パプアからの便り Vol.03 発行/2017年9月1日

2018年8月13日

   親愛なる皆さま

 

カカオの産地、インドネシア・パプア州ジャヤプラは連日摂氏30度を超える熱さで、強い日差しがカカオの木にさんさんと降り注いています。日本の皆さまは如何お過ごしでしょうか? カカオキタのスタッフ、生産者たちはみんな元気にしています!

 

カカオキタの新しい仲間たち

カカオキタの新しい仲間たち

今年は2月、3月にカカオの森の協働手入れ作業を精力的に行ったことが功を奏してか、3月、4月と生産者はたくさんのカカオ豆を収穫することができました。

こうしたカカオキタが生産者と一緒に取り組む活動が他の村にも知れ渡り、最近はカカオキタのメンバーになりたいという村が増えてきました。

新しくカカオキタの仲間になった村は、パプア州のなかでもオランダが1950年代にカカオ栽培をはじめたグニェム地方にあるスナ村とその近くにあるイブップ村、バンガイ村です。

 

<スナ村でカカオキタの民衆交易説明会を行いました>

 

「民衆交易」の話に耳を傾ける生産者

「民衆交易」の話に耳を傾ける生産者

スナ村はオランダがカカオ栽培を1950年代に導入したグニェム地方にあり、村人は昔からカカオ栽培を暮らしの基盤のひとつとしていました。今まではイブ・プール(ジャワ人業者)に、最近はマカッサル人のクスナンさんに売っていたそうです。

スナ村には生産者グループがありメンバーは約50名。このうち30名ほどが集まりました。会合には近隣ブリン村、イブップ村、バンガイ村の生産者も来ていました。

民衆交易を熱く語るデッキー

民衆交易を熱く語るデッキー

カカオキタ代表デッキーが同じく代表を務めているYPMD(パプア農村発展財団)はスナ村でかつて水道敷設事業を行ったことがあり、会合の挨拶でスナ村の村長は「YPMDの名前はわたしたちの胸にずっと残っていた。」と言い、YPMDの長年の活動が今のカカオ事業に繋がっていることがわかりました。

スナ村でのカカオ買い付けの様子

スナ村でのカカオ買い付けの様子

デッキーは、パプアのカカオ豆から作ったチョコレートが日本で売られていること、ビジネスに慣れていないパプア人を支援してくれる日本の人びとのこと、そして、パプアからはオーガニックで安全な食べ物であるカカオを提供することがパプアのプライドになること、などを得意な歌やユーモアを交え語りかけ、集まった生産者たちは目を輝かせていました。

特に「わたしたちパプア人はインドネシアのなかでは圧倒的にマイノリティーだが、カカオの質はインドネシアを越えて世界で通用する質であることに誇りを持とう!」というところでは皆うれしそうに拍手していました。

集荷作業が終わるころ、カカオの森は日暮れごろとなります。

集荷作業が終わるころ、カカオの森は日暮れごろとなります。

 

<道路拡張工事―木材伐採と自然破壊>

 カカオ産地に向かうセンタニ湖から森林地帯に入る道で大工事が進んでいます。

これは内陸部の木材を積みだすコンテナが通れるように道幅を広げているのだそうです。

緑に覆われていた山肌が削られ剥き出しの土が露わになっている横を通過するたびに「これからパプアはどうなるのだろう」という不安が胸に押し寄せます。

道路の拡張工事が進んでいます。

道路の拡張工事が進んでいます。

山肌が削られて剥き出しになっています。

山肌が削られて剥き出しになっています。

(報告:ATJ 津留歴子)

[box type=”shadow”]【この便りについて】 株式会社オルター・トレード・ジャパンが取り組むインドネシア・パプア州のカカオ民衆交易プロジェクトの、顔の見える関係だからこその産地の情報をお届けします。 このカカオの民衆交易では、「パプア人の、パプア人による、パプア人のためのカカオ事業」を現地で推進すると同時に、カカオを作る人、チョコレートを食べる人が相互に学び合い、励まし合いながら人と自然にやさしいチョコレートを一緒に創造していくことを目指します。 HP:https://altertrade.jp/wp/cacao[/box]

【PtoP NEWS vol.20/2017.11】バランゴンバナナを洗浄・箱詰めしているパッカーの皆さん from フィリピン・ネグロス島

2018年8月3日
収穫時です!

収穫時です!

バランゴンバナナは収穫された後、パッキングセンター(以下:PC)で洗浄・箱詰されています。現在10ヵ所のPCがあり、1つのPCでは約10人のパッカーが作業をしています。

作業時間は産地によって異なります。たとえば、畑が比較的PCの近くにまとまっているミンダナオ島のツピやレイクセブでは、午前中から作業が始まり、夜には終わります。

畑が点在しているネグロス島などでは、集荷に時間がかかるため、PCでの作業は夕方から始まり、バナナの量が多いと作業が終わるのは翌朝になることもあります。

 

パッキングセンター

パッキングセンター

最初に熟度やサイズなど、バナナが出荷基準を満たしているかどうか確認をします。そして洗浄です。

バランゴンバナナは化学合成農薬を使用せずに育てているので、虫がついていることがあります。

そのため、丁寧に洗浄しなければならないのですが、細かいところは洗いづらく大変です。

パッカーの皆さんは口をそろえて「バナナとバナナの間を洗うのが難しい!」と言います。

バナナの間をていねいに洗います。

バナナの間をていねいに洗います。

洗浄後は、バナナの軸の形を整え、箱詰めするために指定の量になるよう計量をします。

房の大きさが異なるバナナを一定の重さに計量するのは難しく、慣れていないと、何度も房を入れかえて、重量を調整する必要があります。

 

経験を積んだパッカーは房の大きさで重さの見当がつくので、計量作業もスムーズに進みます。

最後は箱詰め。おそらくこれが一番経験の問われる作業です。多国籍企業のプランテーション・バナナは房の大きさが均一なので、毎回同じように箱入れをすることが可能ですが、バランゴンバナナはそうはいきません。

様々な大きさのバナナを箱詰めしていくのは、まさにパズル。房の大きさを見ながら入れる順番と場所を考えていかないと、全てのバナナを上手に箱詰めすることができません。

パッカーの皆さんには、そんな熟練した技術が必要なのです。PCでの作業は、毎週または隔週で2日程度なので、多くのパッカーは他の仕事もしています。ミンダナオ島のツピでは地域のキリスト教徒とムスリムが一緒に働いており、両者の平和的な関係性構築に貢献しているとも言われています。

このように、バランゴンバナナは生産者以外にも重要な役割を担う人たちがたくさんいます。パッキングセンターで働くパッカーたちは、まさに縁の下の力持ちです。

黒岩竜太(くろいわ・りゅうた/ATJ)

【バナナニュース279号】乾季を無事に乗り越えて、順調に生育中

2018年7月11日

ミンダナオ島ツピ町では現在130人の生産者がバランゴンバナナを栽培しています。生産者でもあり、ツピ町の生産者組合の事務局長も務めるエンピグさんからのメッセ―ジをお届けします。

 

 

ツピのバランゴン生産者、ノルマさんの畑を上空からドローンで撮影してみました。バランゴンバナナはココナツと混植されています。バランゴンは多少の日陰を好むので、ココナツとの相性が良いとされています。ココナツは3ケ月に1度の収穫、バランゴンは毎週あるいは2週に1度の収穫です。畑の周囲にはパイナップルのプランテーションが拡がっています。

 

 

ツピの生産者、ビクターさんがバランゴンバナナを収穫しています。

 

商品一課  松本 敦

 

 

読者アンケート

よろしければ、このニュースを読んだ感想をお聞かせください。生産者へのメッセージは生産者に伝えていきます。よろしくお願いいたします。
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報告書「フィリピン、ミンダナオと私たちの今を考える」

2018年6月25日

『バナナと日本人』(1982年、岩波新書)という本を知っていますか。特売商品の目玉となるほどに安価なフィリピンバナナが、農園労働者の安い賃金と大量の農薬によって支えられている実態を調査し、痛烈に批判したのが鶴見良行氏の著作です。それから30余年、フィリピンバナナの産地、ミンダナオ島のプランテーションの実態はどうなっているのでしょうか。

 

2015年11月、ASEAN域内の関税障壁が撤廃される動きの中で危機にさらされるフィリピンの農業労働者や農民、消費者が置かれた状況を分析し、それに対して小規模生産者と消費者がどのように対抗していけるか話し合うため、「ネグロス食料サミット」をATJは現地団体と共催しました。サミットでは環境破壊や労働者、住民の健康被害、劣悪な労働環境などバナナ・プランテーションがもたらす実態がミンダナオ代表から報告され、さらに、ミンダナオ産バナナの最大の消費国である日本の参加者に対して現地視察の要望が出されました。

 

産地からの声を受けて、2016年9月、ATJは研究者、生協関係者、フィリピン側のパートナーと一緒にミンダナオ島を視察する訪問団(ミンダナオ・ミッション)を組織しました。このときに注目したのが、高地栽培バナナです。近年、スーパーでもよく見かける自然な甘みを売りにしたプレミアムバナナです。訪問団はバランゴンバナナ産地(レイクセブ、マキララ)の近隣自治体に広がる2つの大規模な高地栽培バナナプランテーションを視察し、農業労働者や住民の声を聞きました。現場で見聞きしたことや、訪問後に収集した情報をもとに、バナナ・プランテーションの現状、とくに高地栽培における農薬の問題を中心に私たちが日常的に食べているフィリピンバナナの産地で何が起きているかまとめたのが本報告書です。

「甘いようで苦い」バナナの裏側のストーリーをぜひお読みください。


フィリピン、ミンダナオと私たちの今を考える

広報課 小林和夫

【バナナニュース278号】バランゴンバナナが豊作です! 夏は冷やしてどうぞ

2018年6月20日

過去数年、フィリピンのバランゴンバナナの産地は大型台風や季節風(強風)、干ばつに度々見舞われ、バナナの供給が不安定な状況が続きました。
 

そのため、産地では天候被害による減収を想定して苗の作付けを強化してきました。ミンダナオ島のツピの生産者のジョエルさん(写真)も昨年2,500株のバナナを新たに植えました。
 
「大きな天候被害もなく、バナナの収量は順調に伸びてます。昨年植えたバナナもこれからどんどん収穫を迎えるので、ぜひたくさん食べてください!」
 

 
十分熟したバナナは、冷蔵庫で保管すると長持ちして果肉もひんやりしまっておいしく召し上がれます。

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【スムージーの作り方】

(グラス3杯分)

・ バランゴンバナナは皮をむき、ラップに包んで冷凍しておく。

・ 凍らせたバナナを適当な大きさに切り、牛乳と一緒にミキサーに入れてスイッチオン。完成!

・ バナナ3本で牛乳250㏄が目安ですが、分量はお好みで調整して下さい。

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バランゴンバナナ、今年は豊作なんです!

2018年5月30日

 

今年は、生産者の顔もニコニコです!

その理由は、この数年毎年台風や季節風の影響で収穫間近のバランゴンバナナが無残にも倒されてきたのですが、昨年から天候被害も少なく、各地で、バランゴンバナナが豊作となっているためです。

新たに植えたバナナの下草刈り作業中

新たに植えたバナナの下草刈り作業中

さらに、ここ数年安定した供給ができていないことの対策として、ミンダナオ島の生産者に協力してもらい、春先の収穫を見込んで新たな作付けを行いました。

雨が降らないと根づきにくいなど、難しいことはありましたが生産者も丁寧な手入れ作業をしてくれました。
 

そのバナナが、少々収穫が遅れましたが、この夏に収穫のピークを迎えます。

天候の恵みと生産者の頑張りがつまったバランゴンバナナを、是非ご賞味ください!

 

 

2018年の夏!バランゴンバナナをいろいろな食べ方で
存分に楽しみながら、生産者の応援をお願いします!



ご購入はこちらから!

 

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\ スタッフおすすめ! /


バランゴンバナナとキウイのスムージー

【材料】 グラス3杯分

◎冷凍したバランゴン3本

◎牛乳200~250cc
◎キウイ1個

【作り方】

①バランゴンバナナとキウイ、牛乳をミキサーに入れてスイッチを入れる。

②ミキサーの音が静かになり、波の立ち方が穏やかになってきたら完成。

キウイ以外にもリンゴ、スイカ、プラム、ブルーベリーなどの果物、定番の小松菜やヨーグルトなどでも爽やかな夏向きのスムージーが出来上がります。
※分量は目安です。バナナの大きさや甘さ、一緒に入れる果物の量、水分で適宜調整してください。

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【PtoP NEWS vol.19/2017.10】池の丸干し from インドネシア (エコシュリンプ)

2018年5月24日

井の頭池の「かいぼり」にインドネシアへの思いを馳せる

井の頭池の「かいぼり」

井の頭池の「かいぼり」

ナウなヤングのデートのメッカ、東京は吉祥寺にある井の頭公園は、今年めでたく開園100周年を迎えました。井の頭公園の見どころと言えば、神田川の出発点でもある井の頭池。カップルでボートに乗ると必ず別れると噂されるこの池は、それでも休日には所狭しと人工スワンが行き交い、天然カモはのびやかに泳ぎ回り、春には桜の花びらが色を添えます。

元気なエビを育てる環境をつくるために大切な池干し

元気なエビを育てる環境をつくるために大切な池干し

そんな井の頭池、かつては水が透き通っており、池底まで見えるほどだったそうです。しかし高度経済成長のあおりを受けて湧水量が減少。

その結果、池水の滞留時間が長くなったことで植物プランクトンが増加し、池の水は濁り、在来生物は減少し、外来生物が幅を利かせるようになってしまいました。そこで、100周年を迎えるにあたり、地元の人びとが「井の頭池をよみがえらせよう!」と立ち上がり、始まったのが「かいぼり」でした。
2014年から、数回に分けて行われたこの「かいぼり」。簡単に言えば、池の水を抜いて池底の土を天日干しすることと、そこにいる生き物を捕まえて仕分けし在来種だけを池に戻す、という取り組みです。それにより、土の地力が回復して水草が育ち、そこに在来種を戻すことで、本来の生態系に近づけていくことができるのです。もう誰も自転車を捨てたりしなくなるのです。

エコシュリンプ養殖池

エコシュリンプ養殖池

しかし、エコシュリンプを知る人にとっては、井の頭池は、エビの養殖池にしか見えません。目を閉じると、そこには平米当たり3尾の割合で放流された稚エビとバンデンが、仲良く泳ぎ回っています。

薄目を開けると、井の頭弁財天は養殖池にある管理人の小屋に見えてきます。思わずパンツ一丁でエビを獲りに入水したくなりますが、実際に入ってみると、池底はそれほど柔らかくはなく、エビもいませんでした。水も、インドネシアよりは冷たいです。その後は厳しい現実が待っています。

 

エコシュリンプの養殖池でも「かいぼり」

 

エコシュリンプの養殖池

エコシュリンプの養殖池

さて、インドネシアに広がる粗放養殖池には、ナウなヤングも人工スワンもいませんが、大人の階段を上るエビと魚はたくさんいます。

そして、古いところでは、めでたく300周年あたりを迎えているはずです。

 

乾季になると、「かいぼり」と同じように水を抜き、残ったエビや魚を獲り、池の底を天日にさらします。ヒトは吉祥寺でもジャワ島でも、同じようなことをして生きています。

養殖池の堤防の修理作業中

養殖池の堤防の修理作業中

水を抜いた養殖池は、赤道直下のガンガンの日照りにさらされ、池底の粘土質土壌は煉瓦のようにカチカチになります。

布団干しと同じで、これにより土が紫外線殺菌されるそうです。このカチカチ状態で1ヶ月くらい放置し、完膚なきまでに乾燥させるのが、本当の池干しのようです。その間に、池の土をひっくり返すこともあります。炎天下、数ヘクタールの池でこの作業をするのは、非常な重労働です。

 

地球の変化は養殖池にも

 

エコシュリンプのエサを生み出す水草

エコシュリンプのエサを生み出す水草

なぜエビ養殖のために土を大切にするのか?もちろん環境を整えるためなのですが、特に重要なのは、水草の生育です。

土づくりがうまくいかないと、いざ養殖を始めた時に水草が良く育ちません。すると、植物プランクトンの発生が少なくなり、稚エビが食べるエサが少ないことになり、結果的にエビの生育が悪くなります。

手づかみで収獲

手づかみで収獲

さらに、日中の光合成が減るために水中の酸素が不十分になったり、水面を覆う部分が少なくなることで昼夜の水温変化が激しくなったりと、見えないところでもエビの生育に影響を与えるそうです。もちろん、水草が多ければいいというものでもなく、適切な割合が望ましいです。

生産者に聞くと、「水面の40%を覆うくらいがいい」など、色々な意見を聞きますが、あまり共通見解はありません。各々の信念に基づいている部分もあるようです。

網を使ったエコシュリンプの収獲

網を使ったエコシュリンプの収獲

このようにエビの粗放養殖にとって重要な池干しですが、自然に依拠した養殖方法ゆえに、お天道様には逆らえません。

最近は地球温暖化の影響か、乾季と雨季の境目がはっきりせず、本来の乾季にも雨が降り続き、満足な「干し」ができないのです。

これがエビの生存率を悪化させている、と言う生産者もいます。昔から続く養殖方法に影響を与えるほどの環境変化は、決して小さくはなく、養殖池の池干し一つとってみても、実は地球はつながっているということを感じないわけにはいきません。日々の生活をちょっとでも見直すきっかけになれば、と思います。

若井俊宏(わかい・としひろ/ATJ)

【PtoP NEWS vol.24/2018.03】バランゴンバナナ民衆交易の悩み事

2018年5月16日

このところ、バナナの需要が多い春に、ほぼ毎年天候被害などで思うようにバナナの収穫ができない出来ないことが続き、消費者の皆さんに十分にお届け出来ない状況が続きました。

そこで昨年(2017年)は、生産者と協力しながら、春に収穫できるようにバナナの苗を植え付ける時期を意識する、ということを試みました。

日本のバナナ全般の消費動向をみると、5~6月がピークで、最も売れない冬場はピーク時の80%くらいになります。バナナが増え、需要が落ちる冬期はバナナが売れずに余ってしまうという事態に昨今苦しんできました。

バナナの作付け:新たに植えたバナナ

バナナの作付け:新たに植えたバナナ

バナナは多年草で、植え付けから最初の収穫までは約1年かかり、その後はわき芽を生育させてまた半年~1年後に2回目の収穫と続いていきます。

日本側は最初の植え付け時期だけでも意識的に4月前後にしてほしいと考えていましたが、根付きやすい雨期(6~11月)に作付けするのが自然という意見もあり、なかなか実現してきませんでした。

今回現地側でも「日本からの提案を試してみよう」ということになったのですが、残念なことに苗の配布が遅れ、作付け時期が予定よりも遅くなってしまいました。そのために、次の春に収量が増えるかは微妙な感じですが、まずは産地でも作付け時期を意識してもらえたこと自体が一歩前進だと考えています。

 

実は色々な問題を抱えているバランゴン

また、品質問題も大きな悩みの一つです。日本での最終検品段階でネグロスの一部の産地やパナイ島のバランゴンバナナに、カビや腐れで廃棄になってしまうバナナが多発しています。

フィリピン各島での選別段階では問題ない(ように見える)のです。原因究明に取り組んでいますが、あちこちに散在する大勢の小規模生産者からバナナを集荷しているため、細かいトレースが難しく苦労しています。

バナナは収穫・箱詰め後にマニラまで運ばれ、再検品され、国際船に積み替えられて、日本に送り出されます。

新たに植えたバナナの下草刈り作業中

新たに植えたバナナの下草刈り作業中

価格についての課題もあります。最近のバランゴンへの需要は2010年度に比べると約2割減少しています。

販売量を回復させていくために価格の問題は避けて通れませんが、フィリピンからの出荷価格の上昇に伴い、日本での販売価格も上昇しています。

フィリピンでは毎年6%の経済成長が続き、物価も上昇しています。そのため生産者からの買い取り価格は上がる方向にはあります。

バナナの苗の植えつけ

バナナの苗の植えつけ

また、バランゴンの半分ほどは一般のバナナに比べて日本への輸送コストのかかる島からのもので、また物流コストのかかる中山間地の小規模生産者のバナナを集荷しています。

安全性(農薬不使用)と品種(バランゴン)だけを求めるのであれば、物流コストの安い地域で集中して栽培すればいいのですが、バランゴンバナナ民衆交易の目的は、単に利益を求めるものではなく、人びとの連帯による事業であって、その精神は今でもかわりません。品質改善(廃棄率減少)などのコストカットを続け、生産者・消費者が納得する価格を維持できるように努めていきます。

 

悩みや課題は尽きないけれど

レニボイさん(左)と家族

レニボイさん(左)と家族

課題山積ではありますが、うれしいニュースもありました。2017年4月、西ネグロス州の生産者のレニボイ・ソンブリアさんが州政府から、果樹の有機栽培部門の優れた農家として選ばれ、賞が贈られたのでした。
レニボイさんは、3年前に開かれたバランゴンバナナ関係者の集いにおいて、父親を早くに亡くし苦労したこと、かつて集荷所が遠かった時には、収穫したバランゴンを山や川を越えて運んでいたこと、バランゴンの収入で家族を養うことができていることを涙ながらに発表してくれました。地域のリーダー的な存在で、優しく落ち着いた印象だったので、人前で涙するのが意外で、思わずもらい泣きをしてしまいました。

レニボイさんの夢として、頻繁に修理する必要がないコンクリートの頑丈な家を建てること、3人の子ども全員が大学を卒業し、それぞれが良い生活を送れることを挙げていました。
生産者の顔を思い浮かべながら、バランゴン事業を取り巻くピンチをチャンスに変えるべく、今年もがんばります。

松本 敦(まつもと あつし/ATJ)

【バナナニュース277号】バランゴンバナナの舞台裏 ~数量編~

2018年5月7日

昨年の新しい取り組みとして、バナナの注文が最も多い4-6月に収穫を迎えられるように、バナナの苗を植え付ける時期を生産者に意識してもらう、ということを試みました。
背景として、バランゴンの収穫量の季節変動と、日本での消費の季節変動が合っていないという課題があります。

左図は、日本の一般的なバナナの消費動向です。4-6月にたくさんバナナが売れて、夏と冬は売れない傾向にあります。夏場はスイカなどの水分の多い果物に流れ、冬場はりんごやみかんのシーズンということがあります。バランゴンへの注文も似たような傾向にあります。

 

穴を掘って植えつけ

穴を掘って植え付け

一方で、バランゴンバナナの収穫量は消費の波とは反対に、日本の春と秋に収量が減少し、夏と冬に増える傾向にあります。

2月前後は、季節風の影響で1年間で一番涼しい時期で強風も吹きやすく、また乾季で雨量も少ないため、結果として3-4月の収穫量(4-5月の販売分)が減少します。

そして減少からの回復が7-8月販売分にあたります。そのあと、大抵台風の影響を受けて日本の秋の販売分が減少し、その回復が冬場にあたってしまうのです。

バランゴンバナナの苗。わき芽を使用。

バランゴンバナナの苗。わき芽を使用。

日本で売り切れない場合は、生産者から買い付けをした後、輸出はせずにフィリピン国内で赤字で販売したり、生産者からの買付を見合わせたりして対応しています。

(酸味のあるバランゴンはフィリピン国内ではそこまで人気のある品種ではないため、フィリピンでの国内販売も容易ではありません)。

 

新規作つけしたバナナの畑を草刈り中の生産者(2017年10月撮影)

新規作付けしたバナナの畑を草刈り中の生産者(2017年10月撮影)

バナナは多年草です。植え付けから収穫まで約1年かかり、半年後以降に次のわき芽の収穫と続いていきます。

せめて最初の植え付け時期だけでも意識的に4月前後にしてほしいと日本側は考えてきましたが、根付きやすい雨季(6-11月)に作付けするのが自然という意見もあり、なかなか実現してきませんでした。

 

昨年、生産者の協力を得てようやく実現しましたが、あぁ・・・、苗の確保が遅れ、作付け時期が予定よりも遅くなり、バナナが売れない夏場に収穫が集中する可能性が出てきてしまっています!

もし夏場に頑張って販売していたら是非ご注文をよろしくお願いします!!
※ちなみに、スーパーで売られているバナナは、台風があまり来ない島(フィリピン南部のミンダナオ島)で、雨季・乾季の雨量の差が比較的少ない地域を中心に栽培されています。

事業部商品一課 松本 敦

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【バナナニュース276号】バランゴンバナナの舞台裏 ~品質編2~

2018年4月3日

バランゴンバナナには様々な課題がありますが、その1つが品質改善です。収穫から日本への輸出まで多くの工程を経ているため、品質がどの段階で悪くなるのか把握するのも簡単ではありません(*)。

バナナの品質を確認しているアーウィン氏(手前)とレイ氏(奥)

バナナの品質を確認しているアーウィン氏(手前)とレイ氏(奥)

2月末から3月にかけて、バランゴンバナナの輸出をしているオルタートレード・フィリピン社(ATPI)から、レイ氏、アーウィン氏の2名が来日しました。

レイ氏はバランゴンバナナ事業全体の責任者であり、アーウィン氏は品質管理を担当しています。来日中には、バナナの袋詰めをしているリパック場も訪問し、品質状況を確認しました。

 

フィリピンで撮影した傷の様子を見せながら、どのように広がっているかを説明

フィリピンで撮影した傷の様子を見せながら、どのように広がっているかを説明

フィリピンでは問題ないと思っていた傷がその後広がり、日本で袋詰めする時点で販売用に適さず、廃棄になっている。それを一緒に見ることができたのは、とても良かったと感じています。

「今回、日本でバナナの状態を見て、品質の悪い産地でも、全部のバナナの品質が悪いわけではなく、中には品質のいいバナナもあることがわかりました。

緩衝材をどのように使うのがいいのか検討中。

緩衝材をどのように使うのがいいのか検討中。

おそらく、品質が悪くなる原因は、畑での管理、収穫から箱詰めまでの工程にあると思うので、フィリピンに戻ったら工程を見直します。」とアーウィン氏は品質を確認した後に言っていました。

品質確認後の打合せでは、品質を悪くしている可能性がある要因として、バナナを買付けてから洗浄・箱詰めを行うパッキング場まで運ぶ際のバナナの取り扱い、箱詰めの方法、箱詰めの際に使用している緩衝材の使い方などが挙げられました。
すぐに劇的に改善するのは難しいですが、考えられる原因に対処していきたいと考えています。

事業部商品一課 黒岩竜太

 

*バランゴンバナナが収穫から日本に届くまで工程に関しては、「バランゴンバナナが日本に届くまで」のシリーズをお読みください。

 

バランゴンバナナが日本に届くまで① ~バランゴンバナナ圃場の様子~

バランゴンバナナが日本に届くまで②

バランゴンバナナが日本に届くまで③~バナナの買い付け~

バランゴンバナナが日本に届くまで④ ~バナナの箱詰めから出荷~

バランゴンバナナが日本に届くまで⑤ ~日本輸入から追熟加工~

バランゴンバナナが日本に届くまで⑥~バナナのリパック~

 

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【PtoP NEWS vol.23/2018.02】女性たちがつくる未来への希望~ルワンダのコーヒー農園から~

2018年3月15日
エホ・ヘザの女性生産者たち

エホヘザの女性生産者たち

男女問わず人気で身近なコーヒー。その生産現場を多くの女性たちが支えていることをご存知でしょうか?コーヒーの収穫、選別作業などの作業の多くは、女性が携わっています。

一方で、土地の権利が男性のもので、女性の労働が正当に評価されないケースも多々あります。
そんななか、アフリカ・ルワンダでは、女性生産者たちのみで農園を営み、活動するグループがあります。今回は、彼女たちの取組みを紹介します。

 

ルワンダ女性がつくる“Women’s Coffee”

エホヘザのメンバー

エホヘザのメンバー

千の丘の国と呼ばれ、標高が高く、起伏がある土地を活かして高品質なコーヒーがつくられるルワンダ。ルワンダのコーヒー生産者協同組合KOPAKAMA(コパカマ)では、180名の女性たちが集まり、2010年に組合で購入した1.5ヘクタールの農園でコーヒーの栽培・加工を始めました。

メンバーは農園で働き、そこで収穫されたコーヒーは、“Women’s Coffee”として、通常品よりも付加価値をつけて取引されています。農園で得られた収入は3分の2がメンバーに直接分配され、3分の1は積立金として緊急時の貸付や次の生産の投資などに使われています。

[box type=”shadow”]毎年、コーヒーの収穫シーズンになると、私は夫とケンカをしていました。コーヒーを夫の名義で販売していたため、夫がいくら収入を得ていたか教えてもらえず、家計に収入が回らなかったのです。そこで私は私自身の権利のために農園に加わり、今では家計管理がうまくいっています。私たちのコーヒーは、男女平等を実現するためのモデルの役割を果たしてくれています。

(生産者メンバー:レオニル・ムカンキーロさん)[/box]

レオニル・ムカンギーロさん

エホヘザのメンバー

エホヘザのメンバー

農園で育まれること


コーヒーの生産現場では、収入面だけに限らず、女性の生産者は男性と比べてコーヒー市場の状況や技術指導など充分受けづらい環境にあります。

この農園では、市場の情報を得たり技術指導を受ける機会もあり、生産者同士が意見交換し、学び合う場となっています。

さらには、コーヒーに関することだけではなく、子育てをはじめ、日々直面している生活への不安や問題を共有し、解決するための場所としての役割も果たしています。

[box type=”shadow”]ここで働くことを通して、誰かに依存するのではなく、自分達の力で生きていくことを学べます。たとえ自分たちのなかで何か問題に直面したとしても、その解決策を仲間と共に見つけ出すことができます。(生産者メンバー:ジョセフィーヌ・ウジルムレラさん)
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“Women’s Coffee”国境を越えた連帯へ

ウォッシングステーションで仕事をするメンバーたち

ウォッシングステーションで仕事をするメンバーたち

彼女たちのコーヒーは、味に関わる欠陥豆の除去や精製など、女性ならではのきめ細かく丁寧な作業が生かされており、現在では、男性生産者からも高い評価を得ています。

また、国外にも“Women’s Coffee”として輸出できるようになり、英国国会議事堂内にも彼女たちのコーヒーが販売されています。

オルター・トレード・ジャパン(ATJ)でも2017年に輸入を始め、国連が1975年に制定した「国際女性デー」である3月8日に合わせて、“Women’s Coffee“の生豆販売を開始しました。

エホヘザのメンバー

エホヘザのメンバー

彼女たちの農園は、未来への希望を込めて、Ejo Heza(エホ・ヘザ/美しい明日)と名付けられています。

ルワンダはかつて、フツ族とツチ族で内戦を繰り広げ、1994年に当時の人口の1割~2割に当たる50万人~100万人が犠牲となったと言われるルワンダ虐殺が起りました。

 

Ejo Heza(エホヘザ)の中心メンバーは、この虐殺により、未亡人や孤児となった女性、夫が有罪判決を受けた女性たちです。なかには、加害者側、被害者側となったの女性もいます。双方が美味しいコーヒーづくりに励むことで、憎しみを乗り越える貴重な場所となっています。

[box type=”shadow”]この農園の未来はとても明るいと感じています。私の娘にとっても、将来、コーヒー農家になることは、とても幸せなことだと思います。なぜなら、私たちがこの農園でコーヒーを育てることが、私たち自身の暮らしを支えていることを実感できるからです。仲間と共働することで、私は一人だけではない事に気づけます。

(生産者メンバー:ベルナデッテ・ムカンタゴナさん)[/box]

 

中村智一(なかむら・ともかず/ATJ)

【バナナニュース275号】バランゴンバナナの舞台裏 ~品質編~

2018年3月2日

昼間は車でごった返しているフィリピンの首都マニラ。そこには静まり返った夜中に、黙々とバナナの検品をしていスタッフたちがいます。

マニラ事務所でバナナの検品をするスタッフ。背後にあるのは国際船に積み込む40ftコンテナ(1260箱のバナナを積み込みます)

マニラ事務所でバナナの検品をするスタッフ。背後にあるのは国際船に積み込む40ftコンテナ(1260箱のバナナを積み込みます)

オルタートレード・フィリピン社のマニラ事務所。ネグロス島などで収穫されたバランゴンバナナは、各島で箱詰めされた後、マニラに集約されます。

各島から集まってくるバナナの数は週に1,000箱以上(バナナは12㎏に箱詰めされて日本に輸入されます)になることが多く、豊作の時には2,000箱以上のバナナがマニラ事務所に集まります。

 

検品時の様子。どの産地のバナナを、どういう理由で、どれだけはじいたか、記録をつけて産地に伝えます。

検品時の様子。どの産地のバナナを、どういう理由で、どれだけはじいたか、記録をつけて産地に伝えます。

それだけの数のバナナを1箱ずつ検品するのは大変な作業ですが、マニラでの検品は、日本への輸出前の最後の砦となります。

また、国内船での到着時間と国際船への積込時間に間に合わせる必要があるので、時間との戦いでもあります。

プランテーションバナナと異なり、約3,000人近い生産者がそれぞれの地域で栽培しているバランゴンバナナは、圃場の事情も異なるので品質にバラつきがあり、検品するのも一苦労です。

「えっ、こんな小さな傷が日本では腐るのか!」

マニラで検品に立ち会っていると、そう感じることが多々あります。マニラの段階ではまだ小さくて目立たない傷。しかし、そのバナナが皆さんのお手元に届くのは、2~3週間後。約1週間の船旅をして、その後日本の倉庫で保管され、追熟加工されたバナナは、袋詰めの段階で最後の品質確認を受けます。日本に輸入したバランゴンバナナのうち10%はこの段階ではじかれています。

特に品質の悪い産地に関しては、日本での検品結果や品質の推移を共有しながら、バランゴンバナナの品質改善に取り組んでいます。皆さんに少しでも良いバナナをお届けできるよう、今後も頑張ります!

事業部商品一課 黒岩竜太

 

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【バナナニュース274号】バランゴンバナナ生産者紹介 ~西ネグロス州パタグ村のレニボイさん~

2018年2月5日
レニボイ・ソムブリアさん

レニボイ・ソムブリアさん

西ネグロス州パタグ村のレニボイ・ソムブリアさん。1998年からバランゴンバナナをオルタートレード社に販売を始めました。

2012年からはネグロスのオルタートレードのスタッフとしても働いており、現在は地域開発担当として他の生産者のサポートを行っています。

「オルタートレード社にバナナを販売しようと思った理由は、定期的にバナナを取りに来てくれるので、町の市場まで自分で持っていく必要がなかったからです。

また、買付時に代金を支払ってくれるので、生産者にとって確かな定期的現金収入となります。バランゴンバナナからの収入は、私の収入全体の約3割を占めており、貴重な現金収入源です。」と話す、レニボイさん。

 

レニボイさんの畑に行くには、険しい山道を通らなければなりません。

レニボイさんの畑に行くには、険しい山道を通らなければなりません。

日常的には午前中はスタッフとしての仕事を行い、午後は自分のバナナの病害虫を予防するための袋掛け、枯葉の除去、除草などといった手入れ作業を行っています。
バナナ以外にもタロイモ、パパイヤ、ココナッツやカカオなども植えています。
またレニボイさんは、水牛の糞などを利用して堆肥を作り、バナナやパパイヤに使用しています。

「地域開発担当の仕事というのは、生産者協会の組織強化、担当地域でのバナナの作付け拡大、農業技術のサポートなど、多岐にわたります。
また、パタグ村だけでなく、近隣の村も担当しているので出かける必要もあります。

 

レニボイさんのバランゴンバナナ畑。強風被害で葉っぱが切れ切れになってしまうことも。「一度の台風で、収穫量が8割も減ったこともあります」と、レニボイさん。

レニボイさんのバランゴンバナナ畑。強風被害で葉っぱが切れ切れになってしまうことも。「一度の台風で、収穫量が8割も減ったこともあります」と、レニボイさん。

地域開発担当としての仕事と自分の畑での作業をいっしょに行っていくことはとても大変です。

スタッフの仕事が忙しくても、農家である以上、1日30分でも自分の畑での作業をするよう心掛けています。

しかしながら野菜づくりは、手入れに手間がかかるので植えていません」と話してくれました。

 

「バランゴンバナナを継続的に食べていただくことが、フィリピンの生産者のサポートに繋がっています。今後もバナナを通じた関係性が継続していくことを望んでいます。これからもバランゴンバナナをよろしくお願いします。」

 事業部商品一課 黒岩竜太

 

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【ハリーナ no.38 より】カカオの民衆交易とパプアの未来 ~カカオキタ社代表 デッキー・ルマロペン~

2018年1月22日
デッキーとブラップ村の女性たち

デッキー(左から2人め)とブラップ村の女性たち

インドネシア・パプア州でのカカオ事業で最初のコンテナを出荷した2012年から数えてすでに5年がたちました。

私は当初から民衆交易を通じて、パプアのカカオ生産者が消費者の要望に応えられる品質のカカオを生産し、そのカカオから確実な収入を得て経済的に自立していく、という道筋を描きました。

 

その歩みはゆっくりですが、確実に進んでいると思っています。

 

カカオを通じて幸せになる

先住民族たちが生活水として使う川に農薬は流せないのでその使用はない。

先住民族たちが生活水として使う川に農薬は流せないのでその使用はない。

パプアの先住民族は豊かな天然資源と共に生きているのに、経済的にはいつも敗者で、自分たちの土地の上で開発の傍観者となっています。

しかし、パプアの人と自然に心を寄せてくれる日本の友人たちと民衆交易を通じて学び合うことで、わたしはパプア人の誇りと尊厳を回復できるのではないかと期待しました。

カラフルな実をつけたカカオ

カラフルな実をつけたカカオ

そして、カカオ事業を推進する母体、「カカオキタ社」を立ち上げました。インドネシア語で「キタ」は私とあなたを含む「わたしたち」という意味です。カカオを生産する人、加工する人、出荷する人、チョコレートを製造する人、売る人、食べる人、そしてカカオを育む大地と森をも含めすべての仲間が協働することをイメージしています。

カカオの出荷。カカオキタのスタッフが生産者と品質の確認をします。

カカオの出荷。カカオキタのスタッフが生産者と品質の確認をします。

カカオキタのビジネスのなかでは「みんなで一緒に幸せになる」という考えを大切にしています。例えば、カカオキタは原則、生産者個人から直接カカオ豆を買付けています。

効率性を考えれば、村にいるカカオ集荷人からまとめて買った方がよいはずです。

しかし、それでは一握りの人のみに恩恵が集中し、大多数の人びとと民衆交易を共有するチャンスが生まれないシステムになってしまいます。

品質合格で生産者もスタッフも笑顔

品質合格で生産者もスタッフも笑顔

 

生産者との関係づくりはカカオキタのスタッフが村々に買付けにいくとき、集まった生産者たちとカカオ栽培や村で起きていること、人の噂話など多面的に話し合うことで築き上げています。

そこからいくつかのプログラムが生まれました。

豆代の支払いを受けた後、貯金額を通帳に挟みカカオキタに託す生産者

豆代の支払いを受けた後、貯金額を通帳に挟みカカオキタに託す生産者

 

「カカオを売っても手元に現金が残らない」と嘆く母親の声に応える形で貯蓄プログラムをはじめました。

カカオの売上の一部をカカオキタが町の銀行に代行で貯金するシステムです。

 

 

カカオの森の下草刈りは、一人ではなかなか大変な作業です。みんなで協力してやれば仕事ははかどり、みんなで森で食べるお弁当も格別です。

カカオの森の下草刈りは、一人ではなかなか大変な作業です。みんなで協力してやれば仕事ははかどり、みんなで森で食べるお弁当も格別です。

また、カカオの収穫量が少ないと嘆く生産者たちからよくよく話を聞いてみると、カカオ畑の手入れができていない。

それでは皆で力を合わせて畑の手入れをしようということになり、実行したら収穫量が増えました。

こうして、生産者とのコミュニケーションを大事にすることが問題解決に少なからずつながっています。

 

知識と技術を分かち合うことで……

次なるステップはパプアの人びとがカカオ豆からチョコレート素材を製造し、お菓子にして地元で販売することです。カカオキタは小規模のチョコレート製造所とそこに併設するカフェをつくる構想を立てています。

パプアのカカオを使ってインドネシアの工場でつくったチョコレート。パプア州のカカオキタ事務所で販売。訪れたジャカルタのジャーナリストがGood!

パプアのカカオを使ってインドネシアの工場でつくったチョコレート。パプア州のカカオキタ事務所で販売。訪れたジャカルタのジャーナリストがGood!

 

このチョコ工房&カフェは、「人びとの集いと学びの場」になり、生産者はここで自ら育てたカカオからチョコレート菓子作りを学び、それを村や町で売り副収入を得ます。

カカオキタのスタッフは、キッチンでチョコレートを手作りしてみました。

カカオキタのスタッフは、キッチンでチョコレートを手作りしてみました。

 

 

 

 

カカオキタがチョコ製造で独占的に儲けるのではなく、その知識と技術を学ぶチャンスを生産者と分かち合い、各個人がそこから小さな経済活動をはじめていくというイメージです。

小さな活動が集まって協働組合に発展するかもしれません。みんなで幸せになる夢は膨らみます。

 

 

パプアのカカオはパプアの森からの贈りもの

パプアのカカオはパプアの森からの贈りもの

最後に。悲観的に聞こえてしまうかもしれませんが、率直に言ってパプアの未来は前途多難だと思っています。

パプア先住民族に真の指導者がいないこと、パプア人政治家・役人の汚職、インドネシアの他の島からの移住民との経済格差・競争など、パプア社会に内在している分断と紛争の火種が大きくなりつつあります。

みんなでカカオキタの車に乗って、みんなの生活の糧がつまっているパプアの森の手入れに出かけます。

みんなでカカオキタの車に乗って、みんなの生活の糧がつまっているパプアの森の手入れに出かけます。

そんななか、パプアの民衆が経済的に安定することは外部の問題に安易に翻弄されないためにも必要です。パプアの未来を考えるとき、先住民族の暮らしや文化を生かしながらパプア人自らが身の丈にあった経済活動の担い手になることがどうしても必要なのです。民衆交易を活かしてそれを実現したいです。

 

自分たちでつくったチョコでつくったチョコアイス。近所で大評判!

自分たちでつくったチョコでつくったチョコアイス。近所で大評判!

 

 

【PtoP NEWS vol.18/2017.09】森のカカオをお届けします!from インドネシア・パプア州

2018年1月11日

収穫量は良好!

パプアの森のカカオ畑

パプアの森のカカオ畑

インドネシア・パプア州のカカオ産地では、去る7月に11トンのカカオ豆をチョコレートの原料にするために、二次加工所がある東ジャワ州のスラバヤへ向けて出荷しました。

振り返ってみれば、2016年はカカオキタ社が買付けをしている村々の収穫量があまり芳しくなかったのですが、今年2017年は3月ごろから収穫量が増え、半年で10トン近く(昨年は約6トン)の豆を集荷することができました。

生い茂った木々と格闘

生い茂った木々と格闘

カカオキタ社のスタッフや生産者たちは、収穫量が増えたのはある事が功を奏したと信じています。

そのある事とは、カカオの森の手入れです。そもそものはじまりは、生産者たちが「カカオに病気が蔓延した」「カカオの木が古くて実がつかない」とカカオキタ社代表のデッキーさんに訴えてきたときに、デッキーさんが「嘆く前に、まずはあなたのカカオの森をきれいにしてみたらどうですか?」と、アドバイスしたことにありました。

そして、昨年末にカカオ生産者たちと一年を振り返る話し合いをしたときに、「来年はカカオを植えている森の手入れをしよう」と約束をしたのです。

 

森の手入れで大変身

さあ、みんなでカカオの森の手入れに出発!

さあ、みんなでカカオの森の手入れに出発!

こうした経緯で始まった「カカオの森の手入れ作業」。ブラップ村では2月から週に2~3回の頻度で生産者一人ひとりの森(平均1~2ヘクタール)の手入れ作業をしました。20~30人の仲間総出の協働作業です。

この作業を通してわかったのは、カカオは他の樹木に混じって植えられており、鬱蒼とした森の中で太陽の光を十分受けることができず、実が腐っていたり、カビが生えてしまったりしていたことです。

みんなで下草刈り作業

みんなで下草刈り作業

またカカオ周辺の木々が行く手を遮断するように逞しく生い茂り、奥の方に植えられたカカオはそこに到達するのが大変なので、実をつけても収穫されず放置されていることも多々あるようでした。

大ナタを手にした生産者たちが森に入り、一斉に下草や周囲の木々の枝落としをすると、森は日の光を受けて、「ここにも、あそこにも、カカオがあった!」というようにカカオの木々がくっきりと浮かび上がってきたのです。

生産者が収穫したカカオの計量(スナ村)

生産者が収穫したカカオの計量(スナ村)

そして「カカオの森の手入れ作業」の成果があらわれたのかのように、3月からカカオの収穫量がぐっと増えてきました。

月に20日近く、カカオキタ社の軽トラックは片道2~3時間かかる産地を走りまわり、一人ひとりの生産者から豆を買付けました。

豆代の支払いを受けた後、貯金額を通帳に挟みカカオキタに託す生産者たち。

豆代の支払いを受けた後、貯金額を通帳に挟みカカオキタに託す生産者たち。

今年に入ってからはスナとオンブロップという2つの村もカカオキタ社の生産者グループに仲間入りしました。これらの村でもさっそく森の手入れ作業に着手しています。

新しい仲間にも、貯蓄プログラム(豆の売上の一部を貯金する)を紹介し、多くの生産者が民衆信託銀行で口座を開設し真新しい貯金通帳を手にしました。

 

生産者が育てたカカオ豆、スラバヤへ旅立ち

発酵後の豆を乾燥台に広げる

発酵後の豆を乾燥台に広げる

カカオキタ社の倉庫では、生豆で買付けたカカオを発酵・乾燥させたり、乾燥豆を追加乾燥して水分含有量を適正な値にします。

生産者が収穫したカカオ豆を良い品質で出荷できるようスタッフは倉庫に住み込みで作業を続けました。

 

カカオ袋のラベルを書く、カカオキタ社代表のデッキーさん

カカオ袋のラベルを書く、カカオキタ社代表のデッキーさん

スラバヤへの出荷の1週間前からが追い込み作業です。このときは、臨時の助っ人も含め10人の若者たちが豆の計量、袋詰め、ラベルづくり、袋の縫い付けを絶妙なチームプレーで手際よくこなしていきました。

こうしてすべての準備が整い、ラベルが縫い付けられた袋が整然と並ぶ倉庫で、カカオキタ社のスタッフは「あー、明日でこの豆たちともお別れか」とちょっと寂しそうでした。

7月18日、368袋のカカオ豆が1時間もかからずに20フィートのコンテナに積み込まれ、ジャヤプラ(パプア州の州都)の港へと向かいました。さあ、ここから森のカカオが手から手へと手渡される長い旅が始まります。

津留歴子(つる・あきこ/ATJ)

【バナナニュース273号】北ミンダナオのバランゴンバナナ生産者紹介 ~セルソ・ファベラさん~

2017年12月26日
ファベラさんとバランゴンバナナ

ファベラさんとバランゴンバナナ

ミンダナオ島クラベリア町のバランゴンバナナ生産者、セルソ・ファベラ(Celso J. Fabela)さん。

59歳で3人の子どもがいます。子どもは全員独立しており、2人は教師、1人は会社員として働いています。

ファベラさんがオルタートレード社にバランゴンバナナを初めて販売したのは2007年です。しかしその後、妻であるエルノア(Elnore)さんが病気になり、治療のためにお金が必要だったので、質として土地を預けて、お金を借りました。

ファベラさんはお金を借りている間は土地を使用することができず、その土地は6年間牧草地として使用されたため、バナナ栽培を続けることができませんでした。借金をしている間、ファベラさんは近隣の畑で働きながら、生計を立てていました。

ファベラさん、圃場にて。

ファベラさん、圃場にて。

子どもの協力もあり、2016年に借金を返済した後は、再びバランゴンバナナを植え、2017年からオルタートレード・フィリピン社(ATPI)に販売をしています。バナナの手入れをしっかり行っているので、ファベラさんは高い生産性を維持していると、クラベリア町を担当しているATPIスタッフのハイディさんは言います。また、バランゴンバナナ以外にも、主に自家消費用として野菜なども植えています。

「バランゴンバナナは私たち家族だけでなく、クラベリア町の他の生産者にとって、貴重な定期的な現金収入源です。」とファベラさんは言います。

また、バナナ栽培の難しさについて聞かれると、「台風や干ばつといった天候被害、病害被害はバナナ栽培にとって大きな課題です。台風による強風、干ばつによる水不足で株が弱ると、実をつけているバナナが倒れてしまうことがあります。病害対策に関しては、定期的に畑の見回りを行い、早期に病気に感染しているバナナを発見して対処することが重要です。」と説明してくれました。

ファベラさんのバナナ畑

ファベラさんのバナナ畑

 

事業部商品一課 黒岩竜太

 

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【PtoP NEWS vol.21】パレスチナでのオリーブ収穫

2017年12月25日
広がるオリーブ畑

広がるオリーブ畑

油の中の油 オリーブオイル

「太る」とか「ぬめぬめする」とか「脂ギッシュ」とか、割と否定的なイメージも少なくない「あぶら」。

しかしそれは、生命活動に必須の栄養素であり、エンジンを回すために必須の動力源であり、天ぷらを揚げるのに必須の食材でもあり、絵描きには必須の画材でもあります。今や「あぶら」は、人類の営みとは切っても切れない存在と言えます。

パレスチナのオリーブオイル

パレスチナのオリーブオイル

主に常温で液体のあぶらを指す「油」は、英語ではOil。その語源はオリーブです。ようやく日本でも認知度が高まりつつあるオリーブオイルは、つまり、油の中の油。それだけ長い人類との付き合いがあるのです。

調理、美肌、灯り、石けん、媚薬… 頼れる生活のパートナー

オリーブは、今から6000年くらい前には、すでに栽培されていたと言われます。そして、人びとはその実を搾ることで油を得ていました。

なお、それ以前の人類にとって、あぶらと言えば「脂」。これは、単純に狩りが中心の生活だったからですが、植物から油脂を得ることが難しかったからでもあるようです。

そんなオリーブの栽培が始まったとされるのが、パレスチナ周辺の地中海沿岸部。以来6000年にわたり、そこに住む人びとは、ずっとオリーブと共に暮らしてきました。

オリーブの古木

オリーブの古木

今でもレストランに行くと、ピッチャーに入ったオリーブオイルが机上に鎮座し、皆ドヤ顔で料理にかけまわしています。

聖書にも頻繁に出てくるこの油は、調理油としてはもちろん、ダイレクトに飲用されたり、美肌を保つために塗られたり、灯りを灯されたり、石けんにされたり、香料を溶かし込まれて媚薬にされたり、色々なモノの潤滑油にされたりと、八面六臂の大活躍をしてきました。

またオリーブの木そのものも、その堅く締まった木質から、材木として活用。搾りカスですら家畜のエサになるなど、オリーブは余すことなく使える、頼れる生活のパートナーなのです。

パレスチナを訪れると、今なお広大な土地にオリーブ畑が広がっています。ヒトよりオリーブの木の方が多そうです。丘陵地のため、ロバが入れるように段々畑チックに作られているところもよく見かけ、昔の人の知恵が偲ばれます。コンクリ舗装の道路と電線、そしてイスラエルによる入植地の姿さえ無視すれば、きっとその風景は、数千年前からあんまり変わっていないのではないでしょうか。

オリーブの実

オリーブの実

オリーブの花

オリーブの花

 

品質の良いオイルが取れるように

さて、モクセイ科であるオリーブは、年に一度花を咲かせ、年に一度実をつけます。その実が熟してくる10月頃が、オリーブの収穫期です。

スペインやイタリアの大規模農園のように、理路整然と植えられたオリーブの樹上を機械がまたいで摘み取っていくわけではありませんので、当然、収穫は地道な手作業となります。

収穫されたオリーブの実

収穫されたオリーブの実

パレスチナ自治政府によって「収穫開始」の合図が出ると(2017年は10月10日だったそうですが、現地パートナー曰く、「フライングするヤツも必ずいる」とのこと)、学校も官公庁も1週間お休みとなり、家族総出での一大イベントに。

恐らくは古き良き日本の、田植えや稲刈りと同じようなイメージなのでしょう。この時期になると、大人も子どもも、暇さえあればオリーブ畑で収穫作業です。

では具体的に何をするのかと言うと、地道に手で一粒ひと粒摘んだり、オリーブの木によじ登って砂場遊びのクマデのような道具でオリーブの実をしごいて回収したり、下から丈の長い器具で枝を震わせて落とした実をキャッチしたり、いたって素朴な作業です。

現在では、一番良いオイルが取れるとされる実の色が黒く変わる直前を見極め、昔の様に木や実をブッ叩くことなく丁寧に収穫することで、品質の良いオイルが取れるように心を砕いております。

集められたオリーブは、大体どこの村にもある搾油場へ。そこでオリーブオイルに姿を変え、タンクに保管されます。

これも、昔は収穫された実はボロい麻袋などに入れてロバでのんびり運ばれており、その過程で劣化してしまうため、今のような品質の高いオイルは取れなかったそうです。

収穫したオリーブはロバで運搬

収穫したオリーブはロバで運搬

現地の人はそういう昔風のオイルが好きなようですが、イスラエルの占領下においてパレスチナ産オイルの扱いは低く、適正価格で流通できない事情もあります。

生産者がきちんと生計を立てていくためには、品質を向上させ、域外へ輸出していくことが重要でした。

そこで、パートナー団体であるパレスチナ農業復興委員会(PARC)やパレスチナ農業開発センター(UAWC)は、生産者への農法指導や輸送時の管理方法の改善、また時間の短縮に取り組み、搾油場にも最新の機械を導入し、保管場には空気に触れないステンレスタンクを設置するなど、オイルの品質改善を進めてきました。

その結果、今では国際的に認められるレベルにまで向上し、皆様のお手元にも届いていることになります。

引き抜かれたオリーブの木

引き抜かれたオリーブの木

これだけ聞くと、牧歌的な暮らしが想起されますが、実際のパレスチナでは、周辺にイスラエル入植地が乱立し、入植者からの嫌がらせが後を絶ちません。

大切に育てたオリーブを切る、燃やす、引っこ抜くといった、極めて残忍かつ幼稚な行為が、頻発しています。

オリーブの木を植樹するパレスチナの生産者

オリーブの木を植樹するパレスチナの生産者

それらは全て、「パレスチナは神がユダヤ人に与えた土地」という妄想と、それに基づく排他主義による自己正当化の賜物です。

そんな理不尽な苦労を強いられているパレスチナの人びとが一生懸命育てたオリーブから取れたオイル、ぜひ一度手に取ってみてください。

若井俊宏(わかい・としひろ/ATJ)

大切に育てられたオリーブから出来たオイルは、“パレスチナのエキストラバージンオリーブオイル”として販売しています。

オリーブの木の下で

オリーブの木の下で

 

オルタートレード(民衆交易)パートナーフォーラムを開催しました ‐2017年10月20日‐

2017年12月11日

オルター・トレード・ジャパン(ATJ)が設立されたのは1989年10月です。バランゴンバナナの本格的な輸入・卸業務を「民衆交易」として営むことになり、生協・団体を主な株主として設立されました。2019年には30周年を迎えようとしています。

ヒルダ・カドヤ氏

ヒルダ・カドヤ氏(左)

2年後に30周年を迎えるバナナ民衆交易、今年取り組み6年目のカカオ民衆交易。

その民衆交易を取り巻く周辺状況(社会経済状況や環境問題など)が大きく変化しているなか、それぞれの現場で私たちの「民衆交易」は何をめざしてどのような民衆交易を営んでいるのか、営もうとしているのか。

海外パートナーとATJ/APLAスタッフが共有・討論する場として、去る10月20日、「オルタートレード・パートナーフォーラム」を開催しました。

 

ハリー・スサント氏

ハリー・スサント氏(左)

参加者は、海外パートナー4団体とATJ/APLA役職員。

海外パートナーの報告者は、ヒルダ・カドヤ氏(フィリピン/ATPI:マスコバド糖/バランゴンバナナ)、ハリー・スサント氏(インドネシア/ATINA:エコシュリンプ)、エバン・ソアレス氏(東ティモール/ATT:コーヒー)、デッキー・ルマロペン氏(インドネシア・パプア州/KAKAOKITA:カカオ)、他にフィリピンからダーレーン・エグザルタド氏(ATC)とアリエル・ギデス氏(ATPF)、パレスチナからイッサ・アイシャトラ氏(PARC:パレスチナのオリーブオイル)らがフロア参加しました。

 

エバン・ソアレス氏

エバン・ソアレス氏(右)

各海外パートナー団体から、それぞれにとっての「民衆交易」について発表が行われました。

今回は、パートナーどうしの交流も目的のひとつとしました。お互いの取り組みを知り合えたことは良かったという感想がが述べられました。

そして、ATJ/APLA役職員との質疑応答が行なわれました。当日報告予定がなかった海外からの参加者からも、それぞれの持ち場の報告や意見が出されました。

 

 

アリエル・ギデス氏

アリエル・ギデス氏(右端)

海外パートナーどうしで、状況や経験が異なるなかで「民衆交易」についての考え方の違いややり方に違いがあり、お互いの取り組みから学ぶことが大きかったという感想や、グローバリゼーションや気候変動など、それぞれの生産の現場に共通した課題であることがわかりました。

ダーレーン・エグザルタド氏

ダーレーン・エグザルタド氏

イッサ・アイシャトラ氏(右)

イッサ・アイシャトラ氏(右)

 

 

デッキー・ルマロペン氏

デッキー・ルマロペン氏(右)

また、インドネシア・パプア州のデッキーさんからの「民衆交易の大切なポイントは人が主役であるということ、人が変わることであって組織や事業ではないのだ」という意見は、海外パートナー参加者及び日本側参加者にも考えさせられるポイントのひとつとなりました。

 

 

今回のフォーラムでは、海外パートナーどうしの状況や考え方の共有、ATJ/APLAスタッフ間では担当部門を越えての情報の共有となりました。今後、抱えている困難や悩み事など具体的なポイントを掘り下げての討論を継続していきたいという意見が、参加者から多く寄せられています。

広報本部 幕田恵美子

フォーラム参加者

フォーラム参加者

【バナナニュース272号】バランゴンバナナ産地に、台風による強風で被害がありました。

2017年12月1日
台風21号はフィリピンに上陸していませんが、発生した雨雲がフィリピン(黄色部分)を覆い、大雨と強風を発生しました。

台風21号はフィリピンに上陸していませんが、発生した雨雲がフィリピン(黄色部分)を覆い、大雨と強風を発生させました。

今年10月に日本に多大な被害をもたらした台風21号。フィリピン名では台風パオロ(Paolo)と呼ばれ、フィリピンに上陸はしませんでしたが、この台風による大雨と強風により10月中旬頃に一部のバランゴンバナナ産地に被害が出ました。

 

 

 

強風によって倒されたバランゴンバナナを悲しそうに見つめるマドロンさん

強風によって倒されたバランゴンバナナを悲しそうに見つめるマドロンさん

ミンダナオ島レイクセブでは、実をつけたバナナが強風で倒されたり、葉っぱが切れ切れになる被害が発生し、バナナの収量が約4割減少しました。

バランゴンバナナ産地全体としては、今年は例年に比べ強風被害が少なかったのですが、バナナにとって強風被害は大きな課題の1つです。

 

バナナはバショウ科バショウ属の多年草植物であり、高さ数メートルにまで育ちますが、木ではなく草です。木のように丈夫でないために、重い実をつけている時期に強風に煽られると重みを支えることができず、倒れやすくなります。竹などでバナナを支えることで倒れづらくする対応を取っている生産者もいますが、それでも倒れてしまうことがあります。

今回のレイクセブでも、順調に成育していた収穫間近のバナナが強風によって倒されてしまいました。レイクセブの生産者であるジョン・マドロンさんは、台風発生の前の週には約15株のバナナを収穫することができていました。しかし、強風で収穫前の大きくなったバナナが倒されてしまい、収量は大きく減少しました。

強風によって葉っぱが切れ切れになったレイクセブのバナナ

強風によって葉っぱが切れ切れになったレイクセブのバナナ

また、強風が吹くとバナナが倒されるだけでなく、葉っぱが切れる被害も発生します。葉っぱが細かく切れるとうまく光合成をすることができず、生育が遅くなる、実をつけても大きくならないなどといった影響が出てきます。そのため買付基準に満たないバナナとなる可能性が高くなるのです。

 

 

今回のこうした台風の影響は、2~3ヶ月続くことが予想されます。

洪水で流されたタンハイのバランゴンバナナ

洪水で流されたタンハイのバランゴンバナナ

ミンダナオ島レイクセブ以外でも台風パオロの被害を受けた産地があります。ネグロス島東州の山間部産地の一部では、土砂崩れで道路が遮断されたため、台風直後は一時的にバナナの集荷に行くことができなくなりました。また、川沿いの産地であるタンハイ市マタンガッド地域では川が氾濫し、バナナが流されてしまうといった被害がありました。生産者によると、川の水位が川岸よりも5m上がり、バナナが水で押し倒されてしまったそうです。

事業部商品一課 黒岩竜太

 

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【PtoP NEWS vol.07.201610 特集】パレスチナ人民連帯国際デー

2017年11月22日

毎年11月29日は、国際連合(以下、国連)が定めた「パレスチナ人民連帯国際デー」です。

「世界トイレの日」と並んで国際デーに位置付けられているこの日は、特に昔からパレスチナに住んでいた人びとやその親族から見れば、10年間我慢して腸内に溜め込んだガスを一気に連中の顔面に目がけてダイレクトに放屁してやりたいと思うほどに(それができないので、彼らは石を投げたり火炎瓶を投げたりして抵抗していますが)、黙って過ごすことのできない日として、心に刻み込まれています。

 

 

パレスチナの子どもたち

パレスチナの子どもたち

「パレスチナ人民連帯国際デー」制定は、1947年11月29日、国連がパレスチナの地を「ユダヤ人向け」と「アラブ人向け」に分割するという決議を採択したことに端を発します。
この時点で、多くの人びと(パレスチナ人)がこの地に住んでいましたが、同決議をきっかけとして翌年5月に現在のイスラエルの建国が宣言され、その地に住んでいた多くのパレスチナ人(主にアラブ人)が自分たちの土地を追われて難民となりました。
では、パレスチナ人とは全く無関係な第三者が寄り集まって二分割するという理不尽な採択が、何故なされたのでしょうか?

 

家族でオリーブの収穫

家族でオリーブの収穫

そもそも、「パレスチナ」という言葉は、地中海東岸・シリアの南側一帯を指す呼称として、ローマ時代から用いられてきました。
パレスチナは「ペリシテ人の土地」という意味で、ローマ時代以前にこの地に存在していた古代イスラエル王国を滅ぼしたローマ帝国が、ユダヤ教に関する言葉をなくすという目的で付けた地名と言われています。

ペリシテ人というのは、この地に入植して住み着いていた民族で古代イスラエルの主要な敵として知られています。後述の通りこのようにローマ帝国によって、各地にユダヤ人が離散したことも、その後のパレスチナ問題の一端を担っているといえるでしょう。

オリーブ畑

オリーブ畑

その後パレスチナは、かの有名なナザレのイエスがこの地で誕生し、受洗して布教した後に処刑された場所として知られるようになります。
16世紀にはオスマン帝国がこの地を支配し、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の全てにとって重要な聖地として存在する一方、これらの宗教を信仰する人びとが共存してきました。
重要なのは、彼らが特に大きな争い事もなく共存してきたことであり、また、前述の通り、そのパレスチナの地に住んでいた「パレスチナ人」がいたという事実です。
現在のパレスチナ問題は、あたかも根深い宗教上の対立・紛争であるかのように報じられることもありますが、必ずしもそうではありません。

オリーブの古木

オリーブの古木

2000年前の離散以降、ユダヤ人は世界各国に居を移し、彼ら独自の信仰とそれに基づく行動規範を守ってきました。しかし時には、それを異端と捉える周囲の人びとから迫害を受けることも少なくありませんでした。

そのようなユダヤ人の中で、かつての祖国である古代イスラエル王国のあった地、つまりパレスチナに、ユダヤ人国家を作るというシオニズム運動が展開していきました。

オリーブの実

オリーブの実

その結果として、19世紀以降、多くのユダヤ人がパレスチナの地に移住しました。この運動の標語として有名なのが「土地なき民に、民なき土地を」という言葉ですが、パレスチナの地にはすでに多くのパレスチナ人が住んでいたことはご説明した通りです。

 

つまり、シオニズム運動は、このような事実を隠蔽し、「2000年前に離散したかわいそうなユダヤ人が、自分たちの力で誰に迷惑をかけることもなく土地を取り戻し、国を再建する」というような美談を掲げ、1948年のイスラエル建国にこぎつけたものであると言えます。

 

 

オリーブの生産者

オリーブの生産者

特にユダヤ人の多い米国を筆頭に、冒頭に述べた国連による分割決議案に賛成票が投じられ、その後連綿と続くパレスチナ問題につながっていきます。
この「パレスチナ人民連帯国際デー」は、国際社会共通の問題として解決をしていくべきというところから、1977年に制定されました。
しかし実際には、この日を契機にパレスチナ問題の解決に動くという実効性を持っているわけではなく、また日本においては、国際デーはおろか、そもそもパレスチナという場所についても「何だか危ないところ」程度にしか認知されていないのが実態です。

 

実際に訪れるパレスチナは、古来より続くオリーブ畑の広がる長閑な地域です。もしこのような問題がなければ、今の100倍は観光客が訪れる風光明媚な土地として名を馳せていると思われます。そしてこれが、本来のパレスチナの姿であるはずです。誰も好き好んで石を投げているわけではありません。

今我々ができることは限られていますが、少なくとも同じ地球上に生きる人間同士、なぜこのような問題が起こっているのか、またパレスチナという地がどのような場所なのか、この日をきっかけとして少しでも伝えていきたいと考えています。

若井俊宏(わかい・としひろ/ATJ)