Main Menu

人から人へ、手から手へ

バランゴンバナナ交易の歩み

ネグロスの人々の自立を支援する取り組みのひとつとしてバランゴンバナナ民衆交易が開始されたのは1989年のことです。ネグロス島から始まったバランゴン民衆交易は、その後試行錯誤を繰り返しながら、パナイ島、ボホール島、ルソン島北部、そしてミンダナオ島へと出荷産地は広がっていきました(詳しい年表とバランゴンバナナ生産量の推移)。

緊急援助から経済活動へ

1980年代に起きた砂糖の国際価格の暴落は、当時フィリピンの全砂糖生産量の6割を産出していた「砂糖の島」とも呼ばれたネグロス島に大量の失業者を生み出しました。仕事を失った多くの労働者とその家族が深刻な飢餓に見舞われました。1985年に国連ユニセフにより緊急事態宣言が出され、フィリピンのNGOからの要請を受けて日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC)が設立されたのは1986年です。JCNCは子どもたちへの給食や医薬品の配布などの緊急支援から始めました。翌年1987年には、支援の一環としてネグロス島からのマスコバド糖の輸入が開始されました。マスコバド糖の輸入は、ネグロスの人々には自分たちで生産する力をつけてもらい、それを公正な交易活動で支えるという新しい支援の仕組みとして始まった「民衆交易」です。そして当時「農薬を使っていないバナナがあるなら…」という消費者の要望から考えられたのがバナナでした。

バランゴン民衆交易の始まり

その頃日本では、農薬漬けと労働者搾取のプランテーション・バナナが問題になっていました。バランゴンバナナ民衆交易は、ネグロスの人々の自立支援と、安全で公正なバナナを求める生協の活動が出会って生まれたものです。
民衆交易品としてバランゴンバナナが選ばれる際には4つの条件がありました。
(1)ネグロス島にあるもので、ネグロスの人々が環境を破壊することなく、手軽に栽培できるもの。
(2)地元の人々の食生活や地域経済に影響を与えないもの(フィリピンに多種あるバナナのなかで、フィリピンの人々はラカタンバナナなどを好んで食しています。バランゴンバナナは山間地に多く育つこともあり地元ではほとんど流通していないため、日本に輸出されても人々の食を奪うこともなく、また市場価格への影響もほとんどありませんでした)。
(3)農薬を使用することなく、食べる人にもつくる人にも安全であること。
(4)民衆交易を通して、ネグロスの人々の暮らしと日本の人々の暮らしがともに向上することが期待できること。

紆余曲折を経て

こうして1989年にテスト輸入が、90年には本格的な輸入が始まったバランゴンバナナ民衆交易でしたが、最初の頃に輸入されたバナナは日本に届いたときには、真っ黒に腐った状態で軸はバラバラというバランゴンがほとんどでした。それまで地元市場にしかバナナを出荷したことがない生産者たちにとっては、輸出用の刈り取り熟度を判断することも、傷まないようにバナナを取り扱うことも経験がなかったからです。最初から熟度がバラバラで防カビ剤も防腐剤も使わない、誰もやったことがなかった「民衆交易バナナ」の出荷は試行錯誤の連続でした。1990年には次第に出荷数量も伸び、ようやく軌道に乗り始めた11月、ネグロス島に大型台風ルピンが襲来しバランゴンバナナは全滅状態となりました。

台風ルピンは大きな被害をもたらした。
台風で破壊した家の前に立つ生産者。

台風の通り道にあるネグロス島では、バナナだけに頼らない生産物の多様化を農民たちに呼びかけて「バナナ村自立5ヵ年計画」が実施されていくことになります。しかしながら台風被害から徐々に回復してきた1993年に、バンチトップ病というバナナの病気が猛威を奮い始めました。それまで山の中で自然に育っていたいわば野生のバランゴンバナナが大量に日本に持ち出されることによって、自然の循環がこわれ、産地の土壌のバランスが崩れ、バナナも病気にかかりやすくなってしまったのです。

改めて経済的な自立のみを追うのではなく、自然環境との共生も考えて持続的な生産体系づくりを基盤としたバナナ民衆交易を目指すことになります。
近隣のパナイ島やボホール島で、地域にあるバランゴンバナナを民衆交易に乗せることで自立をめざした地域づくりをしたいという生産者たちと出会い、またバランゴンバナナが多く生育し、しかも出港地のマニラまで陸路で運搬できるルソン島北部もバランゴンバナナの産地の仲間となりました。

バランゴンバナナ・リニューアル計画(BRP)

バランゴンバナナ民衆交易が始まって10年、台風の影響やバナナ病害のために出荷数量が不安定で、熟度や傷みなど品質も不安定という問題をかかえながらの10年でした。商品としての自立と事業の持続の基盤づくりをめざして、2000年に「バランゴンバナナ・リニューアル計画(BRP)」が開始されました。
安定供給を達成するために、台風の影響がほとんどなく土壌や気候にも恵まれたミンダナオ島にもバランゴンバナナ産地を持つことにしました。バンチトップ病に感染していない苗を確保するために、植え付けをする場合には成長点培養苗を採用することにしました。バナナの品質改善のために熟度管理や栽培管理の手入れ作業が導入されました。収穫時の熟度をできるだけそろえるために、収穫時の目安をつけるために色タグをつけること、コスレキズや虫害からバナナの実を保護するために袋がけを導入しました。現在ネグロス島では、全体の9割はこうした手入れがなされているバランゴンバナナです。さらに、バナナの実を大きくするために、ひとつの株から複数出てくる脇芽は1本だけ残す手法や、房数の調整、可能であれば有機堆肥を入れることを生産者に奨励しています。集荷所からの運搬には、特に手入れをしたバナナは房ごとに新聞紙に包んで軸の切り口の汚れを減らし、プラスチックコンテナに収納してからトラックに積載することで、デコボコの山道でもできるだけキズやストレスを減らすようにしました。パッキングセンターも、品質向上、仕事のしやすさを考慮した改善がなされています。

7,418 views
omise BananaNews recipe Beyond 世界のオルタナティブ ネグロス・サミットのロゴ