農業と教育の現場で、二足の草鞋(わらじ)を履くのが夢!~ネグロス西州/バイス・バランゴンバナナ生産者協会(BGA)~【215号】

2012年12月1日

 レイマン・イグナシオさん(31 歳)は、バイス地域のバランゴンバナナの若手生産者です。子供のころから農業が好きで父親のバランゴンバナナ栽培を手伝ってきました。ふもとのラ・カルロータ市に下宿していた大学生時代も週末には村にもどって畑仕事をしていました。

大学では教育学を勉強し、教員になるのが夢です。2003 年に大学を卒業後、教員免許取得の試験を受けていますが、今年12 月に3 回目の挑戦となります。05 年には教員をしている女性と結婚しました。晴れて試験合格となれば近所の小学校で教えながら、農業をやっていきたいと考えています。「祖父が学校に土地を寄付しているからきっと大丈夫だ!」と楽観的です。

農業については、持続型農業を行っていきたいと農薬や化学肥料を使わずに堆肥を施す有機農業に取り組んでいます。今、豚1頭とヤギ15 匹を飼っています。ちなみに今いる豚は奥さんの誕生日にレチョン(豚の丸焼き)としてプレゼントするそうです。父親とやってきたバランゴンバナナは、自分のものとして200 株ありますが、これを1000 株まで増やす予定です。米づくりは虫がついて難しいので、家族が食べる分は近所の仲間から購入しています。主な収入源は、叔父の援助を受けて行っている闘鶏用鶏の飼育です。結婚を機に家も新築し(てもらい?!)、なかなか現代風合理的な青年で、バイス・バランゴン生産者協会の副委員長を務めています。

バランゴンバナナ民衆交易で、先住民族の自立と環境保全を!~ミンダナオ島レイクセブ地域~【214号】

2012年11月1日

 ミンダナオ島レイクセブは標高も高く、先住民が多く暮らしています。持続可能でない方法での焼畑などにより森の環境破壊が進むなかで、先住民の支援活動を行っているアラー渓谷開発財団は、バランゴンバナナ民衆交易の取り組みを始めました。

バランゴンと一緒に、果樹や野菜などの作付けもするように先住民に勧めています。「バランゴンバナナの民衆交易に参加して何が変わったか?」という問いに、生産者のひとり、ランドイ・ダガンさん(35 歳)は次のように答えています。

「私は牧師をやっていますが、教会活動で湖の反対側の家に行くときに、以前は湖の周りを歩いていましたが、今は船賃が払えるようになりボートを利用できるようになりました」「大きな変化としては、畑の生産性があがったことです。以前はトウモロコシだけを栽培していましたが大抵失敗に終わっていました。今はバランゴンを600 株、ゴムの木を250 本、ドリアンを60 本育てています。また無農薬でタロ芋なども作り、それらは教会関係者が喜んで購入してくれます。」「2 年のうちに家の修理をすることとモーターバイクを買うことが目標です」。

バランゴンバナナは、安定した収入により先住民の暮らしの向上に貢献し、また森林へ負担のかからない暮らし方の提案にもなっています。

有機肥料は土を育てるんだって!?白菜についた虫を一匹ずつ摘むんですか?(バランゴン生産者のマカオさん、伊賀の有機農家を訪ねる)【213号】

2012年10月1日

 ネグロス西州パンダノン地域のバランゴンバナナ生産者のマカオさんが、三重県で有機農業に取り組む伊賀有機農産供給センターを訪ねました。

「有機肥料は作物を育てるものではない」という説明に衝撃を受けました。「もっと言うと有機物は土の中の微生物の飯だよ。微生物が元気になると自分たちで有機物をつくるので持続的な土作りの世界ができるんだよ。」マカオさんは「伊賀で新しい考え方を発見した。仲間たちに土づくりのロマンを話したい」と語りました。マカオさんのような山の農民にとって、これまでは自然の環境の中で良質の土に恵まれていたのかもしません。「伊賀ももともとは山だったが、人間が手をかけて作物をつくり出荷を始めてからは、人間が手をかけて土づくりをしていかないと、持続しないのよ」と、教えられました。

マカオさんのところに、バコロド在住の韓国人グループからキムチ用の白菜出荷の依頼があったのですが、有機でつくった白菜はみごとに虫にやられてしまい、白菜の有機栽培は無理と諦めていました。伊賀有機の若い農民たちは、「あっ、それいっしょ!同じムシだよ。自分は掃除機のような道具を使ってみたけど・・・」「一匹ずつ摘むしかないね~」。マカオさんは「有機農業とは、苦労と手間ひまがかかるものなんだ・・・」と認識したのでした。

村のみんなで力を合わせてバナナ病害を乗り越えました。(ネグロス西州/DSB、パンダノン・バランゴンバナナ生産者協会)【212号】

2012年9月1日

 ネグロス西州パンダノン地域は、島の北部山岳地域の入り口にあります。ネグロス北部はかつて森林伐採が激しく今でもバランゴンバナナ栽培においては、旱魃や強風の影響を受けやすい状況にあります。

パンダノンの生産者のひとり、マカオさんは16 年にわたりバランゴンバナナを出荷しています。最初400 本ほどしかなかったバランゴンを、1500 本まで増やしました。そのおかげで生活のために仕方なく携わっていた森林伐採に関わる仕事を辞めることができました。ところが、2000 年に入ってパンダノン地域でバナナ病害が深刻になりました。対策としては、感染したバナナを抜き取るしかありません。村長が村人に呼びかけて村中のバナナ、バランゴン以外のバナナまで抜き取りました。その甲斐あって、病害は1 年で乗り越えることができました。そして、その経験は生産者協会メンバーの結束力を高め、『皆で力を合わせればどんな困難も何とか乗り越えられる』という自信をつけることになりました。

マカオさんとダイアナさんは、バナナ以外の作物づくりにも力を入れています。「子どもたちがどんな仕事につこうと、食べ物をつくることの大切さは全員に教えていく」という考え方を持っています。

有畜複合農業の一環としてバランゴンバナナ生産を復活!(ネグロス西州/バイス・バランゴン生産者協会)【211号】

2012年8月1日

 ネグロス西州ラ・カルロータ市ユボ村に属するバイス地区は、かつてはラグランハと呼ばれていた地域にある17 のBGA(バランゴンバナナ生産者協会)のなかでも、生産量が多く活気のある地域でした。しかしながら、1994 年ごろからバンチトップ病というバナナの病気が発生し、10 年以上にわたってバナナの生産ができない状況が続きました。

2007 年ごろからバイス地区で病害からの回復の兆しが見えてきましたが隔週で20 箱ほどと収穫量は多くありませんでした。

2 年前から、若手生産者たちはKFRC(カネシゲファーム・ルーラルキャンパス)での農業研修に参加し、生産者組織も再編して心機一転を図りました。持続可能な有畜複合農業づくりの取り組みのなかで、バランゴンバナナ栽培が本格的に始まっています。

かつては70 人いたメンバーも今は20 人ですが、あと45 人増やそうとメンバーは仲間を説得しています。バナナの出荷数量も最近では180 箱まで増えてきました。バナナの手入れに慣れているメンバーは、他の生産者にも広めようとしており、一人当たり300 株のバナナを目標に作付けを進めています。

32人の生産者が100本ずつ苗を増やして1人当たりの年間収穫量32,760本目標!~カンダボン生産者協会設立7年目の挑戦~(ネグロス東州・カンダボン生産者協会)【210号】

2012年7月1日

 ネグロス東州マンフヨッド地域のカンダボン生産者協会は2006 年に22 人の生産者で設立されました。現在メンバーは32 人に増えました。課題は、バナナの株が3~4 年目となり生産性が落ちていることと、バナナの手入れを熱心にやらない生産者がいることです。

そこで生産者協会として、設立7年目の挑戦を掲げました。「生産性の向上」「組織力の強化」「財務のしくみ」の3 本柱の改革です。

まず、メンバー全員が100 株ずつ新しい苗を植えることです。現存のバナナと合わせてカンダボンでは合計11,682 株となります。1人当り365 株、年間収穫見込みが32,760 本、収入見込みが29,484ペソという計算になります。月額2,457 ペソ(約5,000 円)は、ちょうど生産者が1ヶ月に必要な生活費に当ります。これで、生産者一人一人のモチベーションは上がることでしょう!

苗を植えるだけでは生産性はあがりません。生産者をグループ分けして、お互いに話しやすく協力し合えるようにしました。堆肥づくりやバナナの手入れ研修は、昨年から開始しています。

バランゴンバナナ出荷歴13年、有機栽培で野菜作りも始めました。ダイアナ・セラルボ(ネグロス西州・DSBバランゴンバナナ生産者協会メンバー)【209号】

2012年6月1日

 女性生産者のダイアナさんは、13 年にわたるバランゴン生産においては、夫のマカオ氏と二人三脚で誰にも負けない頑張り屋さんです。DSB 地域ではNO.1 生産者として一目置かれています。

最近この二人、バランゴンバナナ以外の生産物からの収入が増えているのです。パパイヤとサツマイモで1800ペソ(3600 円)の収入になったことで、インゲン、ダイコン、アボカド、キャッサバと生産物を増やしてみると3000 ペソ(6000 円)の収入に増えました。強風などの影響で品質が不安定なバランゴンバナナは、一度の出荷でだいたい1500ペソ(3000 円)くらいなため、大きなプラスです。

バランゴンバナナに習って野菜づくりも有機栽培でやっているので、葉っぱがレースのようになってしまったダイコンなどまだまだ失敗も多いですが、バランゴンバナナ以外でも収入源が増えたため暮らしにゆとりができました。ダイアナさんは、増えた収入を貯金にまわしたり、共同農場の運営資金にあてたりしています。生活必需品の購入や医療費などの支払いにも余裕を持てるようになりました。

バランゴンバナナをあきらめない!ロヘリオ・トーレス(ネグロス東州・タンハイ・バランゴンバナナ生産者協会委員長)【208号】

2012年5月1日

 2012年3 月11 日、バランゴンバナナの産地ネグロス東州タンハイ地域では、小さな祈りの会がありました。

1 年前の3 月、バランゴン生産者協会委員長のトーレスさん始めタンハイの生産者たちは、東日本で起こった地震・津波の被害の様子を見て「日本の人々が、食べ物がなく、家も壊れて、寒い夜を迎えている」と、胸を痛めていました。トーレスさんは早速ATC に連絡して「支援バナナを日本に送りたい」と申し出たそうです。

その年の暮れ、季節外れの台風でタンハイ地域は大洪水に見舞われました。バランゴンバナナはすべて流され、家屋への被害も出ました。その状況は、倒れた木々やバナナなどを片付けるために裁断機が必要なほどでした。畑の残渣をかたづけると、トーレスさんたちは早速バナナの苗を植え付けました。ところが2月末にまた洪水が発生し、12月末に植えたばかりのバランゴンバナナの苗が、再びすっかり流されてしまいました。

「でも私はあきらめない。またバランゴンバナナを植えて、手入れをしていくよ。仲間たちといっしょに、ここに来てくれる日本の消費者の人たちと出会うのが楽しみなんだよ。」

3 月11 日、トーレスさんは、東日本大震災の被災者、そしてネグロスの洪水や地震の被災者のために祈りました。

子供たちに笑顔を!ATCの救援活動と3.11キャンドルナイト【207号】

2012年4月1日

 2012 年2 月6 日に発生したネグロス島東部の地震被害に対してフィリピンのオルター・トレード社(ATC)が行っている救援活動についてお伝えします。ATC は地震発生の翌週からお米、いわしの缶詰、マスコバド糖などの緊急支援物資を持って被災地を訪問しました。3 月3 日には校舎の損傷が大きく、授業をすることが出来ないホマイホマイ村の学校の仮設校舎となるテントの設営も行いました。

そして、3月11日の被災地訪問は子供たちのために計画されたものでした。犠牲者の冥福と命への感謝のお祈りが奉げられた後、学年ごとに子供たちを集めてゲーム大会が始まり、500 名近い子供たちの歓声や笑い声があちこちから沸き起こりました。子供たちには文房具や塗り絵などのセットがそれぞれ贈られ、学校にはみんなで遊べるようにバレーボールとネット、卓球台にラケット、サッカーボール、バスケットボールにバスケットリングなどが贈呈されました。

東日本大震災から1 年となったこの日は日没前ではありましたが、キャンドルナイトも企画されました。震災の犠牲となった日本・フィリピン両国の友人たちのためにロウソクの火を灯し、お祈りをささげました。ATJ からも参加し、「日本もフィリピンもこの1 年で大きな地震を経験した。大変な時こそ今まで培ってきた日本とネグロスの架け橋を大切にしよう」と確認しあいました。

2012年2月6日に発生したネグロス東州の地震について【206号】

2012年3月1日

206 前回のバナナニュースで台風被害(北ミンダナオ・ネグロス東州)を報告したばかりですが、今回はネグロス東州での地震被害についてお伝えします。

2012 年2 月6 日のお昼前、ネグロス東州の北東沖を震源とするマグニチュード6.9 の地震が発生しました。一時は政府から津波警報も発令されたとのことですが、幸いなことに津波の被害はありませんでした。しかしながら、建物の倒壊、道路の亀裂や土砂崩れで大きな被害が出ています。特に、土砂崩れの被害が大きいギフルガン市のプラナス地域は、日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC、現APLA)時代にネグロス救援復興センター(NRRC)が支援活動を行った場所で、周辺地域も含めてバランゴンバナナの生産地です。

ATC(オルター・トレード社)は翌日にはスタッフを派遣して被災地の視察を行いました。道路のあちこちに亀裂が入り、余震が続く中、家の倒壊を恐れて安全な場所を求めて移動する人やテント生活を送る人などを多く見かけたとのことです。プラナス地域では必死の捜索活動が続いていますが、土砂に埋まり亡くなった方・行方不明の方が多くいます。支援物資もなかなか届かないため、ATC も緊急救援物資を被災地に直接届けました。土砂災害などの被害がない地域でも余震が続いているため、バナナの収穫を見合わせている生産者がいます。ATC としては出荷できる生産者がいるのであればバナナの集荷は続け、なるべく収入につながるようにしたいと考えています。

日本のメディアでは報道が小さくなりましたが、事態が収まったわけではありません。ATJとしても何が出来るのかを検討し、バナナニュース、ATJ のホームページやツイッターでも状況についてフォローをしていく予定です。