【PtoP NEWS vol.16 特集】伝統的なゲランド塩田での収穫

2017年11月1日

塩と言えば、泣く子も黙る調味料の王様。のり塩ポテトチップス、塩モミ野菜、塩ラーメン、塩焼きそば、塩キャラメルにソルティドッグ…「塩」のつく食べものは枚挙に暇がなく、いかに塩味が人びとに愛されているかを物語っています。

日本オリジナルの「サラダ味」も、塩味をいかにオシャレに表現できるかという先人の挑戦と探究の賜物であり、サラダは「Sal(サル)」という塩を意味するラテン語が語源ですので、ギリギリでウソのない、なおかつ塩への愛が溢れた見事なネーミングが実現しています。

ゲランドの塩田

ゲランドの塩田

塩は、ほとんどの動物が喜んで摂取する、生きるためには不可欠な栄養素でもあります。

地球上の生命は海から発生したというのが通説であり、今なお、その名残が体の仕組みに組み込まれていることになります。

宮崎県の幸島には、イモを海水で洗ってからでないと食べずにはいられないグルメなサルもいるそうですが、それも単に塩味中毒なわけではなく、本能的なものなのかもしれません。

しかし、そんな彼らでも、海水から塩を作ることはできません。今のところ、それができる生き物は、ヒトだけのようです。

そのヒト特有の英知は、土地の自然や気候に応じて様々な形で発達しました。中でも、美食の国フランスにおいて多くの著名なシェフにも愛好される「ゲランドの塩」は、ゲランド地方特有の自然とヒトのどちらもがなくては作ることのできない、きわめて素朴な天日塩です。

1000年以上の歴史を持つゲランドの塩

ゲランドの塩田風景

ゲランドの塩田風景

フランス西部ゲランド地方に広がる塩田では、1000年以上前から変わらずに塩づくりが営まれてきました。

塩職人たちは潮の満ち引きに応じて海水を引き入れ、それを貯水池に溜めておき、そこから水深わずか数センチの塩田の中心まで、絶妙な傾斜のついた迷路のような水路を、全体が乾かないように巧みに海水をコントロールしながら導きます。

その過程でじわじわと水分が蒸発することで海水が濃縮され、行きつく先で塩が結晶するギリギリの塩分濃度になるように設計されています。

コレ、相当大変です。

微妙な力加減でラデュールに塩を積んでいく

微妙な力加減でラデュールに塩を積んでいく

ゲランド地方は天日塩製造の北限と言われ、適度な日照と気温、そして風の強さがカギとなります。さらにその絶妙な気候が訪れるのは、1年のうちでも7月~9月頃だけ。

当然、塩の収穫もこの時期に限られます。最適な気候のもと、もはや死海並みの塩分濃度になったオイエと呼ばれる採塩池では、この時期、主に朝と夕方の2回、塩職人がラスと呼ばれる5メートル近い長さのトンボ状の道具を片手に、池底に結晶した粗塩を収穫します。

わずか数センチの深さの池で、5メートル先にくっついた板を操り、池の底をえぐらないように塩だけを手前に寄せる。文字にすれば50字足らずの作業ですが、コレ、相当大変です。

池底に結晶した粗塩を『ラス』と呼ばれる道具で収穫

池底に結晶した粗塩を『ラス』と呼ばれる道具で収穫

池の底をえぐってしまうと、塩に泥が入ってしまって商品にならないし、塩田もキズつきます。だから、それこそ赤ん坊をなでるように丁寧に、エビ反りしたラスを手繰ります。

そのため、塩職人の手は、いつもマメだらけ。これを繰り返して、少しずつ塩を浮かせて手前に寄せ、ラデュールと呼ばれる場所に積んでいきます。

熟練したパリュディエ(塩職人)のマメだらけの手

熟練したパリュディエ(塩職人)のマメだらけの手

一見地味ながら非常な技術を要するこの収穫作業、決してヨソ者にはさせてはくれませんし、一人前になるには修業が必要。

だからこそ、彼らは親しみと敬意を込めてPaludier(パリュディエ=塩職人)と呼ばれます。

至る所に塩の白い山ができるこの時期のゲランドの風景は、日本で言えば稲が干されている田んぼの風景のようなもの。ゲランドの人びとの心に根付いた、故郷の景観なのでしょう。

塩田に咲く塩の花

フルール・ド・セル(塩の花)

フルール・ド・セル(塩の花)

ゲランドの塩にはもう一つ、塩職人とっておきの塩があります。それが、現地でFlour de Sel(フルール ド セル=塩の花)と呼ばれるもの*。

条件の整った夕方にのみ、オイエの表面に浮かんでくる塩の結晶だけを集めたこの塩は、全体の数%程度しか取れない希少なもの。純度が高く、微生物の作用で収穫時にはスミレの香りがするとも言われます。(*商標の関係上、オルター・トレード・ジャパンでは一番塩と呼んでいます。)

毎年7月になると、スミレの香りと塩の山に囲まれて、塩職人が1000年前と変わらないスタイルで収穫が始まります。

若井俊宏(わかい・としひろ/ATJ)

【バナナニュース271号】バランゴンバナナ生産者紹介 ~東ネグロス州パロマーさん~

2017年10月26日
ニコラス・パロマーさん

ニコラス・パロマーさん

東ネグロス州ロウアカンダボン村のバランゴンバナナ生産者であるニコラス・パロマーさん。

バナナを生産するだけでなく、ロウアカンダボン村にあるバランゴンバナナ生産者協会であるカンダボン・バントリナオ・サルバション生産者協会(CBSFA)の事務局も務めており、地域の生産者のまとめ役です。

 

生協の組合員と交流をするロウアカンダボン村のバナナ生産者

生協の組合員と交流をするロウアカンダボン村のバナナ生産者

CBSFAは、他のネグロス島の生産者協会よりも活動的です。他の産地では、オルタートレードフィリピン社(ATPI)のスタッフが袋掛け等の栽培管理状況の確認を行っていますが、CBSFAでは自分たちで確認する仕組みを導入しています。将来的には、バランゴンバナナの集荷をATPIに頼らずに行えることを目指しています。

バナナの集荷に参加して房分けの技術を習得中

バナナの集荷に参加して房分けの技術を習得中

 

しかし、記録などを取ることに慣れていない生産者にとって、自分たちで集荷を行うことは簡単なことではありません。

ロウアカンダボン村のバランゴンバナナ生産者は、バナナの集荷を手伝いながら出荷基準を学んだり、会計や記録の取り方などを学びながら、少しずつ自分たちの目標に近づいています。

 

 

バナナの病気を防ぐために袋がけ前に花芽を摘み取ります。

バナナの病気を防ぐために、袋がけ前に花芽を摘み取ります。

「バナナを栽培していく上で、病害は大きな課題の1つです。」とニコラスさんは言います。

化学合成農薬を使用せずに育てているバランゴンバナナにとって、病害対策で重要なのは、早い段階で病気のバナナを発見し、対処していくことです。

例えば、バンチートップ病(BBTV)と呼ばれるウィルス性の病気に感染してしまうと、株が萎縮し、成長が阻害されます。放っておくと他のバナナにも感染するので、ロウアカンダボン村では「バヤニハン」と呼ばれている所謂「結」を通じて、BBTVのバナナの早期発見・抜き取りに取り組んでいます。

「バランゴンバナナは農家である私にとっては、とても重要な作物です。定期的な現金収入源であるだけでなく、地域の生産者の関係強化にも繋がっています。

私たちの生産者協会は地方政府にも認識されるようになり、政府との協同プロジェクトなどにも取り組んでいます。今後も、バランゴンバナナを通じて、日本の皆さんと良好な関係を築いていくことを望んでいます。」

ニコラスさん家族

ニコラスさん家族

 

事業部商品一課 黒岩竜太

 

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【カカオキタ3】カカオ生産者と加工チームの挑戦

2017年10月13日

津留歴子(つる・あきこ)

ATJ  カカオ事業担当

[box type=”shadow”]APLAニュースレター『ハリーナ』に連載中の人気コラム、「kakao kita(カカオキタ)」ではカカオ産地の様子や生産者の横顔をお伝えしています。バックナンバーを順次ご紹介します。因みに、「カカオキタ」とは、インドネシア語で「私たちのカカオ」という意味です。[/box]

 

カカオ豆の天日乾燥

パプアでは4月からカカオ収穫期に入りました。カカオ・キタでは今季の買付をぼちぼち始めています。その買付に先がけて、日本で年初に販売された『チョコラデパプア』をカカオ村の人びとに届けました。村人はChocola de Papuaとローマ字で書かれた板チョコを手の平に乗せまじまじと見つめた後、「これが我らのチョコか」とニッコリ。味はどうですか?と聞くと、皆口を揃えて「おいしい!」。さて、ここまでは和気あいあい、世界で初めてパプアの名が刻印されたチョコが販売されたことを喜んだのでした。

そして次に、「では、今季の買付価格はいくら?」というシビアな話題に。コメや砂糖の価格が上がっているのだから、カカオ買付価格も上がるべき、というのが生産者の論理。もっともな気もする、が市場経済ではそういかないのが現実、という話をカカオがチョコレート製品になるまでの長~いプロセス、そこにどれだけ多くのヒトとモノが介在するかを説明。村人たちは眉間に皺を寄せながらこの不可解な説明を聞いた後、ため息をつきながら「そりゃ、自分たちでチョコレート作らなくちゃ、ダメだね」という結論に達したのです。いつかは「わたしたちのチョコレート工場を!」という夢は抱きつつ、まずは生産者自身が発酵と乾燥をきちんと行い、質の良い乾燥カカオ豆をカカオ・キタに売るよう頑張ってみましょう、というのが今季の出発点になりました。

カカオ・キタのスタッフとカカオ村の人びとは同じパプア人、家族のような関係です。カカオ事業の進め方について、意見の違いやお互いの利害で口論することがあっても、一緒に問題を解決して先に進もうという気概を持っています。どうしたら売れる価格帯のチョコレートを作れるか、どうやって生産者により恩恵が生まれる構造がつくれるか、このことにカカオ・キタは頭を悩ませながら、トラックでカカオ村を回る日々が続いています。

 

*この記事はAPLA機関誌『ハリーナ』21号(2013年8月)に掲載されたものです。なお、『ハリーナ』バックナンバーは、最新号を除くすべての記事が無料でお読みいただけます。

マスコバド糖・品質改善の歩み【ハリーナno.37より】

2017年10月10日

マスコバド糖が日本に届きはじめた30年前、「商品」と呼べるものではなかったとは、当時の語り草になっています。しかし、今や品質面、製造管理面において、認証を取得したり表彰されるほどに成長しました。それは「日本の消費者との二人三脚の成果」と語るのは、現マスコバド糖製糖工場長のスティーブ・リガホンさん。30年間の品質改善の歩みを伺いました。(聞き手・まとめ/幕田恵美子/まくたえみこ ATJ広報本部)

初期のころのマスコバド糖製糖工場は簡素なものでした。

初期のころのマスコバド糖製糖工場は簡素なものでした。

1994年オルター・トレード社(ATC)に入社して最初の仕事が、サトウキビの原料管理でした。長年マスコバド糖の仕事をしてきたウヤ師匠と一緒に、サトウキビの品種、熟度、手入れ、管理作業に関する基準をつくりました。

その後、新しいマスコバド糖製糖工場(ATMC)ができて、97年に工場の管理責任者となりました。当時の工場労働者は主に軍事化の犠牲者や労働組合員・農民活動家たちで、物申す彼らをまとめながらマスコバド糖の製造工程を標準化する仕事はなかなか大変なことでした。

99年に、マスコバド糖品質管理部長となり、まずはマスコバド糖の製造工程を化学的に分析できるように検査室の設置をしました。

品質クレームに向き合って

1993年に新工場が建てられ、壁や窓が整備されました。

1993年に新工場が建てられ、壁や窓が整備されました。

日本の消費者から様々なクレームが届きますが、消費者には品質や食品の安全を要求する権利があり、生産者はそれに応える義務があると考えています。

ただ、改善の努力をしているにもかかわらず同じクレームが続くともどかしい気持ちになります。予算がなくてすぐに対処できなかったり、品質に関するフィリピン人の文化的な捉え方があったりと、理由は様々なのですが……。

しかしながら、オルター・トレード・ジャパン(ATJ)のスタッフや生協、メーカー関係者が工場に来て一緒に解決策を考えてくれたことは、品質づくりに大きく貢献していると思っています。

消費者とともに……

2006年に新工場が建てられ、釜の改善なども行われました。

2006年に新工場が建てられ、釜の改善なども行われました。

生協の組合員がコーヒーにマスコバド糖を入れて飲んだところ、カップの底に何か残ると調べてみると、異物が入っていることが判明。生協から網戸をプレゼントされたのが、皆さんからの最初の協力でした。

フィリピンではどこにでも現れるヤモリ問題の解決策はハードルが高かったです。ヤモリが入ってきそうな入口はすべて封鎖したにもかかわらず、天井に貼り付いているのです。最終的には釜と乾燥台の上部に布を張りました。ヤモリが誤って天井から落ちた場合に、マスコバド糖に混入するのを防ぐ最後の砦としたのです(現在は閉鎖型釜の使用と乾燥室の密閉が可能となりました)。

乾燥は素早く撹拌しながら手作業で行われます。

乾燥は素早く撹拌しながら手作業で行われます。

針金が混入した時には「篩を針金ではなく細かい穴の空いた板で作ったらどうだ」という生協職員の発想には感服したものです。最近も、日本の喜界島の小規模製糖工場との交流を経て、多くを学びながら、更なる改善は続いています。

最後に、消費者の皆さんに、マスコバド糖を食べるときに想い起こしていただきたいことがあります。
「飢餓の子どもを抱えた力のないサトウキビ農園労働者が、自分たちで耕せる土地を得て、そこで生きるための力をつけてきました。それをマスコバド糖という形で日本の皆さまに支えていただいている物語」なのです。

マスコバド糖の袋詰め

マスコバド糖の袋詰め

【バナナニュース270号】今年はバランゴンバナナが豊作!

2017年9月29日
産地ではバナナがたくさん採れています。是非、バランゴンバナナを食べてください。

産地ではバナナがたくさん採れています。是非、バランゴンバナナを食べてください。

台風、干ばつ、強風被害、病害被害など、特にここ数年は様々な理由でバランゴンバナナの数量が不安定でした。

去年は、未曾有の大干ばつを経験し、バランゴンバナナだけでなく、フィリピン産のバナナが全体的に不作でした。

しかし、今年は天候に恵まれ、バランゴンバナナがたくさん収穫できています。

フィリピンでは12月~5月は乾季で、特に3月~5月は気温が最も高い時期です。雨が少ないとバナナの生育が遅くなり、買付基準に満たない小さなバナナも増える傾向にあります。

今年は例年の乾季に比べ適度の雨が降ったため、バナナの生育が良く、順調に育っています。また、今年はフィリピン付近を通過した台風が少なく、今のところ大きな強風・台風被害がありません。

 

バナナは、バショウ科バショウ属の多年草であり、高さ数メートルにまで育ちます。バナナは、木ではなく草なのです。生育具合にもよりますが、順調に育てば1株のバナナから100本以上の実をつけ、重さは60㎏以上になることがあります。

バナナは木のように丈夫でないため、強風に煽られると、株ごと折れてしまうことがあるのです。

今年はバナナの豊作が続いています。お手軽に食べられるバナナですが、ひと工夫加えれば、様々な楽しみ方があります。ぜひ、お試しください。

 

 

 

生食だけでない、いろいろなバナナの楽しみ方

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絶品バナナスムージー

【作り方】(グラス3杯分)

① バランゴンバナナは皮をむき、ラップに包んで冷凍しておく。

② 凍らせたバナナを適当な大きさに切り、牛乳と一緒にミキサーに入れてスイッチオン。完成!

③ バナナ3本で牛乳250㏄が目安ですが、分量はお好みで調整して下さい。季節の果物を加えると、違った味が楽しめます。[/box]

 

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バナナのベニエ ※ベニエは、フランスの揚げ菓子です。

【材料】

<生地>

・全卵 1個

・牛乳 180cc

・薄力粉 125g

・グラニュー糖 大さじ2

・バニラエッセンス 少々

・バランゴンバナナ 1~2本

・レモン汁 少々

【作り方】

① 生地の材料を全てボウルに入れハンドミキサーで3~4分攪拌し、バニラエッセンスを加えて室温でしばらく寝かす。

② バナナは3cmくらいに切り、レモン汁をかけておく。こうすることで甘さがしまる。

③ バナナを生地に絡めて170度に熱した油の中に入れて揚げる。仕上げにシナモンシュガーや粉糖をふり完成。[/box]

 

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バナナの春巻き

【作り方】

① バランゴンバナナを春巻きの皮で巻きやすい大きさに切る。基本は1/2の長さに切り、さらに縦二つに切る。

② 切ったバナナを春巻きの皮で(普通の春巻きを包むのと同じ要領で)包んでかりっと揚げればできあがり。

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簡単バナナアイス

【材料】(4人分)

・バランゴンバナナ(熟れたもの)・・・・4-6本(皮をむいて350g)

・生クリーム(乳脂肪分30%以上のもの)・・・150cc

・牛乳・・・150cc

【作り方】

① 生クリームをボウルの底に氷水を当てながら、泡立て器ですくうとぽったり落ち、すくったあとの角がおじぎをするくらいまで泡立てる。

② バナナと牛乳をミキサーにかける(バナナジュースをつくる要領で)。

③ ①と②を混ぜ、大きめの密閉容器にいれ、ふたをして冷凍庫へ。

④ 3時間後にスプーンで全体をかき混ぜ、さらに3時間冷やしたら完成
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バランゴンバナナを使用したその他のレシピはこちら

事業部商品一課 黒岩竜太

 

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SAVE Negros:環境にやさしい持続可能な農村コミュニティづくり-その2-

2017年9月11日

農地改革後、元サトウキビ労働者たちの自立への取り組み

◆ダマ生産者協会がめざすこと

『私たちにとって強い組織づくりとは、自分たちの考え方で土地を耕作できて、生産性をより高めていける力を持つこと。多様な作物栽培や畜産を含めての有畜複合農業をすすめること、自己資金の積み立てができること、子どもたちを学校に通わせ、衛生環境もよく快適な家屋に住めること、みんなが楽しく暮らせ、美しい風景があること。このことが、私たち大人が過去に経験してきた厳しい状況から、子どもたちを守る手段なのです』

サトウキビ畑の向こうにはカンラオン山

サトウキビ畑の向こうにはカンラオン山

オルタートレードが、ダマ農園の人びとに出会ったのは2004年でした。
ダマの生産者たちは、農地改革が実施された後にサトウキビの有機栽培や環境活動に取り組んできました。今では、オルタートレードのマスコバド糖原料のサトウキビに関しては、最も安定した生産団体に成長しています。

2006年には有機認定を取得し、2012年には最優秀フェアトレード団体としての認定を取得しました。さらに、フェアトレード市場にマスコバド糖を販売することで、プレミアム価格を得ることができるようになりました。

土地を手にするまで

手作業でする除草作業

手作業でする除草作業

こうしたダマの生産者たち(DAFWARBA:Dama Farm Workers Agrarian Reform Beneficiaries Associationメンバー)の歴史は、彼らがサトウキビ農園労働者だったころ、正当な労働者の権利を勝ち取るための困難と闘争から始まります。

ダマ・サトウキビ農園は、フィリピン政府の農地改革プログラムの対象となり、1992年に最初のダイアローグが行われ、幾度とない交渉の末2003年6月にようやく、土地所有裁定証書(CLOA)が発行されました。

サトウキビの植え付けに使うケーンポイント

サトウキビの植え付けに使うケーンポイント

当時、彼ら(農地改革受益者たち)が土地について何か要求することに対して、地主の猛烈な反発が続きました。時には抑圧行為や暴力ざたになることさえもありました。農園労働者(農地改革受益者)たちのなかには、解雇されたり地主が雇う武装した民兵に殴られたり、嫌がらせで農園で働くことができなくなったりする人びとも続出しました。そうした辛い経験は、ダマの仲間どうしが結束して協力する原動力ともなりました。

生産者としての自立を目指して

グループを引っ張ってきたダニエル委員長

グループを引っ張ってきたダニエル委員長

1988年に採択された包括的農地改革法は、農業労働者(農地改革受益者)を保護し、貧しい小規模農民を支援する法令であるべきものでした。土地なし農民と農園労働者は1人当たり平均1ヘクタールの農地を手にして、そこを耕作することで貧困から抜け出せるであろうという計画でした。

しかしながら、このプログラムは不十分なもので、労働者の生活をよくしていくためには、さらに土地が必要で、その土地で生産性をあげるためには資金や技術支援などが必要でした。農地改革受益者とは、純粋なサトウキビ労働者で、サトウキビ農園制度のなかで不十分な賃金を受けとり、農地を管理できる何の農業技術もない労働者でした。

稲刈り、豊作で嬉しいダニエル委員長

稲刈り、豊作で嬉しいダニエル委員長

ダマ農園の農地改革受益者たちは、支援団体の助けを借りながら、生産者協会として組織力をつけ、農地改革で得た個人の土地を共同化して集団経営の形をとりました。

DAFWARBAメンバーの土地は、合計で90.31㌶の耕作地があります。そのうち40.69㌶にサトウキビが作付けされ、10.10㌶に自給用の米をつくることを決めて実施してみました。2015年にはメンバー用の米は自給できるようになり、余剰を販売できるようにもなりました。

残りの38㌶はマホガニー林となっています。この林は、元々地主が、サトウキビ農園の土地を農地改革対象外になることを目論んで、マホガニー林に仕立てたものでしたが、農地改革を免れることはできずに、立派なマホガニー林となりメンバーの財産となりました。

ニガウリ栽培

ニガウリ栽培

ダマの生産者たちは、さらに野菜づくり、養鶏や養豚、魚の養殖などを始めました。
農業用の水を確保するために、地方行政や民間団体と連携して灌漑設備もつくりました。
余剰生産物の販売のために、精米所や食肉加工なども手掛けています。

生産者たちの収入源も多様になり、またサトウキビもマスコバド糖として民衆交易やフェアトレードという消費者との信頼関係のなかで取り扱われるようになりました。

収獲したティラピアはコミュニティ・メンバーの重要なたんぱく源

収獲したティラピアはコミュニティ・メンバーの重要なたんぱく源

そうした彼らにとって、AFTAによる関税引き下げ問題の影響はさほど大きくなさそうです。

ダマの生産者たちは、農園労働者から生産者となり、サトウキビのモノクロップ生産から多様な有畜複合農業へと変革してきました。

それは、ダマ生産者協会としてメンバーたちが、子どもたちの未来を守るために目ざすことを確実に実行してきた成果なのです。

(ATC News Letter: People’s Link Issue No.3 April 2015より要約)

ビデオ『苦い砂糖の島』(1986年)

2017年8月2日

今年はマスコバド糖民衆交易が始まって30年の節目の年となります。1980年代、フィリピン、ネグロス島で起きた飢餓救援をきっかけに日本とネグロスの連帯運動が始まりました。その連帯運動を基盤にマスコバド糖の民衆交易が生まれ、1987年3月、初めての輸入となる10トンのマスコバド糖が神戸港に陸揚げされました。

フィリピンでは1970年代、フェルナンド・マルコス独裁政権に対する民主化運動が活発化し、日本でもそれに連帯する市民グループ、キリスト教や仏教などの宗教者グループが生まれました。そうしたグループが、1979年、「日本フィリピン問題連絡協議会」を結成し、日本企業による公害輸出やプランテーションバナナなどの問題に取り組みました。1985年12月、毎年開催されていた「日比民衆連帯集会」でフィリピン側より提起されたのが、ネグロス島の飢餓問題でした。「子どもたちが毎日、何人も飢餓のため命を落としている。何か協力してもらえないだろうか」と。その呼びかけに応える形で翌1896年2月に発足した市民グループが、日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC、APLAの前身)です。

ビデオ「苦い砂糖の島」は、1985年11月の「連帯集会」での議論を受けて、ネグロス島の飢餓の状況、その背景にあるサトウキビ・プランテーション(アシェンダ)や大土地所有制の問題を日本の市民に伝えるために、1986年1月に現地取材、制作されたビデオです。

ネグロスの農園労働者が置かれた状況は、冒頭にあるコピーがすべてを物語っています。

砂糖は甘い。
それで儲ける者にとってはさらに甘い。
しかし、それを作らされる者にとってはあまりにも苦い。

当時のアシェンダの様子がわかる約45分の貴重な映像です。どうぞご覧ください。

なお、映像はビデオフィルムをデジタル化したものです。画像が粗いことをご了解ください。

広報本部 小林

UAWCファラージ氏の即時釈放を求める嘆願書を、駐日イスラエル大使に提出しました。

2017年6月23日

去る5月24日未明、パレスチナのオリーブオイル出荷団体の一つ、パレスチナ農業開発センター(UAWC)職員のアブドゥル・ラザック・ファラージ氏がイスラエル軍により拘禁されました。

緊迫するパレスチナ情勢、UAWC職員ファラージ氏再拘禁

UAWCからの情報によると、ファラージ氏は翌25日に4ヵ月の行政拘禁を言い渡され、ラマラ市郊外にあるオフェル刑務所に拘留されているとのことです。

この事態を受けて、ATJとNGO法人APLAは、ファラージ氏の即時釈放及びイスラエル政府による行政拘禁制度の即時廃止を求める嘆願書を用意し、6月16日、オリーブオイルの民衆交易などを通じてUAWCに連帯している生協や有機農産物宅配団体との連名で、駐日イスラエル大使宛で大使館に嘆願書(英文)を郵送しました。本日(6月23日)、郵便物等配達証明書が届き、イスラエル大使館が嘆願書を受け取ったことを確認しました。

英文嘆願書 Petition for Abolition of Administrative Detention in Palestine and Immediate Release of the Detainee

嘆願書の全訳及び賛同団体は以下の通りです。

 

2017年6月16日

駐日イスラエル大使 ルツ・カハノフ殿

パレスチナ自治区における行政拘禁制度の廃止ならびに被拘禁者の即時釈放に関する嘆願書

嘆願の趣旨:

 私たちは、現在のパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地区・ガザ地区)の置かれた状況を憂慮し、パレスチナ自治区で活動するパートナー団体との連帯のもと、そこで生産された産品の輸入・販売や交流事業を通じて彼らの活動を支援している交易会社、NGO、ならびに消費者団体です。

 私たちは、パートナー団体の一つであるUnion of Agricultural Work Committees(以下、UAWC)の職員、アブドゥル・ラザック・ファラージ氏が、去る5月24日未明、貴国政府軍隊により行政拘禁令に基づき逮捕されたという情報を受け取りました。そして、翌日に貴国が管轄する刑務所内における4ヵ月の拘禁を言い渡されたという情報も、新たに受け取りました。

 以上の情報を受け、私たちは、仲間であるファラージ氏の状況について非常に心を痛めていると共に、上記の理不尽な貴国の行いについて、極めて強い憤りを覚えています。

 つきましては、私たちは貴国に対し、以下の通りに理由を添えて、ファラージ氏の即時釈放ならびに行政拘禁制度の廃止を求めます。

 嘆願事項:

1.5月24日未明に貴国により行政拘禁されたアブドゥル・ラザック・ファラージ氏の即時釈放を求めます。

2. 同氏が拘禁される理由として貴国が掲げる行政拘禁制度について、即時廃止を求めます。

嘆願理由:

1. アブドゥル・ラザック・ファラージ氏は、その人生において実に16年近い時間を、貴国による身柄拘束の後、刑務所で過ごしています。そのほとんどは5回に及ぶ行政拘禁です。そして、今回も何ら拘禁の理由も示されぬままラマラ市内(エリアA)の自宅で逮捕されました。これはオスロ合意等の国際的な取り組みの中で認められたパレスチナ自治政府の行政・治安双方の権限を無視したものであり、貴国の権限を逸脱したものであると考えられます。パレスチナ自治政府により正当で明確な罪状で起訴され、公平かつ迅速に裁かれるのでなければ、貴国に同氏の身柄を拘束する権限はなく、故に、同氏の即時釈放を求めるものです。

2. 行政拘禁制度は、貴国の治安に著しく危険をもたらすと貴国が考える人びとを予防的に拘禁するための例外的措置として導入された経緯があると、我々は認識しています。しかしながら、実際には貴国の治安に著しく危険をもたらすことが懸念される根拠を一切示さずに、パレスチナ自治区に住む人びとが無条件に拘禁されてきた実態に対し、多大な批判が国際社会から挙がっています。更に、貴国によって行政拘禁された人々は、貴国が自国内の囚人には認めている月に2回の家族との面談すら認められないなど、貴国が明らかな差別を行っている点についても、集団懲罰的な処遇であるとして、多大な非難が寄せられています。それが、本年4月から5月にかけて行われた、パレスチナ人被拘禁者によるハンガーストライキを招いたことは、記憶に新しい通りです。我々は、そのような貴国の、パレスチナ人に対する差別的な対応の全てに対して明確な非難の声を挙げると共に、その典型である行政拘禁制度の即刻の廃止を求める次第です。

 

株式会社オルター・トレード・ジャパン

特定非営利活動法人APLA

グリーンコープ共同体

株式会社 大地を守る会

生活協同組合あいコープみやぎ

生活協同組合連合会グリーンコープ連合

生活クラブ事業連合生活協同組合連合会

生活クラブ生活協同組合(滋賀)

生活クラブ生活協同組合 都市生活

生活クラブ生活協同組合(奈良)

パルシステム生活協同組合連合会

以上

ATJ、APLAは、引き続きファラージ氏の状況についてフォローします。

広報本部 小林

 

 

 

 

 

 

【コラム:カカオキタ2】「カカオ・キタ」加工チーム結成

2017年6月22日

津留歴子(つる・あきこ)

ATJ  カカオ事業担当

[box type=”shadow”]APLAニュースレター『ハリーナ』に連載中の人気コラム、「kakao kita(カカオキタ)」ではカカオ産地の様子や生産者の横顔をお伝えしています。バックナンバーを順次ご紹介します。因みに、「カカオキタ」とは、インドネシア語で「私たちのカカオ」という意味です。[/box]

 

カカオ生産者

日本で販売が開始された『チョコラデパプア』、生産者は「これが我らのチョコか」とニッコリ。

パプアではカカオ収穫期が近づいてきました。現地ジャヤプラでは今季の買付けを始める準備が進んでいます。その手始めに、今季のカカオ加工チームの結成がありました。昨年加工作業に従事したのはヤニム村の青年たちでした。しかし、今年は他の村の人も均等にリクルートしようと、「書類選考」「面接」「雇用契約」という正式な手続きを試みることにしました。しかしこれはパプア人の村社会では普通のことではありません。村では地縁・血縁、友だち同士が誘いあって仕事に就くというパターンが普通です。それが、求人広告なるものが村に張り出され、希望者は「身分証明書のコピーを添付した履歴書をx月x日までに提出」と要求する、村の人びとは違和感をもったでしょう。それでも30名ほどの応募者があり、厳選な書類選考及び面接を経て今季のカカオ・キタ加工チームが3月初め結成されました。

昨年加工場で働いていた若者たちは、自動的に今年も働けるわけではないと知り、がっかり。可哀そうではありますが、「カカオ・キタ」代表のデッキーさんも心を鬼にして、若者たちに事業の枠組みのなかでの仕事を自覚させるためにあえて契約という近代的要素をパプア社会に取り入れてみようとしたのでしょう。試用期間は1ヵ月。この期間に就業規則に違反したり、勤務態度が悪いものは容赦なく補欠の候補者と換えるそうです。そして、加工場で働くスタッフはすべて銀行口座を開設し、給料は振り込み制に。給料日になると、母親が息子からおカネをもらいに加工場の周辺にやってくるという光景がありましたが、これからは銀行前で待ちあわさなければなりません。

自然の中で束縛されずに伸び伸び生きてきたパプアの人びとにとって、規則や契約の中で仕事するということは何を意味するのでしょうか。今季の彼らの仕事ぶりを見てみましょう。

 

*この記事はAPLA機関誌『ハリーナ』20号(2013年5月)に掲載されたものです。なお、『ハリーナ』バックナンバーは、最新号を除くすべての記事が無料でお読みいただけます。

緊迫するパレスチナ情勢、UAWC職員ファラージ氏再拘禁

2017年5月31日

日本ではほとんど報道されていませんが、パレスチナでは4月17日から1,500人を超える政治犯が集団で無期限ハンガーストライキを行っています。彼らは、イスラエル当局に対して、行政拘留者(下記)の即時釈放、刑務所内での拷問や虐待の停止などを求めています。ヨルダン川西岸では各地で連帯デモが広がっています。このハンストに対して、5月22日、オリーブオイル出荷団体であるパレスチナ農業復興委員会(PARC)が連帯声明を出しました。

 

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  パレスチナ農業復興委員会(PARC)は、2017年4月17日にイスラエル刑務所でハンガーストライキを始めたパレスチナ人拘禁者への連帯を表明します。

  1,800名以上の拘禁者が、刑務所の不平等かつ劣悪な環境に対して抗議を行うためのハンガーストライキを始めました。国際法の下、拘留している全ての人々の福利や環境改善に責任を持つイスラエル政府に対して圧力をかける目的で、それから36日間にわたり、彼らは塩と水だけで生きています。

  拘禁者が求めているのは、非常に単純で基本的な、人間として必要なものだけです。それは、家族と話をするための公衆電話の設置、定期的な家族の訪問とその際に家族写真を撮影する事の許可、医療の改善、空調管理の導入などです。

 また拘禁者は、「行政拘禁」の廃止を求めています。行政拘禁とは、「公表されない機密な証拠」という理由のみでパレスチナ人を拘禁することを認める制度で、その期間は数か月、時には数年にも及ぶものです。この制度は、国際法のもとで違法とされています。

  PARCは、すべてのパートナーに対し、イスラエルの刑務所に拘禁されているパレスチナ人の法的権利を守ることを支持し、イスラエル政府が国際人権法を遵守し、パレスチナ人拘禁者の苦しみに終止符を打つように圧力をかけるべく、自国政府に要請することを求めます。

2017年5月22日
Palestinian Agricultural Relief Committee (PARC)[/box]

パレスチナ自治政府、国際赤十字とイスラエル政府の間の交渉により、政治犯の要求が認められたため、ハンガーストライキを継続していた800余名の政治犯は、5月27日にハンストを終了しました。認められた内容は、政治犯の面会を月2回認めること以外は、まだ公表されていません。 

アブドゥル・ラザック・ファラージ氏

そして、5月24日夜、パレスチナのオリーブオイル出荷団体のひとつ、パレスチナ農業開発センター(UAWC)より、UAWC総務部長であり、ジャーナリストとしても活動しているアブドゥル・ラザック・ファラージ氏が、同日未明逮捕されたという報告が入りました。

 

 

[box type=”shadow”]  現在、数百名のパレスチナ人拘禁者が、基本的な人権を求めてハンガーストライキを継続しています。彼らは、彼ら自身のみならず、世界中の抑圧された人々の自由と尊厳のために、闘っています。パレスチナ自治区を占領しているイスラエル政府は、いまだにパレスチナの一般市民および拘禁者に対する抑圧的な政策を止めようとはしません。その卑近な例として、我々パレスチナ農業開発センター(UAWC)事務局長であり、またジャーナリストとしても活動しているアブドゥル・ラザック・ファラージが、本日未明に自宅で、それも彼の家族の目の前で、再度拘留されました。

  UAWCは世界中の自由と正義を愛する人々に対し、我々の同僚であるファラージ、ならびにハンガーストライキを継続している全ての拘禁者の釈放を求めた連帯のために立ち上がるように呼び掛けます。

  ファラージは、実に人生のうち16年間をイスラエルの刑務所で過ごし、結果として、多くの病を抱えています。それらの殆どは、「行政拘禁」と呼ばれるイスラエルの制度によるもので、令状なしに不都合な人物を逮捕・拘留しても良いとされているものです。これは、国際協定、とりわけジュネーブ条約第4条に明確に違反しています。UAWCは、パレスチナ自治区の存在と正当性を信じ、イスラエルが行う占領や隷属化を否定する全ての組織に対し、ファラージを解放し、彼を家族のもとへ返すようにイスラエル政府に圧力をかけるため、自国の政府へ書簡を送る国際的な連帯キャンペーンを立ち上げることを呼び掛けます。

2017年5月24日
Union of Agricultural Work Committees (UAWC)[/box]

ファラージ氏は2014年2月にイスラエル政府により行政拘禁されましたが、行政拘禁制度に抗議して同年4月より約2か月間、数十名の拘禁者による集団ハンガーストライキに参加しました。ATJでは、UAWCから届いた緊急アピールを受けて、貴団体を含む株主生協・団体、APLA、ATJ計11団体連名で、同氏を含む行政拘禁者の即時釈放を求める嘆願書を在日イスラエル大使館に送付した経緯があります(イスラエル大使館は受け取り拒否)。

詳しい経緯はこちらからご覧ください。⇒ ファラージさんに自由を!

ファラージ氏はようやく2015年10月に釈放されましたが、それから1年半余りで再逮捕されたことになります。同氏はこれまでの生涯で実に16年も刑務所で過ごしていますが、そのほとんどが行政拘禁によるものです。行政拘禁とは、報告にも説明があるように、令状なしに不都合な人物を逮捕し、無期限に拘留できるとする制度であり、国際協定、とりわけジュネーブ条約第4条に明確に違反しています。イスラエル政府はこの制度を濫用し、国際社会からも強く批判されてきました。

UAWCは、同氏の即時釈放を求めるキャンペーン活動への協力を国際社会に対して求めています。ファラージ氏逮捕の詳細な背景については現在、UAWCに問い合わせ中です。

広報本部 小林

マスコバド糖で韓国の梅ジュースは如何?

2017年5月17日

毎年、梅の季節に日本で梅干しや梅酒を作るように、韓国のほとんどの家庭では梅ジュースを仕込みます。韓国ドゥレコープ組合員さんは、風味があって、健康にもよいマスコバド糖を好んで使うそうです。お勧めのレシピをご紹介します。

〇用意するもの:青梅1kg、マスコバド糖1.2kg、果実酒用4リットルビン(梅酒作りで使う容器と同じで構いません)

〇作り方

① 梅をきれいに洗い、ヘタやくぼみの汚れを竹串などを使ってきれいに取り除きます。

② お湯で殺菌したガラス瓶に、マスコバド糖ときれいに洗って水気を完全に除いた梅を交互に入れます。瓶を揺すって梅と梅の間にマスコバド糖が行き渡るようにします。最後に、梅が見えないようにマスコバド糖で覆います。

③ 直射日光の当たらない涼しいところで保存してください。マスコバド糖がだんだん溶けてきます。発酵してガスが出ますので、ガス抜きをお忘れなく。

④ 約3か月後、梅の実を取り除いてできあがり。

冷水やお湯で割って飲みます。胃腸の調子が悪いときにも、消化を助けるドリンクとしてよいそうです。お菓子のシロップやドレッシングとしても使えます。


ドゥレコープは10年以上前からマスコバド糖を輸入しています。マスコバド糖の梅ジュースは好評で、ドゥレコープでは梅シロップを商品化し、売れ筋の人気商品となっています。また、昨年からハンサリム生協も梅ジュース用に年1回、マスコバド糖を扱うようになりました。

韓国では梅以外にも、ザクロ、ユズなどの柑橘類でもジュースを作ります。ドゥレ生協の組合員は、梅ジュースにはコクがあるマスコバド糖がよく合うと話しています。一方、色合いも大事なザクロやユズには精製糖を使うそうです。

ネグロスでジュース作りを実演

ドゥレコープ組合員は定期的にネグロスを訪問し、サトウキビ生産者との交流を重ねています。2016年11月には、ネグロス中部にあるダマ農園でジュース作りの実演をしました。ネグロスには、残念ながら梅の木はありません。そこで、ネグロスで手に入りやすい果物であるパイナップル、カラマンシー(沖縄のシークヮーサーに似た柑橘類)、グヤバノで作ったそうです。ジュースは自然発酵してアルコールの風味がして、参加者一同大笑いしたそうです。

マスコバド糖で作ったパイナップル・ジュース

梅酒を作ったことのある方なら簡単にできるはずです。今年は韓国伝統の梅ジュースを、マスコバド糖でぜひお試しください!

広報本部 小林

*この記事は「P to P News」第14号の記事に加筆修正したものです。

【コラム:カカオキタ1】  カカオを媒介にして踏み出した一歩

2017年4月25日

津留歴子(つる・あきこ)

ATJ  カカオ事業担当

[box type=”shadow”]APLAニュースレター『ハリーナ』に連載中の人気コラム、「kakao kita(カカオキタ)」ではカカオ産地の様子や生産者の横顔をお伝えしています。バックナンバーを順次ご紹介します。因みに、「カカオキタ」とは、インドネシア語で「私たちのカカオ」という意味です。[/box]

 

パプアのカカオ生産者これから、インドネシア領パプアで始まったカカオ事業について連載します。パプアは1969年インドネシアに併合され、その後米国の鉱山会社による銅と金の採掘を皮切りに森林伐採、パームヤシ農園、天然ガス開発などが進められています。近年はこの開発ブームに沸くパプアに仕事を求め流入する非パプア系人口が著しく増加し、都市部では先住民族を数で上回るようになりました。

太古より自然と共生しながら狩猟、採集、漁労、農耕を営んできたパプア人の伝統的社会はこの50~60年の間に急激なスピードで変容を余儀なくされています。「人が土足で家に踏み込んできて、我々の財産(天然資源)を奪っていく」。パプアで進行している開発は、先住民族の人びとにとっては理不尽な収奪以外の何ものでもないのです。

私は、このパプアに1995年から通いつづけ、1999年~2003年は州都ジャヤプラにあるNGOに居候しながら、パプアの人びととどっぷり付き合い、インドネシアの中でパプア社会が直面する弾圧や差別や周縁化といった問題も肌で感じました。このように書くと、パプアはいかにも暗い社会のように思うかもしれませんが、パプアに行った人はその美しく雄大な自然に圧倒され、やさしい人びとに胸を熱くします。「パプア人って世界中で一番いい人たちですよね」と何人かの人が言うのを聞いたことがあります。

そんなパプア人、少し前までは自分たちの置かれている状況を嘆くばかりでしたが、最近はそれにも飽きた様子。「嘆いても物事は一向によくならない。自分たちで変えなければならない」と。それは、少数民族の社会で慣習法を基準に生きてきた人が、より合理的な関係で築かれている社会と接触し伝統的な価値観が変容していくこと。その過程を「カカオ」というモノを媒介にすすめようとしています。その様子をリアルタイムで皆さんにも知っていただき、一緒に考えていただければと思います。

 

*この記事はAPLA機関誌『ハリーナ』19号(2013年2月)に掲載されたものです。なお、『ハリーナ』バックナンバーは、最新号を除くすべての記事が無料でお読みいただけます。

映画紹介『バナナの逆襲』

2017年4月11日

監督:フレドリック・ゲルテン、WG FILM スウェーデン [第1話 2011年・87分][第2話 2009年・87分] 予告編

 

 

 

映画 「バナナの逆襲」は、ジャーナリストでもあるスウェーデン人のフレドリック・ゲルテン監督の「Big Boys Gone Bananas! *(ゲルテン監督、訴えられる)」第1話)と「Bananas! *(敏腕?弁護士ドミンゲス、現る)」(第2話)の二作品で構成されている。第2話が2009年、第1話が2011年に製作されているので、時系列では、ドミンゲス弁護士がニカラグアのドール・フード・カンパニー(以下、ドール)[1]のバナナ農園で働く労働者が農薬被害にあったと同社を訴えたあと(第2話)、その記録映画を公開しようとしたところ、今度はゲルテン監督がドールに訴えられる(第1話)、という流れである。あえて順番を逆にしてあるのは、観客の探究心をあおるためか。

使用禁止された農薬とバナナ農園労働者

ともあれ、物語の発端は第2話。オープニングに、高級車に乗った人物の登場。その派手なキャラクターに一瞬イヤな予感がよぎらないでもない。この人物は、強烈な個性が光るドミンゲス弁護士。しかし予感に反し、ドミンゲス弁護士は、危険性を知りながらドールが使い続けた農薬DBCPにより健康を害した労働者の存在を知り、立ち上がる。

ニカラグアのバナナ農園の様子は、フィリピンにある多国籍企業の日本輸出向けバナナ農園とそっくりである。広大な土地にバナナだけが整然と栽培されている風景。防護服などを身につけずに農薬を噴霧する低賃金労働者。あたかもフィリピンを描いているような錯覚に陥る。

労働者は農薬による健康被害を訴える。しかし、公害健康被害の問題とよく似ていて、訴訟を勝ち取るほどの因果関係を証明することは難しい。そのなかで、これなら証明できるとドミンゲス弁護士らが絞り込んだのがDBCPによる無精子症の被害であった。結局、ロサンゼルスの法定で、原告12人のうち6人の被害について会社側の責任が認められたが、ドールは上訴し、2016年2月時点では決着はついていない[2]。驚いたことに、DBCPは、1979年に製造中止され、1980年にフィリピンで使用が禁止されたのにもかかわらず、1986年までフィリピンのバナナ農園で使われていたという[3]。2009年、私はバナナの取材でミンダナオ島のバナナ労働者にインタビューを実施したことがあったが、無精子症の恐ろしい話は語り継がれていた。

 

裁判の様子を記録映画にし、ロサンゼルス映画祭コンペティションで上映しようとしたところ、ドールが主催者に上映中止を要求し、監督を名誉毀損で訴えた。この過程を描いたのが第1話である。監督はドールの脅しに屈する主催者とドールの両方と闘うはめに。不屈の精神をもつことがうかがえる監督ではあるが、さすがに憔悴していく。そんな監督に一筋の光が差し込む。母国スウェーデンのブロガーが「上映できないのはおかしい」と発信。世論を動かし、国会議員が議事堂で上映した。その後、第1話は世界各国の映画祭で受賞する。

バナナを食べる責任として

『ハリーナ』の読者には説明するまでもないが、映画に描かれる多国籍企業のバナナ農園における農薬使用と労働者の健康被害の問題は、日本でも注目されたことがある。1982年に鶴見良行氏が『バナナと日本人:フィリピン農園と食卓のあいだ』(岩波書店)を出版し、多国籍企業と結びついた権力者、低賃金で雇用される生産者、生産者の農薬健康被害の実態を明らかにした。それから30年以上が過ぎた。しかし、フィリピンのバナナ労働者をめぐる環境はあまり変わっていない。

例えば、フィリピンでは、スミフル・ジャパンにバナナを輸出している現地法人スミフル・フィリピンによる空中農薬散布に反対する運動が起こっている。住民は空中農薬散布による健康被害を訴えているが、因果関係を証明することは難しい。一方、農薬は農園以外にも散布され、風に乗って飲み水に混入し、飛行機の騒音が学校の子どもたちの学習の妨げになっている。私自身、こうした状況を目の当たりにして、両スミフルに対応策を要求しているが、現地からの情報によると大きな改善は見られないという。ゲルテン監督の行動力に勇気をもらった今、消費者の責任としても、引き続き改善を要求していきたい。しかし、日本輸出向けバナナのフィリピンにおける空中農薬散布の問題について、日本に動いてくれる国会議員はいるのだろうか。スウェーデンの状況がうらやましいばかりである。

石井正子(立教大学異文化コミュニケーション学部)

*この記事はAPLA機関誌『ハリーナ』33号(20116年8月1日発行)より転載したものです。

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[1] 日本の株式会社ドールとは資本関係はない。

[2] 毎日新聞(2016)「農民VS米大企業、映画にしたら訴えられた:「バナナの逆襲」フレドリック・ゲルテン監督に聞く」2016年2月29日。http://mainichi.jp/articles/20160229/dde/012/200/005000c(2016年6月9日参照)

[3] オルタートレード・ジャパン(2016)「アメリカで使用禁止の農薬をニカラグアで使い続けた企業の倫理的責任を問いたい:『バナナの逆襲』フレドリック・ゲルテン監督インタビュー」https://altertrade.jp/wp/archives/12135(2016年6月9日参照)

パレスチナ:オリーブの木、2000本が破壊される

2017年1月20日

パレスチナのオリーブオイルの出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)が、イスラエル軍によるパレスチナ人の暴力行為を止めるよう国際社会に呼びかけるアピールを出しました。

2017年1月16日、イスラエル当局は、104ドナム(1ドナムは約1ヘクタール)もの不法なイスラエル人入植地につながるバイパス道路を建設するため、カルキリヤ県のパレスチナ農民が所有する2000本のオリーブの木を破壊しました。一本一本のオリーブの木には、世代を超えたパレスチナ人の誇りが刻み込まれ、歴史そのものです。それが根こそぎにされたのです。

パレスチナ地図

2017年、イスラエル政府によるパレスチナ人の土地の接収や入植地の拡大は劇的に増加するだろうと用心しています。昨年12月23日、イスラエルの入植活動を国際法に対する「目に余る違反行為」であり、「法的正当性がない」とした国連安全保障理事会決議2334号(注1)が採択された後、イスラエル政府はその決議を順守するつもりはないと発表、さらに、エルサレムにおいて1506戸の住宅建設を認めることがあったため、尚更です。2016年も土地接収や入植地が前年より58%も増加したことは特記されるべきでしょう。イスラエル政府による土地接収の増加は、C地区(注2)に指定された土地のすべてを没収し、(イスラエルとパレスチナの)二国家共存を葬ろうとする極端な右翼政権の姿勢の一端が現れたものと言えます。

UAWCからのアピール:行動を起こしてください!
世界中の人権団体、活動家、社会正義活動団体に対して、イスラエルのパレスチナ農民や農業部門に対する暴力行為を終わらせるために声を挙げるよう求めます。

○ 土地接収に反対する声明を出す。
○ 国際社会の沈黙を破り、パレスチナ人を保護し、イスラエルの占領に終止符を打つよう行動する。
○ 各国イスラエル大使館前で、効果的な抗議行動を組織すること。
○ 入植地で生産された製品の不買運動、

注1:国連決議2334号関係情報 「国連安保理、イスラエル入植地非難決議を採択 米国棄権」
注2:オスロ合意で定められた、イスラエル政府が行政権、軍事権共に実権を握る地区

 

*なお、この破壊行為については現地の新聞、Palestine Chronicle でも写真付きで報じています。

Israeli Army Uproots 2,000 Ancient Olive Trees

(要旨)イスラエル軍は、西岸地区北部カルキーリヤ近郊のナビ・アリアス、アズーン、タビーブの3村で、パレスチナ人所有のオリーヴ収穫林一帯を「軍事閉鎖地区」に指定し、ブルドーザー多数を使い、果樹2000本の撤去に着手した。パレスチナ人や、支援のイスラエルの人権・平和活動家らは、オリーヴの木に身体を縛り付けて抵抗、イスラエル兵の排除により負傷者も出た。オリーヴの撤去は、近くのイスラエル人入植地へのアクセス道路工事のため。入植者らは、「通行の安全のため」バイパス道路を要請していた。樹齢500年の大木も抜き取られたという。(パレスチナ最新情報-JSRメルマガ20170118号より)

ラオスの師走

2016年12月20日

日本ではこの時期を「師走」と呼びますが、ラオスのコーヒー生産者もコーヒーの収穫と加工に大忙しです。

雨季とは一転、すっきりした晴れの日が続きます。

コーヒーは年に1度、収穫期がやってきます。ラオスでは乾季の12月頃、そのピークを迎えています。ラオスのボラベン高原でコーヒー生産で生計を立てている人びとにとっては、長い雨季を経て、コーヒーを収穫して売りに出せる、首を長くして待ちわびている時でもあります。今年は雨季が明けても雨が続いたり、気温が低かったりして実が赤くなるのがやや遅れている模様。コーヒーもやはり農作物、天候はいつも生産者の気をもみます。

生産者たちは、コーヒーの実を摘んで洗浄、赤い果肉を除去した後、中の種を水につけて発酵させます。その後何日もかけて乾燥させ、組合の倉庫でパーチメント(薄皮)を脱穀。

各村々で、コーヒーの赤い実(コーヒーチェリー)が熟しすぎて地面に落ちてしまう前に、総動員で収穫をしています。ふだんはのんびりしている村人たちも、てきぱき収穫収穫。

1年ぶりに使う脱穀機。洗浄するところから収穫シーズンが本格スタート。

しかもコーヒーの実は収穫後、すぐに果肉除去をして発酵させないと、品質に影響しまうので、時には夜遅くまで加工に時間がかかってしまう生産者もいます。

とにかく人手が足りないこの時期には、他の村から親戚や出稼ぎの人が、コーヒー摘みの仕事をしにやってきます。平野部の人たちが、ちょうど稲刈りを終えるタイミングで、ボラベン高原ではコーヒーの収穫が始まるのです。

村の外から出稼ぎにくる人たちは、おおよそ朝の8時から夕方16時くらいまで働いて、生産者の家に住み込みで1, 2か月を過ごします。

 

農村では、「この時期に他の村から出稼ぎに来ていたのが今の旦那さんだよ」、という話をよく聞きます。(ラオスは結婚後、男性が女性の家に身を寄せる事が多い。)

外の人とあまり関わることのない農村の社会では、コーヒーの収穫期は新しい出会いがある時間でもあります。

皆、年に1度のこの「赤」を待ちわびています!


忙しくも、活気のあるラオスの収穫期です。

 

商品三課 後藤翠

バナナ・プランテーションでの農薬空中散布を止めて! ~ドキュメンタリー・フィルム「毒の雨」(日本語版)~

2016年12月2日

フィリピン、ミンダナオ島にあるバナナ・プランテーションの一つで行われている農薬空中散布の問題を描いた衝撃的なフィルムです(約11分半、日本語字幕付き)。

舞台は南コタバト州ティボリ町。ティボリ町には、町名の由来となったティボリ族、オボ族、ビラーン族といった先住民族が人口の約70%を占め、標高の高い地域に住んでいます。彼らの多くはトウモロコシや米、野菜、根菜類などを生産する農民でした。2003年、現地資本のAMS社がプランテーション開発を計画すると、農地を25年間リースし、プランテーション労働者として働く道を選びました。このプランテーションは2009年、日系企業であるスミフルに経営権が移り、甘みがのった「高地栽培バナナ」として日本国内でも販売されています。

ティボリ町で空中散布が始まったのは2011年、町の中心部に近いエドワード村で始まりました。徐々に拡大する空中散布に対して、健康被害や暮らしへの悪影響を心配する住民の声が高まりました。このフィルムはダバオ市にある環境NGO、Interface Development Interventions Inc.(IDIS)が制作し、2015年6月9日、プランテーションにおける空中散布禁止法令制定を求めて、フィリピン政府下院環境委員会公聴会で上映されたものです。このフィルムで描かれている内容は、カトリック教会が、2014年9月、ティボリ町の3村で実施した医療調査ミッションの結果に基づいています。

調査では農薬の空中散布がもたらす健康被害や影響について、住民からさまざまな声が寄せられました。

    • 子どもを含む多くの住民が空中散布で飛散した農薬を浴びた経験がある。農薬により、腎臓、肝臓、呼吸器系の病気や頭痛、皮膚や目の病気などの症状が出ている。
    • 一つの村では2014年、3カ月の間に3名の死者が出ており、住民は農薬の影響を疑っている。
    • 水牛、牛、豚や鶏といった家畜、犬などが空中散布期間中に死亡した。
    • 住民は、汚染をおそれて自家栽培用野菜や果物を食べないようになった。
    • 子どもは農薬の飛散をおそれて屋外や校庭で自由に遊べなくなった。
  • 屋外に干した洗濯物も農薬の匂いがする。

住民は決して会社にこの土地を出て行けと言っている訳ではありません。雇用の機会を提供してくれている会社には感謝しているとさえ述べています。住民の願いはただひとつ、健康被害をもたらしている農薬の空中散布を会社に止めてもらいたい、ということです。空中散布の様子と住民の切実なアピールをぜひご覧ください。

去る9月、ATJは日米の研究者、生協関係者、そしてバランゴンバナナの生産者や出荷団体スタッフらとティボリ町を訪問しました。

セミナー「フィリピン・ミンダナオと私たちの今を考える 『バナナと日本人』で描かれた問題は現在、どうなっているか?」報告 

☆報告書は12月中にウェブサイトでアップします。

同行者のお一人、田坂興亜氏はアジア各国の農薬使用の実態や規制についての専門家です。
空中散布で使用される農薬は、シガトカ病の予防を目的とする殺菌剤です。労働者や住民の聞き取りから明らかになった農薬(図参照)について、田坂氏はこう説明します。

「私自身も日本代表を務めている国際農薬監視ネットワーク(PAN)は、健康被害の恐れが高い農薬をHighly Hazardous Pesticide(HHP)、高有害物質として指定して使用禁止を呼び掛けています。ここで挙げられた農薬のうち、プロピネブ以外の農薬はHHPに指定されたものです。さらに、マンゼブはEUが内分泌かく乱物質、いわゆる環境ホルモンに指定している農薬です。環境ホルモンは胎児の生殖器、免疫力や脳の発達に悪影響をもたらします。つまり、次世代にも被害がもたらされる恐れがあるということです。こうした危険な農薬が日常的に空から散布され、この下で暮らしている住民がいるということは大きな問題です。」

「毒の雨」の中で、住民の一人が「とくに被害を受けているのは子どもたちだ」と話しています。空中散布は、大気が安定している早朝から午前中に行われます。ちょうど子どもたちが通学したり、外で遊んでいる時間帯です。学校はバナナ畑に取り囲まれ、農薬が風に吹かれて学校に飛散している様子も見かけるそうです。9月訪問でもバナナ・プランテーションの真ん中を子どもたちが通学していました。(写真)

私たちも農薬空中散布の軽飛行機に遭遇しました。音がしたかと思ったら、わずか数秒後に頭上を通り過ぎていきました。幸いなことに、間一髪で農薬を浴びることはありませんでした(臭いは感じました)。各所に空中散布の日時を知らせる告知板が立っていましたが、そんなものがあっても逃げ切れないというのが率直な感想です。空中散布の怖さを身をもって感じた一瞬でした。

動画が再生されない場合はこちら(Facebookの投稿)をご覧ください。

ティボリ町の隣町、風光明媚な観光地としても知られるレイクセブ町にはバランゴンバナナ産地があり、生産者にはティボリ族も多くいます。2000年代前半、同町にもバナナ・プランテーション進出の計画が持ち上がりましたが、バランゴンバナナの出荷団体、高地アラー渓谷農事法人(UAVFI)代表のジェームズ神父らの活動により、進出を阻止した経緯があります。そして、2008年にはセブ湖流域で農薬の空中散布を禁止する町の条例制定にも関わっています。また、フィリピンで最も高いアポ山の中腹にあるマキララ町にもバランゴン産地があります。出荷団体のドンボスコ財団は、水源が汚染されることを防ごうと、EUの助成団体の支援を受けながら、バナナ・プランテーション拡大に長年反対してきました。

ミンダナオの生産者にとってバランゴンバナナは、まさしくプランテーションに頼らない生計の手段であり、コミュニティの環境を守るオルタナティブなのです。ATJは、そうした彼らの願いに寄り添って、ミンダナオの人びとの暮らしと健康、環境が守られるよう関わっていきたいと思います。

政策室 小林

バナナニュース261号:バランゴンバナナ産地紹介 ~北ルソン~

2016年12月2日

ルソン島北部にあるヌエバ・ビスカヤ州とイフガオ州は、バランゴンバナナの産地の1つです。この地域の人々はバランゴンバナナを「グヨッド」と呼び、昔から裏庭で栽培し、自家消費や地元の市場に販売していました。1996年からは、オルタートレード社(ATC)にバランゴンバナナを販売しています。

ソウミル村:バランゴンバナナ生産者

多くのバランゴンバナナ生産者はイフガオ族、イゴロット族といった先住民族で、他にイロカノ、ビサヤからの移民がいます。2015年は、バランゴンバナナの出荷数量全体の4.7%を占めている産地です。北ルソンのバランゴンバナナ産地はATCが管理をしており、バナナ栽培のサポート、持続可能な農業に向けたサポートなどを行っています。

バランゴンバナナ産地の中には、山奥に位置している産地もあり、険しい道を歩き圃場へ行く必要があります。

バランゴンバナナの生産者の多くは零細農家であり、バランゴンバナナから得た現金収入は、日用品(食品・衣服・石鹸など)の購入費用や子どもの学校までの交通費などに活用されています。ATCが2014年に行った調査では、他の産地に比べ総収入におけるバランゴンバナナの収入の割合は小さく、バランゴンバナナからの現金収入は全体の約9%です。

北ルソンは台風が上陸しやすい地域であり、2016年10月にも2つの台風が上陸し、特に台風22号(フィリピン名:ラウィン)の被害が大きく、2016年12月現在、バランゴンバナナの出荷を行うことができていません。バランゴンバナナ栽培を行っていく上で、様々な課題がありますが、台風被害は最も大きな課題の一つです。

アルフォンソリスタ:生産者ジョニー氏

一方でバランゴンバナナには大きな意義があると話してくれたのは、イフガオ州アルフォンソリスタ町のバランゴンバナナ生産者の1人であるジョニー氏。同地域は、「Corn Country」と呼ばれており、遺伝子組み換えトウモロコシのプランテーションが広がる地域ですが、「バランゴンバナナは、遺伝子組み換えトウモロコシに替わる作物になる可能性があると感じている」と話してくれました。

「バランゴンバナナは定期的な現金収入源だけではありません。例えば、化学合成農薬を使用せずに栽培しているので、作り手も食べ手も安心できるバナナです。また、バランゴンバナナを通じて、様々な人が繋がり、良好な関係を築き、生活の質の向上のため協力し合っています。」(北ルソン・バランゴンバナナ生産者ジョニー氏)

事業部商品一課 黒岩竜太

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バナナニュース260号:干ばつ被害からバランゴン復活!豊作です!!

2016年11月16日

大規模なエルニーニョ現象に伴う深刻な干ばつ被害から、バランゴンバナナの収量がようやく復活しました!産地の一つのミンダナオ島ツピ町に先月訪問してきました。ツピでは出荷量が昨年比の20%まで落ち込み(8割の減少)、バナナだけでなくココナツなど他のすべての農産物が被害を受けました。食事の内容を質素にする、よその畑で労働をするなどして、苦しい台所事情をなんとかしのいできたという生産者にも会いました。収量の回復のために、鶏糞などの施肥にも励んだとのことです。産地には活気が戻ってきています。
冬場はバナナの需要が落ちる時期ですが、生産者の苦労と喜びのつまったバランゴンバナナを是非みなさんご注文ください!!

ツピは今年の干ばつ被害を最も受けた産地で、出荷量は大きく減少しました。それが今ようやく回復してきています。
6月訪問時の様子はこちら

【バナナニュース256号】ミンダナオ島ツピの干ばつ被害状況

 

 

 

お米の代わりにバナナを食べました
ノノイ・スンカンさん(53歳)は、親から引き継いだ0.25ヘクタールの畑に、200本ほどのバランゴンとココナツ、カカオなどを混植しています。バランゴンはよく手入れされていて、立派に育っていました。ただ、5月までの干ばつの際は、収量が激減し、生活が大変だったとのことです。
「干ばつの際は収入が大きく減りました。他の人の畑で働いたり、大工の仕事をするなどして何とかしのぎました。日々の食事では、お米の量を減らしました。通常は三食ともお米を食べますが、当時は朝食をサババナナ(比較的干ばつに強い調理用バナナ)にかえました。ただ7歳になる一人息子には、三食ともお米を食べさせました。」
「夢は、子供を大学まで通わせることです。いい職に就いて欲しい。自分のように苦労してほしくないです。」
「冬に向けて日本のバナナの消費量が落ちると聞きましたが、畑ではようやく干ばつ被害から回復して収量が伸びてきています。美味しく安心・安全なバナナを届けられるようにしっかりと世話をしていますので、皆さん是非食べてください。」

見込みのない親株を切り倒した状態。アルバート・バラソンさんの畑(2016年6月)

見込みのない親株を切り倒した状態。アルバート・バラソさんの畑(2016年6月)

10月には、その脇芽は大きく成長していました。アルバート・バラソさんの畑(2016年10月)
10月には、その脇芽は大きく成長していました。アルバート・バラソさんの畑(2016年10月)

生活を節制した話は別の生産者からも聞きました。おかずを鶏肉から安価な魚の干物やギナモス(フィリピン風塩辛)にかえたり、炊飯器ではなく薪でご飯を炊くなどして節電したりなど。収入が少ないときは、それが普通だよと話してくれました。

 

安心・安全なバナナを育てたい
バナナは順調に回復していますが、多くの生産者の主要な収入源であるココナツの回復は1月以降のとのことです。現在収穫を迎えているココナツは干ばつ中に生育した実であるため、1本の木につく実の数が少なく、また1個あたりの重さも軽いとのことで、3割ほど収入が減少しているそうです。
それでも、6月に訪問したときに比べて、生産者やスタッフからは活気を感じることができました。

 

 

パーフェクト・クルスさん(2009年から出荷)は、昨年10月に作付けした450株のうち300株は一度も収穫を迎えないまま干ばつでダメになってしまいました。今回訪問した際には、6月に欠株になっていた場所に新たなバランゴンの苗が植え直されていました。また、生き残ったものの、干ばつの影響で通常より3-4か月生育が遅れている150株の収穫がこの12月から始まることを楽しみにしていました。
「バランゴンの出荷に携わる以前は、ココナツの木の下でパイナップルやパパイヤを農薬を使って育てていました。だけど、農薬は畑で働く人にも良くないし、土もダメにしてしまうことが気になっていました。また世界の多くの人もオーガニックな食べ物を求めていると思います。だから今はバランゴンを栽培しています。日本の皆さん、今後も安心・安全なバナナをがんばって栽培していきますので、これからもバランゴンバナナをよろしくお願いします!」

パッキングセンターにも活気が戻ってきています!

パッキングセンターにも活気が戻ってきています!

事業部商品一課 松本敦

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バナナニュース259号:バランゴンバナナ産地紹介~レイクセブ~

2016年10月25日

生産者が暮らしている山間の地域

ミンダナオ島南部の南コタバト州にあるレイクセブは、2006年からバランゴンバナナを出荷している産地です。標高は500m以上、高いところでは1,000m以上あり、住民の約65%はオボ族、ティボリ族といった先住民族、残りの35%が他島からの移民です。バランゴンバナナ生産者の多くも先住民族です。

レイクセブに住んでいる先住民族は元々狩猟採集生活を送っていました。ラタン(籐)採集、焼畑農法、炭作り、狩猟などで生活してきましたが、環境の変化のなかでそのような生活を送ることが厳しくなっていました。

バランゴンバナナの畑

先住民族にとって、バランゴンバナナの出荷は、新たな側面を持っています。安定的な販売先があるバランゴンバナナ栽培は、採集のために山奥まで出かける必要がなく、自分たちの家の近くで栽培ができる現金収入源であり、安定的な生活に寄与しています。

レイクセブの出荷責任団体であるUAVFI(高地アラー渓谷農事法人)は、バランゴンバナナ交易を通じて次のようなことを目指しています。

① レイクセブの自然環境を守る
② 先住民族の生活の向上
③ 多国籍企業のプランテーションのレイクセブへの進出拡大を防ぐ

一方で、レイクセブは山間部に位置しているため傾斜もきつく、雨季になるとバナナの集荷に困難を生じます。また、これまで栽培経験のない先住民族の生産者にとって、栽培技術を習得することにおいては課題もあります。元々狩猟採集生活を送ってきた先住民族にとって、作物をしっかりと手入れし、栽培することは大きなチャレンジであり、UAVFIスタッフも現場で生産者に指導・サポートしながら、バランゴンバナナ栽培に取り組んでいます。

ロバート・スランさん
「私はレイクセブでバランゴンバナナ民衆交易が始まった2006年からオルタートレード社にバランゴンバナナを販売しています。バランゴンバナナから得た現金収入で日用品を買うことができ、大きな助けになっています。また、子どもが学校に通うための交通費、お小遣いなどにも充てています。」

ボイエット・マドロンさん
「私はバランゴンバナナ生産者であり、また生産者のサポートを行っている現場スタッフでもあります。バランゴンバナナから得た現金収入で、私たち生産者は日用品の購入、学校に通うための子供のお小遣いを工面することができています。これからも品質のいいバランゴンバナナを作るよう努力しますので、バランゴンバナナを継続的に購入してください。」

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【イベント案内】10月21日「パプアのカカオ・チョコレート」学習会

2016年10月13日