東ティモール: 生産者が振り返る独立10年

2012年5月14日

独立からの10年、そしてこれからの10年に期待することを、コーヒー生産者の一人であるジュリオさんに伺いました。

ジュリオ・マデイラさん

ジュリオ・マデイラさん

■ジュリオ・マデイラ(エルメラ県・コーヒー農民・38歳)
 この10年間を振り返ってみると、インドネシアの占領中と独立後の変化を感じます。インドネシア占領期にはコーヒーを買い付ける企業はNCBA(注1)のみでしたが、独立後には、コーヒー農民はティモール・コープ、エルサ・カフェ、ティモール・グローバル、オルター・トレード・ティモール社(ATT)など、数多くの企業にアクセスできるようになりました。

 以前の自分の夢は、ポルトガルの植民地時代、そしてインドネシア統治時代にコーヒープランテーションとして使用された、コーヒー農園にある先祖伝来の土地の権利を自分達の手に取り戻すことでしたが、残念ながら現在までそれは実現していません。むしろ政府の意図は、外国企業を送り込んで、コーヒープランテーションを再度運営させることにあるようです。「独立」はしたものの夢見ていた状況とは程遠く、社会正義の実現のために闘いつづけなくてはいけないと思っています。

 日本の人たちへのメッセージはたくさんあります。コーヒー生産地域(特にエルメラ県)でより多くの生産が可能になるように、コーヒーを買い支えてほしいです。また、生活を保障するような持続可能な農業のシステムをつくりあげるために、コーヒー生産者や農業者、学生などが海外で学べる仕組みや、品質が保証されたコーヒーを生産する地域にできるように農民の子どもたちが教育をうけるための奨学金をだしてもらえるとうれしいです。近隣地域での小規模な産業をつくりだせないかとも考えています。海外から輸入したコーヒーを市場から減らしていくためにも、自分たちのコーヒーを国内でももっと広めたいと思っているところです。


注1:National Cooperative Business Associationの略で、米国の非営利全国協同組合。90年代半ばから米国開発庁(USAID)とともに開発プロジェクトを実施し、その後CCT(Cooperative Café Timor)という「協同組合」の設立を支援した。NCBA/CCTの最大の買い手はスターバックス社。

東ティモール: 独立10周年&大統領選

2012年5月14日
大統領選のキャンペーン

お祭りのような大統領選の選挙運動の様子

4世紀以上もの植民地時代を経て独立(主権回復)した東ティモールは、今年5月20日に独立10周年を迎えます。独立記念日には、4月16日の大統領選挙決戦投票で選出されたタウル・マタン・ルアク氏が大統領の就任式が予定されています。ルアク氏は独立闘争を戦った元ゲリラ兵で、独立闘争を指揮した国民的英雄のシャナナ・グスマン首相と、同氏が率いる東ティモール再建国民会議(CNRT)の後押しを受け当選しました。今年は新たな国家元首のもとに、例年になく特別な独立記念日となります。

しかし、独立して10年経った現在も、国内産業は全く育っていません。一方で人々が使用する日用品や食料品の多くを輸入に頼り、物価は上がる一方です。政府公務員の給与の引き上げや、独立闘争に関わった人々や高齢者へは手厚い年金が支給され、その恩恵を受けない人々との貧富の差はますます顕著になっており、「物価があがり、生活はますます苦しくなった」という声が上がっています。新大統領の手腕が問われることになります。

バランゴンバナナ 福島県新地町の仮設住宅を訪問

2012年4月19日

フィリピンのバランゴンバナナ生産者たちは、これまで支援してもらっている日本の人たちへの恩返しとして、東日本大震災被災者のために何かしたい、と支援バナナを昨年届けてくれました。そんな生産者の気持ちをこめて、生活クラブふくしまが応援する新地町の仮設住宅の青空市でバランゴンバナナが供給されることになりました。

2012年2月25日(土)、福島は朝から雪が降っていました。物資をトラックに積み込み、郡山市から福島市にはいり霊山の山を越えて新地町に入ります。雪道をどうにか目的地にたどり着くと、組合員さんはじめ仮設住宅の皆さんはすでに集会所に集まって大幅に遅れたトラックを待っていてくれました。みんなで手伝って物資をトラックから降ろし、野菜、果物、冷凍肉や缶詰など並べて特設市場ができあがりました。この日バランゴンバナナは、がんご屋仮設と前田仮設住宅での青空市に提供されました。バランゴンバナナに慣れている生協の組合員さんは「これは特別のバナナだから、ちゃ~んと甘く熟させてから食べてくださいね」とひとりひとりに声をかけていました。こうしたコミュニケーションも大事なのだといいます。たくさん買い込んでしまったおばあちゃんの荷物は、生協職員がお部屋まで特別サービスで配達します。

青空市
青空市

この青空市に供給されている物資は、組合員さんのカンパや生産者の協力で提供されたものが多いのですがすべてに値段がついています。自らが被災者でもある組合員さんは「ただでもらうことに慣れてはいけない。小さなコミュニティでもお金がまわると経済がまわり始めるものだ」と考えています。その売上は仮設住宅ごとの自治会に寄付されています。「住民がカフェやお弁当サービスのような起業を起こす資金になればいいのですが・・・」と生活クラブふくしまの土山専務理事は考えています。この日の売上の一部はネグロスで発生した地震の被災者への支援金としてカンパされました。

仮設住宅住民の皆さんの買出しが一段落すると、組合員さん手作りの心のこもった暖かいお昼をいただきました。生協スタッフの皆さんは、配達のない土曜日に休みを返上してこうした活動を続けています。「このお昼が楽しみで毎週来ているんですよ!」と、仮設での昼食は大きな励みになっているようです。この日は、吹雪と雪道の恐怖で凍りついた心と身体が、温かい食事で解けていくような味わいでした。お昼をいただきながら、埼玉からの生協組合員さんたちといっしょに、福島の皆さんから避難当時の様子や仮設住宅の状況などを伺いました。「これから長い時間、この福島のみんなと本気で寄り添っていくことが日本の人たちに必要だと思う。具体的にどうしたらいいかは、来て、見て、聞いて感じないとわからないと思う」と土山さんは話しました。

青空市引き続きバランゴンバナナは、3月17日に福田仮設と作田仮設住宅、4月7日に小川仮設と雀塚仮設住宅での青空市に提供されました。4月には、がんご屋仮設と小川仮設住宅の子どもたちだけで協力してクッキーを焼いたり模擬店を出したりする「マイタウン企画」を予定しています。いっしょに考えたり作業することで仲良しになって協力し合える関係になってほしいという生協組合員のアイディアです。

交流事業推進室 幕田

資源管理型漁業をテーマに交流-|日本の漁協がエコシュリンプ産地を訪問

2012年4月2日

北海道でホタテの養殖や、エビやサケなどの出荷や加工などを行っている野付漁業協同組合と、北海道漁業協同組合連合会、パルシステム連合会が組織する「海を守るふーどの森づくり野付植樹協議会」が、2012年3月20日~26日までインドネシアのエコシュリンプ産地を訪れ、資源管理型漁業をテーマに視察・交流会が行われました。

【3月21日】スラバヤから近いパスルアン県の沿岸住民であったムカリムさんは、家を侵食から守るために1986年から15年間ひとりでマングローブを植え続けました。やがてカニや魚が戻ってくるとコミュニティの人々も植林活動に参加してくれるようになりました。今では全長817m、105haに及ぶマングローブ林となり、沿岸地域は地元の人々にとって豊かな漁場となっています。この交流訪問にはATINA(オルター・トレード・インドネシア)職員やエコシュリンプ生産者も同行し、地元の人々とマングローブと漁獲高の関係について意見交換を行いました。

パスルアンのマングローブ マングローブの苗木を手にするムカリムさん

【3月22日】2日目に開催されたシンポジウムには、エコシュリンプ生産者、ATINA職員、環境NGOや政府の水産局からも参加がありました。ATINAからは、エコシュリンプの生産から加工までの行程の説明、若手生産者のイルル氏からは、自分たちが実践している「粗放養殖」について、そして今直面している問題として環境汚染と生産性について報告がありました。ECOTON(環境NGO)からは、スラバヤを流れるブランタス川の環境保全活動について報告がありました。日本側からの発表は、「野付植樹協議会」からは、消費者や川上の酪農農家と協力して植樹活動を継続した結果、豊かな川の水が戻り漁獲高もあがって後継者には困っていないという魅力的な報告がありました。(消費者団体である生協といっしょに植樹を始めて10年になりますが、その前に浜の母さんたちが漁獲量が落ちていくことに気づき、その原因としてたどりついたのが牧草地開発のために山の木が切られ、さらに牛の糞尿による汚染の問題だったそうです。そこで、豊かな水を戻すために、浜の女性たちが中心となって植林活動が始まったのだそうです。)そして、沖縄の恩納村でのサンゴ植樹とモズク生産の取り組み、最後に「安さのみを求めた消費は環境を破壊し生産システムを破壊することにつながりやすい。分断の経済から協同の経済へ、そして一握りの人に集積される富に対して民衆の経済づくり、すなわち協同組合づくりが重要である」というパルシステム生協連合会の考え方が紹介されました。エコシュリンプ生産者たちも真剣に耳を傾けていました。

【3月23日】舟で川を下りながらエコシュリンプの粗放養殖池を訪問しました。エビの成長行程、池の仕組み、粗放養殖についてATINA担当者から現場で学んだ後は、手づかみ収獲体験をしました。エコシュリンプは元気に勢いよく逃げますので、つかみ取るのはなかなか容易ではありません。実験池で獲れたてのエコシュリンプづくしの昼食をいただいた後は、参加者全員でパスルアンから入手したマングローブ苗の植樹を行いました。 【3月24日】まとめの会では、今回の出会いから有効な交流を続けてお互いにもっと状況をよくしていきましょう、と確認し合いました。

エビ生産者代表のイルルさん マングローブの苗木を手にするムカリムさん

(交流事業推進室 幕田)

2012年2月6日に発生したネグロス東州の地震について

2012年3月29日

前回のバナナニュースで台風被害(北ミンダナオ・ネグロス東州)を報告したばかりですが、今回はネグロス東州での地震被害についてお伝えします。 2012年2月6日のお昼前、ネグロス東州の北東沖を震源とするマグニチュード6.9の地震が発生しました。一時は政府から津波警報も発令されたとのことですが、幸いなことに津波の被害はありませんでした。しかしながら、建物の倒壊、道路の亀裂や土砂崩れで大きな被害が出ています。特に、土砂崩れの被害が大きいギフルガン市のプラナス地域は、日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC、現APLA)時代にネグロス救援復興センター(NRRC)が支援活動を行った場所で、周辺地域も含めてバランゴンバナナの生産地です。

ATC(オルター・トレード社)は翌日にはスタッフを派遣して被災地の視察を行いました。道路のあちこちに亀裂が入り、余震が続く中、家の倒壊を恐れて安全な場所を求めて移動する人やテント生活を送る人などを多く見かけたとのことです。プラナス地域では必死の捜索活動が続いていますが、土砂に埋まり 亡くなった方・行方不明の方が多くいます。支援物資もなかなか届かないため、ATCも緊急救援物資を被災地に直接届けました。
土砂災害などの被害がない地域でも余震が続いているため、バナナの収穫を見合わせている生産者がいます。ATCとしては出荷できる生産者がいるのであればバナナの集荷は続け、なるべく収入につながるようにしたいと考えています。

日本のメディアでは報道が小さくなりましたが、事態が収まったわけではありません。ATJとしても何が出来るのかを検討し、バナナニュース、ATJのホームページやツイッターでも状況についてフォローをしていく予定です。

日常の暮らしにある困難と希望-マルダ村オリーブ生産者

2011年12月20日

オリーブオイル生産者紹介

Falahさん一家

スパイシーでコクのある風味がやみつきになるパレスチナのオリーブオイル。そんな我々のささやかな幸せは、パレスチナ自治区で困難と闘いながらオリーブを育てている農家の皆様によってもたらされています。

そんな彼らの実態を日本の皆様に紹介するべく、現地パートナーであるUAWCがパレスチナで暮らすフツーのオリーブ農家の方々を訪問しました。今回は、美しい奥さんとカワイイ3人のお子様に囲まれて暮らす、Falah Ibdahさんご一家をご紹介します。

彼らの住むサルフィート郡マルダ村は、人口2,500人ほどの小さな村。多くの村人は、オリーブ栽培をはじめとした農業を営んでいます。マルダ村で育てられているオリーブは、古いものでは樹齢数百年とも言われる大木から、50年程度の若いものまで様々です。

樹齢40-50年のオリーブの木 樹齢数百年のオリーブの木

 

サルフィート県マルダ村

マルダ村はグリーンラインから東に17kmほどの場所にありますが、村の南部にはアリエル入植地が建設され、今では人口18,000人ともいわれる非常に大きなものとなっています。2004年には、その入植地を「守る」という名目で、グリーンラインを越えた分離壁の建設がイスラエルによって決められ、村と入植地の境界にあったオリーブの木が切り倒されたり、燃やされたりしたそうです(村の地図、燃やされた木の写真、入植地の風景)。このように土地が奪われ、行動が著しく制限されている状況に対し、UAWCの担当者は、「開かれた監獄である」と語っています。実際、同じパレスチナ自治区に住みながらも、オリーブ産地の村々を訪ねて回ることは、彼らにとっても簡単ではない、とのことでした。

アリエル入植地の入植者に燃やされた
オリーブの木
マルダ村の背後に広がるアリエル入植地

 

広がるオリーブの畑

そんな状況でもFalah Ibdahさんは、畑の耕起や収穫したオリーブの運搬に家畜を使い、収穫は手摘みで行うなど、昔ながらの方法を守りながら、懸命にオリーブを育てて生活をしています。オリーブには表年と裏年があり、2011年は収穫量が少ない裏年にあたりますが、マルダ村では平年並みの収穫量が期待できそうだということで、今から新モノへの期待が高まります。

オリーブオイルは、オリーブの果実を搾っただけのシンプルなもの。つまり、ほとんどオリーブそのものと言っても過言ではありません。それを考えると、我々が口にしているオリーブオイルは、日本では想像もつかない理不尽な環境で生きている人々のことを、本当に直接的に伝えてくれているものだということがわかります。Falah Ibdahさんが言う「我々は自由になるという希望を決して諦めない」、そんな彼らの心意気を、ぜひお手元におひとついかがですか!

日本支援に向けて集まった
マルダ村のオリーブオイル

【日本の皆様へ】
日本の人々は、時間に正確で規律を守る礼儀正しい人々だと聞いています。また、その勤勉さと高い技術力で第二次世界大戦後のどん底から世界一の経済大国への発展を成し遂げた、素晴らしい人々だと思います。その一方では、我々のように困難な状況下で生活している人間に対し、こちら側の立場でものを考え、手を差し伸べてくれる心温かい人々であると感じています。
我々マルダ村民は、3月に日本で起きた大震災のニュースを知り、非常に心を痛めました。また、同時に心から同情の意を表し、少しでも被災された方々の力になり、また日頃支えて下さっている恩返しをしたいと、UAWCを通してオリーブオイルを地元の市場で販売し、その売上を寄付致しました。少しでも皆様のお役に立てたなら、これほど嬉しいことはありません。
パレスチナの農民は、常に土地の不当な没収や道路の閉鎖、そしてそれに伴う経済状況の悪化に苦しんでいます。しかし、自由を勝ち取る、という希望を決して諦めてはいません。日本で被災された皆様も希望を忘れず、一日も早い復興が成されることを心より祈っています。

(事業部商品課 若井)

生活クラブ関西事業部ネグロス交流ツアー

2010年8月27日
ATCのアイリーンさん(右端)

2002年から始まって今年8回目となる恒例のネグロス交流ツアーが、生活クラブ大阪、京都、奈良から1名ずつの参加で6月29日から7月4日に行われました。 ツアーの初めに行われるオリエンテーションでは、これまでの概略説明形式を変えて、今回はオルタートレードのスタッフが具体的にどんな仕事をしているか、という発表形式で行われました。ATMC(マスコバド糖製糖工場)のパッキングセンターの責任者であるサルベさんは、以前は砂糖労働者組合の仕事をしていて、5年前からマスコバド製糖工場の仕事をすることになり、砂糖労働者の状況をよくしていきたいという夢がより具体的にできるようになって嬉しい、と自己紹介してくれました。ATFI(オルタートレード財団)の地域現場担当の仕事についたばかりのクラークさんは、エスペランサのNARB(ナガシ農地改革受益者組合)のリーダーであるリト・エスタマさんの息子です。NARBの活動で農地改革が実施され、自分も大学を卒業することができて、今後は自分の地域だけでなくATFIを通して周囲の地域のためにも頑張っていきたいと夢を膨らませています。アイリーンさんはATCの人事課所属で3年目になります。研修でバナナ生産者を訪ねてさまざまな話を聞いたり活動を見たり、日本からの訪問ツアーに同行した経験も踏まえて、スタッフや生産者により役に立つようなプログラムをつくっていきたいと意欲的です。続いて、日本の参加者からは、日本の生協活動や生協組合員について、そして経営しているこだわりレストランについて、それぞれ紹介しました。

エスペランサでの交流会

クラークさんも同行して、マスコバド糖原料のサトウキビを生産者であるエスペランサのNARBを訪問しました。たくさんの伝統的なおやつを準備してくれました。日本からは生協で取り扱っているお菓子やマスコバド糖かりんとうを持っていきました。いつもはリーダーのリトさんが土地取得までの歴史の話をしてくれますが、今回は女性たちが中心に対応してくれました。

パンダノンでの石けんキャンペーン

ネグロス西州・バランゴンバナナ産地のパンダノンでは、ドロレス委員長を中心に女性メンバーが腕を振るって昼食やおやつをたくさん準備してくれました。美味しい食べ物に大満足した後は、日本から生協活動のひとつとして、石けんキャンペーンの様子を紹介しました。「なぜ石けんなのか?」フィリピンでは、台所でも洗濯にも合成洗剤が主流です。使う人への害、環境への害など、パンダノンの女性たちは熱心に耳を傾けてくれました。お土産の手作り石けんは、小さく切り分けてみんなで持ち帰っていきました。

パンプローナでのバナナの切り出し

ネグロス東州では、バナナの切り出しから箱詰めまでの行程を視察しました。急な傾斜地にある圃場にはたどり着くだけでも大変と、実感しました。フィールドアシスタントのラダさんの家に民泊させていただいて、仕事の話を聞いたり、生活の様子をみせてもらいました。フィールドアシスタントをしているラダさんは、雨が降るとバナナの切り出しはとても困難になること、生産者が広範囲に散在しているために皆を見回るだけでも大変だと話してくれました。パッキングセンターでは、箱詰め作業員の皆さんと、日本からのお土産のバランゴンバナナケーキをおやつに交流をしました。初めてで緊張ぎみで、名前を言うのがやっとという感じでしたが、バランゴンバナナケーキやマスコバド糖かりんとうは好評でした。仕事は疲れるけれども、家計の足しになるので助かっていますという精一杯の発言でした。 今年の交流ツアーは、よりお互いの活動の交流ができました。バランゴンバナナを介して協力し、お互いの暮らしの場をよりよくしていこうという繋がりがまたひとつ広がりました。

(事業部 幕田)

塩職人 ミシェル・コカールさんから便りが届きました。 「収穫の報告と秋・冬の塩職人たち」

2005年2月27日

塩職人 ミシェル・コカールさんから便りが届きました。
「収穫の報告と秋・冬の塩職人たち」(1/2)

日本の皆さん、こんにちは。

我が家の塩田では、2004年の塩の収穫が9月の半ばに終りました。この夏は雨が大量に降ったせいで、かなり長い期間収穫を中断しなければなりませんでした。その影響で「ゲランド塩生産者共同組合」に属する組合員の収穫量は4900トンにしかなりませんでした。これは平均的な年の収穫量の約半分ほどです。けれど、この収穫不足も深刻な問題ではありません。というのもおととしはあの異常な暑さの年で、大量の収穫がありました。そのために今現在、協同組合のストックは2年分の販売量があるのです。だから、私たちは安心して2005年の収穫を待つことが出来るというわけです。

収穫した塩を協同組合の貯蔵倉庫に入れて、ほっと一息。2週間ばかりの休みを取って休憩をしました。(といっても、今年は中断が長かったので実はあんまり疲れていなかったのですが……。)

そしてその後仕事を再開、今度は塩田維持のための共同作業です。15人前後のグループを組み、古くなって整備が必要な塩田を共同で修理します。まずはオイエ(採塩池)の底(床)の再生。オイエの底は、年月がたつにつれて毎年の収穫のために形が崩れてきます。底の粘土は柔らかいので、結晶した塩が研磨剤のようになって土をわずかづつ削ってしまうのです。そのために20年から25年に一度、新しい粘土を隣の蒸発池から持ち込んで、大掛かりな再生作業をする必要があります。この作業、重労働ですが、春、夏と自分の塩田で孤独な作業が続いた後なので、仲間と再会して一緒に作業するのはとても楽しいんですよ。

この秋の作業は数週間かけて行われます。その後10月の終わりから、塩職人たちにとってのバカンスの季節が始まります。この時期は塩田から人の姿が消え、空っぽになります。

バカンスが終ると、今度は放置され荒れた塩田の修理、再生作業です。これは塩職人養成センターで研修を終えた若者たちが塩職人として独立するための塩田として使われます。

上に書いた秋の作業を撮った写真をいくつか送ります。