ラオス・コーヒー生産者との再会

2023年8月7日

3 年ぶりにラオスコーヒー産地、南部ボラベン高原へコーヒー収穫期に訪問してきました。コロナ禍は、ATJ のモットーである「顔と顔の見える関係」作りが困難となった苦しい時期でしたが、ようやく生産者の方々と「久しぶりだね、元気だった?」「コロナ禍は大丈夫だった?」などと話しながら、再会を果たすことができました。

ノンルワン村のジョンさんは、訪問した時はなぜか少し不機嫌そうでしたが、同じ時間を一緒に過ごして、ラオスの代表的なお酒であるラオラオ(米焼酎)を酌み交わすうちに、「コロナ禍だったことは分かっていたけれど、もう来てくれなくなって、これまでの友情も終わってしまったのではないかと、とても悲しく思っていた…」と打ち明けてくれました。そんな様子から、再会を心から喜んでくれているように窺えて、私もとても嬉しい気持ちになりました。

コーヒー生産者のジョンさん

実際に、新型コロナウイルスが感染拡大してから、コーヒー豆を買い付けなくなったり、ラオス国内でコーヒー産業育成のための事業を止めてしまったりした会社・団体があることを知りました。一方でATJは、毎年買い続けることを基本方針としており、これまでそれを守り続けています。そうすることで、生産者にとっては安定した売り先が確保され、家計の見通しが立ち、将来の生活設計ができるようになりました。あらためて、毎年買い続けることが、生産者にとって大切であることを感じさせられました。

進むキープ安、物価の高騰、コーヒー市場価格の上昇

ラオスに入国してまず驚いたのが、現地通貨キープ(kip)を両替した際、その安さが著しく進んでいたことでした。円安の進んでいる日本円に対しても、ラオスキープが3年前と比べて1.5倍以上も安くなっていました(キープ安は現在でも進んでいます)。ラオスは物資の多くを輸入に頼っていることもあり、このキープ安の影響で、ガソリンを含む物価が著しく高騰し、コーヒー生産者のみならずラオス全体の経済が非常に厳しい状況であることが容易に想像されました。一方で、コーヒー豆の市場価格は、2021年後半から続くコーヒー国際相場の高騰を受け、ラオス国内でも値上がりしたため、コーヒー豆を高く売れる状況は、生産者にとってはせめてもの救いでした。また、買付業者は、隣国のタイやベトナムをはじめ、フランス、中国、デンマーク、韓国といった国々にも広がり、むしろコロナ禍の前よりも買付競争は激しくなっている印象で、こちらも生産者にとって好ましい状況に感じられました。

ただ、プードムクワン村のドゥアンさんにお話を伺ってみたところ、物価高騰の影響で、生活費だけではなくコーヒー生産においても、コーヒーの運搬などにかかる燃料費、コーヒーの収穫・加工を手伝ってくれる親戚への賄いのための食費などの生産コストもかさんでおり、たしかにコーヒーは高価格で売れるものの、その利益として生産者の手元に残る金額は変わらないとのことでした。こうした経費はコーヒーを売った収入が入ってくる前に用意する必要があるので、資金が足りず、人手を十分に集められないためにコーヒー収穫量を抑えなくてはいけない状況になってしまっているとのことでした。

次世代の育成に向けて

ATJ が JCFC(ジャイ*コーヒー生産者協同組合)と出会ってコーヒーの民衆交易を始めてから15年近くが経ち、生産者はその子どもたちへ、JCFCの事務局は若いメンバーへ、少しずつ世代交代が進んでいることも感じられました。

これに伴って、美味しいコーヒーづくりの技術や知恵を次世代に伝えていくことも今後の課題となっていくでしょう。世代交代しても、顔と顔の見える関係を深めていき、これからもずっと買い続けられるよう、心を込めて取り組んでいきます。ラオスコーヒーをぜひお楽しみください!!

*ジャイ…ラオス語で「心」という意味

名和 尚毅(なわ・なおき/ラオス産地担当)

1枚の写真から「にこにこ顔で行く先は?」

2023年2月13日

ラオス・ボラべン高原のコーヒー生産者たちは、10月半ばから約3ヵ月のコーヒー収穫期の間、毎日早朝に起きて、摘み取ったコーヒーチェリーを入れる籠やお弁当・水筒を、耕耘機に付けたトレーラーに積み込み圃場に出かけます。
学校がお休みの日は、子どもたちもお手伝いします。将来、コーヒー農家を継ぐことに備えた実習にもなっています。
生産者の親戚も季節労働として手伝いに来て、おしゃべりしながらチェリーを摘んだり、お昼休みにピクニックのようにみんなでお弁当を囲んだりする様子は、収穫期を迎えたこの地域でよく目にする光景です。

耕耘機に付けたトレーラー、横から見るとこんな感じです。

名和尚毅(なわ・なおき/産地担当)

エクアドルコーヒー・ナチュラレッサ誕生物語 from エクアドル

2021年6月15日

熟した赤い実(チェリー)

今から遡ること28年前、1993年の春のことです。オルター・トレード・ジャパン(ATJ)初代社長の堀田さんが、足元の麻袋を指して「これはエクアドルで有機栽培された良いコーヒー生豆なんだ。今、一般的な市場で売られている有機栽培コーヒーは、美味しくないうえに値段も高い。ATJは、このコーヒーを美味しくて適切な価格の有機栽培コーヒーとして売り出したい。その仕事をやってみないか?」と声をかけてきました。入社して3カ月、ATJの仕事もまだよくわかってなかったのですが、高校時代からハンドドリップでコーヒーを淹れていた私は好奇心にかられ、「やります!」と即答してしまいました。
威勢よく返事はしたものの、前職での経験は事務や顧客対応のみで、コーヒーの専門知識も商品開発の経験もなく、何から始めたらいいか途方に暮れました。今ならインターネットを駆使し、即座に必要な情報を入手できますが、当時はコンピューターすらなかった時代。コーヒー会社の社長さんにコーヒーという商品や業界の話を聞いて薦められた本を読みあさり、ベテランの焙煎師さんに原料や焙煎の違いによる様々な味のコーヒーを試飲させてもらいました。

産地訪問中にお世話になったフランシスコ(中央)

■地球の裏側の産地を訪問
そうしてコーヒーという製品になるまでを学んだ後は、原料の生豆を誰がどのように作ったのかを知る必要がありました。
スペイン語が全くできない私は、英語で産地視察のやり取りをしたKave Caféという会社のスタッフのフランシスコを頼りに、一人エクアドルに飛びました。ロサンゼルスからフロリダ経由でエクアドルの港町グアヤキルへ、不安と期待を抱え1日半かけて辿り着いた地球の裏側の国はとても遠かったです。
到着した翌朝早くからフランシスコが運転する4輪駆動車に乗り、車の天井に頭をぶつけそうになりながら、ぬかるんだデコボコ山道を2時間ほど登ったところにコーヒー畑はありました。森の中はひんやりとした空気が心地よく、深緑色の大きな葉が繁ったコーヒーの木が等間隔に植えられ、伸びた枝の先にかわいらしい赤い実がついていました。「食べてみて」とフランシスコに手渡された艶々の赤い実は、ライチのようなさわやかな甘い味がしました。苦いコーヒーの実は甘かったのです。

パーチメントを運ぶロバ

コーヒー農家の皆さんは、朝から家族総出で熟した実を手で摘みます。熟した実は傷みやすく、収穫したその日のうちに果肉を除去する必要があります。過ぎには軒先で黒くなった過熟な実や青い未熟な実を除いて袋詰めし、夕暮れ前にロバや車で山の中腹にある加工場へ運びこみます。果肉を取り除いて一晩水に浸け発酵させ、翌朝ぬめりを洗い流して、パーチメント(薄殻付きコーヒー豆)にします。それから乾燥場へ運び、上下を返しながら1週間以上乾燥させ、脱穀機にかけて、やっとコーヒー生豆になるのでした。

2日目でコーヒー生豆製造の大変さを全身で感じていた私ですが、最後に重要な仕事が残っていました。手選別です。不良豆が混ざるとコーヒーの味が格段に落ちるため、コーヒー生豆の山の回りに座り込んだお母さんたちが、膝の上の板に広げた生豆から不良豆を一粒一粒取り除きます。黙々と指を動かすお母さんたちによって美味しいエクアドルコーヒーが生まれるのでした。

1週間以上続くパーチメントの乾燥作業

■商品名は「ナチュラレッサ」

「美味しいコーヒーができるまでの大変さを、飲む人たちに伝えたい」という熱い思いを胸に帰国した私は、商品化に向けて猛ダッシュしました。

ATJがエクアドルから輸入するコーヒー豆には、スペイン語で自然を意味する「ナチュラレッサ(Naturaleza)」という名前が冠されました。その夏に収穫されたコーヒーは「Naturaleza」と印字された麻袋に詰められ、1993年12月、横浜港に到着。わくわくしながら初めて「ナチュラレッサ」に会いに行った倉庫でかいだ、ちょっと甘酢っぱいコーヒー生豆の香りは今でも鮮明に覚えています。
そして、1994年春、ベテランの焙煎師に焙煎され、白いパッケージに入った「有機栽培コーヒー・ナチュラレッサ」がデビューしました。コーヒーの産地や生産者について消費者にあまり知らされておらず、有機JAS法も制定されていなかった時代に、ATJの顔の見える「おいしくて適切な価格の有機栽培コーヒー」として生まれた商品です。あれから28年、今でも「有機栽培コーヒー・ナチュラレッサ」が多くの皆さんに愛飲されていることはその誕生に関わった者として嬉しいかぎりです。

伊沢さゆり(いざわ・さゆり)/ATJ

東ティモール豪雨災害緊急支援活動へのご協力のお願い

2021年4月12日

 姉妹団体APLAが、これまでに様々な活動を一緒に実施してきた現地NGOPermatil(パーマティル)は、互恵のためのアジア民衆基金(APF)*社員であるKSI、人権NGOHAKと共同して、ディリ市内と近郊の被災者に対する救援物資の配布を始めました。APLAではこの緊急支援活動に対して支援金を送ることにし、募金を開始しました。

 すでにディリ市内・ディリ近郊の被災者への物資の配布が始まっており、食料品(米、食用油、塩、卵、即席麺など)や生活必需品(石けん、食器類、ビニールシートなど)など、被災1家族あたり約50米ドル(5500円)が必要との情報が届いておりますので、より多くの被災者に配布できるように、ご協力をお願いいたします。

ご寄付の方法などについて詳しくは、以下のAPLAウェブサイトをご覧ください。

東ティモール豪雨災害支援にご協力お願いします

皆さまからのご支援・ご協力をお願いいたします。

 

*民衆交易事業の総合的な発展と途上国の人びとの経済的自立のため、民衆交易に関わる団体が中心となって設立した低利で基金を融資する法人

コーヒー産地東ティモールで発生した大規模洪水につきまして ≪第2報≫

2021年4月9日

ディリ市内に事務所を構える弊社現地法人オルター・トレード・ティモール社(ATT)や姉妹団体APLAの関係先は幸いにも洪水の被害を受けることはありませんでしたが、スタッフの中には自宅が浸水してしまい家財道具や日用品に大きな被害を受けている人が複数いる状況です。

また、停電で連絡がつかなかったエルメラ県在住のATTスタッフとも7日の時点で連絡がつきました。雨が止んだため7日・8日と県内のコーヒー生産者グループの安否確認のために各地域をまわったところ、今回の豪雨で深刻な被害を受けた生産者グループはいないとのこと。関係者一同ほっとしています。

4月7日付の国連の報告は、今回の豪雨災害によって死亡が確認された方は29人に増え、依然として13人が行方不明であると伝えています。被害が一番大きい首都のディリでは、18の避難所が開設され、約10,000人(2,375世帯)が避難しているほかに、女性や子どもを多数含む多くの市民がインフォーマルな避難場所に身を寄せていることも報告されています(注)。

元気な姿を見せてくれた エルメラのコーヒー生産者

被害が大きかったディリに親族や知人がいるコーヒー生産者も多く、COVID-19によるロックダウンと豪雨による道路の寸断で訪問することもできずに心配しているという声が多く聞こえてきます。また、強い雨風によりコミュニティへの水路が破壊されるなどの小さな被害は様々なところで出ているようで、地域の中で助け合いながら修繕が進められているそうです。

竹を使ってコミュニティに水を引いており、風雨で破壊されてしまったので修繕が必要

注:Timor-Leste: Floods UN Resident Coordinator’s Office (RCO) Flash Update No. 2 (As of 7 April 2021)

コーヒー産地東ティモールで発生した大規模洪水につきまして≪第1報≫

2021年4月6日

 2021年4月4日(日)未明からの豪雨の影響で、東ティモールの首都ディリで大規模な洪水が発生し、市内の広範囲が浸水による被害を受けました。

オルター・トレード・ティモール社のスタッフ撮影

 東ティモール政府の発表によれば、4月5日(月)15時時点で27名の死亡が確認されており、行方不明者も複数出ているとのことです。また、ディリ以外の広範な地域でも豪雨の被害が確認されているため、犠牲者の数は今後も増えていくことが予想されます。また、ディリ市内では洪水によって住む場所を失った7,000人〜8,000人の住民が市内12カ所の避難所で寝泊まりを余儀なくされているようです。

オルター・トレード・ティモール社のスタッフ撮影

 なお、ディリ在住のオルター・トレード・ティモール社(ATT)のスタッフおよびAPLAの現地スタッフの無事は確認できましたが、コーヒー産地エルメラ県の生産者や関係者の安否は現在も確認中です。
 現地からの情報によると、豪雨による土砂崩れによってディリとエルメラを結ぶ道路が寸断されており、停電や通信回線への影響も出ていることから、エルメラにいる関係者との連絡が困難な状況が続いています。

 ATJとAPLAは、現地駐在職員をおかない形で東ティモール人スタッフが中心になって事業・活動を進めてきています。
 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックにより、担当者が東ティモールに渡航できない状況がすでに1年以上続いているなかでの、今回の大規模災害発生となってしまいましたが、引き続き現地スタッフと協力して情報を収集し、コーヒー生産者および関係者の状況の把握に努めてまいります。

ペルーコーヒー生産者の再出発 from ペルー (PtoP NEWS vol.40. 2020.10)

2020年10月20日

傾斜地にあるコーヒー畑

オルター・トレード・ジャパン(ATJ)は、1996年から、ペルーの生産者たちが育てたコーヒーを日本の食卓に届けています。世界遺産で有名なマチュピチュから車で1時間半ほど移動した先にあるキジャバンバを中心に活動するコーヒー生産者農業協同組合(通称COCLA/コクラ)という連合体が私たちのパートナーです。1967年7月に設立されたCOCLAは今年で53年目を迎えます。当初は、5つの生産者組合の連合でしたが、若手のコーヒー生産者たちを巻き込み、参加組合数は15に増えています。

今回紹介するチャウピマヨ生産者組合は1973 年に設立され、COCLAの中でも古参の単協です。標高1200~1800mに位置するコーヒー畑でティピカ種、カティモール種に加えてブルボン種も栽培しており、組合員数約40人の内、35 人がオーガニック栽培を行っています。この単協では、果肉除去から乾燥させる工程までを各生産者が担い、組合としてまとめてCOCLA へ出荷しています。

さび病被害に見舞われる

チャウピマヨのコーヒー畑

チャウピマヨの生産者たちは、50年近くコーヒー生産を継続するなかで様々な試練に直面してきました。

そのひとつがさび病害です。2013年頃、ペルーを含めた中南米のコーヒー産地ではさび病の蔓延により生産量が激減、コーヒー生産者の暮らしに大きな影響を与えました。

農薬を一切使わないチャウピマヨの生産者たちもラジャと呼ばれるさび病の蔓延に悩まされました。コーヒーがさび病にかかると、葉の裏に黄色の斑点ができ落葉し、花も実もつかなくなり、3年もすると木が枯れてしまいます。実際に、2013年は前年の半分にまで収量が落ちてしまったそうです。

「向こうのコーヒーがさび病にかかってしまった」

ちょうどこの時期、COCLA内部で組織再編問題が浮上し、連合内の産地のケアが手薄になっていきます。チャウピマヨ生産者組合も例外ではなく、COCLAとの関係性の変化によって支援を受けることも難しくなり、さび病で苦しい状況にあった生産者にとって、より大きな打撃となってしまったのです。

さび病被害は2013年以降も毎年発生したため、年々収量が低下するとともに収入も減少し、さらに国際価格の下落が続くなど、コーヒー生産者の暮らしを取り巻く環境は厳しくなる一方でした。中には有機認証を取得するための費用を負担できない組合も出てきました。その結果、コーヒー生産を辞めてより収入を得られる換金作物に転換する生産者、出稼ぎのために住み慣れた土地を離れる生産者も見られるようになりました。

コーヒーを作り続けるための試行錯誤

チャウピマヨのコーヒー生産者

一方で、病害に耐えうる品種への転換、苗木の植え替え、収穫後の作業工程を通じた品質改善などに取り組み、コーヒーづくりを何とか継続させようと努力している生産者も少なくありません。

また、より良い品質で付加価値の高いゲイシャ種など、スペシャリティコーヒーづくりに挑戦したり、低地ではシトリクス(オレンジやグレープフルーツなど)、中高地ではアチョラ(ターメリック)などを育て、コーヒー以外の収入源を確保しながらコーヒー生産を継続するなど、状況の変化に対応していこうとしています。

コーヒーのチェックをする生産者

生産者のこうした努力に呼応する形で、COCLAの組織体制の再構築、コーヒー生産者の支援体制の再編などが進み、生産者の研修のための基金が創設され、リーダーシップ、マネージメント、技術分野などの研修が開始されました。

次世代を担う若手生産者への働きかけも強化されています。

今後に向けて、それぞれの土地に適した品種や栽培方法も検討されています。

COCLAでは、近年の天候異変の影響などの調査なども実施し、各生産者たちがこれからもコーヒー生産を続けていけるような支援体制が強化されつつあります。

チャウピマヨには様々な人生を送ってきたコーヒー生産者がいます。地元で何十年もコーヒー生産に携わってきたおじいちゃん、 COCLA 設立にかかわった両親のあとを継いだ息子、夫を亡くし一人で家族を支えてきた女性たち。「コーヒー生産は重労働で大変だけど、コーヒー生産に携わることで自分たちの土地を得ることができました。この土地を家族、子どもたちに財産として渡せることを誇りに思います」と彼らは話してくれました。再び産地を訪問し、生産者の皆さんやCOCLAの新たな物語を聞くことが今から楽しみです。

上田誠(うえだ・まこと/ATJ)

コーヒー生産者ノンルワン村のジョンさん fromラオス(PtoP NEWS vol.39 2020.08)

2020年8月29日

ノルンワン村のジョンさん

ラオス風味のコーヒーを作り続ける生産者

ラオス南部、ボラベン高原に位置するパクソンから南下するとたどり着く村、ノンルワン。
同村出身の女性と出会って恋に落ちて結婚し、軍隊を退役してコーヒー栽培を営んでいるジョンさんは、現地パートナー団体ジャイコーヒー生産者協同組合(JCFC)の理念に共感し、筋トレや匍匐前進とは無縁の、自然に寄り添ったコーヒーを作り続けてきた一人です。

訪問するといつも嬉しそうに案内してくれるジョンさんのコーヒー畑は、畑というか森。自宅から凹凸の激しい轍の上でトラックを疾走させ、その荷台で揺さぶられること20分、恋しくなった地面に降り立つと、すかさず大型のヒルが嬉しそうに足元に寄り付き、頭上では「ワーンワーン」というグラスハーモニカのようなセミの鳴き声が出迎えてくれる、野性味溢れる土地に点在しています。

キノコにはしゃぐジョンさん

不思議とヒルに食われている様子もなく、畑を目指してサンダルで勝手知ったる森を歩きまわるジョンさん。道すがら、突如視界から姿を消し、斜め前方の地面にしゃがみこんだかと思うと、他人の土地で勝手にキノコを採取して大はしゃぎ。お気に入りの木の前で「写真撮ってー」とポーズを取るかわいい一面もある一方、集合写真ではよそ見に終始し、おおらかで飾るところのない気質が魅力のお方です。

土地が広いこともあってか、ジョンさんの畑のコーヒーはソーシャルディスタンスもバッチリ。主流のカティモール、ATJに多くが輸出されるティピカの他にも、複数の品種を育てています。一見さんにはとても区別できない各品種の実をこっそり採取し、後でどれがどれかを尋ねてみたところ、得意げな顔で淀みなく当ててくださいました。新しい土地を開墾して若い苗もたくさん植えており、きちんと次世代に引き継ぐ準備もされています。

パーチメントの洗浄

コーヒーは農産物。しかもラオスでは各生産者がパーチメント(果肉を剥いて、中の種を洗って発酵させてから乾燥させた状態)に仕立てているため、条件は毎年異なります。自然相手の難しい仕事なのですが、ジョンさんの作るコーヒー豆の品質は、JCFCメンバ-の中でも抜群の安定感。いつ飲んでも、いい味がします。これは栽培から加工に至るまで、まさに矜持を持った丁寧な作業をされている証であり、柔らかくも明るい素朴な風味のラオス・ティピカは、そんな彼の人柄を思い起こさせずにはいられない味わいです。

ジョンさんの手

若井俊宏(わかい・としひろ/ATJ)

民衆交易産地における新型コロナウィルスの状況

2020年7月31日

新型コロナウィルスの世界的な感染拡大が続いています。民衆交易の現場では生産者たちがどのような生活を送っているのでしょうか。また、生産活動に影響や支障は出ていないのでしょうか。状況を産地ごとに随時報告します。

◆フィリピン(バランゴンバナナ・マスコバド糖産地)

◆インドネシア(エコシュリンプ産地)  ◆東ティモール(コーヒー産地)

◆インドネシア・パプア(カカオ産地)  ◆パレスチナ(オリーブオイル産地)

=======================================
◆フィリピン(バランゴンバナナ・マスコバド糖産地)
=======================================

〇2020年8月14日

ダバオ(ミンダナオ島)で最終検品中のジェイソンさん

7月末から連日のように4,000人前後の新規感染者の発表があります。8月10日は6,958人に達し、その約60%はマニラ首都圏での感染者です。8月11日時点で、累計の感染者は139,538人、死者数は2,312人にのぼっています。陽性率は10%を超えてきています。感染者の48.5%が20代および30代で、死者数の61.7%が60歳以上で占められています。現在の感染者の内、約91%が軽症、約7%が無症状という状況です。

詳細はこちらをご覧ください

 

〇2020年7月6日 

バランゴンの産地はすべて、現段階で政府による規制レベルの中で最も緩い地域に属しています。規制の緩和を受けて、現在出荷が止まっているバランゴンの産地はありません。オルタートレード・フィリピン社スタッフも通常の体制に戻っていますが、マスク着用やソーシャルディスタンス、出社時の検温など実施しています。州境を超える長距離バスはまだ運行されていなかったり、フィリピン国内での島間の移動は依然として禁止されているため、職員が産地を訪ねることはまだ困難です。

詳細はこちらをご覧ください

ジプニー(乗り合いバス)も運行が再開に(写真はコロナウイルス流行前)

〇2020年5月11日

全国の感染者の7割近くを占めるマニラ首都圏では依然としてロックダウンが継続されています。一方、バランゴンバナナの産地は感染者数が少ないため、隔離措置や市町村をまたぐ移動も緩和されました。西ネグロス州では農業、漁業、病院、小売業などは全面的に、生活必需品以外の製造業、床屋、修理業などは50%の事業再開が可能となり、日常の暮らしが徐々に戻りつつあります。ネグロスではバランゴン生産者やスタッフに感染者は出ていないとのことです。

詳細はこちらをご覧ください

 

バナナを運ぶトラックに貼られた通行許可書(ミンダナオ島)

〇2020年4月17日
マスコバド糖およびバランゴンバナナの産地であるネグロス島においては、東京に比べるとかなり感染者数が少ない段階で、西州が3月30日、東州が4月3日からロックダウン(都市封鎖)になっています。4月15日時点では、都市封鎖の期間は西州は4月30日まで、東州は5月2日までとされています。(共に当初の予定よりも延長されています。)

 

ロックダウン後は、人の移動が厳しく制限され1世帯に1枚の外出許可書が配布されました。家から外出できるのは1人のみで、外出時にはマスク着用が義務付けられています。自治体をまたいでの移動も厳しく制限されているほか、飛行機や船を使ってのネグロス島と他島間の人の移動は停止されています。
貨物については規制の対象外で、農家は外出制限の対象外であるため、ネグロス島でのバランゴンバナナの出荷はなんとか継続できる見込みです。

しかし、州内の自治体によって規制内容が異なるケースがあったり、検問強化で激しい交通渋滞が発生したりと、日ごとに状況が変化している中で、バランゴンバナナは生産者にとって貴重な収入源であるため、集荷を担うスタッフは出荷が継続できるように尽力してくれています。

詳細はこちらをご覧ください

=======================================
◆インドネシア(エコシュリンプ産地)
=======================================

〇2020年4-6月の状況

インドネシアにおける新型コロナウイルスの拡大は、首都ジャカルタから始まり、そこから各地に広がったと考えられています。2020年3月31日付大統領令において公衆保健緊急事態が宣言され、新型コロナウイルスへの迅速対応における大規模社会的制限に関する政令が発布されました。具体的には、学校の休校、職場の業務休止、宗教活動の制限、社会文化活動の制限、交通手段の制限など、細かく定められています。

6月17日現在、新型コロナウイルスによる全国の感染者が3万8277名、死者2134名と広がっており、政府は国内の移動制限(陸路、空路、海路の旅客の往来を原則禁止)や、夜間の営業禁止など、厳しい措置を取っています。

ATINA工場敷地内に入る前には丁寧な手洗いが必要

しかしながら、飲食産業に関しては、パンデミック(世界的な感染爆発)下においても「健康を守るためのプロトコール(規定)」を適用したうえでの業務継続は可能である、という産業大臣の決定があり、オルター・トレード・インドネシア社(ATINA)でも、加工工場のすべての部門で規定をしっかり守りながら操業を継続しています。

 

■生産者とのコミュニケーションを大切に
新型コロナウィルスの拡大は、水産業を含めて各界に多大な影響を及ぼしていることは紛れもない事実です。しかし、エコシュリンプの養殖池における実務的な問題はまったくなく、エコシュリンプの生産者は通常通り、養殖池での生産・収獲を続けてきています。一方で、感染拡大を防ぐための地域における防疫対策は強化され、各地の生産者たちは養殖池エリアへの外部者のアクセスを制限し、基本的に地元住民(生産者)しか入域できないようにしています。けれども、ATINAの監査員は例外として、養殖池を訪問することを認められています。必ずATINAの制服を着用し、身分証明書を所持して地域の検問を通過することがルーティーンになっています。当初、外部からの来訪者を嫌がる生産者もいましたが、ATINAは地域の生産者のリーダーと協議し、エコシュリンプが事前監査がルールであることをあらためて理解してもらったうえで、 監査員による養殖池の訪問と監査を実施しています。

生産者にとっての障壁は、優良な稚エビの入手がしづらくなっていることです。品質の良い親エビはアチェから届いていますが、新型コロナウィルスのパンデミックによって、多くの飛行機の運航中止や減便が続いており、いつ通常に戻るかはわからない状況です。また、シドアルジョにある多くの工場は、市場からの需要が止まったことで、操業を減らしたり、止めたりせざるを得なくなりました。当初は、こうした一般的な状況を見て、一部のエコシュリンプ生産者は、自分たちが収獲したエビも買ってもらえないのではないか、というようなパニックに陥った人もいました。しかし、ATINAはすぐに各地の生産者とコミュニケーションをとりました。東ジャワのシドアルジョとグレシックでは、監査スタッフが生産者を訪問し、また、南スラウェシのピンランでは、オンラインビデオ会議ツールを活用して、通常通りのスケジュールでエコシュリンプの買い付けを実施することを説明したので、生産者の不安はすぐになくなりました。

■南スラウェシでの買い付けを休止
しかしながら、5月中旬、スラウェシ島のマカッサルとジャワ島のスラバヤを結ぶ飛行機の運行が突然止まるという事態になり、ATINA工場まで航空便でエビを輸送しているため、ピンランでのエビの買い付けを休止せざるを得なくなってしまいました。当然ながら、ピンランのエビ生産者たちは大きな不安を感じていますが、どうしようもない状況であるということには理解を示してくれています。ただ、残念なことに、ATINAの買い付けがストップしてしまって以降、養殖池からエビが盗まれるという事件が発生しているとの報告が届いています。

このように、エコシュリンプの生産者も直接的、間接的な影響を受けていますが、生産者と消費者の関係性をより強くすることで、共に新型コロナウィルスの世界的パンデミックの時代を乗り越えたいと強く思います。(報告:ATINAヘンドラ・グナワン)(APLA機関紙『ハリーナ』2020年8月号特別報告から)

※スマトラ北端に位置し、西はインド洋、東はマラッカ海峡、北はアンダマン海に面している。2004年12月に発生したスマトラ島沖・津波では約13万人もの死者数が出るほど、甚大な被害を受けた。

 

=======================================
◆東ティモール(コーヒー産地)
=======================================

〇2020年4-5月の状況について

東ティモールでは2020年3月27日に1カ月の期限付きで非常事態宣言が発令され、28日から、移動、5人以上が集まること、不要不急の屋外での活動、宗教行事や慶事行事が制限されました。学校もすべて休校となっています。その後国会で2度の延長が通り、6月中旬現在も非常事態宣言下にあります。

独立から今年で18年目を迎える小さな島国、東ティモール。医療インフラに限りがあること、隣国インドネシアで感染が拡大していることなどから、感染拡大を防ぐための措置が続いています。

APLAの現地スタッフや首都ディリ在住の松村優衣子さんから話を聞く限り、非常事態宣言が発令された直後は、市民の多くは新型コロナウイルスについてわからないことが多いことからある種のパニックや恐怖に襲われ、家にこもって過ごす人がほとんどだったそうで、ディリ市内は閑散としていたそうです。しかしながら、1週間ほど経つと、状況に慣れてきた人が多く、だいぶ落ち着いてきたと言います。ディリなどでも日用品を販売するお店は、1家庭に1人のみの来店、開店時間を短くする、手洗いとマスク着用を徹底するといった対策を取りながら当初から営業を続けていましたが、東京で緊急事態宣言の発令について報道された時のような「買い占め」は発生しなかったといいます。そもそも金銭的な余裕がない市民がほとんどで、「買い占め」をできる人が少ないという事情もありそうです。なお、政府は、非常事態宣言下の経済状況を鑑み、1世帯につき100米ドルの補助金の支給を発表しましたが、実際に支給がされ始めたのは、6月に入ってから。対応の遅さは日本も同じですね……。

 

■コーヒー産地では

エルメラ県のコーヒー産地からは、町で週に1〜2度開かれる定期市が開催されないことで、自分たちが作った野菜を売る場所がなくなる、生活に必要な日用品やお米などを購入することができない、といったことから、大きな不安を感じているという声が届いてきていました。これに対して、現地のオルター・トレード・ティモール社(ATT)では、5月前半に667世帯に米、食用油、石けんの支援を実施したそうです。コーヒーの買い付けに使うトラックにディリで購入したそれらの物資を積み込み、エルメラ県内各村のコーヒー生産者グループに運ぶ様子は、こちらから動画でご覧いただけます。なお、エルメラ県ではコーヒーの収穫シーズンが始まりました。生産者が収穫・加工したコーヒーの買い付け、輸出という一連のプロセスに大きな影響が出ないことを心から祈るばかりです。

APLAは、この間、コーヒー生産者地域での作物の多様化やエルメラ県内の公立学校での学校菜園・環境教育活動を続けてきましたが、非常事態宣言下においてはディリ在住のスタッフが移動することも難しく、活動は休止せざるを得ない状況が続いてきました。現在状況を見ながら、スタッフたちは活動を再開させる準備を進めています。(APLA機関紙『ハリーナ』2020年8月号特別報告から)

 

=======================================

◆インドネシア・パプア(カカオ産地)

=======================================

〇2020年8月1日

パプア州全体では感染者数1211名、その多くは、現地パートナーのカカオキタ社が活動するジャヤプラ県に集中(854名)しています(6月12日現在)。ジャヤプラ県では、医療施設が十分でない事もあり、3月から空港と港を封鎖するなど、早めにCOVID-19対策を進めていますが、市場などの人が集まる場所でクラスターが発生しています。

カカオキタ社の事務所がある町の大通りでも、COVID−19対策の啓蒙のためのバナーが至る所に掲げられ、町中の食堂、商店、スーパーの入り口には、臨時の手洗い場所と石鹸が設置されています。スーパーをはじめ商業施設の入り口では警備員による検温と手の消毒を求められ、予防対策はかなり徹底しています。

この間、政府により午後2時以降の外出・移動規制が出されていたため、カカオキタのスタッフたちも生産地の村でのカカオ豆の買い付けは、早朝に出て昼過ぎには戻るという形を取り、午後の活動を休止していました。村での生活には何も変わりがないことが確認できていましたが、6月に入り規制が緩和されたことから、町の人びとの暮らしも徐々に通常に戻りつつあります。

また、カカオキタでは生産者の生産物(カカオ、マンゴー、野菜など)を使ったアイスクリームやお菓子の製造・販売を行うカフェのオープンに向けて準備を進めてきていましたが、COVID-19対策のために、飲食はまだ始めることができていません。それでも、アイスクリームやお菓子の持ち帰り販売を積極的に行なっています。カカオキタの若手スタッフと地域の起業家やNGOとがつながり、COVID-19予防を兼ねたアイスクリームの販促キャンペーンの活動を展開してきました。

このキャンペーンは、カカオキタのチョコレート・アイスクリームを購入してもらうと、市場で働く女性たちに石けんやマスクを寄付するというもので、カフェのスタッフやSNSでつながった仲間たちがキャンペーンを立案し、製造や配送まで分担して作業しました。

キャンペーンの効果もあり、1ヶ月で過去最高の約2000個のアイスクリームを売り上げ、5月16日、キャンペーンスタッフ全員で州都ジャヤプラにあるPasar Mama Mama(お母さんたちの市場)を訪れて、そこで働く女性たちに石けんを配布しました。また別の日に、教会で布マスクを配布しました。

カカオキタカフェのマーケティングを担当するアプリは、「コロナウイルスの脅威が広がるなか、人びとへの啓発と感染の予防に貢献できるうえに、カカオキタの売り上げにつながるWin-Winのモデルになれば嬉しい」と話しています。(APLA機関紙『ハリーナ』2020年8月号特別報告から)

 

=======================================

パレスチナ(オリーブオイル産地)

=======================================

〇2020年4-5月に実施された支援活動(PARC)
パレスチナ農業復興委員会(PARC)はエルサレムやラマラといった主要都市だけでなく、パレスチナの食糧庫として知られるヨルダン川渓谷の農村部でも食料の配布を行いました。イスラエルで感染者数が激増し、イスラエル政府が同国内で働いていたパレスチナ人労働者に帰宅命令を出したため、収入の道が途絶えた家族、及び移動制限のため農産物を販売できなくなった農民を対象に行いました。

フードバスケットを届けている様子

フードバスケット

 

 

 

 

 

 

また、海外のフェアトレード団体や人道団体に協力を呼び掛けて1500家族にフードバスケットを提供しました。フードバスケットの中身は小麦粉や調味料、オリーブオイル、消毒用アルコールなどです。日本でも グリーンコープ生活協同組合連合会とオイシックス・ラ・大地株式会社が資金協力をしました。

 

〇2020年4-5月に実施された支援活動(UAWC)

食料配布の後、パレスチナ農業開発センター(UAWC)は「土地に戻って耕そう」キャンペーンに取り組みました。

家庭菜園でズッキーニを収穫

市場が閉鎖されたり、移動制限のため農産物が手に入りづらい状況となったことをうけ、自家消費用の野菜栽培が出来るように、短期間で育つキュウリ、ナス、トマト、オクラ、ズッキーニ、カボチャ、インゲン、スイカなどの夏野菜の苗を約3,000家族に配布しました。UAWCは2003年に在来種の種子銀行を設立し、パレスチナの気候風土で育まれた在来種の保存と普及に取り組んできましたが、その活動が役に立ちました。
住民たちは庭や空き地、屋上やベランダなど空間があればどこでも工夫して菜園を作りました。配った苗は最終的に40万本に達し、住民が新鮮で栄養ある野菜を手にすることが出来ました。

ペットボトルがプランターに

種子銀行で配布用の野菜苗を育てる

 

 

 

 

 

 

 

 

〇2020年3月31日 
今月5日、初の新型コロナウィルス感染者が確認されました。場所はキリスト生誕の地として知られ、世界的な観光地でもあるベツレヘム市。翌日にベツレヘム市はロックダウン(封鎖)され、それから2週間以上にわたって封鎖が続いたため、食料、特に野菜が不足する事態になりました。

ベツレヘムに野菜を運ぶトラック

住民からの支援要請を受けたオリーブオイルの出荷団体パレスチナ農業開発センター(UAWC)は、ヨルダン川渓谷の農民に協力を依頼。200人以上の農民と8つの生産者組合が応えて、23日、UAWCが手配した4台のトラックに25トンもの野菜を積んでベツレヘムの市民に届けました。野菜はヨルダン川渓谷と西岸地区北部の農民が無償提供しました。

野菜のトラック積み込み作業の様子(動画)

ウェブサイトの情報によると、パレスチナでは3月末までに100人以上が感染し、ヨルダン川西岸地区のすべての学校、大学、モスクや教会は3月5日から1か月間閉鎖されているそうです。パレスチナでも一日も早く新型コロナが収束するようにエールを送りたいと思います。

新型コロナウイルス:コーヒー産地東ティモールでの物資支援

2020年5月20日

東ティモールでは、新型コロナウイルスの影響により3月27日に発令された緊急事態宣言が、5月27日まで延長されています。

現在は、乗合バスやトラックなどの公共交通機関が動き出しましたが(ただし、ソーシャルディスタンスが求められ、車内の人数制限があり)、解禁されるまでは個人で車やバイクを持っている人以外は移動手段がなかったため、街まで買い物に行くことや、首都ディリのスーパーなどが直接買い付けしている一部の生産者グループを除いては生産物の販売もできず、という状況が続いていました。

現地パートナーAlter Trade Timor社(ATT)では、農民が直面しているこうした厳しい状況を少しでも和らげるため、5月前半に物資の支援を実施しました。ATTの事務所から各村へ物資を運び、生産者に配布している時の様子が現地から送られてきました。

各村のコーヒー生産者に一家族米25キロ、食用油2リットル、そして石けんを届けました。

物資の運搬・分配作業は生産者と一緒に行いました。映像のなか、届けている道中にぬかるみにはまってしまったトラックを生産者みんなで引っ張っているシーンでは、現地のインフラ状況が伝わってきます。

 東ティモールのテレビ局(RTTL)のニュースでもこの取り組みが紹介されました。
以下、ニュースの内容を要約したものです。

************************************************************************************************

月曜日、Alter Trade Timor社はエルメラ県のコーヒー生産者667人に米、食用油、石鹸の配布を行いました。

ATT社のエヴァンジェリノ・モンテイロ・ソアレス代表は、
「ATT社は品質のいいコーヒーを生産している地元企業ですが、COVID-19を受けて社内で話し合い、生産者グループの社会活動のために積み立てているソーシャルプレミアムを活用して、食料を購入し、厳しい状況にあるコーヒー生産者に配布することに決めました。グループが直面している問題は会社の問題でもあります。
こうした危機的状況が続けば、継続してサポートする準備があります」と話しています。
農民のマテウス・ソアレスは、「現在の危機的状況において、私たちは食べものに困っています。移動もできず家にいるだけで、仕事もありません。会社が農民を支援してくれることに大変感謝しています」
と同社に対して感謝を述べています。

************************************************************************************************
※:ATT社がコーヒー買い付けの際、パーチメント1キロにつき10セントを上乗せしてプールしている基金。用途は生産者グループと話して決めている。
詳しくはこちら⇒PtoP NEWS vol.36 コーヒー・プレミアム七変化

コーヒー・プレミアム七変化 from 東ティモール(PtoP NEWS vol.36 2020.02 特集)

2020年2月28日

斜面のコーヒー畑の中を通る道を整備

東ティモールは、激しい独立闘争の末、2002年に主権回復を果たした新しい国。それまでポルトガルとインドネシアの支配下におかれて差別的な扱いを受けたり、産業の発展や教育の充実などから遠く切り離されていたりして、今なお十分な国力があるとは言い難い状況です。

なぜ、プレミアムを始めたのか

コーヒーの収穫

そんな東ティモールで暮らす市井の人びとにとって、ほとんど唯一とも言えるまとまった現金収入につながる農業が、コーヒー栽培。2007年、東ティモールのコーヒー豆をATJが輸入することになったのは、もちろん安定した価格で買い続けることで生産者の暮らしに寄与していくことが第一ですが、彼らが今あるコーヒー栽培を基盤として、彼ら自身の手で暮らしを良くしていける仕組みにつながるよう、一緒に取り組んでいくためでもありました。

しかし、いざ始めてみると、それを実行するには、あまりにも現場における原資やら何やらが足りなさすぎる……という実態が、改めて浮き彫りになりました。

摘み取ったコーヒーチェリー

例えばそれまでの生産者のあり方は、とりあえず摘み取ったコーヒー果実を仲買人などの言い値で販売する、といったもの。「良いものを作って今より高い価格で売れるようにする」というような発想も、希薄だったと言わざるを得ません。嗜好品であるコーヒーを安定的に販売していくには、一定水準以上の品質は不可欠。生産者との直接の関わりの中でそれを実現していくには、彼ら自身が知識と技術を身に着け、果肉を剥いたパーチメントの状態まで持っていけるようになることも重要でした。

コーヒー果肉除去

それには、マキナ・ドゥラス・カフェこと果肉除去機(写真左)が必要な他、ある程度の水も使うわけで、場合によっては自分たちの飲み水すら十分でない中で、とてもコーヒー生産にまで回せないというような、袋小路に直面したこともしばしばでした。

そんなわけで、コーヒーの交易を通じて見えてきた課題を少しずつでも解決していくにあたり、プレミアムとして基金を積み立てて活用していくというプログラムが始まったのでした(現在は、パーチメント1kgあたり10セントを、買取価格に上乗せする形で村ごとに積み立てています)。

現地の主体であるAlter Trade Timor社(ATT)は、形はATJの現地法人ですが、実質的には東ティモール人メンバーが運営している組織。そんな彼らが、同じ東ティモール人目線で必要なものを見極め、運用しています。

多種多様な基金活用法

オイレオ村に完成した貯水タンク

東ティモールのコーヒー産地は山間部に点在し、地理的条件が村ごとに異なるため、必要なものもさまざま。

そのため、基金も色々な形に化けていきます。たとえば冒頭の写真は、ライゴア村のコーヒー畑。山に植わっているので、斜面がやたらと多いのです。

畑のメンテナンスはおろか、収穫や運搬すら難儀するこの地形を整えて道をつくることに基金を使い、車が近くまで入れるようになりました。買い付け業者も入りやすくなり、その分生産者が市場にアクセスしやすくなるのです。

① 淡水魚を養殖する池

水源から距離がある村では、貯水タンクが人気(オイレオ村)。樋や管で水を引いてきてタンクに貯蔵し、コミュニティで共有します。

引いてきた水は、生活用水としてはもちろん、前述のパーチメントづくりの他、野菜づくりや養魚の溜池などにも活用されます。

ゴムヘイ村では、畑に蒔いた作物の種や養魚の溜池づくり(写真①)も、基金の一部から充当しました。

②東ティモールではラクと呼ばれるジャコウネコ

その他にも、ジャコウネコ(※)の飼育を始めるグループがいたり(リスメタウ村、写真②)、養鶏に使われたり(レキシ村、写真③)、独立運動の際に壊れた教会の再建費用に充てられたり(ウルレテフォホ村、写真④)と、実に多岐にわたって基金が活用されています。

③グループメンバー協同で養鶏にチャレンジ

④村人の手で再建が進められる教会

正直、まだまだ潤沢にあるとは言えない限りある基金を、東ティモール人同士で、需要に応じて身の丈に合った使い方を相談して決めているところが、このプロジェクトの最大の特徴。まさにこの事業を始めたときに目指したあり方の一つが、現在このような形で前に進んでおります。

※ジャコウネコ…アジアの森林などに生息し、コーヒーの果実を食べる。その種つまりコーヒー豆はフンとして排泄され、そのコーヒーは「コピ・ルアック」として珍重されている。

コピ・ルアック

若井俊宏(わかい・としひろ/ATJ)

ATJ30周年 広がる協同のネットワーク

2020年1月23日

2019年、オルター・トレード・ジャパン(ATJ)は創立30周年を迎えました。ATJには前史があります。1980年代半ばに砂糖の国際価格が暴落したことをきっかけに、「フィリピンの砂糖壺」と呼ばれていたネグロス島で飢餓が発生しました。

深刻な事態を受けて、86年、日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC、2008年APLAに再編)が設立され、飢餓に対する緊急救援を開始しました。しかし、農園労働者が支援に依存せず、事業を起こして自立することを応援するため、1987年、初の「民衆交易」商品であるマスコバド糖(黒砂糖)の生産、87年に日本への輸入が始まりました。

その後、マスコバド糖に続いてバランゴンバナナの輸入が構想された89年、生活協同組合(生協)、JCNCをはじめとする市民団体や個人による市民事業体としてATJが設立されたのです。

社名に込められた意味

「オルター・トレード」という社名は、英語の「オルタナティブ」(もうひとつの、代わりの、という意味)に由来しています。これには2つの意味が込められています。募金を集めて、貧困を解決するためのプロジェクトを実施する従来の国際協力の手法ではなく、国境を越えて市民が協力して経済活動を立ち上げ自立を支援するという、開発の在り方としてのオルタナティブです。

もう一つは生産者と消費者の関係の在り方です。ATJが設立された89年は、ちょうどバブルの時代の絶頂期、日本人の「飽食」がアジアの人びとの暮らしや環境を犠牲にして成り立っているという批判が起きていました。

フィリピンのミンダナオ島にある大規模なプランテーションで生産されるバナナや、台湾、インドネシア、タイといったアジア各地で造成された集約型養殖池で生産されるエビなどがその典型です。

そうした収奪的な消費を推し進めるのではなく、顔の見える交易を通じて互恵的な関係の橋渡しをするための会社がATJだったのです。民衆交易はJCNCに結集した市民による国際協力に、安全・安心な農産物の生産・消費により、環境や地域農業を守るという生協による産直提携事業が出会って生まれたといってよいでしょう。

韓国にも広がった民衆交易

その後、マスコバド糖、バランゴンバナナに続いて、フィリピン以外の国々と様々な商品の交易が始まります。粗放養殖エビ「エコシュリンプ」(92年、インドネシア)、コーヒー(93年、東ティモール、ラオスなど)、ゲランドの塩(02年、フランス)、オリーブオイル(04年)、カカオ(12年、インドネシア・パプア州)などへと展開します。

オリーブの木の下で

現在、ATJが取扱うのは7品目、その産地は12カ国に広がっています。さらに2000年代以降は、韓国の生協もマスコバド糖や東ティモールのコーヒー、パレスチナのオリーブオイル、バランゴンバナナなどを輸入するようになり、消費する側の横のつながりも生まれています。

エコシュリンプはインドネシアで古くから続く環境保全型の地場産業を守り、コーヒーの安定的な買い付けは国際市場の相場に左右される生産者の暮らしを支え、パレスチナの農民がイスラエル占領下で作るオリーブオイルを買い支えることが土地を守ることにつながります。

それぞれの商品の交易が地域の課題解決の一助となり、生産者や産地の住民が抱える政治経済的な諸問題を日韓の消費者に伝えるメディアとなっています。

「キタ」の精神は民衆交易のDNA

カカオポッド(果実)の収穫

もっとも新しい民衆交易品はインドネシア・パプア州のカカオで作るチョコレートです。パプアでカカオの集荷・加工・輸出、生産者支援を行う事業体が「カカオキタ社」です。

インドネシア語で「キタ」とは、私とあなたを含む「私たち」という意味。カカオを生産する人、加工する人、出荷する人、チョコレートを製造する人、食べる人、そしてカカオを育む大地と森をも含めすべての仲間が協働することをイメージしてこの社名がつきました。

代表のデッキー・ルマロペンさんは、事業によって「みんなで一緒に幸せになる」という考えを大切にしています。経済のグローバリゼーションが進むに伴って、「持てる者」と「持たざる者」の格差が大きくなっています。

温暖化や異常気象などの環境問題も待ったなしの深刻な状況です。そうした状況下であるからこそ、国境を越えて生産者と消費者が「キタ」という意識をもってつながり、持続的な農業生産、暮らしや地域づくりを進めるという民衆交易の意義がますます重要になっているのだと思います。

デッキーとブラップ村の女性たち

小林和夫(こばやし・かずお/ATJ)

ラオスコーヒー、いかがですか? from ラオス(PtoP NEWS vol.31 特集より)

2019年7月11日

自家焙煎店 Jhai Cafe

自家焙煎店 Jhai Cafe

「ラオスに行ってきます」と人に言うと、3回に1回くらいは「は?ラオス?どこそれ?大変だねー」というような反応が返ってきます。

一体「ラオス」をなんだと思っているのか気になるところですが、ラオスという国は日本人の間ではそれほど高い知名度は獲得されていない模様です。

まぁ向こうに行けば行ったで、「日本にはニンジャがいるんだろう?ぜひ会ってみたいなぁ」とか言われるので、どっこいどっこいな気がしなくもないのですが。

とはいえ、縄文人の骨とラオスで見つかった8千年前の人骨の遺伝子情報が似ていることがわかったり、ラオスの銘酒「ラオラオ」は泡盛のルーツと言われていたりと、ラオスと日本との間には浅からぬ縁を感じます。

まだまだ遠い存在、ラオス

コーヒー生産者のジョンさん

コーヒー生産者のジョンさん

そんなラオスから日本が最も多く輸入している品物が、何を隠そうコーヒー豆。

今を時めく日本政府の統計を信じることにすれば、2018年には、ラオスからの総輸入額の実に12%弱を占めています。

これをコーヒー豆の国別輸入量から見ると、ブラジルやコロンビアといった名だたる産地に続き、第9位の実績を誇ります。

2020年の東京オリンピックイヤーでは、ぜひとも上位入賞目指して頑張りたいところです。
しかしながら、巷でコーヒー屋を覘いてみても「ラオス産」を見かけることは、それほど多くはありません。

コーヒー畑で

コーヒー畑にて

輸入量第2位のベトナム産と同様で、缶コーヒー等の加工用に多く使用される廉価なロブスタ種(病気には強いものの味としては劣る)が輸入のメインであるからだと思われます。

実は身近に飲んでいるはずにも関わらず、「コーヒー産地としてのラオス」の実態は、国家としての知名度に輪をかけて、一般消費者にとってはまだまだ遠い存在と言えます。

かく言う私も、たまたまATJに入社するまで、ラオスでそんなにたくさんコーヒーが採れることなんて、全く知りませんでした。

コーヒー畑

コーヒー畑

ラオス産コーヒーの実力

コーヒーの花

コーヒーの花

産地として無名だからコーヒーの品質が悪い、という訳では決してありません。

むしろそういう知られざる産地にこそ、キラリと光るうまいものが潜んでいることも珍しくはないのです。

そんなラオスコーヒーの秘めたる実力を日本の消費者にご紹介すべく、ATJではかれこれ10年以上にわたり、ラオスで採れたアラビカ種のコーヒー豆を輸入し続けてきました。

中でも主力である「ティピカ」は、その名の通りアラビカ種の「原種」に近いものと言われ、最もコーヒーノキ的特徴を有したコーヒー豆を産する品種のようです。

コーヒーの実

コーヒーの実

現在はコーヒーでも様々な品種改良がなされており、病気に強かったり、収量が多かったり、特定の風味に優れていたりするものが増えてきています。

それはそれで偉大なる人類の進歩と調和なわけであり、実際にラオスでもティピカ以外の品種も多数栽培されていますが、その中にあって細身かつ色白で弱々しく頼りなさげに風に揺られるティピカの木を見ると、それはもう“守ってあげたいお姫様”のような、何とも儚げな印象を受けます。

赤く色づいたコーヒーの実

赤く色づいたコーヒーの実

実際にラオスティピカの味は、もちろん焙煎の仕方によって変わりますが、ガツンと眠気覚ましに求める強い味わいよりは、フルーツの酸味やキャラメルのような甘みを持った、優しい風味の特徴があります。

生産者の「Jhai=心」が詰まったコーヒー

そんなラオスコーヒーの90%以上は、ラオス南部の主にチャンパサック県に広がるボラベン高原で生産されています。

標高1000m以上の冷涼な気候とミネラル分豊富な火山灰土壌がコーヒー栽培に適しているようで、20世紀初頭にフランスによって持ち込まれました。

ATJが輸入しているコーヒーは、ジャイ・コーヒー生産者協同組合(JCFC)という組合のメンバーが育てたもの。コーヒー栽培はもちろんのこと、共同で自家焙煎店Jhai Cafeを運営し、自他ともに「ラオスで3本の指に入る」と認める、日本の喫茶店とも遜色のない美味しいコーヒーを地元民や観光客に提供しています。

パーチメントを洗うジョンさん

パーチメントを洗うジョンさん

最近は生産者も色々な品種の栽培や加工法(注)に挑戦しており、在庫があれば「〇〇さんの育てたカトゥーラ」みたいな細かさでの注文も可能。

まさに地産地消を地で行く、コーヒー好きにはたまらないツウ好みな産地になりつつあります。

ATJとしても、今後はティピカ以外の品種や水洗式以外の豆を試験的に輸入することで、ラオスコーヒーの魅力をさらに広く伝えていきたいと思っています。

Jhaiとは、ラオ語で「心」。彼らのコーヒーに対するガッツやら何やらを感じられる「心あるコーヒー」、ぜひ一度飲んでみませんか?

(注)コーヒー豆は、果実の収穫後に中の種子を取り出して乾燥させたもの。そこに至る過程で、果肉を除いてきれいに水洗いしてから発酵・乾燥させる水洗式が一般的でしたが、敢えて果肉がついたまま乾燥させたり、果肉内部のムシレージ(粘液)だけを残して乾燥させたりすることで、果実の風味が感じられるコーヒー豆を得る方法にも挑戦しています。

ラオスでも雨季には運搬が大変です。

ラオスでも雨季には運搬が大変です。

若井俊宏(わかい としひろ/ATJ)

ラオスコーヒーについてさらに詳細を知りたい方は『ハリーナ』33号をご参照ください。

【PtoP NEWS vol.27】特集:収穫シーズン真っ只中の、東ティモールに行ってきました。

2018年10月29日

昨今のコーヒー焙煎屋を覗くと、体感では2軒に1軒程度の割合で、東ティモールの豆が置いてあるように思います。

オルター・トレード・ジャパン(ATT)が東ティモール産のコーヒーを取り扱い始めて17年ですが、今後も「東ティモール」の名は、じわじわと広がっていくのではないでしょうか。

今回訪問した6月下旬は、コーヒーの収穫真っ只中。産地に行くと、どこへ行ってもコーヒー豆が軒先で天日干しされている光景が広がります。

そして、初めてその光景を見た私でもわかるほどに、オルター・トレード・ティモール(ATT)へ出荷される豆は丁寧に加工されていました。

この機会に、簡単にコーヒー豆が届くまでをご紹介します。生産者たちの努力を、ぜひご覧ください。

【①収穫】
東ティモールのコーヒー産地は、結構急斜面です。奥まった村に行くには、車一台分の崖っぷちの道をひた走ります。

一歩間違えたら一発アウト、なスリルを味わいつつ、その絶景に見とれていると、急斜面からヒトがひょっこり顔を出します。スキーのジャンプ台顔負けの斜面で、鼻歌交じりにコーヒーの実を摘んでいます。

【②選別】
コーヒーの実は、熟すと赤くなります。これが収穫適期。

ただ、もちろんバラつきがあるので、中には未熟で緑色だったり、過熟で黒っぽかったり、収穫後はカラフルな状態です。

この中から赤い実だけを選り分け、良い品質の実だけを加工できるようにしています。なお、取り除いたものは、一般業者に販売する豆になります。

【③果肉除去】
赤い実を、手回し果肉除去機に掛けて果肉を剥いていきます。商店街の福引を彷彿とさせるこの器具は、スリット(すき間)の調節が肝心。広すぎるとうまく剥けず、狭すぎると豆が欠けてしまいます。調子に乗って最速の回しに挑戦してみたところ、「豆が痛むからやめろー」と直ちに制止されました。

【④洗浄~発酵】
果肉を除去したコーヒー豆(つまり種)は、果肉の繊維でヌルヌルしている状態です。水で良く洗い、きれいになったところで、一晩水に浸けて発酵させます。このひと手間を惜しむと、出来上がった豆に雑味が出たりして、商品としての価値は落ちてしまいます。

【⑤ 乾燥】
発酵が終わった豆を天日乾燥。カラカラになるまで、良く乾燥させます。そうしないと、この後の保管中にカビ臭くなったりして、せっかくのここまでの努力が水泡に帰す可能性もあります。

今回は、各村の乾燥中・保管中の豆をひたすらクンクンと嗅いで回り、乾燥が不十分なものは乾燥し直すように徹底してお願いしてきました。

生産者にも一緒に嗅いでもらったところ、「あぁ確かに…」ということで、納得の様子。

赤く熟したコーヒーの実

赤く熟したコーヒーの実

こんな風にして、生産者は手間をかけて豆の一次加工をしています。とはいえ、十年ほど前までは赤い実の状態で売っていただけで、これらは全くやったことのなかった未知の作業。

そのため、ATTスタッフは、このようにして産地を回りながら、生産者と共に根気強く一次加工の品質向上に取り組んでいます。

生産者にとっては必要性が見えづらく、「正直めんどい」ところもあり、それが何のためになるのか腑に落ちるまでに時間がかかることもあるようです。それでも、品質の高い一次加工ができることはコーヒー農家自身にとっての強力な武器になると信じ、長い目で取り組んでいます。

養鶏プロジェクト

養鶏プロジェクト

またATTは、コーヒー豆の買い入れを通じた社会活動費の積み立てをしています。いくつかの村でその実績を見ましたが、どれもきちんと村からのニーズを話し合い、必要なものをできる範囲で作るという、身の丈に合った取り組みでした。

特に水資源が十分でない村も多いので、水タンクの設置を進める一方、敢えて水を使わないコーヒー豆の加工方法(果肉付きのまま乾燥させる方法で上手くいけば水洗式より豊かな味のコーヒー豆が得られる)を試験的に導入するなど、生産者の現状に合わせたより良い選択肢を考えてもいます。

主権回復(独立)から17年目を迎えた東ティモールは、人間に例えれば思春期そのもの。これからの人生に夢も希望も大いに抱いて良いお年頃ですし、実際に村には子どもたちがたくさんいます。

さらに美味しくなった東ティモールコーヒーを20年後に彼らと一緒に飲み交わすのを楽しみに、今できることを考えていきたいと思います。

若井俊宏(わかい・としひろ/ATJ)

【PtoP NEWS vol.24 ここが知りたい!コーヒー】コーヒーの種類

2018年10月24日

巷で売られているコーヒーには、「アラビカ100%」と表示された商品を多く目にします。アラビカは、コーヒーの中の品種の一つ。

コーヒーの品種は、大きく分けて、アラビカ、ロブスタ(カネフォラ)、リベリカの3種類に分類され、主にアラビカとロブスタが流通しています。

アラビカの実(左) と ロブスタの実(右)

アラビカの実(左) と ロブスタの実(右)

アラビカは、標高の高い地域(主に標高1000m~2000m)で栽培され、香味が優れているため高値で取引きされますが、病虫害に弱いので生産者の苦労は多い品種です。

一方、強い苦味とコクが特徴のロブスタは、標高の低い地域(主に標高300m~800m)で多く栽培される病虫害に強い品種です。

 

 

アラビカの生豆(左)とロブスタの生豆(右)

アラビカの生豆(左)とロブスタの生豆(右)

ちなみに、アラビカの中でもロブスタとの交配種も存在します。東ティモールで主流のアラビカ種「ハイブリット・デ・ティモール」は、アラビカとロブスタの自然交配で生まれた品種です。

オルター・トレード・ジャパン(ATJ)が輸入している東ティモールのコーヒーは、生まれながらにアラビカの香味豊かな味わいとしっかりとしたロブスタの苦みの両方が備わっています。

アラビカとロブスタを飲み比べる機会は少ないかもしれませんが、品種を意識して飲んでみると、一層コーヒーの奥深さを感じられるかもしれません。

コーヒーの実 (チェリー)

コーヒーの実 (チェリー)

コーヒーの品種に関して詳しくはこちら→https://altertrade.jp/wp/coffee/basics

ATJのコーヒーについてはこちら→https://altertrade.jp/wp/coffee

中村智一(なかむら・ともかず/ATJ)

【PtoP NEWS vol.23/2018.02】女性たちがつくる未来への希望~ルワンダのコーヒー農園から~

2018年3月15日

エホ・ヘザの女性生産者たち

エホヘザの女性生産者たち

男女問わず人気で身近なコーヒー。その生産現場を多くの女性たちが支えていることをご存知でしょうか?コーヒーの収穫、選別作業などの作業の多くは、女性が携わっています。

一方で、土地の権利が男性のもので、女性の労働が正当に評価されないケースも多々あります。
そんななか、アフリカ・ルワンダでは、女性生産者たちのみで農園を営み、活動するグループがあります。今回は、彼女たちの取組みを紹介します。

 

ルワンダ女性がつくる“Women’s Coffee”

エホヘザのメンバー

エホヘザのメンバー

千の丘の国と呼ばれ、標高が高く、起伏がある土地を活かして高品質なコーヒーがつくられるルワンダ。ルワンダのコーヒー生産者協同組合KOPAKAMA(コパカマ)では、180名の女性たちが集まり、2010年に組合で購入した1.5ヘクタールの農園でコーヒーの栽培・加工を始めました。

メンバーは農園で働き、そこで収穫されたコーヒーは、“Women’s Coffee”として、通常品よりも付加価値をつけて取引されています。農園で得られた収入は3分の2がメンバーに直接分配され、3分の1は積立金として緊急時の貸付や次の生産の投資などに使われています。

[box type=”shadow”]毎年、コーヒーの収穫シーズンになると、私は夫とケンカをしていました。コーヒーを夫の名義で販売していたため、夫がいくら収入を得ていたか教えてもらえず、家計に収入が回らなかったのです。そこで私は私自身の権利のために農園に加わり、今では家計管理がうまくいっています。私たちのコーヒーは、男女平等を実現するためのモデルの役割を果たしてくれています。

(生産者メンバー:レオニル・ムカンキーロさん)[/box]

レオニル・ムカンギーロさん

エホヘザのメンバー

エホヘザのメンバー

農園で育まれること


コーヒーの生産現場では、収入面だけに限らず、女性の生産者は男性と比べてコーヒー市場の状況や技術指導など充分受けづらい環境にあります。

この農園では、市場の情報を得たり技術指導を受ける機会もあり、生産者同士が意見交換し、学び合う場となっています。

さらには、コーヒーに関することだけではなく、子育てをはじめ、日々直面している生活への不安や問題を共有し、解決するための場所としての役割も果たしています。

[box type=”shadow”]ここで働くことを通して、誰かに依存するのではなく、自分達の力で生きていくことを学べます。たとえ自分たちのなかで何か問題に直面したとしても、その解決策を仲間と共に見つけ出すことができます。(生産者メンバー:ジョセフィーヌ・ウジルムレラさん)
[/box]

 

“Women’s Coffee”国境を越えた連帯へ

ウォッシングステーションで仕事をするメンバーたち

ウォッシングステーションで仕事をするメンバーたち

彼女たちのコーヒーは、味に関わる欠陥豆の除去や精製など、女性ならではのきめ細かく丁寧な作業が生かされており、現在では、男性生産者からも高い評価を得ています。

また、国外にも“Women’s Coffee”として輸出できるようになり、英国国会議事堂内にも彼女たちのコーヒーが販売されています。

オルター・トレード・ジャパン(ATJ)でも2017年に輸入を始め、国連が1975年に制定した「国際女性デー」である3月8日に合わせて、“Women’s Coffee“の生豆販売を開始しました。

エホヘザのメンバー

エホヘザのメンバー

彼女たちの農園は、未来への希望を込めて、Ejo Heza(エホ・ヘザ/美しい明日)と名付けられています。

ルワンダはかつて、フツ族とツチ族で内戦を繰り広げ、1994年に当時の人口の1割~2割に当たる50万人~100万人が犠牲となったと言われるルワンダ虐殺が起りました。

 

Ejo Heza(エホヘザ)の中心メンバーは、この虐殺により、未亡人や孤児となった女性、夫が有罪判決を受けた女性たちです。なかには、加害者側、被害者側となったの女性もいます。双方が美味しいコーヒーづくりに励むことで、憎しみを乗り越える貴重な場所となっています。

[box type=”shadow”]この農園の未来はとても明るいと感じています。私の娘にとっても、将来、コーヒー農家になることは、とても幸せなことだと思います。なぜなら、私たちがこの農園でコーヒーを育てることが、私たち自身の暮らしを支えていることを実感できるからです。仲間と共働することで、私は一人だけではない事に気づけます。

(生産者メンバー:ベルナデッテ・ムカンタゴナさん)[/box]

 

中村智一(なかむら・ともかず/ATJ)

ラオスの師走

2016年12月20日

日本ではこの時期を「師走」と呼びますが、ラオスのコーヒー生産者もコーヒーの収穫と加工に大忙しです。

雨季とは一転、すっきりした晴れの日が続きます。

コーヒーは年に1度、収穫期がやってきます。ラオスでは乾季の12月頃、そのピークを迎えています。ラオスのボラベン高原でコーヒー生産で生計を立てている人びとにとっては、長い雨季を経て、コーヒーを収穫して売りに出せる、首を長くして待ちわびている時でもあります。今年は雨季が明けても雨が続いたり、気温が低かったりして実が赤くなるのがやや遅れている模様。コーヒーもやはり農作物、天候はいつも生産者の気をもみます。

生産者たちは、コーヒーの実を摘んで洗浄、赤い果肉を除去した後、中の種を水につけて発酵させます。その後何日もかけて乾燥させ、組合の倉庫でパーチメント(薄皮)を脱穀。

各村々で、コーヒーの赤い実(コーヒーチェリー)が熟しすぎて地面に落ちてしまう前に、総動員で収穫をしています。ふだんはのんびりしている村人たちも、てきぱき収穫収穫。

1年ぶりに使う脱穀機。洗浄するところから収穫シーズンが本格スタート。

しかもコーヒーの実は収穫後、すぐに果肉除去をして発酵させないと、品質に影響しまうので、時には夜遅くまで加工に時間がかかってしまう生産者もいます。

とにかく人手が足りないこの時期には、他の村から親戚や出稼ぎの人が、コーヒー摘みの仕事をしにやってきます。平野部の人たちが、ちょうど稲刈りを終えるタイミングで、ボラベン高原ではコーヒーの収穫が始まるのです。

村の外から出稼ぎにくる人たちは、おおよそ朝の8時から夕方16時くらいまで働いて、生産者の家に住み込みで1, 2か月を過ごします。

 

農村では、「この時期に他の村から出稼ぎに来ていたのが今の旦那さんだよ」、という話をよく聞きます。(ラオスは結婚後、男性が女性の家に身を寄せる事が多い。)

外の人とあまり関わることのない農村の社会では、コーヒーの収穫期は新しい出会いがある時間でもあります。

皆、年に1度のこの「赤」を待ちわびています!


忙しくも、活気のあるラオスの収穫期です。

 

商品三課 後藤翠

『アジアのコーヒー 東ティモール(ドリップバッグ)』販売開始のご案内

2013年12月4日

「アジアのコーヒー」シリーズの新商品、東ティモール(ドリップバッグ)の販売開始をご案内致します。是非お試し下さい。
東ティモールは、今年5月で独立から11年を迎えました。自立した地域づくりをめざし少しずつ前に進んでいます。今後とも、『東ティモールコーヒー』を御愛顧いただきますよう、よろしくお願いいたします。

つくる人と飲む人がつながるコーヒー『アジアのコーヒー』シリーズでは、第1弾の『東ティモール』、第2弾の  『ラオス』、第3弾の『アジアンブレンド』(東ティモールとラオスのブレンドタイプ)に続き、よりお手軽に美味しい コーヒーをお楽しみいただけるドリップバッグタイプの『アジアのコーヒー 東ティモール(ドリップバッグ)』を販売開始いたします。
私たちが住むアジアにも美味しいコーヒーがあります。そのコーヒーをたくさんの方においしく飲んでいただくことが、東ティモールの人々のより良い暮らしづくりにもつながります。同じアジアのつくる人と飲む人がつながる。そんなコーヒーになることを目指しています。
東ティモールの生産者がコーヒーの実の摘み取りから、水洗処理、パーチメント乾燥を手作業で行い、脱穀、選別と丁寧に処理して出荷した豆を、最適の焼き加減で焙煎しました。しっかりとした苦味、ほのかな甘み、やわらかな酸味が特徴です。ブラックはもちろん、ミルクをたっぷり入れたカフェオレもお薦めです。

≪味のバランス≫
苦味★★★★
酸味★★
甘み★★
香り★★★★
コク★★

商品詳細:
*商品名:アジアのコーヒー 東ティモール(ドリップバッグ)
*内容量: 8g×8ピース /パック(個包装タイプではありません)
*賞味期限:製造日より6ヵ月
*ご発注単位:20パック/ケース

個人でご購入される方 → [button link=”http://www.aplashop.jp/shop/” color=”orange”]APLA オンラインSHOPへ[/button]

店舗・卸でご購入される方は、ATJまでお問い合わせ下さい

東ティモール:今年の収穫の様子~その2

2013年8月23日

タロ加工所でも、天候不順によって乾季に降りやまない雨の影響を大きく受けました。

乾燥工程での難しさを共有するタロ加工所責任者のジュリオさん(右)とATTのエバンさん(左)

乾燥工程での難しさを共有するタロ加工所責任者のジュリオさん(右)とATTのエバンさん(左)

特にパーチメントの乾燥はたいへん苦労しました。乾燥のうまくいかなかったコーヒーは、残念ながら日本へは輸出しません。ATTでは、乾燥のうまくいったものとうまくいかなかったものをロット管理しています。
また、同加工所では、ATTスタッフのエバンさん&ルシオさんが赤く完熟した実だけの出荷を生産者に呼びかけました。毎日の集荷の際、生産者に繰り返し呼びかけたことで、緑の未熟のものや黒く過熟したものを取り除いて、赤い完熟の実だけを持ってきてくれる生産者も出てきました。ATTスタッフのエバンさんとルシオさんは、生産者に伝え続けてゆくことが大切だと語ります。それによって、少しずつ少しずつ生産者の意識を変えてもらって、東ティモールコーヒーの品質向上につなげたいと考えています。

既に咲きはじめたコーヒーの花(2013年8月初旬撮影)

既に咲きはじめたコーヒーの花(2013年8月初旬撮影)

毎年10月、コーヒー産地のエルメラ県は白くてかわいいコーヒーの花が咲き誇ります。しかし、今年の天候不順の影響によって、8月初旬にすでに花が咲きはじめています…。今はようやく雨が降りやんだのですが、もしも今度は雨季がずれ込んでしまったら、花が枯れて実が発育する時期に雨が降らず、実が発育しない恐れがあります。
主な収入源であるコーヒーの作柄が生産者の心配事になっています。

 

ATJ事業部商品課 名和

東ティモール:今年の収穫の様子~その1

2013年8月16日

8月に入り、エルメラ県はほぼコーヒー(アラビカ)の収穫が終わりました。

ゴムヘイの生産者とATTスタッフ

ゴムヘイの生産者とATTスタッフ

平年、収穫シーズンは乾季に当たりますが、今年は雨が降りやまない状況が続きました。そのために、コーヒーの実(チェリー)が、収穫する前に雨に打たれて落ちてしまったり、収穫してからすぐに黒くなってしまったりしました。また、コーヒー畑の地面がぬかるみ収穫作業が困難になったり、パーチメントの乾燥中に雨が降ってきて中断したり、生産者にとっては難しい年となりました。

 

そんな中でも生産者の皆さんは、美味しい東ティモールコーヒーを日本の消費者の皆さんに届けるために、ATTのルシオさんと収穫シーズン前に再確認した品質基準に見合った加工方法をしっかりと守って、良質なパーチメント生産に励んでくれました。

 

雨の影響によって、残念ながら各生産者の今年の生産量は例年より減少傾向ですが、今年も美味しい東ティモールコーヒーが日本へ届きます。どうぞお楽しみに♪

今年のコーヒーをカップテスト(試飲)するATTスタッフたち

今年のコーヒーをカップテスト(試飲)するATTスタッフたち

 

ATJ事業部商品課 名和