投稿者: kobayashi
【パレスチナ】 UAWC職員ファラージさんの行政拘禁が再度延長に
パレスチナから大変残念なお知らせがありました。オリーブオイル出荷団体のひとつ、UAWC職員であるアブドゥル・ラゼック・ファラージさん(53歳)の行政拘禁が再度4ヵ月延長されました。
2014年2月25日に拘留されたファラージさんは、拘留期限となる同年8月に6ヶ月、2015年2月に4ヵ月の拘禁更新が言い渡されていました。これが実に3度目の拘留延長です。UAWCは今回の延長が最後になり、10月には釈放されるだろうと話していますが、本当にそう願うばかりです。
ファラージさんの拘留延長は、パレスチナで政治犯を支援するNGO、Palestinian Prisoners Solidarity networkのウェブサイトでも報道されています。
Palestinian writer and land defender Abdul Razeq Farraj’s administrative detention renewed
ファラージさんや家族の状況がわかりましたら、ご報告させていただきます。
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(注)行政拘禁とは理由も明らかにせず、起訴なしで拘留する制度です。イスラエルの人権団体、B’Tselemは、国際法では市民に危害をもたらすおそれがある場合の最終的な手段としてのみ執行が認められていますが、イスラエルはこの制度を濫用し、過去数年間で何千人ものパレスチナ人に適用しているとしています。Palestinian Prisoners Solidarity networkによると現在でも400名を超えるパレスチナ人が行政拘禁されているそうです。
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(政策室 小林)
【バナナニュース244号】ジェイムスさんの今! ~よりよいバランゴンバナナを届けるための挑戦~
ジェイムスさんの仕事
2013年9月に来日したジェイムス・シモラさんは、ミンダナオ島のバランゴンバナナの産地の1つであるレイクセブで、バランゴンバナナの出荷責任者を務めています。現在はバランゴンバナナの収穫から買付、箱詰め、出荷までの全工程を管理しています。
「日本に行ったことにより、消費者を含めた、バランゴン交易全体を理解することができました。また、品質・数量の大切さを日本での交流を通して実感することができました。日本人は規律をしっかりと守るだけでなく、訪問したセットセンター、倉庫、追熟ムロなどでは、衛生管理がしっかりとされていました。」
日本での交流後、ジェイムスさんは日本での経験をレイクセブの生産者に共有し、品質及び安全面の重要性を生産者に伝えました。より品質の良いバナナを作るため、バナナの手入れに関する研修も改めて行いました。また、買付時点及び箱詰め時点での廃棄を減らすために、収穫後の運搬方法の向上にも取り組んでいます。
「バランゴンバナナの収穫及び運搬の見直しを行うことで、廃棄されるバランゴンバナナが減りました。また、雨季に比べると乾季はバナナ1本1本もより大きく育ち、病虫害被害も減少し、出荷数量が増えます。」
日本での交流会について
「生産者と消費者の交流は、お互いの経験を共有し、学び合える場であり、強固な関係性を築いていくために必要です。私は日本での交流会で、先住民族であるレイクセブの生産者が直面している課題や希望を消費者の皆さんに話しました。私たちの知識、経験を交流会では共有することができ、バランゴンバナナ栽培の難しさについて消費者の皆さんにお伝えすることができたと感じています。」
「また、交流は日本の消費者の皆さんにとっても新たな発見があったのではないでしょうか。例えば、バナナがどのように育つのかを知るなど。日本の子供たちが、バナナを描くように言われ、大きな木にバナナがなっている絵を描いたことを今でも覚えています。生産者と消費者の交流は、バランゴンバナナで繋がっている異なる人々が、交流を通してお互いの経験を共有し、お互いの理解を深めていく場であると感じています。」
日本の皆さんへのメッセージ
「レイクセブの生産者を代表して、バランゴンバナナを買い続けて下さっていることに、感謝の意を表したいと思います。長年、バランゴンバナナを買い続けて下さり、ありがとうございます。消費者の皆さんの協力がなければ、私たちの努力が無駄になってしまいます。
日本での交流が、お互いの関係の強化に繋がり、今後も私たちの関係が続いていくことを望んでいます。」
取材・まとめ 商品一課 黒岩竜太
読者アンケート
よろしければ、このニュースを読んだ感想をお聞かせください。生産者へのメッセージは生産者に伝えていきます。よろしくお願いいたします。
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報告:公開セミナー「バランゴンバナナの民衆交易はどこまで生産者の自立に寄 与できるのか」
6月20日(土)午後、公開セミナー「バランゴンバナナの民衆交易はどこまで生産者の自立に寄与できるのか~フィリピン産地調査報告~」が立教大学池袋キャンパス(東京都豊島区)で開催されました。
ATJとNPO法人APLAは昨年、日本で出回るバナナの90%以上を占めるフィリピンバナナを通じてフィリピンの人々との関係はどうあるべきか、を探る目的でバナナ調査プロジェクトを立ち上げました。
プロジェクトの一環として、2014年度は3名の研究者に委託してバランゴンバナナ産地の実地調査を実施しました。このセミナーは、調査で明らかになった産地や生産者の状況、提言を研究者より報告してもらうために開かれました。
〇調査報告① 関根佳恵氏(愛知学院大学)「未来をつむぐバランゴンバナナの民衆交易~コタバト州マキララ町を事例として」(調査地:ミンダナオ島マキララ)
〇調査報告② 石井正子氏(立教大学)「ミンダナオ島の先住民族がバラゴンバナナを売ること、とは?」(調査地:ミンダナオ島レイクセブ)
〇調査報告③ 市橋秀夫氏(埼玉大学)「ネグロス島バナナ栽培零細農民と『自立』論」(調査地:ネグロス島東ネグロス州)
各調査結果から、バランゴン民衆交易の次のような意義が浮かび上がってきました。
経済的意義:バランゴンバナナは定期的に安定した現金収入を得られる収入源の一つとなっており、必要としている生産者は多い。しかし、暮らしが十分豊かになるまでには至っていない。
社会的意義:ミンダナオでは民衆交易がプランテーション進出を阻止し、農民が労働者になることを食いとどめている。また、先住民族の暮らしを開発から守る機能を果たしている。アグリビジネにはできない「安全・安心」「環境保全」「民衆の食料主権」といった価値を具現化している。
一方で、インフレが続くフィリピンで生産者からの買取価格引き上げが急務である、萎縮病(バンチートップ病)などの病害が深刻で、有効な対策が講じることができていない地域がある、などの事業上の課題も指摘されました。
そして、もっとも本質的な問題として研究者から提起されたのは、民衆交易の理念、意義やミッションなどについて関係者(生産者、各産地の生産者支援・出荷団体、ATC、ATJ、消費者)の共通理解が十分確立できているとはいえない部分があることです。詳しくは後日発表する報告書の中でまとめる予定ですが、バランゴンバナナが持ちうるもっと積極的意義があるのにそれが生産者に認識されていなかったり、また逆に日本の消費者もバランゴンバナナを食べることのメリットを感じてもらえていないケースもあると指摘を受けました。
バランゴンバナナの民衆交易には現在以上にさまざまな意義を作り出しうる余地があることが指摘されましたが、それは逆にいえば、商品としてのバナナの価値である以上に、バランゴンバナナが持つ「社会的品質」(そのバナナが作り出すさまざまな関係、環境的、社会的価値などを含む品質)がまだまだ十分開発されていないということになります。
商品を超えたそうしたバランゴンバナナの持つ特性は単に売ると買うだけの関係では成立せずに、積極的に学び合う互いの絶え間ない活動なしにはなりたちません。ATJはバランゴンバナナ民衆交易に関わるすべての人びとと共に、こうした価値を再構築していくことで、この問題提起を受け止め、今後の活動・事業に生かしていきたいと考えております。
なお、本セミナーの報告書は8月までに制作、公開する予定です。
政策室 小林和夫
パレスチナ雑記② パレスチナとオリーブ
最近、イタリアのオリーブの樹が「ピアス病菌」という細菌によって大量に枯死している、という話題が上っています。イタリアは、スペインと並んで世界有数のオリーブ産地であり、イタリア産と表示されたオリーブオイルは、日本に輸入されているオリーブオイルの約半分を占めるとも言われています。なので、このまま被害が拡大すると、今後の日本のオリーブオイル供給量や価格、そして速水もこみちの生活にも影響が出てくるかもしれません。
パレスチナも地中海沿岸に位置する土地でありますので、心配になって状況を聞いてみましたところ、「全く問題ない」とのこと。今年は花の咲きもいい感じだそうで(オリーブの花期は、毎年5-6月頃)、このまま順調に行けば、良いオリーブオイルが採れそうであるとのことでした。この後花が落ちて実が成り、その実が熟し始めて色が黒っぽく変わり始める10-11月頃が、収獲の時期となります。
さて、そんなオリーブは今から6,000年程前にパレスチナ周辺で栽培が始まったと言われます。元々、ジェリコなど「世界最古の街」を標榜する土地でもありますので、そういう人たちが始めたということなのではないでしょうか。以後、花粉や種が風に乗ったり鳥に運ばれたりしたことで、オリーブが地中海沿岸に広がっていったそうです。
それ以前は脂肪と言えば動物由来が一般的だった中、常温で液体のオリーブオイルは、非常に重宝されました。食用はもちろん、皮膚を守るために体に塗られたり、灯りを取るために燃やしたり、香油や媚薬の溶媒にしたり、石けん等の原料として使ったり、まことに多岐にわたる用途があり、現在に至っています。また比較的堅い質感を持つオリーブの木は道具作りにも重宝され、現地の至る所で木工品が売られています。(ナザレのイエスは、よく「キリスト」と呼ばれますが、これは「油を注がれたもの」の意味を持つ「メシア」というヘブライ語をギリシア語訳した言葉から来ているそうです。この油=オリーブオイルと言われます。昔からオリーブオイルは、聖なる油としての神秘的な位置付けもなされていたことがわかります。)
実際にヨルダン川西岸地区を車で走ると、日本の田んぼのような感じで(風景は全く違いますが)丘陵地帯にはオリーブが広がり、走りながら地図を見ると、至る所に「オリーブ」を意味するZeit~という地名が見られ、休憩のために立ち寄ったレストランではオリーブオイルはジョッキに入って机の上に置かれ、そのオリーブを搾るための搾油所では使用料は搾ったオリーブオイルから天引きされるらしい、という具合に、至る所でオリーブが活躍していることがわかりました。パレスチナ人にとってのオリーブオイルは、単なる食品を越えた、民族の根幹を成す生活の潤滑油といって差支えありません。
ヨルダン川西岸地区で最も多く栽培されている品種は、「ナバリ」と呼ばれるもの。日本で良く見るイタリアやスペイン産オイルではあまり見られない品種で、現地の人が、古い樹を「ナバリ・バラディ(バラディ=地元のもの、みたいな意)」と地元愛を込めて呼んでいるのが印象的でした。地方によって異なるようですが、樹齢数十年~数百年程度のものまで、幅広い年齢層の樹が育てられています。多くの生産者は、代々オリーブ栽培を営んできた人々。いくつかの村を訪問しましたが、本当に長閑な雰囲気でした。「パレスチナ」と聞くと、どうしても紛争地帯と言うイメージを抱きがちですが、本来はこのような人々の暮らしが当たり前にある土地であることを再認識させられました。

Al Zawiye村の協同組合長、イスマエルさん宅でごちそうになったパレスチナ料理。生地から滴るほどにオリーブオイルが使われていたが、食べてみるとそれほど脂ぎっているわけではなく、むしろシンプルで日本人の口に合う美味しさ
事業部商品二課 若井
【パレスチナからのアピール】スシア(Susia)村が、完全破壊と強制的退去の危機にさらされています。
パレスチナのオリーブオイルの出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)は、ヘブロン南部に位置するパレスチナ人村であるスシア村の家屋取り壊しと、そこに暮らす約350名の村人全ての強制退去を認めるイスラエル最高裁判所の判決を凍結するように求めるアピールを出しました。
【アピール】 スシア(Susia)村が、完全破壊と強制的退去の危機にさらされています。
[box type=”shadow”]5月の第1週目、イスラエル最高裁判所はイスラエル軍に対し、(ヨルダン川西岸地区)ヘブロン南部に位置するパレスチナ人村であるスシア村の家屋取り壊しと、そこに暮らす約350名の村人全ての強制退去を認める判決を出した。この非道な行為は、このスシア村の土地に建設されたイスラエル人入植地に住む入植者が、2015年1月に同じヘブロン南部にあるマサファー・ヤタ(Masafer Yata)村の農民が持つ345本のオリーブの樹を切り倒した事件に端を発している。
報道によると、2015年5月5日、スシア村が提示した基本計画を民政局(Civil Administration)が却下したこと、及びその後に予定された村全体の建築物取り壊しに反対する嘆願書を始めとした同村による仮命令の要求について、最高裁判事のノーム・ソルベルグ(Noam Solberg)が否決したとされている。
このようなイスラエルの暴挙は、1948年5月、(パレスチナ人にとっては)「ナクバ」=災厄として記憶されている出来事と同時期にさかのぼる。このナクバによって、数十万ともいわれるパレスチナ人が、イスラエル軍によって住まいを追われ、強制退去させられた。さらに500以上のパレスチナ人村を力づくで空っぽにし、結果として80万5千人以上のパレスチナ人は、他のパレスチナの都市や周辺アラブ諸国、及び西欧諸国へ逃れて難民となった。
スシア村村民の自分たちの土地を守る闘いは、村が考古学上の遺跡として認められ、その土地が(イスラエルによって)差し押さえられ、その土地の洞窟で暮らしていた人々が追い出された1986年から始まった。パレスチナ人がそのような遺跡に住むことが許されないと告げられた一方、イスラエル人入植者が遺跡内の違法開拓地(outpost…入植地の前段階のような集落)へ住み始めた。その時以来、スシア村の人々は、もともと住んでいた土地にごく近い場所で暮らしてきた。しかしながら、彼らが住んでいるその土地はC地区(警察権も行政権もイスラエルが握る)であり、住宅の建設はおろか、単純なテントを張ることすらイスラエルの許可が下りず、絶えず取り壊し命令に晒されてきた。イスラエルがC地区におけるパレスチナ人による90%の計画申請を拒絶してきていることは特記するに値する。その一方で、国際法違反を一顧だにせず、パレスチナ人の土地におけるイスラエル入植地は継続的に拡大している。
私たち署名団体及び署名者は、このスシア村に対する徹底破壊と住民の強制退去というイスラエルの暴虐極まりない命令を凍結させるために、速やかな国際社会の介入を求めます。また全ての人権団体、活動家、社会正義運動に対し、イスラエルによるパレスチナ人農家と農業部門への暴力を終わらせるよう、声を上げることを呼び掛けます。「違法な入植地を建設するための土地の接収」「住民の強制退去」「オリーブの引き抜き」「物理的攻撃及び言葉による攻撃」そして「農業設備の破壊」…これらすべての非道な行為に対し、NOを突き付けて下さい。[/box]
UAWCは下記URL(英語)で賛同署名を集めています。みなさんの応援の気持ちをぜひパレスチナの農民に届けてください!
賛同方法について
①UAWCのウェブサイト(英語)にアクセスしてください。アピール内容は上記のとおりです。
Susia Village is threatened with complete demolition and forcible displacement
②下部にある「Support」をクリックすると署名欄につながります。
③記入方法について
Please Fill The Following To Support The Farmers (農民を支援する方は次の欄にご記入ください)の下にある各項目にご記入ください。
Full Name(氏名)
E-mail(メールアドレス)
Organization(所属団体)
Job Title(役職)
TEL(電話)
FAX(ファックス)
Celluler(携帯番号)
必要と思われる項目のみで結構です。また、所属団体の後ろにJapanと付記していただくと日本からの賛同だとわかります。
【バナナニュース243号】マカオさんは今!~日本での交流が役立っています~
2012年9月に来日したネグロス島パンダノン村のバランゴンバナナ生産者であるウバルド・マカオ・セラルボ(通称:マカオ)さん。2013年7月にパンダノン村のバランゴンバナナ生産者協会の副委員長に選出されました。現在は、自分の畑の手入れだけでなく、副委員長として生産者協会の活動にも積極的に取り組んでいます。
パンダノン村のバランゴンバナナ栽培
日本での交流後、バランゴンバナナの作付け拡大に取り組んでいるマカオさん。しかし、病害被害を受け、出荷数量は思ったように増えていないとのこと。また、日本での経験を他の生産者にも伝えています。他の生産者は、マカオさんの経験を通して、バランゴンバナナが日本でどのように食べられているのかを知ることができ、消費者に必要とされていることを実感することができているとのこと。その結果、パンダノン村でのバランゴンバナナの作付けは増えています。
「日本でお会いした消費者の皆さんに、バランゴン栽培に力を入れ、出荷数量を増やしていくことを約束しました。帰国後、バランゴンバナナの作付けを拡大したのですが、病害被害が広がり、バナナの数量を増やすことが出来ませんでした。皆さんとの約束を守ることが出来ず、大変申し訳なく思っています。
私を含めたパンダノン村のバランゴンバナナ生産者は、病害被害などといった困難がありますが、今後もバランゴンバナナの作付け拡大に取り組んでいきます。」
マカオさんが行っている農業
日本の農家との交流が、農業技術の向上に繋がったと語るマカオさん。
「日本に行く前は、知識ではなく経験のみに基づいて農業をしていた。日本で訪問した地域から、お米や野菜を植えるには、土作りが非常に重要であるということを学びました。作付けの前にしっかりとした準備をすることが、非常に重要。また、農家は細かなことにも気を配ることが大切だということを日本の農家との交流を通して学ぶことが出来ました。」
以前は水牛(カラバオ)で土を耕していましたが、現在は購入した耕耘機で土地を耕しています。「水牛に比べ耕耘機は早く簡単に土を耕すことができる。例えば水牛で15日かけて耕していた土地も、耕耘機であれば6日で耕すことができる。」と説明をしてくれたマカオさん。
また、マカオさん一家の主収入源はサトウキビですが、2012年からサトウキビを、マスコバド糖製糖工場(ATMC)に販売しています。2012年からオルタートレード社(ATC)のサポートを受けながら、有機栽培への転換に取り組み、現在作付けを行っているサトウキビから有機認証を取得することが出来ました。
「慣行栽培であれば、1ha当たり8袋(約50㎏/袋)の化学肥料で足りるが、有機転換の1年目は、マッドプレス(製糖過程で出る有機資材)、石灰、リン鉱石などといった有機肥料を多く畑に投入しなければならず、畑での仕事が増え、大変だった。2年目、3年目は畑の土の質が良くなり、1年目に比べると有機肥料の投入量も少なくなった。」
家族も増えました
2013年5月に9番目の子供であるズゥイちゃんが産まれ、子育てにも奮闘しているマカオさん。また、息子の1人であるマルジュン君は、2012年に約6ヵ月間、カネシゲファーム・ルーラルキャンパス で有機農業の研修を受け、現在はマカオさんと一緒に農作業を行っています。
「カネシゲファーム・ルーラルキャンパスの研修でマルジュンの農業知識は増えたが、まだまだ私がマルジュンに農業を教えているよ」と笑いながら話すマカオさん。
最後にマカオさんからのメッセージです。
「この間、産地及び日本で積み重ねてきた交流を通して、素晴らしい関係を築くことができています。私たち生産者にとっては、消費者の皆さんとの交流は、生活の一部になっています。」
カネシゲファーム・ルーラルキャンパスの詳細に関しましては、APLA(あぷら)のウェブサイトをご確認ください。
http://www.apla.jp/activities/negros-philippines/kf-rc
取材・まとめ 商品一課 黒岩竜太
読者アンケート
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【バナナニュース242号】伝統的な箒が作られている村、カンルソン
西ネグロス州の山奥にあるバランゴン産地であるカンルソン村。主に自給用に植えられている、美しい水田が見受けられるこの村では、タイガーグラスと言うススキのような草の穂を束ねた伝統的な箒が手作りされています。柔らかく扇のように広がるこの草は、箒に適しています。フィリピンでは一般的に、家の外回りの掃き掃除を行う時にはヤシの葉の芯を束ねた箒(ティンティン)を使い、室内の掃き掃除の時には、タイガーグラスを束ねた箒を使います。
カンルソン村の人々の主な収入源はこの箒作り。タイガーグラスの収穫期を迎えると、道端でタイガーグラスを乾燥させている風景を目にします。タイガーグラスの収穫は年に1回。約1,000本の草から約30本の箒を作ることができます。生産者によって収穫量は異なりますが、年に約30,000~60,000本のタイガーグラスを収穫することができ、箒を作っています。1本1本、丁寧に手作りされた箒は、1本約40ペソ(2015年4月時点のレートで100円強)で販売されますが、コストが約10ペソかかるとのことです。
箒作りが主な収入源ではありますが、タイガーグラスの収穫が年に1回。そのため、定期的な現金収入を確保する必要があります。その役割を担っているのがバランゴンバナナ。ATCはカンルソン村に2週間に1回、バランゴンバナナを買いに行っています。生産者によってバランゴンバナナからの収入源は異なりますが、平均すると生産者1人あたり、約450ペソの現金収入を2週間に1回、バランゴンバナナから得ています。タイガーグラスやお米の収穫がない時には、バランゴンバナナからの定期的な現金収入は非常に重要であると生産者は話します。
ただし、カンルソン村も昨年の台風21号(現地名:クイニー)で大きな被害を受けた産地の1つ。台風クイニーにより、実をつけていた収穫間近なバナナが約4,400本倒れ、多くの生産者の収穫量が約1/4程度に減少してしまいました。今はタイガーグラスの収穫時期ですので、箒からの収入を得ることはできていますが、やはりバランゴンバナナからの現金収入が無くなったことで生活は厳しくなったと生産者は言います。
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台風クイニー後は、バンチトップ病という病害被害も広がってしまいましたが、ATCと一緒に、病気の拡大を防ぎながら、バランゴンバナナの回復に努めています。
オルター・トレード社(ATC)が直販店「フェアトレードプラス」を開店~フィリピン、バコロド市~
2014年12月8日にオルタートレード社の本社敷地内にオープンしたフェアトレードプラス(※)。その名前にはフェアトレードを超えた取り組みをしていくという意味が込められています。開店式典には、オルタートレード社のスタッフだけでなく、オルタートレード社と関係を持っている生産者、地方政府・州政府の代表、オルター・トレード・ジャパンの社員も参加しました。
同店で一番売れているのはパナイ島アンティケ州で作られているタブレア。タブレアとは、カカオの塊のタブレットで、フィリピンではそれを溶かしてホットチョコレートを作ります。勿論マスコバド糖、マスコバド糖を製糖する際にできるダマを集めたマスコロックも販売しています。
それ以外にもミンダナオのバナナ出荷団体のひとつ、ドンボスコ財団が扱うお米(黒米・赤米を扱っています)、ミンダナオ、コタバト州で有機農産物とその加工品を扱うカブロンファームのチョコレート、ジャムなども。また、お店にはバランゴンバナナ生産者が作ったトマト、キュウリ、レタス、サヨーテ(はやとうり)と言った農産物も販売しています。農産物の扱いはまだ少ないですが、今後取扱数量を増やしていきたいとオルタートレード社は考えています。
フェアトレードプラスの月間の売上目標は10万ペソ(1ペソは約2.7円)。1月から3月の3ヵ月間の平均売り上げは約8.8万ペソと売り上げ目標にはまだ達していません。
食べ物以外にも、フェアトレードプラスでしか買えないオリジナルTシャツ、バランゴンバナナ産地であるミンダナオ島レイクセブの民芸品も販売しています!様々なものを扱っているフェアトレードプラス。ネグロスに行く機会がありましたらぜひお立ち寄りください!!
(※)フェアトレードプラスがめざす5つのこと
①社会的責任を果たす消費生活を推奨する。
②小規模生産者に対して販路を提供し、モノの販売だけでなく、そのモノの背景にある生産者の物語も伝えていく。
③小規模生産者と、社会的責任を意識する消費者を繋げる。
④ファアトレードやオルタナティブトレードを推進し、オルタートレード社(ATC)ブランドを強化する。
➄持続可能な農法で生産された健康的な農産物を広める。
【バナナニュース241号】台風ヨランダ復興支援完了報告
2013年11月にフィリピン中部を襲った台風30号(フィリピン名:ヨランダ)には、日本、マスコバド糖でつながる韓国、ドイツ、フランス、スイスの生協、フェアトレード団体から多額の募金が寄せられました。日本国内で集まった義援金のうち21,248,616円が、オルター・トレード社(ATC)により、パナイ島、ネグロス島、ボホール島のバランゴンバナナやマスコバド糖用サトウキビの生産者に対して緊急支援(食料は一般住民にも配布)と産地の復興支援に活用されました。
このうち、もっとも被害が大きかったパナイ島での163名のバランゴン生産者に対する復興支援活動を写真でご紹介します。
○バナナ生産復興のためにバナナの苗22,700本、元肥として鶏糞112トンとマッドプレス(サトウキビの搾りかす)40トンを配布しました。
○倒伏したバナナを片付けるためにシュレッダー(裁断機)1台、生産者全員にボロ(山刀)を支給しました。このほかにも各産地にバナナを植え付けるための鋤が配布されました。
○バナナ生産に効果が高いと言われているミミズ堆肥(家畜の糞やバナナの茎など植物の残渣をミミズに食べさせてその糞を有機肥料とする)を、生産者たちが自分たちで生産できるように小規模プラントを設置し、技術研修を実施しました。
○自家消費用として、かぼちゃ、大根、オクラ、ニガウリなどの種を配布しました。収穫できるまでの1年間、バナナからの収入は期待できないので、2-3ヶ月で育つ野菜は貴重な食料となりました。
○せっかく植え付けたバナナの苗も雨水頼りの地域では枯れてしまうケースがありました。そのため、農業用水の確保が課題として挙がってきました。その対策として手押しポンプや自転車揚水型ポンプ計9基を設置し、地下水を汲み上げて農業用水として利用することができるようにしました。
〇バラサン町サルバシオン村では太陽光パネルを使った灌漑用水システムも設置しました。初期投資はかかりますが、一定規模の用水量を確保でき、その後の維 持費が安く環境にも優しいためパイロット事業として施工しました。太陽光で地下水を汲み上げて丘陵地にあるタンクに貯水し、パイプで畑に水を送る仕組みです。これにより約20世帯が恩恵を受けることができる見込みです。
〇フィリピンの農村ではサルバシオン村のように電気や水道などのインフラが整備されていない地域がまだ広く残っています。水は飲料水として、電気は家庭の照明、ラジオやテレビ、携帯電話の充電などに活用されるなどライフラインとしても貴重です。
生産者の努力により回復したバランゴンバナナ生産ですが、残念ながら昨年11月に台風により再度被害を受けてしまいました。しかし、ミミズ堆肥プラントや灌漑施設、ソーラーパネルは現在も稼働しています。
【わたしたちのカカオ日記】「カカオキタに悪い豆は恥ずかしくて出せないよー。」~2015年収穫シーズン始まる~
チョコラデパプアの産地、インドネシア・パプア州ジャヤプラ県では2015年の幕開けとともにカカオも収穫シーズンに入りました。
今日はパプア州のデムタ郡にあるカカオ村へ買い付けに向かいました。
デムタ郡はジャヤプラ県北海岸にあり、前面に海、後ろに森があり、魚も野菜もカカオもある恵まれた地域です。パプア州で共に活動している「カカオキタ(みんなのカカオ社)」は昨年後半よりこの地域にある4つの村で買付をしています。
午前7時カカオキタ社の事務所を出て、現地到着午前10時30分。行程の半分は舗装していないデコボコ道でたっぷり3時間はかかるところです。
この地域は集荷人を置いておらず、カカオキタのスタッフが直接生産者から乾燥豆を買うというシステムです。個々の生産者とコミュニケーションしながら買付すると時間はかかりますが、生産者とのおしゃべりは活気に溢れ、売る人・買う人がお互い心を通わせることを実感できる大切なプロセスです。
今日も、カカオキタの男性スタッフ・メナセさんがカカオ豆からチョコを作った話をしたことをきっかけに、女性たちを中心にチョコづくりの話で盛り上がりました。「チョコづくり講習会、ぜひぜひやって!!」とメナセさんに迫る女性たち。メナセさんも、もう後には引けませんねー!
デムタ地域でカカオ生産している村々は、カカオキタのフィールドスタッフ、ヨセフさんの管轄地域なので、ヨセフさんの指導が生産者に行き届いているようです。生産者のひとりは、「カカオキタに悪い豆は恥ずかしくて出せないよー。」と言っていました。ただ、発酵箱を持っている人がいなく、発酵度合はまちまちです。発酵箱や乾燥台を作り、より良いカカオ豆加工ができるよう産者に呼びかけたいと思います。
この日は4つの村(ムリス・ブザール、ムリス・クチール、アンボラ、ヨウガスパ)から合計110キロの乾燥豆を買付ました。長雨が続いたせいで、収穫量はまだ少なめということです。
今後、一次加工講習会、お菓子講習会などプログラムを実施して、生産者との関係づくりをさらに進めていきたいと思います。
カカオ産地担当 津留歴子
念願だった野生バナナを食べる
バナナの原産地は東南アジアと言われており、フィリピンの山奥に行くと種のある野生のバナナがまだ残っています。今回、ネグロス島の山奥にあるマンティケルという産地に行ったのですが、そこにはパコール(Pakol)と呼ばれている野生の種ありバナナがたくさんあります。土壌流出を防ぐために植えているそうです。
パコールを食べてみたい!とATCスタッフにお願いすると、「鳥かサルしか食べないよ」って笑われましたが、移動中に熟しているパコールがないかどうか探してくれました。そして、念願の熟した野生のバナナを発見!
マンケティル村はネグロス島の最南部、国道から凸凹道を3~4時間程度走った標高400~600mに位置します。電気も通ってなく、携帯の電波も入らない辺鄙な地域。個人的にはすごく好きな産地でした。治安の関係でATJ含め、日本人が行ったことがない産地だそうです。
いつかは食べてみたいと思っていた野生のバナナをついに食べることができました。感想は・・・・一口食べるだけで、口の中が種でいっぱいになり、とても食べづらいです(笑)食べるというより種をしゃぶる感じです。
種のないバナナは突然変異によって出現し、それがいろんな国に拡がっていったと聞いていますが、種のないバナナが拡がった理由がわかりました。
ちなみに、パコールは病害や強風被害に非常に強いそうです。やっぱり野生の作物は生命力があるのだなと話を聞いて感じました。
フィリピン駐在 黒岩竜太
【バナナニュース240号】度重なる台風にも負けず~東ネグロス州バナナ生産者~
昨年11月28日、台風21号(フィリピン名:クイニー)がネグロス島中部を横断し、東ネグロス州では、バナナ全体の約20%にあたる約18,000本が倒伏してしまいました。昨年シリーズで紹介したボイ・カトウバイさんが住むロウアカンダボン村でもバナナ全体の約30%が倒れてしまいました。
2013年11月の超大型台風ヨランダでは若いバナナの木も茎から折れたため、回復には1年程度の時間がかかりましたが、今回被害を受けたのは実を付けたバナナだけ。3-4ヶ月後には次の世代のバナナが成長し収穫できる見込みのため、生産者も大きく落胆しているわけではありません。
ホメルさんは2008年からバランゴンを出荷している生産者。作付拡大に取り組み、バナナの手入れも丁寧に行い、バランゴンを3,000本まで増やしてきました。しかし、台風によって毎週1,500本程度の出荷量が半減してしまいました。ホメルさんの収入のほぼ100%がバランゴンからです。半減は大きな打撃ではあるものの、主食であるトウモロコシと野菜は自給できており、買うのは干し魚、コーヒー、調味料程度なので何とかしのげるとのことでした。
ATCは倒伏した約18,000本の植え替え用苗の植え付けに際して1本あたり6キロの鶏糞を配布して、生産者が早くバナナ生産を復興できるように支援しています。これにより7-8月頃には台風前の生産量まで回復できる見込みです。
近年、フィリピンでは大型台風が度々発生しています。また、進路が南下しミンダナオ島を通過したり、発生期間が長期化するなど異常気象の影響が及んでいると考えられています。
台風以外にも、東ネグロス州では1月から強風の影響でバナナの葉っぱが切れ切れになる被害が生じています。ネグロスでは例年1月からアミハンと呼ばれる北東季節風が例年吹くのですが、特に今年のアミハンは強く、生産者からは台風のような強風が吹いているという声が上がっています。バナナの葉っぱが切れ切れになると、光合成をうまくすることができず、生育が遅くなる、実が大きくならないなど、バナナの成育に影響してしまうので、生産者も心配しています。
因みにアミハンは(フィリピンで他の季節に吹く風と比べると)冷涼で乾燥した風で、シベリアの寒気が吹き込むものだそうです。元をたどると日本の冬の季節風と同じなんですね。
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【パレスチナ】ファラージさんの行政拘禁が延長(速報)
パレスチナのオリーブオイル出荷団体のひとつ、UAWC職員であるアブドアル・ラゼック・ファラージさんの行政拘禁が4ヶ月延長になったという大変残念な知らせがUAWCからありました。
昨年2月25日に拘留されたファラージさんは、拘留期限とされた昨年8月に6ヶ月間の拘禁延長が言い渡されており、その期限が近づいた2月にまたも延長されたことになります。
ファラージさんを含む行政拘禁延長のニュースは、パレスチナ自治政府のメディアであるPalestine News & Information Agency – WAFA(パレスチナニュース情報局)も報道しています(2月22日付)。
Israel Issues Administrative Detention Orders to 26 Palestinian Detainees
これによると、イスラエル当局は今回26名のパレスチナ人に対して行政拘禁令を出しましたが、多くは(24名)はすでに拘禁されている者への2~6ヶ月の拘留更新でした。名簿の11番目にファラージさん(Abd al-Raziq Faraj)の氏名が載っています。
行政拘禁とは理由も明らかにせず、起訴なしで拘留する制度です。イスラエルの人権団体、B’Tselemは、国際法では市民に危害をもたらすおそれがある場合の最終的な手段としてのみ執行が認められていますが、イスラエルはこの制度を濫用し、過去数年間で何千人ものパレスチナ人に適用しているとしています。
日曜日(2月22日)、イスラエルの刑務所にいるパレスチナ人拘禁者たちは、当局の権利侵害に抗議し、行政拘禁終了を含む要求に応えるよう3月10日からハンガー・ストライキも辞さないと発表しました。
ファラージさんの状況に関しては詳しい情報をUAWCに確認中です。入り次第、ご報告させていただきます。
政策室 小林
【バナナニュース】ボイさん・アナさん一家の物語 最終編
バナナニュースでは6回にわたって東ネグロス州マンフヨッド町ロウアカンダボン村のバランゴンバナナ生産者であり、オルター・トレード社(ATC)地域開発担当スタッフでもあるロッドジム・カトゥバイさん(ボイさん)とパートナーのアナさんを紹介してきました。二人の出会いからこれまでの家族のストーリー、バランゴン民衆交易との関わり、ボイさんにとって初めての海外旅行となった日本訪問、そして最終回は長女リゼルの結婚式で大団円を迎えました。
読者アンケートではたくさんの方から感想、コメント、家族へのメッセージが寄せられました。改めてお礼を申し上げます。ボイさん、アナさんへのメッセージはご家族にすべて伝えました。
ボイさんからのコメントです。
「自分の暮らし、家族、農業や家畜の取り組みに関心を持って、たくさんのメッセージを下さったことを大変うれしく思います。昨年は日本の2つの生協が私の村を訪問して下さり、10月には私が日本で消費者の方々と交流するという本当に貴重な機会をいただきました。ロウアカンダボン村の生産者がどのように消費者と関係性を築いてきたのか、他の村の生産者にも共有したいです。」
もっともメッセージが多かったのが最終回リゼルの結婚についてでした。
○ 甘いバナナがよりスウィートに感じます!
○ 結婚式の写真が、バナナとともに届きました。ご結婚、おめでとうございます。フィリピンでも、かかあ天下の家庭が幸せなようですね!
○ お幸せな笑顔を見て私までも幸せな気持ちになりました。軽トラックに乗って教会に向かう写真は映画のワンシーンのようです、などなど。
リゼルさんはマンフヨッド町にある小学校で臨時教員として働き始めました。みなさんからのメッセージに対しては、暖かいメッセージに心からの感謝の気持ちをお伝えしたい、との返事がありました。
ATJでは今後もボイさん、アナさん、リゼルさんの様子を折に触れてお伝えしたいと思います。
【バナナニュース239号】 本当に残念です。でもゼロから再スタートだと仲間と話しているんです~パナイ島バナナ生産者を訪ねて~
昨年12月8日に台風ルビーの被害を受けたパナイ島のバランゴン生産者の現状はどうなのでしょうか。ATJ現地駐在の黒岩が、先週、現地を訪問しました。
アナニアス・ラチカさん(78歳)とネニタ・ラチカさん(76歳、年齢はともに2013年11月当時)夫婦は、カーレスに住むバランゴンバナナ生産者。台風ヨランダ直後は、バランゴンバナナや他の作物が全滅、家屋も壊れ、すべてを失ってしまったと非常に落胆した様子でした。その姿は次の動画「Wrath of Yolanda(台風ヨランダの怒り)」に記録されています。
台風30号ヨランダによるパナイ島バナナ生産者の被災状況をお伝えします(第4報)
その後、オルター・トレード社(ATC)の支援を受けて、300本のバナナを植え付け、隔週で約1,000本のバナナを出荷できる程度までに回復していました。しかし、無情にも台風ルビーは実を付けていた200本のバナナを倒してしまいました。家屋は大丈夫だったものの他の農作物も被害を受け、自家消費用のお米も不足するかもしれないとのこと。「バナナの収穫が再開できる5月まで暮らしは苦しくなる」
サン・ディオニシオ町でバランゴンを生産するホアニト・バラヨンさんも、隔週で2,000~3,000本のバナナを出荷するまでに立ち直っていましたが、台風ルビーにより実を付けていたバナナはすべて倒伏してしまいました。収穫が再開できる3月までは収入が期待できません。「支援のおかげでバナナの作付本数を拡大できたが…。本当に残念です。11人の子どもの学校の授業料を支払えるか心配です」
同じサン・ディオニシオ町でATCのフィールド・アシスタントとして生産者の栽培・出荷管理にあたっているチャーリー・カノイさん。家が海の近くにあり、台風ヨランダでは5メートルの高さの高潮が押し寄せ、何とか山に逃げて難を免れましたが、家やすべての家財道具を失いました。当時の状況を上記の動画で話しています。
チャーリーさんはこの1年間、復興事業の現場担当者の一人として、バナナの作付拡大や肥料配布などの活動をしてきました。「バナナ生産が順調に回復していたからもったいない気持ちでいっぱいです。でも、何もかも失った台風ヨランダ後の絶望感は感じません。生産者とはゼロから再スタートだと一緒に話しているんです」と話してくれました。
ATCでは、半年後に台風前の出荷水準に戻し、生産者が生計手段を確保できるよう復興支援活動を、今週から開始しました。見舞金(倒伏したバナナ1本につき20ペソ、約53円)、鶏糞配布(1本につき6キロ)、農業用水が不足している農場での簡易用水施設の整備などです。
ネグロス島、ボホール島でもバランゴンの苗床整備、鶏糞配布や技術サポートを計画しています。
読者アンケート
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パレスチナからのアピール 「イスラエルによるパレスチナ農民への暴力行為に終止符を!」
パレスチナのオリーブオイルの出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)から、イスラエル人入植者によるパレスチナ農民への暴力行為に反対する署名活動への協力を求めるアピールが届きました。
アピールにあるように、ヨルダン川西岸地区では入植者による暴力行為が頻発しています。1月9日~10日にも西岸地区南端のマサファー・ヤタ村で345本ものオリーブの木が切り倒されました。被害規模が大きいこと(345本)、滅多にない雪嵐に乗じての卑劣な行為であること、切り倒された木の一部は昨年10月に海外支援者が泊まり込みで収穫を手伝ったものであることからこのようなアピールを出しました。
【アピール】 イスラエルによるパレスチナ農民への暴力行為に終止符を!
[box type=”shadow”]数日前にパレスチナを雪嵐が襲ったが、農民の苦労は雪嵐だけではなかった。マサファー・ヤタ村の農民が所有するオリーブの木を、スシヤ入植地のイスラエル人たちが1月9日に45本、10日にさらに300本、計345本切り倒したのだ。すべての木に世代から世代へ引き継がれた思い出が刻まれている。パレスチナにおいてオリーブの木は歴史そのものだ。
マサファー・ヤタはヘブロンの南方24キロに位置し、19のベドウィン(遊牧民)の小さな集落からなる。エルサレム応用調査研究所(ARIJ)によると、マサファー・ユタ村の総面積は約3,600ヘクタール、住民の90%は農業従事者であり、農業や牧畜が主な収入源となっている。
ソシア村に住む農民でUAWC農業委員会メンバーであるイッサ・アルボール(70歳)は、「農地と農民に対するイスラエル人入植者の野蛮な暴力行為は、パレスチナ人の立ち向かう力を逆に強めている。思い出と労働の成果も木と一緒に失われたが、引っこ抜かれた本数以上にオリーブを植えていく。決してこの土地を離れない。
占領するイスラエル人がパレスチナ農民の権利を侵害し、財産を攻撃するのは初めてのことではない。2014年前半、イスラエル軍と入植者は8,480本の木を引き抜いた。その大半がオリーブの木である。また、国連人道問題調整事務所(OCHA)によると、2014年度、西岸地区では入植者によるパレスチナ人への暴力行為は12月中旬までに320件も発生している。
賛同署名してくれた団体・個人はスシヤ入植地の入植者の卑劣な暴力を非難する。そして、国際社会と人権団体に対してパレスチナ農民の権利、とくに食料主権を守ることを呼びかけるものである。パレスチナ農民と農業部門に対するイスラエルの暴力に終止符が打たれるように、すべての人権団体、活動家や社会正義運動家に声をあげるよう呼びかける。不法入植地建設を目的とする土地没収、木の切り倒し、肉体的・言葉による暴行、生産財の破壊にNo!の声をあげてください。[/box]
UAWC広報担当のルバ・アワダラさんは「こうした許しがたい暴力行為、人権侵害が日常的に起きている事実を世界中の多くの人に知ってもらいたい。そして、アピールに賛同する方はぜひUAWCのウェブサイトで賛同の意思を表明してもらいたい。世界中でこれだけ多くの人がパレスチナ農民の苦労と困難に関心を寄せて応援しているか、彼らに伝えたい」と話しています。
下記URL(英語)で賛同署名を集めています。みなさんの応援の気持ちをぜひパレスチナの農民に届けてください!
賛同方法について
①UAWCのウェブサイト(英語)にアクセスしてください。アピール内容は上記のとおりです。
International Call to End Israeli Violations against Palestinian Farmers
②下部にある「Support」をクリックすると署名欄につながります。
③記入方法について
Please Fill The Following To Support The Farmers (農民を支援する方は次の欄にご記入ください)の下にある各項目にご記入ください。
Full Name(氏名)
E-mail(メールアドレス)
Organization(所属団体)
Job Title(役職)
TEL(電話)
FAX(ファックス)
Celluler(携帯番号)
必要と思われる項目のみで結構です。また、所属団体の後ろにJapanと付記していただくと日本からの賛同だとわかります。
パレスチナ雑記① アジアカップ初出場のパレスチナ代表
さて、去る2015年1月12日、サッカー日本代表はAFCアジアカップ連覇に向けた初戦を4-0の白星で飾りました。この相手が「パレスチナ」であったことは、皆様の記憶にも新しいことと思います。翌日、Yahoo!Japanで「パレスチナ」について検索をしてみると、未だかつてない数のニュースがヒット。その全てがサッカー関連でした。普段であれば、パレスチナに関して、ほとんどニュースの更新はありません。恐らくここ10年で一番多く、「パレスチナ」が日本のインターネットに載った日ではないでしょうか。
サッカーパレスチナ代表はAFCチャレンジカップ2014で初優勝を果たし、AFCアジアカップ2015への出場権を獲得。この日は、パレスチナ代表として初めて世界の主要トーナメントへ出場した、記念すべき日となりました。なお、参加16チームのうち、唯一の初参加でもあります。
パレスチナの人々にとって、このような世界の舞台において「パレスチナ」として立ち位置を得ることは、スポーツの枠を超えた大きな意味があります。基本的に“国”の代表チームが集まるこのような場でプレイができることは、国際社会に対してパレスチナのことを強くアピールする場ともなり得るからです。
1967年以降、実質的にイスラエルの占領下に置かれているパレスチナ自治区では、ガザ地区にあったスタジアムが2006年と2012年の空爆で破壊され、代表選手の練習環境も十分に整っていない状況です。また国際試合に出場するにも、イスラエルから選手の出国ビザが下りないことも多く、そのせいで出場を断念せざるを得ないこともあったようです。(注1)
2014年には、2名の選手がAl-Ramで練習をした帰り、チェックポイント(注2)でイスラエル兵によって撃たれるという事件もありました。二人とも意図的に脚を狙って撃たれ、二度とサッカーができない体にさせられたのです。それ以外にも、これはサッカー代表に限りませんが、自宅を破壊されたり、令状なしで逮捕されたりという事例(当社のパレスチナのオリーブオイル出荷団体のひとつ、UAWC職員一人が現在拘禁されています。関連記事)が、人々を苦しめています。
1月12日の日本戦には、外国に暮らすパレスチナ難民の他、オーストラリア人を含めて15,000名がパレスチナの応援に駆けつけました。金曜日には、隣国ヨルダンとの対戦で1-5と惨敗を喫してしまったパレスチナ代表。1月20日のイラク戦での初勝利を、心から応援したいと思います。
事業部商品課 若井
(注1)
写真:グリーンID
このIDでは、パレスチナ自治区の中しか行き来できない。イスラエル側はおろかエルサレムに入ることもできず、域外へ出るには陸路でヨルダンへ行くしかない。場合によっては、チェックポイントで止められる。なお、特別なIDをもらえれば、グリーンID保持者もイスラエルに入ることはできるが、それでもテルアビブの空港は使用できないらしい。
(注2)
写真:カランディア検問所
アルラム付近のカランディア検問所と壁。アルラムには、もうひとつのオリーブオイル出荷団体PARCのオリーブオイル充填所がある。
【パレスチナ】「家族が一緒に暮らせる日々を待ちわびています」~行政拘禁中のファラージさんの妻、ラミスさんのスピーチ~
昨年6月~7月に本ウェブサイトでも報告していますが、パレスチナのオリーブオイル出荷団体のひとつ、UAWC職員であるアブドアル・ラゼック・ファラージさんが、行政拘禁制度(注1)に抗議して2014年4月末より2ヶ月近くにわたり、他の被拘禁者約120名と一緒にハンガーストライキを行いました。ATJではパレスチナのオリーブオイルを取り扱う生協・産直団体、APLAなどと連名で、イスラエル大使館にファラージさんを含む行政拘禁者の即時釈放を求める嘆願書を昨年6月に出しました。しかし、ファラージさんは今も拘禁中です。
ハンガーストライキに関する経緯はこちらをご参照ください(2014年7月24日)。
2014年11月3日、ヨルダン川西岸地区にあるラマラ市で開催された「互恵のためのアジア民衆基金(APF)」総会分科会においてアブドアルさんのお連れ合い、ラミス・ファラージさんがスピーチを行いました。
スピーチの冒頭、日本からの支援に深く感謝したラミスさんは行政拘禁制度がいかに非人道的で、本人ももちろんのこと家族を苦しめているか切々と訴えました。
以下、スピーチの要約です。
私の夫、アブドアル・ラゼック・ファラージら行政拘禁者たちは、イギリス信託統治時代から続くこの制度を拒否し、反対する意志を示すため、2014年4月ハンガーストライキを始める道を選びました。行政拘禁は告訴なしにパレスチナ人を拘留できる制度です。イスラエル刑務所当局はハンスト実行者を非人道的に扱い、弁護士と面会するといった基本的人権をも無視しています。多くのハンスト実行者が、危機的な健康状態のためアルラムラ病院に移送されました。弁護士は拘禁者がどこにいるか知らされず、家族や医者でさえ会うことができません。病院では拘禁者の手足はベッドに縛られ、移動の自由を奪われています。
約2ヶ月間のハンストの期間中、弁護士が高等裁判所に訴えると圧力をかけた一度を除いて、私たち家族は彼について何の情報も入手することができませんでした。ハンスト実行者は水と塩だけで何とか生き延びました。まさしく命をかけた訴えであり、自らの命を代償にしてまでも、この酷い制度を終わりにしなければいけないと感じていたのです。
家族にとって、行政拘禁制度とはいつも剣が拘禁者ののどに突き付けられているような状態です。本人も家族もいつ拘禁が終了するのか知らされず、それは公開できない機密だとシャバック(イスラエル情報機関)は述べます。しかし、ほとんどの場合、機密ファイルには拘禁者を訴えるに値する重大な情報など含まれていません。しかも、イスラエル政府は拘禁を何度も更新して、何年も続けることができるのです。
夫は告訴なしに計7年間も拘禁され、今も獄中にいます。拘禁によって私たち家族は深刻な影響を受けてきました。何をすべきかわからず、ただ彼が釈放されるのは待つしか術がないのです。特別な日も一緒に祝うことができません。私たち夫婦は一緒に子どもを育て、成長する姿を見る機会を失い、子どもたちは父に相談する機会を奪われてきました。夫は息子の大学卒業式に出席して喜びを分かち合うことも叶いませんでした。
「すべての行政拘留者と共に痛みを担う覚悟です」これは夫がオウファル刑務所から家族に宛てた手紙にあった言葉です。そして夫は常々「私たちにとって人生の最良の時は未来にある」と口にしていました。だから私たちは夫が自由になり、家族と一緒に暮らせる日々を待ちわびています。行政拘禁者の家族としてイスラエルに行政拘禁が終わるよう圧力をかけてもらいたいのです。この制度をなくすことが私たちの自由への第一歩だと信じています。
2014年8月下旬にファラージさんの拘禁は6ヶ月延長され、釈放は2015年2月下旬の予定です。行政拘禁はイスラエル当局が理由も明らかにしないまま延長することができる不当な制度ですが、今度こそファラージさんが釈放されることを強く願っています。
また、ラミスさんと次男ワデアさん(大学4年生)にも取材することができました。二人のメッセージも編集中ですので、後日紹介いたします。
今後もファラージさんの近況がわかり次第ご報告します。
注1:行政拘禁とは、無期限に更新できる軍令に基づいて起訴や裁判なしの拘禁を認めるもので、人権団体から国際的に非難されています。
政策室 小林和夫
台風クイニー ネグロスとボホールのバナナ産地に打撃
11月27日にフィリピンを横断した台風クイニーが、ネグロス島とボホール島のバナナ産地に大きな被害をもたらしました。
ネグロス島ではバランゴンバナナ全体の21%が倒伏し、とくにネグロス島の北部、中部で被害の程度が大きいようです。被害を受けた生産者はオルター・トレード社(ATC)の登録生産者数の28%になります。
西ネグロス州では7地域で登録生産者の83%にあたる238名の生産者が被災しました。生産者が保有するバナナのほぼ60%にあたる約29,000本が倒伏し、回復には4ヶ月から10ヶ月かかると見込まれています。
東ネグロス州でも10地域で登録生産者の37%にあたる124名の生産者が被災し、約20%のバナナが倒伏したようです。回復には2ヶ月から8ヶ月かかると予想されています。
また、ボホール島でも約2,000本のバランゴンバナナに被害が出ているという報告が届いています。
ATCでは、12月7日に通過した台風ルビーで被害が出たパナイ島同様に、ネグロスとボホールにおいて早急の復興と生計補助を目的に生産者による倒れたバナナの除去作業と株の植え付け作業に対して労賃を支払う「フード・フォー・ワーク」、さらにネグロスでは肥料(鶏糞)を生産者に配付する支援活動をする計画です。
出荷目前のバランゴンに被害 ~台風22号パナイ島被災状況~
昨年11月、フィリピン全土で7,000名以上の死者を残した超大型台風ヨランダによる甚大な被害を受け、復興途上にあったフィリピン、パナイ島北部のバランゴン産地が、去る12月7日、台風22号(フィリピン名ルビー)に襲われました。
バナナ出荷団体であるオルター・トレード社(ATC)によると、家屋やインフラに大きな被害は出ていない模様ですが、農作物、とりわけバナナに大きな被害が出ています。
台風ヨランダ後の復興支援の一環として植えられたバランゴンは、今年12月から3月に本格的な収穫が予定され、来年1月より隔週で500箱の出荷が見込まれていました。241名の生産者が育てている実をつけ始めていた5,086本のバナナが台風により倒伏してしまいました。
パナイ島北部の生産者は昨年の台風被害により、この1年間主要な収入源であったバランゴンをほとんど出荷できていません。出荷がすぐそこに見えた矢先の今回の被災です。
そのため、ATCでは倒れたバナナを取り除き、新たなバナナの株を植え付ける作業に労賃を支払い、少しでも家計の足しにしてもらう「フード・フォー・ワーク」及びバナナがしっかり成長するように肥料(鶏糞)を生産者に配付する支援活動をする準備を進めています。
パナイ島での復興支援活動の様子は今後随時報告します。