空中散布は効率的でコストが小さいと言われていますが、風で農薬が広範囲に飛散して、大気や土壌、地下水を汚染して住民の健康を脅かします。犯罪的な行為です。空中からは地上でもさまざまな農薬が使用されています。まさしく農薬のカクテルという表現がふさわしい。残念なことに、貧しい国では健康に関する知識、情報も限られているし、医療調査も十分ではないので、どういう影響や被害が出ているかよく実態がつかめていないのが実情です。映画では男性労働者の不妊症を描きましたが、腕や足がない奇形児や先天性異常、流産も多発しています。私はバナナを食べている消費者に自分の子どもに農薬をかけたいのかと問いたいです。

映画監督としての私の夢は、観る人の心にきちんと届くような作品を作ることです。映画に真実をぎっしり詰め込めば、視聴者の心に突き刺さります。映画を見た小学生が「毒にまみれたバナナを売るのは止めて!」とスーパーに手紙を書いたように。残念ながらスーパーがドール社の商品をボイコットすることはなかったのですが、バナナの売り上げが減ることを恐れたスーパーは、ドール社に対して「フェアな」バナナを取り扱うように圧力をかけました。スウェーデンではフェアトレードバナナのシェアはわずか5%でした。しかし、この映画が物議を醸し、バナナに対する市民の意識が高まって、上映後には50%以上になっています。

これはニカラグアのことを撮った映画ですが、フィリピンのバナナ農園労働者にとっても同じです。この映画のメッセージというのは小さなバナナ農園労働者たちと巨大企業の闘いなのです。そして、日本で食べられているバナナのほとんどがフィリピンから届いているという事実を考えると、日本の人たちにとっても大きな関係があるといえるでしょう。日本でも100万人がこの映画を見れば必ずや大きな変化が起きるはずです。一人でも多くの人に見てもらいたいです。そしてみなさんが活動するうえで役立つツールになったらとても嬉しいです。

 

(注1)DBCP
1950年代に発明された殺線虫剤。ダウ・ケミカル社が開発した農薬、商品名はネマゴン。土壌にいる線虫(ネマトーダ)を殺すため土壌に注入する。バナナ以外にも果物や野菜にも利用された。1977年、カリフォルニアにあるDBCP製造工場の労働者の不妊症が明らかになり、1979年には製造が中止された。鶴見良行『バナナと日本人』(1982年)にもバナナ農園で使われている農薬の一つとして挙げられている。

(注2)フィリピンではDBCPの使用を1980年に禁止している。フィリピンにおいてドール社は1990年代まで使い続け、その結果、バナナ労働者7,691人が無精子症と判明したという報告もある(中村洋子氏『フィリピンバナナのその後 多国籍企業の操業現場と多国籍企業の規制』2006年、七つ森書館)

政策室 小林和夫  取材日:2016年1月29日

バナナニュース252号:バランゴンバナナが日本に届くまで⑤ ~日本輸入から追熟加工~

2016年2月5日

フィリピンを出港したバランゴンバナナは東京と大阪の港に運ばれます。輸入青果物であるバランゴンバナナは、海外からの病害虫の侵入を防ぐことを目的に、まず植物検疫を受けます。植物検疫時に、燻蒸の対象となる虫が発見された場合、青酸ガス燻蒸を受けます。青酸ガスは揮発性が高いので、果実の中に残留しにくく安全性が高いものです。

ちなみに・・・皆さんが食べている黄色く熟したバナナ、産地では未熟な状態で収穫されます。なぜなら、熟したバナナはミバエなどといった日本の農業に深刻な被害を及ぼす害虫が寄生している恐れがあるため、植物防疫法で、熟した状態でのバナナの輸入は禁止されているからです。

 通関後は、追熟加工までバランゴンバナナは温度管理がされている倉庫で保管されます。

倉庫で保管されているバランゴンバナナ

「最初にバランゴンバナナを見たときは、黒くて、汚くて、山から収穫して持ってきた!という感じがしました。それまではプランテーションで栽培されているキャンディッシュ種のバナナしか見たことがなかったので、これで本当に売れるのかと思いました。でも食べると美味しかった!」

そう話してくださったのは、バランゴン交易が始まった当初からバランゴンバナナを見てきている通関業者、株式会社上組の安岡さん。その後、バナナの手入れや収穫後の工程の改善が行われ、徐々に品質も良くなっていきました。今のバランゴンバナナは、最初の頃とは比べものにならないぐらい品質が良いとのこと。それでも、プランテーションで作られたバナナの方がきれいで、「バランゴンバナナは他社のバナナに比べ傷が多い」と当時を知らない職員からはよく言われます。

 

追熟加工するムロは神奈川県、三重県、佐賀県の3か所にあり、そこで数日間追熟加工されます。集約型のプランテーションとは異なり、産地にバラつきがあるバランゴンバナナは、なかなか同じようには仕上がりません。産地・バナナによって特徴もあるそうで、例えば標高の高い産地で収穫されたバナナは、色づきが始まるまで時間がかかるそうです。また、夏は少し青め、冬は黄色めに加工するなど、季節の変わり目はムロと連絡しながら、加工を調整しています。

バランゴンバナナの追熟加工を担当して下さっている会社の職員も、「バランゴンバナナは他のバナナに比べ、味が濃くて美味しい!」と言っています。様々なバナナを見てきている人々からも美味しいとお墨付きをもらっているバランゴンバナナ。

収穫されてからここまでの期間は約1ヶ月!長い旅路を経たバランゴンバナナが皆さんのお手元に届くまであと少しです!!

事業部商品一課 黒岩竜太

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バナナニュース251号:バランゴンバナナが日本に届くまで④ ~バナナの箱詰めから出荷~

2016年1月26日

様々な産地から買付けされたバランゴンバナナは、パッキングセンターまで運ばれ、品質確認、洗浄、軸をカットして整えた後に計量され、箱詰めされます。パッキングセンターでの作業は週又は隔週に1回、2日~3日程度。

バナナを丁寧に洗浄するスタッフ

バナナを丁寧に洗浄するスタッフ

簡単そうに思える作業ですが、実際にやると大変。例えば、バランゴンバナナは化学合成農薬を使用せずに育てているので、虫がついていることがあるのですが、働いている人は皆が口をそろえて「バナナとバナナの間を洗うのが難しい」と言います。

バナナを傷つけないように優しく、丁寧にバナナの洗浄をしていますが、それでも虫などが付着した状態で日本に輸入されてきてしまうこともあります。また、いろいろなサイズのバナナをきれいに箱詰めするのもパズルのようで、慣れない人がするとなかなかうまくいきません。

 

バナナの箱入れにチャレンジ中の日本人訪問者

バナナの箱入れにチャレンジ中の日本人訪問者

実際にパッキングセンターを視察し、作業を経験した日本人からは、「バナナを隙間なく、それぞれつぶれないように詰め込んでいくのはとても難しかった」。

「あ、すごい簡単・・・第一印象です。洗って箱に詰めるだけ。でも、いざ作業をしてみるとなかなか上手くできません」といった声がありました。

 

そんな熟練した技術が必要なパッキングセンターでは様々な人が働いており、何年も働いている人がたくさんいます。夫婦で働いている人、普段は他の仕事をしていてバランゴンバナナのパッキングがある時だけ働いている人、バランゴンバナナを自ら育てながらパッキングセンターでも働いている人。ミンダナオ島ツピではキリスト教徒とイスラム教徒が一緒に働いており、バランゴンバナナ民衆交易はキリスト教徒とイスラム教徒の平和的な関係性構築に貢献していると言われています。

生産者の手を離れてからも、様々な人が関わっているバランゴンバナナ。箱詰めされたバナナはコンテナに積まれ、いよいよ日本に向けて出発です!

 

 

「日本の皆さんがバランゴンバナナを買ってくださり感謝しています。

私たちは自分たちの仕事の質を上げていくよう努めていますので、今後とも引き続きバランゴンバナナを購入してください!」

(東ネグロス州ドマゲッティパッキングセンター・スタッフ一同)

「北ミンダナオでバランゴンバナナ交易が今も続いていることに感謝しています。

日本の皆さんがバランゴンバナナを気に入ってくださり嬉しいです。」

(北ミンダナオパッキングセンター・スタッフ一同)

事業部商品一課 黒岩竜太

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パレスチナ報告(後半)パレスチナのオリーブオイルについて

2016年1月18日

オリーブ生産についてお話しましょう。オリーブの収穫は年1回、10月初めから11月中旬にかけて行われます。この期間、パレスチナの農村はもっとも活気にあふれます。収穫は重労働ですが、農民はお祭り、お祝いごとのように感じています。日の出前から日の入りまで家族総出、それこそ老若男女が収穫にあたります。畑が遠い場合は、お昼ご飯も持参して畑で食べます。まるでピクニックのようです。

製造工程を見てみましょう。パレスチナのオリーブ収穫は基本的に機械を使わずに手摘みすることが特徴です。手摘みにこだわるのは、オリーブはパレスチナ人にとって尊いものという意識もありますし、機械を使うと、実を傷つけてよい品質のオリーブオイルが生産できないことも理由としてあります。

畑でオリーブの実を選別する

できるだけ収穫した同じ日のうちに村にある搾油場に持ち込み、搾油します。オリーブの実のまま(種も皮もついたまま)搾油しますが、その工程では温度があがらないように注意します(コールドプレス)。搾油率をあげるために温度を上げる搾油場もありますが、そうすると品質が悪化し、とくに香りがなくなってしまいます。遠心分離機で固形物と液体、それから水分と油に分離するとオリーブオイルの出来上がりです。

搾油されたオリーブオイル

搾油したオリーブオイルは、いったん各協同組合の倉庫で保管されます。ここには簡単な分析室があって酸度などをサンプル検査し、合格したものだけがPARCの倉庫、充填工場に移送されます。PARCでは海外からの注文に沿って瓶詰、輸出します。ただ、日本向けはバルク(一斗缶)で輸出され、日本国内で瓶詰めされています。

PARCが農産物の流通に関わり始めたのは1980年代後半からです。1987年から1993年にかけて発生した第1次インティファーダにより治安が悪化しました。イスラエル政府は夜間外出禁止令を発令し、パレスチナ住民の移動を厳しく制限しました。そのため、オリーブオイルや農産物を市場に運搬、販売することができなくなった農民に代わってPARCが流通に関わりました。ビジネスというよりは救済事業という意味合いが強い活動でしたが、これがフェアトレードにつながるきっかけになっています。

1994年以降、フェアトレード運動を知って海外のフェアトレード団体とネットワークを築き、市場を開拓していきました。EUのパートナーも占領下にあるパレスチナに連帯して何とか支援したいという思いでオリーブオイルなどの農産物を買ってくれました。

そうした連帯や厚意に甘えるのではなく、他の生産国のフェアトレード商品に競合できるよう品質改善に取り組み始めたのが1999年からです。農民はオリーブオイルの生産技術、有機栽培の方法を研修を通じて学びました。日本には2004年から輸出しています。

それでは、パレスチナにおいてなぜフェアトレードが重要なのでしょうか。

第1に政治的な理由です。イスラエル政府は、3年間土地が未利用だと接収します。オリーブを植えて育てることがそのまま土地を守ることにつながっているのです。勿論、経済的な意味も大きいです。過去20-30年間、パレスチナの多くの住民が依存してきた国連や海外の人道支援に頼ることなく、自立した収入を得ることにつながります。また、フェアトレードは女性の社会進出にも役立っています。クスクス(中東でよく食べられる小麦でできた食物)加工協同組合では50名の女性が働いていますが、その多くは貧しい家族の出身で満足な教育を受けていません。しかし、現在ではEUを中心に年間100トンを輸出するまでに成長し、家計を支えています。

クスクスを加工する女性

しかし、フェアトレード事業にもパレスチナ特有の困難があります。内陸に位置する西岸地区は、欧米に輸出する場合、通常イスラエル領内の2つの港、ハイファ、アシュドッドを利用せざるを得ません。イスラエル領内では何の理由もなく荷物が止められることもしばしばです。そのため、扱う商品はオリーブオイル、アーモンド、デーツ(なつめやしの実)、クスクス、ザータル(ハーブ調味料)、ドライトマトなどすべて1年以上保存できる加工食品に限られます。生鮮物を扱うのはリスクが高いのです。

パレスチナのオリーブオイルが高い理由もよく尋ねられます。家族による小規模生産であり、手摘みで丁寧に収穫されるので人件費がかかることや、港までのコストが高いことが大きな理由です。加えて、占領下の特殊な事情もあります。例えば、資材の輸入。瓶などの資材は輸入していますが、パレスチナの会社が直接輸入することは禁止されています。イスラエルの会社を通して輸入するしか方法がないので高くついてしまいます。さらに輸入税も高い。瓶の場合は製品そのものより関税が高いほどです。また、オリーブオイルを海外に輸出する際、イスラエル政府はコンテナに満載することは許さないため、必ず1/3以上のスペースを残さないといけません。こうした点が重なってコスト高となってしまうのです。

最後に強調しておきたいことがあります。世界中の多くの人は、ユダヤ教とムスリムの宗教対立だと考えています。これはイスラエルによるプロパガンダの結果であり、間違った認識です。衝突の原因はイスラエルの占領にあり、占領によって基本的人権がないがしろにされていることです。パレスチナ人はテロリストというイメージも作られたものです。私たちは自由と独立国家を求めているだけです。

占領下の農民の苦しみや抵抗をオリーブオイルと一緒に受けとめてもらえると有り難いです。

(学習会での発表及び質疑応答の一部をまとめて編集しました)

政策室 小林

パレスチナ報告(前半)パレスチナ問題とは何か。そしてイスラエル占領の実態について。 

2016年1月7日

昨年11月、パレスチナのオリーブオイル出荷団体、パレスチナ農業復興委員会(PARC)フェアトレード部海外マーケティング責任者、シャディ・マフムッドさんが来日し、福岡、大阪、東京で主に消費者対象の学習会で現地報告をしました。学習会でお話したパレスチナの実情とオリーブオイル生産について報告します。

シャディ・マフムッドさん
2007年PARC入社。入社以来一貫してフェアトレード部において海外での販促、新規市場の開拓を担当。家族は妻と男の子2人。

これはパレスチナの領土の変遷を表した4枚の地図です。緑の部分がパレスチナ人、白の部分はイスラエル人が支配する土地です。パレスチナ人の土地がどんどん狭くなっているのがよくわかります。

パレスチナ地方領土の変遷(左から1946年、1947年国連分割案、1948~1967年、1999年)

1947年、国連はイギリスの信託統治領であったパレスチナにイスラエルの国家建設を認めました。当時、パレスチナ人が支配する土地は90%以上(左端の地図)でしたが、国連の分割案はイスラエルに半分以上の土地を分け与える不公平なものでした(左から2番目の地図)。パレスチナはこの分割案を拒否しましたが、イスラエルは独立を宣言し、圧倒的な軍事力に物を言わせてパレスチナ地方全土を占領しました(左から3番目の地図)。土地を追われた多数のパレスチナ人は難民となってイスラエルやパレスチナ、隣国のシリア、レバノン、ヨルダンとなって流れ込みました。イスラエルは1967年、第3次中東戦争によりさらにヨルダン川西岸地区を占領しました。それから半世紀近く、イスラエル軍撤退を求める国連決議に従うことなくイスラエルは占領は継続しています。

 

その間、1987年には占領に抗議してパレスチナの民衆が投石で抵抗する第1次インティファーダ(民衆蜂起)が起きたり、1993年にパレスチナ暫定自治協定共同宣言(オスロ合意)が成立し自治政府が樹立されたものの、イスラエルの支配が進行し、パレスチナ人の土地は虫食い状態になっているのが現実です(右端の地図)。

分離壁の建設状況(赤線、緑の線はグリーンライン)

虫食い状態にしている主な原因が入植地と分離壁の建設です。入植地は国際法では違法とされているにもかかわらず、今や西岸地区では200の入植地に70万人のイスラエル人が住むまでに拡大しています。そしてアパルトヘイト・ウォールと称される分離壁は、パレスチナとイスラエルの国際法上の国境とされるグリーンラインだけでなく、その内側、つまりパレスチナ領内に食い込む形で建設されています。北部では水資源が豊かな土地が、中西部では天然ガスが埋蔵されている地域が分離壁によってイスラエル領内に取り込まれているのです。

 

 

 

 

土地を分断する分離壁

入植者によるオリーブ畑や農民に対する暴力行為も頻発しています。なぜ彼らはオリーブ畑を攻撃するのでしょうか。それは、オリーブの木がパレスチナ人にとってはアイディンティティであることを知っているからです。先祖から受け継いだオリーブの木、土地や暮らしに根差したオリーブの木をそれこそ根こそぎにして、パレスチナ農民が土地を離れざるを得ないように仕向けているわけです。

 

今年(2015年)7月31日、西岸地区北部にあるナブルスで痛ましい事件が起きました。入植者が真夜中にパレスチナ人の家に放火し、1歳半の幼児が死亡し、入院した両親も後日亡くなったのです。犯人は近くの入植地に住むイスラエル人でしたが、イスラエル政府は逮捕することもありませんでした。これに抗議して西岸地区各地でパレスチナ人によるデモや衝突が起きました。

 

加えて、9月にイスラエル政府がエルサレム旧市街にあるアル・アクサ・モスクでの礼拝を制限したことをきっかけに、10月以降、イスラエル軍や入植者とパレスチナ人の間で衝突が頻発しています。イスラエル軍は一般市民に対して実弾やゴム弾で攻撃し、10月以降75名(11月10日現在)のパレスチナ人が殺されました。武器の無いパレスチナ人は投石で対抗するしかないのです。

 

=== 以下、後半に続く ===

 

(本報告は学習会での発表及び質疑応答の一部をまとめて編集したものです)

政策室 小林

【パレスチナ】ファラージさんからのお礼状

2015年12月1日

10月21日、20か月もの間、イスラエル政府により行政拘禁されていたパレスチナのオリーブオイル出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)職員、アブドゥル・ファラージさんが釈放されました。

仕事に復帰し、久方ぶりに家族との時間を過ごしているファラージさんから支援してくださった日本の方々へお礼が届きました。

[box type=”shadow”]
親愛なる日本の友人の皆さまへ

私がイスラエルに拘禁されていた期間中、私自身、私の家族、そしてUAWCの同僚たちへの皆さまからのご支援に心から感謝申しあげます。

皆さまからのご支援は、パレスチナ人の拘禁者を心から支えてくださる方々が日本にそして世界中にいるということの証です。獄中で私の妻を通じて皆さまからご支援頂いていると聞いたことが、どれだけ私に楽観的な気持ちと希望を与えてくれたことでしょうか。

私は1か月前に釈放され、UAWCの仕事に復帰しました。釈放後は、20か月間に及んだ行政拘禁期間中にできなかったこと、そして、占領下においては普通の生活などないのが現状ですが、それでも何とか日常の暮らしを取り戻そうとしています。

皆さまからのお便り、そしてパレスチナで皆さまにお会いできることを楽しみにしております。

心からの感謝をこめて。

アブドゥル・ラゼック・ファラージ [/box]

釈放直後、迎えに来た家族と。

左から長男バジルさん、次男ワディさん、パートナーのラミスさん、ファラージさん。

政策室  小林

UAWCがアラブ思想財団賞(経済創造部門)を受賞!

2015年11月30日

農民支援のNGOであり、オリーブオイルの出荷団体でもあるパレスチナ農業開発センター(UAWC)が取り組んできた「農地開発プロジェクト」に対して、アラブ思想財団(レバノン)が2015年度経済創造部門賞を授与しました。

ヨルダン川西岸地区では、イスラエル政府が行政、治安の権限を掌握する地域(エリアC)が60%を占めています。イスラエルがパレスチナ人の農民を追い出すために、農地を没収して入植地を拡大している現状の中で、このプロジェクトはエリアCにおいて農地を守ることに大きく寄与しています。

UAWCの農地を守る取り組みは4つの活動領域があります。
1)農地開墾 未利用の土地を農業用地に転換する。
2)農地復興 地主により放置されている農地を生産的にする。
3)農道建設 農地へのアクセスを改善する。
4)灌漑整備 水不足(水資源の85%がイスラエルに独占されている)対策のため、井戸、灌漑用水路や送水管を整備。

理事長代行のフゥアッド・アブ・サイフ氏は、「今回の受賞は、パレスチナ人の土地を収奪しようとしているエリアCにおいてUAWCが農地開発や開墾によって土地を守ってきた業績に対する評価であり、今後も同事業を継続していくことの励みとなる」と話しています。

UAWCが長年、農民と一緒に進めてきた活動が表彰されたことは大きな意義があります。みなさんと一緒にこの受賞をお祝いしたいと思います。

 

UAWCウェブサイト 該当記事(英文)

 

政策室 小林

 

 

 

 

 

【パレスチナ】アブドゥル・ラザック・ファラージさん釈放!

2015年11月19日

イスラエル政府により2014年2月15日から行政拘禁されていたオリーブオイル出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)の職員、アブドゥル・ラザック・ファラージさん(53歳)がようやく釈放されたとのニュースが届きました。

拘留期限は最大6ヶ月なのですが、これまで同年8月、2015年2月、6月と3度にわたり拘禁更新が言い渡されていました。拘留期間は実に通算20か月に及びました。

UAWCによるとファラージさんの健康に異常はないとのことです。

まずはこの嬉しいニュースをお伝えします。

ファラージさん家族

ファラージさんの家族。左からパートナーのラミス、次男ワジさん、ファラージさん、長男バジルさん

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(注)行政拘禁とは理由も明らかにせず、起訴なしで拘留する制度です。イスラエルの人権団体、B’Tselemは、国際法では市民に危害をもたらすおそれがある場合の最終的な手段としてのみ執行が認められていますが、イスラエルはこの制度を濫用し、過去数年間で何千人ものパレスチナ人に適用しているとしています。
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政策室 小林

ドキュメンタリー「”The Iron Wall” 鉄の壁」~パレスチナの人びとの自由を阻む壁~                              

2015年10月30日

国際的な意味で「壁」と聞くと、まず思い浮かぶのは「ベルリンの壁」ではないでしょうか。1948年8月13日から建設が始められたこの壁は、当時のソ連が、占領統治していた東ベルリンから西ベルリン(西ドイツ側)への住民流出を防ぐ目的で作られたと言われます。旧東ドイツ領内に飛び地として存在していた西ベルリンを取り囲むようにめぐらされ、1989年11月の崩壊まで40年以上に渡って存在し続けました。

 

ベルリンの壁とイスラエルによる分離壁の比較

ベルリンの壁とイスラエルによる分離壁の比較

ベルリンの壁は壊されましたが、このように何らかの政治的・差別的な意図を持って大規模に建設された壁に囲まれている場所は、世界中探してもパレスチナにしか見当たらないと思います。

 

特にヨルダン川西岸地区を取り囲むように建設されているこの壁は、ベルリンの壁の約4.7倍、全長700km以上にも及び、2002年にイスラエルによって建設が始まりました。名目は、「イスラエル国民をテロリストの攻撃から守る」とされていますが、実際にはグリーンライン(1967年の軍事境界線≒現ヨルダン川西岸地区とイスラエルとの境界線)よりヨルダン川西岸地区へ食い込み、その内部に違法に建設されているイスラエル人入植地をイスラエル側へ取り囲むかのように伸びています。明らかに、違法な入植地を強制的に領地として併合する意図が見て取れ、計画上では、ヨルダン川西岸地区の46%がイスラエル側に取り込まれるという試算もあります。

 

土地を横切って伸びる壁。エルサレム近郊の高台から

土地を横切って伸びる壁。エルサレム近郊の高台から

2004年7月、国際司法裁判所は、ヨルダン川西岸地区へ食い込んだ壁の建設は違法であり、壁は速やかに撤去され被害を被った住民への補償がなされるべきであるという勧告を出しています。同年の国連総会決議においても、イスラエルに対し、その勧告に従うように求めた決議が採択されています。

 

分離壁

分離壁

しかしながら、イスラエルはこれらの勧告を一切無視し、今日に至るまで分離壁の建設を続行してきているのです。分離壁がヨルダン川西岸地区に食い込むということは、壁のルート周辺にあるパレスチナ人の土地が奪われ、また分断され、そして壁の「向こう側」が強制的にイスラエルになってしまうことを意味しています。このようにして、ただでさえ占領下で困難を強いられているパレスチナの人々の生活が、さらに奪われていく実態があります。

 

オリーブオイルを出荷している現地パートナーであるPARCは2006年に、このパレスチナの現状を広く伝えたいとドキュメンタリー「The Iron Wall(鉄の壁)」を制作しました。そして京都YWCA有志の方々が、日本で伝えたいと日本語版を制作し、ご厚意によりこの度、ATJウェブサイトで公開することになりました。10年近く前のものではありますが、ここに含まれている内容は今なおヨルダン川西岸地区で起こっていることです。ぜひご覧いただければ幸いです。

事業部商品二課 若井

 

 

 

 

制作・著作権:Palestinian Agricultural Relief Committees(2006年)

日本語字幕:京都YWCAブクラ

【バナナニュース247号】バランゴンバナナが日本に届くまで① ~バランゴンバナナ圃場の様子~

2015年9月18日
バランゴンバナナ産地

バランゴンバナナ産地

1989年にネグロス島から始まったバランゴンバナナの出荷。今年で26年目を迎えたバランゴンバナナ民衆交易ですが、現在はネグロス島だけでなく、北ルソン、ボホール島、パナイ島、ミンダナオ島(北ミンダナオ、マキララ、ツピ、レイクセブ)からバランゴンバナナが出荷されており、3,000人以上の生産者がバランゴンバナナを栽培しています。

バランゴンバナナ民衆交易の歩みをご参照。

今回からシリーズで、バランゴンバナナがどのような産地で栽培されていて、どのような工程を経て日本の食卓に届くのかをご紹介していきます。

まずはバランゴンバナナの圃場について。

 

ミンダナオ島レイクセブ。圃場によっては標高1000m以上のところでバランゴンバナナが栽培されています。

ミンダナオ島レイクセブ。圃場によっては標高1000m以上のところでバランゴンバナナが栽培されています。

バランゴンバナナの圃場の特徴は、地域によって異なります。海抜0mの産地から標高1000m以上の産地、幹線道路へのアクセスが良い産地からトラックが入ることのできない山道を何キロも歩かなければならない産地。中にはまだ電気・水道などが通っていない産地もあります。

 

 

近年、美味しさを売りにした高地栽培バナナを頻繁に見かけるようになりましたが、バランゴンバナナの一部の産地は、昔から高地でバナナを栽培していたのです!

東ネグロス州タンハイ村。川の近くの産地で、海抜0mの圃場もあります。

東ネグロス州タンハイ村。川の近くの産地で、海抜0mの圃場もあります。

また、産地によって受けやすい天候被害なども異なります。例えばバランゴンバナナ産地の1つである東ネグロス州タンハイ村。ここは海抜0mであり、川の近くにある産地ですので、大雨が降ると洪水被害を受けやすい産地です。

また、風向きによって強風被害を受けやすく、葉っぱが切れ切れになりやすい産地もあります。葉っぱが切れ切れになると、バナナは光合成をうまく行うことができず、生育不良を起こしてしまいます。山奥にあり、アクセスが悪い産地では、大雨が降ると収穫に行けなくなるという問題も発生します。

北ルソン・ソウミル村。バランゴンバナナの圃場に行くには山道を歩きます。

北ルソン・ソウミル村。バランゴンバナナの圃場に行くには山道を歩きます。

東ネグロス州ボナウォン村。大雨が降ると圃場に収穫に行けなくなることも。

東ネグロス州ボナウォン村。大雨が降ると圃場に収穫に行けなくなることも。

多国籍企業のバナナプランテーションのように一律管理されていないので、バランゴンバナナの手入れも生産者によって異なり、中には意欲的で様々な工夫をしている生産者もいます。例えば、自分でミミズ堆肥を作っている生産者、家畜の糞尿を有効活用している生産者など。3,000以上の生産者がいるので、生産者の農業技術の底上げというのは、課題の1つです。

 

バナナの表面に、葉のこすれなどによるキズや虫害を防ぐために、バナナの実に袋をかけるパンダノン村の生産者。

バナナの表面に、葉のこすれなどによるキズや虫害を防ぐために、バナナの実に袋をかけるパンダノン村の生産者。

また、標高の低い産地で育てられているバランゴンバナナは、標高の高い産地に比べ、早く収穫できる傾向がある、土壌が豊かで水が豊富な産地のバナナは実が大きく育つ傾向があるなど、産地によって様々な特徴を見せてくれます。

 

今度、バランゴンバナナを食べる時は、このバランゴンバナナはどんな産地から来ているのだろうと思いを馳せながら食べてみてください!!

ミンダナオ島ツピ及びレイクセブについて詳しく知りたい方は、下記動画をご覧ください!

 

バランゴンバナナ物語~ミンダナオ島ツピ・レイクセブ~

商品一課 黒岩竜太

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【バナナニュース246号】ビクターさんは今!! ~バランゴンバナナの価値と課題~

2015年8月19日

ビクターさん交流会を通しての学び

2013年9月に来日したミンダナオ島ツピのバランゴンバナナ生産者であるビクター・コルテスさん。日本での消費者との交流会を通して、バランゴンバナナの価値を再認識することができたと言います。

「バランゴンバナナ生産者として、日本に行くことができたことを光栄に思っています。日本での経験を通して、生産者と消費者が交流していくことの重要性を学ぶことができました。また、日本の消費者との交流を通して、バランゴンバナナの価値を再認識することができました。

バランゴンバナナはTUBAGA(ツピのバランゴンバナナ生産者組合)にとって、重要な事業です。また、バランゴンを通して、生産者、栽培を手伝っている人々、消費者が繋がることができています。

有機農業の大切さについても、改めて学ぶことができました。農薬を使用せずに栽培しているバランゴンバナナは、生産者にも、環境にも良いバナナです。そのようなバナナ栽培を続けていく必要があります。」

 

現在のツピの状況について

現在、ツピでは多国籍企業の契約栽培によるパパイヤやバナナ、大規模なパイナップルプランテーションなどが拡大しています。バランゴンバナナ以外にも数多くの現金収入の手段がある中で、生産者がバランゴンバナナを作り続けていることに、ビクターさんは感謝していると言います。

パイナップル・プランテーション

ミンダナオ島ツピに広がる広大なパイナップルプランテーション

 

一方で今後もバランゴンバナナ栽培をツピで続けていくには、買取り価格などの経済的価値、生産者と消費者の関係などの社会的価値を高めていく必要があるとビクターさん。

 

 

 

日本の消費者へのメッセージ

[box type=”shadow”]「今後もバランゴンバナナ民衆交易を続けていくには、生産者と消費者の関係を強化していく必要があります。そのことが、生産者の暮らし、地域を良くしていくことに繋がります。」[/box]

 

取材・まとめ 商品一課 黒岩竜太

 

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【パレスチナからのアピール】国際司法裁判所の判決が実行されるよう共に声をあげよう!

2015年8月6日

イスラエルが建設する分離壁を違法とした国際司法裁判所の決定が出てから11年。パレスチナのオリーブオイルの出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)は、依然として建設が進行している状況に対して抗議するよう国際社会に呼びかけています。

 

ハーグにおける国際司法裁判所の決定から11年を経てもなお、分離壁はそこにあります!

[box type=”shadow”]2004年7月9日、ハーグにある国際司法裁判所は、イスラエルが建設を進める分離壁に対する法的責任に言及する勧告を提示しました。その中で同裁判所は、分離壁の建設が国際法に反していること、そして占領者であるイスラエルに対しては、直ちに分離壁の建設を取りやめ、既存の壁を壊すべきであること、またパレスチナ人に対して補償を支払う責務があることを明言しました。さらに各国政府には分離壁に反対する義務があること、国連は具体的な行動を示すべきであるとも述べました。しかし、この国際司法裁判所の決議から11年が経った今なお、分離壁は依然として存在し、国際法に違反したイスラエルによる占領が続いているのです。

2002年、イスラエルは「イスラエルからヨルダン川西岸地区を分離する」という目的で、分離壁の建設を始めました。国連人道問題調整事務所(OCHA)によると、分離壁は建設予定分も含めると総長712kmに及び、それはグリーンライン(国際的にイスラエル領を定める停戦ライン)の2倍以上の長さです。実に分離壁の85%以上がグリーンラインを越えて西岸地区の側に食い込み、もし予定通りに建設が完遂した場合、東エルサレムを含む9.4%もの土地が、イスラエル側に孤立することになります。パレスチナの農民が「壁の向こう側」にある自分の農地へ行くには、74ヶ所に設けられたゲートを通過するしかありませんが、そのうち52ヶ所は、10-12月のオリーブ収穫期間にしか開かれません。また「ストップ・ザ・ウォール・キャンペーン」によると、分離壁の建設によって、パレスチナ人の所有する農地の多くが破壊され、帯水層を含めた貴重な水源が奪われました。

西岸地区全図(OCHA2012年版)

グリーンライン(緑色の破線)の内側に建設済(赤の実線)、建設中(紅白)、
建設予定(黒白)の分離壁が食い込んでいる様子が見て取れる。

国際社会による数々の人道的解決策をことごとく踏みにじってきたイスラエルは、「自由に行き来すること」「土地の所有権を持つこと」「水を使用すること」「食糧の主権を持つこと」というような基本的な権利を、パレスチナ人から奪っています。ダメなことにダメと言い、国際的な解決を希求し、立ち上がることは、地域社会・国際社会が果たすべき役割なのです。

国際司法裁判所の決定を実践し、イスラエルによる差別的かつ非人道的な行いを止めさせるための運動は、今こそ、世界中全ての社会活動家や心ある組織の手によって、強められていくべき時だと考えます。イスラエルによる継続的な占領と土地や資源の収奪、そしてパレスチナの植民地化を、止めさせる時が来ています。どうかこの占領を終結させ、パレスチナが自分たちの手で自分たちのことを決められる社会を作れるよう、支援をお願い致します。

以下に署名をした我々組織や活動家は、国際司法裁判所の決定を実践し、分離壁を無くし、イスラエルに対して全ての国際法や協定を遵守させるために、国際社会の速やかな介入を呼び掛けています。

・ 私たちは、イスラエルによる分離壁の建設によって生じた非合法的な状況を一切認めません。

・ 私たちは、イスラエルによる分離壁が建設されたこの状況を維持するための支援や援助を一切行いません。

・ 私たちは、イスラエルによる分離壁の建設によって生じた、パレスチナ人の民族自決権を妨げている負担や重荷を取り除くことに取り組みます。

・ 私たちは、イスラエルによる分離壁の建設またはその維持を支援する全ての企業・組織・団体をボイコットします。[/box]

UAWCは下記URL(英語)で賛同署名を集めています。みなさんの応援の気持ちをぜひパレスチナの農民に届けてください!

賛同方法について

①UAWCのウェブサイト(英語)にアクセスしてください。アピール内容は上記のとおりです。

11 years after ICJ’s Decision at The Hague and the Apartheid wall still exists!

②下部にある「Support」をクリックすると署名欄につながります。

③記入方法について

各項目にご記入ください。

Full Name(氏名)

E-mail(メールアドレス)

Organization(所属団体)

Job Title(役職)

TEL(電話)

FAX(ファックス)

Celluler(携帯番号)

必要と思われる項目のみで結構です。また、所属団体の後ろにJapanと付記していただくと日本からの賛同だとわかります。

【バナナニュース245号】 ボイさんは今!!   ~交流会での経験を日々の仕事に活かして~

2015年7月17日

日本での交流会後の仕事・暮らしについて

干ばつの影響及びその後の強風の影響を受けてしまったボイさんのバランゴンバナナ

2014年10月に来日した東ネグロス州マンフヨッド町ロウアカンダボン村のバランゴンバナナ生産者でありオルタートレード社(以下:ATC)のスタッフであるロッドジム・カトゥバイさん(通称:ボイさん)。現在、バランゴンバナナは2014年12月に結婚した長女リゼル夫婦が世話をしていますが、今年の2月から6月の干ばつ及び台風によってもたらされた強風の影響でバナナがうまく育たず、収穫がほとんどない状況です。「バランゴンバナナの世話を通して、私は様々なことをバランゴンバナナから始めることができたことを娘夫婦に理解してもらいたい」と語るボイさん。

「消費者が生産者の現状を知ること。また生産者が、なぜ消費者がバランゴンバナナを食べているのかを知ることが重要」と話すボイさん。日本での交流会後は、ロウアカンダボン村の生産者、他の地域を担当しているATCの現場スタッフに日本での経験を共有してきました。継続的な交流を通して、生産者はバランゴンバナナには安定的な販売先があると感じることができ、今後もバランゴンバナナ栽培を続けていこうという想いにつながっています。

ギフルンガン町、ビンドイ町の活動計画について話し合っているボイさんとATCスタッフのウィニーさん

また、ボイさんの仕事にも大きな変化がありました。以前はマンフヨッド町を担当していましたが、2015年3月からはギフルガン町、ビンドイ町を担当しています。ロウアカンダボン村を含めたマンフヨッド町は現在、ボイさんのパートナーであるアナさんが担当していますが、時折生産者との会合に参加するなどして、アナさんをサポートしています。

 現在担当している地域は、ボイさんが住んでいる地域から約90㎞離れており、山道などを移動しなければならないため、バイクで片道3時間程かかります。朝6時に家を出て、帰ってくるのが夜11時頃という生活を送っており、必要であれば産地で寝泊まりもしているボイさん。家に戻る頃には家族はすでに寝ており、以前のように家族と一緒に食事をとるのが少なくなったとのこと。「現場スタッフとして、求められていることはしっかりやりますが、やはり家族が恋しい」と少し寂しげに話すボイさん。

 現在担当しているギフルガン町、ビンドイ町はバランゴンバナナの手入れをしている生産者が少ない地域のため、生産者協会の組織化及び強化のサポートだけでなく、バナナの袋掛け・タグ付け、脇芽の管理といったバナナの手入れ方法も生産者に教えています。

生産者との会合をファシリテートするボイさん

「バランゴンバナナには安定的な売り先があるので、バランゴンバナナ栽培を軸に生産者協会を組織し、強化をしていくことができます。バランゴンバナナは生産者協会の“傘”であり、生産者の生活向上のため、バランゴンバナナだけでなく、他の農作物、家畜へと多様化していくことを目指しています。」

 一方で、生産者の組織化は簡単な仕事ではないと言います。「生産者を組織化していくためには、理論と実践が伴わなければいけません。そうすれば、生産者に説明していくことも容易になり、円滑にコミュニケーションを取ることができます。」

消費者との交流を通して感じたこと

 「日本での交流会を通して、改めて生産者と消費者が強い関係性を構築することが必要であると気付かされました。」来日前から、多くの消費者がロウアカンダボン村を訪問しており、消費者との交流を通して、消費者はただバランゴンバナナに関心があるのではなく、産地の環境や持続性、生産者の暮らしに関心があることを感じることができたと言います。

「消費者が産地に来るということは、生産者にとっては非常に喜ばしいことであり、消費者がただバランゴンバナナにのみ関心があるのではなく、他のことにも関心があることの証でもあります。」

日本の有機農家を訪問して学んだこと

 日本では有機農家も訪問することができたボイさん。「日本の農業技術は非常に高く、有機農業の価値を評価している売り先があるということを今回の訪問を通して学ぶことができました。農家として、日本の高い技術をそのまま取り入れていくのは難しいですが、日本で学んだ農業技術を少しでも実践できればいいなと考えています。例えば、農業において、土づくりというのが非常に重要であるということを学びました。このような学びを自分の農業、そして仕事に活かしていきたいと思います。」

 ATCでは2013年8月にBOX(Bio-Organic eXchange)という食品宅配のサービスの取り組みを開始しました。これはATCが関わりを持っている小規模生産者が育てた農産物をネグロス島バコロド市の消費者に届けるという事業ですが、2013年11月の台風ヨランダ以降、BOX事業は休止しており、2015年6月に再開しました。ボイさんは、日本の生協の取り組みがBOXの参考になると言います。BOXがうまくいくためには、「消費者が信頼できる農産物を届けることを大事である」と話していました。

日本の皆さんへのメッセージ

「日本で会った人々のことは、絶対に忘れません。皆さんは私を農家として認めて下さり、また私を温かく迎え入れてくれました。消費者と生産者が目指していることを実現するために、今後もATC/オルター・トレード・ジャパン(ATJ)/消費者/生産者の強固な関係が続いていくことを望んでいます。私たちの世代が第一線を退いたとしても、次世代がバランゴンバナナ民衆交易を続けていってくれることを望んでいます。本当にありがとうございました!」

取材・まとめ 商品一課 黒岩竜太

 

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