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人から人へ、手から手へ

ATJの歩み

ATJはNGOである日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC)(現APLA)の活動を基盤に生協や有機農産物の販売グループ、市民団体が共同出資してたちあげた草の根の貿易会社です。

ATJが生まれるきっかけは、1987年にJCNC他がフィリピン ネグロス島のマスコバド糖を輸入し始めたことでした。

JCNCのネグロス緊急支援

フィリピンでは長い植民地としての歴史の中で、主食の米をつくっていた水田まで砂糖キビ畑となり、特にネグロス島はフィリピン全砂糖生産の6割を占める砂糖の島となっていました。ところが砂糖の国際価格の暴落のため砂糖労働者の仕事がなくなり飢餓状態になりました。JCNCは緊急支援のために積極的に日本国内でキャンペーン活動を展開し始めました。活動を進める中で、食料や医薬品の配布という緊急援助だけでなく、中長期的な視野にたった援助活動が必要であるとわかったことから、砂糖労働者が自分たちで食べる米や野菜を栽培することを支援する復興プロジェクト、水牛を送るキャンペーン、さらに、砂糖労働者に農業の知識を普及するための農業研修センターを建設する資金集めに取り組みました。

構造的暴力に対峙する交易の始まり

援助活動を続けるうちに、ネグロスに厳然として存在する構造的暴力の中で今日食料を届けたとして明日はどうなる? という問題があることに気づきます。新しい援助の形として、ネグロスの人々が自分達でつくったものを日本側で公正な形で買おう、と「マスコバド糖交易」が始まります。マスコバド糖はネグロスで伝統的に作られていた黒砂糖です。ネグロス島の市民組織は市民による市民のための流通機構を実現することを目指したオルター・トレード社(ATC)という名前の会社を組織して、JCNCなどの協力を得て、このマスコバド糖を日本の生協などに販売することを実現したのです。日本に次いでヨーロッパの市民団体も輸入を始めました。こうしてマスコバド糖の輸入販売に始まった草の根貿易の試み、ネグロス島市民との直接的な交流を通して、これらのことに関わった人々は第三世界の人々とのオルタナティブな関係をつくることの重要さを認識し始めました。そしてそれまでの商社とはちがう、オルタナティブな、そして自立した民衆貿易を行う機関として、1989年、株式会社であるATJが生み出されることになるのです。

photoをクリックすると写真と説明が現れます。
1986年 2月 フィリピン・ネグロス島の飢餓に対する援助団体として 「日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC)」発足。
6月 ネグロス島へ食料や衣料品の緊急援助開始
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12月 ネグロス島に、民衆の物流会社オルター・トレード社(ATC)が設立される。
1987年 3月 JCNC及び他3団体の共同企画として、ATCを通して『マスコバド糖』の 輸入開始、民衆交易が始まる。
1988年 12月 『バランゴンバナナ』の輸入を目指して、「オルター・トレード・ジャパン設立準備会」発足。
1989年 2月 生協連合グリーンコープと共同でネグロス島より『バランゴンバナナ』のテスト輸入。
9月 バナナの定期輸入開始、民衆交易が本格化する。
10月 株式会社オルター・トレード・ジャパン(ATJ)設立。
1990年 11月 生協及び産直事業体を通して、『バランゴンバナナ』の取り組みが本格化する。大型台風ルピンにより、ネグロス島のバランゴンバナナ産地に大被害。photo
1991年 1月 ネグロス島で、台風被害からの復興と自立した村づくりのための「バナナ村自立開発5カ年計画」開始。
7月 ネグロス島のバナナ産地に、バランゴン生産者協会(BGA)発足。
1992年 4月 インドネシアより、粗放養殖エビ『エコシュリンプ』輸入開始。photo
1993年 8月 バナナの自立基金をもとに、循環のある農業・地域づくりを目指す「ネグロス民衆農業創造計画―PAP21」開始。
10月 韓国の南順天農協より、自然農法で栽培された野菜を使った『南道キムチ』の 輸入開始。
12月 エクアドルより、有機栽培コーヒー『ナチュラレッサ』輸入開始。
1994年 3月 ネグロス島のバナナ産地、BGA地域で連作障害が深刻化する。
1996年 9月 イギリスのTWIN(フェアトレード団体)との共同企画で、ペルー・メキシコ及びタンザニアからのフェアトレードコーヒーの取り組みを開始。photo
2000年 4月 インドネシアで、オーガニックエビ・プロジェクトへの取り組みを開始。
7月 インドネシア・スラバヤ市に現地事務所開設。
9月 「バランゴンバナナ・リニューアル計画」の開始。photo
2001年 5月 TWINとの提携で、ハイチ・フェアトレードコーヒーの取り組みを開始。
11月 エクアドルコーヒー生豆有機JAS認証取得。
2002年 3月 『ゲランドの塩』の取り組みを開始。
5月 『アジアコーヒーコレクション東ティモール』の取り組みを開始。photo
7月 第一期オーガニックエビ・プロジェクトについて、ドイツの認定団体ナチュランドから有機認定を取得。
10月 ペルーコーヒー生豆有機JAS認証取得。
11月 スウェーデンの生協に「有機認定エビ」の輸出開始。
12月 ATJスタッフのフィリピン駐在開始。
2003年 6月 ALTER TRADE INDONESIA設立。
10月 メキシココーヒー生豆有機JAS認証取得。
2004年 8月 編集室パラグラフ設立。
11月 『パレスチナ産オリーブオイル』の取り組みを開始。
2005年 3月 『アジアコーヒーコレクション ラオス』の取り組みを開始。
5月 クォータリーマガジン『at』創刊。(2009年4月発行15号で第1期完結、以降『atプラス』として太田出版単独での刊行となる)
6月 エコシュリンプ、インドネシアの南スラウェシからの出荷開始。
10月 バランゴンバナナ・オルタートレード社(ATC)に対して、パルシステム公開確認会を実施。
11月 TWINとの提携で、ルワンダ・フェアトレードコーヒーの取り組みを開始。
2006年 3月 ATJ役員会にATCより「ミンダナオ島バランゴン包括的産地政策」を提案。ミンダナオ島の北ミンダナオ地域、及びレイクセブ地域よりバランゴンの出荷を開始。
2007年 6月 『アジアコーヒーコレクション―東ティモール』の取り組みをATJ独自でエルメラ地域で開始。
2008年 8月 エコシュリンプ・オルタートレードインドネシア(ATINA)に対して、パルシステム公開確認会を実施。
2009年 1月 イスラエル軍ガザ侵攻による被災者に対して、パレスチナ産オリーブオイル出荷団体より支援要請。ATJ、生協団体、APLAが応える。
3月 設立20周年記念イベントを開催。
2011年 2月 『ATJあぷらブックレット① エビ加工労働者という生き方』刊行。発刊にあわせてATINA加工労働者3名が来日、生協組合員と交流。
3月 11日 東日本大震災発生。4月以降フィリピンより支援バナナ、東ティモール、パレスチナ、フランスの生産者等から義援金が届く。
2012年 2月 インドネシア・パプアで先住民族によるカカオの集荷・加工事業の取り組みを開始。6月パプアからカカオ豆を初出荷。
3月 「資源管理型漁業」に取り組む野付漁協組合員らがインドネシアでエコシュリンプ生産者らと交流。13年10月にはエコシュリンプ生産者が野付を訪問。
12月 インドネシア・パプアでカカオ事業に取り組むパートナーが来日、交流会を行う。
2013年 1月 “チョコラ デ パプア”試験販売開始。
3月 ATINA社の新工場が完成。
6月 バランゴンバナナ新産地ミンダナオ島マキララからの出荷開始。
9月 ミンダナオ島からバランゴンバナナ生産者来日、約250人の消費者や生協職員と交流を行う。
10月 エコシュリンプ生産者が来日、約230人の消費者と交流を行う。
11月 大型台風ヨランダがフィリピンを直撃。壊滅的な被害を受けたパナイ島、ネグロス島、ボホール島において、日本からの支援金で復興活動が行われた。(~2014年12月)
12月 “チョコラ デ パプア”正式販売開始。
2014年 3月 『バナナ調査プロジェクト』開始のイベントとしてセミナー「『バナナと日本人』その後」を開催、100人を超える参加者。
6月 国際家族農業年にあたって日本、フランスの研究者を講師として家族農業の重要性を考えるセミナーを6月、11月に企画・共催。
7月 パレスチナ・ガザ地区へイスラエル軍が51日にわたる大規模攻撃。ATJ、関連生協団体、APLAと共に在日イスラエル大使館と日本の外務省に嘆願書を提出。オリーブオイル出荷団体による被災者支援活動に対して日本国内で募金活動を行う。
9月 ネグロス東州からバランゴンバナナ生産者来日、約150人の消費者と交流を行う。

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