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人から人へ、手から手へ

コーヒー交易の歩み

低迷する国際取引価格に振り回されるコーヒー市場に対し、ATJは生産者の声を直接届けようとオルタナティブな交易を行っています。
それは、エクアドルの有機栽培コーヒーからフェアトレードコーヒー、アジア産のコーヒー交易(アジアコーヒーコレクション)へと広がっています。

 コーヒーはその80%が小農民の手で栽培されている一方、南北問題の象徴的な商品です。国際取引価格の低迷により多くの小農民が栽培を放棄し、出稼ぎに行かざるを得ない状況に陥っています。
 日本は世界第3位のコーヒー輸入大国です。しかし、その市場のほとんどは大手商社、数社の大手コーヒー会社によって行なわれており、生産農家の声は消費者に届かず、消費者は自分の飲んでいるコーヒーについてその素性を知ることはほとんどありません。92年当時このような閉鎖的な日本の状況に対し、もう一つの(Alternative)交易を提案したいと考えていたATJにとってコーヒーの交易を開始することは課題でした。

始まりは「おいしさと有機栽培」から

 そのコーヒー交易の始まりはエクアドル・マナビ地方産の『ナチュラレッサ』です。生産者との共同事業ではありませんでしたが、まず「おいしさと有機栽培であること」から始め、力がついた段階で生産者組織化から始まるコーヒーに取り組むことを目標に93年に産地を訪問した後、94年より輸入を開始しました。この『ナチュラレッサ』の輸入は現在も続いており、2001年にはJAS有機認証も取得しました。

フェアトレード『みんなでつくるコーヒー』の開始

 有機栽培コーヒーの交易を開始後、ATJはイギリスのフェアトレード(公正貿易)団体のTWINとの提携により、1990年の国際価格の低迷をきっかけに、コーヒー栽培に適した環境を最大限に生かし、仲間と経験を分かち合いながら、コーヒーの有機栽培や共同出荷に取組み始めた生産者協同組合と出会いました。これまで仲買人に販売していた生産者たちが、共同でコーヒーを集め、加工し、出荷を担っています。そのコーヒーを『みんなでつくるコーヒー』シリーズとしてペルー、メキシコ、キリマンジャロとブレンドの4種類を1996年より開始しました。2005年にはハイチ、2009年にはルワンダのコーヒーが仲間入りしています。

高品質・希少のコーヒーも

 フェアトレードのパートナーとなったペルーやメキシコの豆は、日本のコーヒー業界ではブランド力がなく、ストレートでは商品化できない銘柄として扱われていました。一方、ブラジルやコロンビアはコーヒー生産国として有名であるだけで、相場価格も高くつくという状況に、ATJとしては常識を覆す商品を生産者協同組合から出荷してもらうことを企画しました。彼らが今まで出荷していたのはあくまでも有機栽培の豆でしたが、それに更なる選別とこだわりを加え、日本の自家焙煎の市場へのデビューをしたのがペルーの『モンターニャ・ベロニカ』とメキシコの『シエラ・マードレ』でした。また、政情不安で多くの仲買人が去ってしまったハイチの生産者協同組合RECOCARNOからの初入荷により、フェアトレードだからこそ直輸入できる強みが発揮されることになりました。

アジア産コーヒーへの取組み

 ATJはTWINからヨーロッパ型フェアトレードの生産者との関係のあり方を学んだり、ペルー・メキシコの生産者たちの「コーヒー栽培と地域を守る活動に対する誇り」を現場で実感し、いつかは自分たちの地域である「アジア」で生産者たちとコーヒーに取り組みたいと考えていました。そんな中、ATJはコーヒー栽培に取り組む東ティモールの山岳地域に暮らす小農民たちと出会い、コーヒーを通して本当の自立を支援しようと、現地のNGO、日本のNPOであるアジア太平洋資料センター(PARC/現PARCIC)とともに動きだしました。
 東ティモールは2002年5月にようやく独立を果たした人口約107万人の小さな新しい国です。現金収入を得る手段として、ポルトガル植民地時代に持ち込まれたコーヒーに、実に国民の4分の1が生計を頼っているとも言われています。マウベシでの生産者との取り組みを通じて、生産者が自ら良質なコーヒー豆を作り出せるという成果があった一方で、コーヒーで得た現金収入が外国から入る米や日用品に消えてゆき、独立して数年たっても人々の暮らしは改善されてゆかない現状を目の当たりにします。
 2007年よりコーヒー産地にエルメラ県が加わり、そこを基盤として現地のNGOと共に人々がコーヒーだけに依存しない、より自立した生活基盤づくりを目指して活動をしてゆきます。

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