カテゴリー: レポート(バランゴンバナナ)
バランゴンバナナ
農業と教育の現場で、二足の草鞋(わらじ)を履くのが夢!~ネグロス西州/バイス・バランゴンバナナ生産者協会(BGA)~【215号】
レイマン・イグナシオさん(31 歳)は、バイス地域のバランゴンバナナの若手生産者です。子供のころから農業が好きで父親のバランゴンバナナ栽培を手伝ってきました。ふもとのラ・カルロータ市に下宿していた大学生時代も週末には村にもどって畑仕事をしていました。
大学では教育学を勉強し、教員になるのが夢です。2003 年に大学を卒業後、教員免許取得の試験を受けていますが、今年12 月に3 回目の挑戦となります。05 年には教員をしている女性と結婚しました。晴れて試験合格となれば近所の小学校で教えながら、農業をやっていきたいと考えています。「祖父が学校に土地を寄付しているからきっと大丈夫だ!」と楽観的です。
農業については、持続型農業を行っていきたいと農薬や化学肥料を使わずに堆肥を施す有機農業に取り組んでいます。今、豚1頭とヤギ15 匹を飼っています。ちなみに今いる豚は奥さんの誕生日にレチョン(豚の丸焼き)としてプレゼントするそうです。父親とやってきたバランゴンバナナは、自分のものとして200 株ありますが、これを1000 株まで増やす予定です。米づくりは虫がついて難しいので、家族が食べる分は近所の仲間から購入しています。主な収入源は、叔父の援助を受けて行っている闘鶏用鶏の飼育です。結婚を機に家も新築し(てもらい?!)、なかなか現代風合理的な青年で、バイス・バランゴン生産者協会の副委員長を務めています。
バランゴンバナナ民衆交易で、先住民族の自立と環境保全を!~ミンダナオ島レイクセブ地域~【214号】
ミンダナオ島レイクセブは標高も高く、先住民が多く暮らしています。持続可能でない方法での焼畑などにより森の環境破壊が進むなかで、先住民の支援活動を行っているアラー渓谷開発財団は、バランゴンバナナ民衆交易の取り組みを始めました。
バランゴンと一緒に、果樹や野菜などの作付けもするように先住民に勧めています。「バランゴンバナナの民衆交易に参加して何が変わったか?」という問いに、生産者のひとり、ランドイ・ダガンさん(35 歳)は次のように答えています。
「私は牧師をやっていますが、教会活動で湖の反対側の家に行くときに、以前は湖の周りを歩いていましたが、今は船賃が払えるようになりボートを利用できるようになりました」「大きな変化としては、畑の生産性があがったことです。以前はトウモロコシだけを栽培していましたが大抵失敗に終わっていました。今はバランゴンを600 株、ゴムの木を250 本、ドリアンを60 本育てています。また無農薬でタロ芋なども作り、それらは教会関係者が喜んで購入してくれます。」「2 年のうちに家の修理をすることとモーターバイクを買うことが目標です」。
バランゴンバナナは、安定した収入により先住民の暮らしの向上に貢献し、また森林へ負担のかからない暮らし方の提案にもなっています。
有機肥料は土を育てるんだって!?白菜についた虫を一匹ずつ摘むんですか?(バランゴン生産者のマカオさん、伊賀の有機農家を訪ねる)【213号】
ネグロス西州パンダノン地域のバランゴンバナナ生産者のマカオさんが、三重県で有機農業に取り組む伊賀有機農産供給センターを訪ねました。
「有機肥料は作物を育てるものではない」という説明に衝撃を受けました。「もっと言うと有機物は土の中の微生物の飯だよ。微生物が元気になると自分たちで有機物をつくるので持続的な土作りの世界ができるんだよ。」マカオさんは「伊賀で新しい考え方を発見した。仲間たちに土づくりのロマンを話したい」と語りました。マカオさんのような山の農民にとって、これまでは自然の環境の中で良質の土に恵まれていたのかもしません。「伊賀ももともとは山だったが、人間が手をかけて作物をつくり出荷を始めてからは、人間が手をかけて土づくりをしていかないと、持続しないのよ」と、教えられました。
マカオさんのところに、バコロド在住の韓国人グループからキムチ用の白菜出荷の依頼があったのですが、有機でつくった白菜はみごとに虫にやられてしまい、白菜の有機栽培は無理と諦めていました。伊賀有機の若い農民たちは、「あっ、それいっしょ!同じムシだよ。自分は掃除機のような道具を使ってみたけど・・・」「一匹ずつ摘むしかないね~」。マカオさんは「有機農業とは、苦労と手間ひまがかかるものなんだ・・・」と認識したのでした。
村のみんなで力を合わせてバナナ病害を乗り越えました。(ネグロス西州/DSB、パンダノン・バランゴンバナナ生産者協会)【212号】
ネグロス西州パンダノン地域は、島の北部山岳地域の入り口にあります。ネグロス北部はかつて森林伐採が激しく今でもバランゴンバナナ栽培においては、旱魃や強風の影響を受けやすい状況にあります。
パンダノンの生産者のひとり、マカオさんは16 年にわたりバランゴンバナナを出荷しています。最初400 本ほどしかなかったバランゴンを、1500 本まで増やしました。そのおかげで生活のために仕方なく携わっていた森林伐採に関わる仕事を辞めることができました。ところが、2000 年に入ってパンダノン地域でバナナ病害が深刻になりました。対策としては、感染したバナナを抜き取るしかありません。村長が村人に呼びかけて村中のバナナ、バランゴン以外のバナナまで抜き取りました。その甲斐あって、病害は1 年で乗り越えることができました。そして、その経験は生産者協会メンバーの結束力を高め、『皆で力を合わせればどんな困難も何とか乗り越えられる』という自信をつけることになりました。
マカオさんとダイアナさんは、バナナ以外の作物づくりにも力を入れています。「子どもたちがどんな仕事につこうと、食べ物をつくることの大切さは全員に教えていく」という考え方を持っています。
ATC設立24周年を祝う

7月末、フィリピンのオルター・トレード社(ATC)が設立24周年の祝賀イベントを開催しました。24周年?と思われる方も多いと思いますが、ATCは登記したのが1987年ですが、会社そのものの設立は前年の1986年。今年がちょうど25年の節目にあたるという訳です。固いことは言わずに一緒にお祝いしましょう!
24年前、ネグロス島を飢餓が襲っていました。海外から寄せられた援助により一時的に貧困や飢餓は和らいだものの、残念ながら援助は持続せず多くの砂糖労働者の暮らしは元のままでした。その状況の中で「援助ではなく交易を」という理念のもと、ATCが生まれたのです。
そして24年経った現在、フィリピン全土でバランゴンとマスコバド糖生産者は5,000名を超えました。最初のテスト輸出で日本に届いたのは低品質の砂糖と黒くなったバランゴンでしたが、今では品質も安定しました。輸出先は日本から韓国、ドイツ、スイス、フランス、アメリカ、アジア各国へと広がっています。
7月27日と28日、「進めよう、人間開発。深めよう、パートナーシップ。変えよう、コミュニティ」というテーマのもと様々な記念行事が行われました。27日にはノルマ・ムガール理事長とヒルダ・カドヤ社長が地元のテレビABS-CBNの番組に出演、引き続き記者会見を開きました。また、地元の新聞「Sun Star」にもATC24周年を伝える記事が掲載され、ATCの活動を一般にアピールしました。
他にも感謝のミサ、記念パーティー、バランゴン産地の一つ、パンダノン村での記念植樹、記念ロゴ・コンテストなど、遊びの天才、フィリピン人らしくATC社員、生産者で楽しく24周年を祝ったのでありました。(広報室 小林)
記者会見には地元のメディアが集まった
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ようやく到着、ランブータンなどの苗木を植樹
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ロゴ・コンテスト受賞者のパウロさん(中央) |
24周年を祝うケーキ
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有畜複合農業の一環としてバランゴンバナナ生産を復活!(ネグロス西州/バイス・バランゴン生産者協会)【211号】
ネグロス西州ラ・カルロータ市ユボ村に属するバイス地区は、かつてはラグランハと呼ばれていた地域にある17 のBGA(バランゴンバナナ生産者協会)のなかでも、生産量が多く活気のある地域でした。しかしながら、1994 年ごろからバンチトップ病というバナナの病気が発生し、10 年以上にわたってバナナの生産ができない状況が続きました。
2007 年ごろからバイス地区で病害からの回復の兆しが見えてきましたが隔週で20 箱ほどと収穫量は多くありませんでした。
2 年前から、若手生産者たちはKFRC(カネシゲファーム・ルーラルキャンパス)での農業研修に参加し、生産者組織も再編して心機一転を図りました。持続可能な有畜複合農業づくりの取り組みのなかで、バランゴンバナナ栽培が本格的に始まっています。
かつては70 人いたメンバーも今は20 人ですが、あと45 人増やそうとメンバーは仲間を説得しています。バナナの出荷数量も最近では180 箱まで増えてきました。バナナの手入れに慣れているメンバーは、他の生産者にも広めようとしており、一人当たり300 株のバナナを目標に作付けを進めています。
32人の生産者が100本ずつ苗を増やして1人当たりの年間収穫量32,760本目標!~カンダボン生産者協会設立7年目の挑戦~(ネグロス東州・カンダボン生産者協会)【210号】
ネグロス東州マンフヨッド地域のカンダボン生産者協会は2006 年に22 人の生産者で設立されました。現在メンバーは32 人に増えました。課題は、バナナの株が3~4 年目となり生産性が落ちていることと、バナナの手入れを熱心にやらない生産者がいることです。
そこで生産者協会として、設立7年目の挑戦を掲げました。「生産性の向上」「組織力の強化」「財務のしくみ」の3 本柱の改革です。
まず、メンバー全員が100 株ずつ新しい苗を植えることです。現存のバナナと合わせてカンダボンでは合計11,682 株となります。1人当り365 株、年間収穫見込みが32,760 本、収入見込みが29,484ペソという計算になります。月額2,457 ペソ(約5,000 円)は、ちょうど生産者が1ヶ月に必要な生活費に当ります。これで、生産者一人一人のモチベーションは上がることでしょう!
苗を植えるだけでは生産性はあがりません。生産者をグループ分けして、お互いに話しやすく協力し合えるようにしました。堆肥づくりやバナナの手入れ研修は、昨年から開始しています。
バランゴンバナナ出荷歴13年、有機栽培で野菜作りも始めました。ダイアナ・セラルボ(ネグロス西州・DSBバランゴンバナナ生産者協会メンバー)【209号】
女性生産者のダイアナさんは、13 年にわたるバランゴン生産においては、夫のマカオ氏と二人三脚で誰にも負けない頑張り屋さんです。DSB 地域ではNO.1 生産者として一目置かれています。
最近この二人、バランゴンバナナ以外の生産物からの収入が増えているのです。パパイヤとサツマイモで1800ペソ(3600 円)の収入になったことで、インゲン、ダイコン、アボカド、キャッサバと生産物を増やしてみると3000 ペソ(6000 円)の収入に増えました。強風などの影響で品質が不安定なバランゴンバナナは、一度の出荷でだいたい1500ペソ(3000 円)くらいなため、大きなプラスです。
バランゴンバナナに習って野菜づくりも有機栽培でやっているので、葉っぱがレースのようになってしまったダイコンなどまだまだ失敗も多いですが、バランゴンバナナ以外でも収入源が増えたため暮らしにゆとりができました。ダイアナさんは、増えた収入を貯金にまわしたり、共同農場の運営資金にあてたりしています。生活必需品の購入や医療費などの支払いにも余裕を持てるようになりました。
ネグロス東州地震被災者支援活動報告
ATJはオルター・トレード社(ATC)の要請を受けて本年2月6日、ネグロス東州で起きた地震の被災者への募金を2月末より呼びかけてまいりました。株主生協、APLA会員をはじめ、多数の方からご協力をいただき、約143万円をATCに送金することができました。ATCは現地で集めた募金を加えて、バナナ産地であるプラナス村、ホマイホマイ村で5回の支援活動を実施しました。活動にはATC職員も多数バコロドから駆けつけました。
1. 支援活動内容
第1次救援活動:2月13日(月)、ネグロス東州ギフルガン市プラナス村
大規模な地滑りが発生し、多くの住民が避難しているプラナス村1,000家族に対して米2キロ、いわし缶詰3缶、マスコバド糖250gの食料パック、ATC社員が集めた古着を配布しました。
第2次救援活動:3月3日(土)、同ホマイホマイ村
米3キロ、干魚500g、マスコバド糖1キロを450家族に配布。校舎が損壊して休校中のホマイホマイ小学校に対しては、仮教室の建築資材として屋根用に大きなキャンバス地の布7枚、合板を提供しました。
第3次救援活動:3月11日(日)、ホマイホマイ村
この日のプログラムは、精神的に辛い日々を送っている小学生のために企画されました。集まったホマイホマイ村、プラナス村、アンテバラス村の子どもたち350名に対して、学用品、教科書、靴、おもちゃ、お菓子等、また学級ごとに絵本やスポーツ用品を配りました。この後、ATC職員が子どもたちとゲームを行い、笑いと歓声が村中に沸き起こりました。プログラムのハイライトはキャンドルナイト。親と子どもが順番にローソクを灯し地元の犠牲者とともに東日本大震災の犠牲者も追悼しました。
第4次救援活動:3月24日(土) 同プラナス村
地滑りで避難生活を送る49家族に対して、トタン板10枚、合板6枚、針金・釘2キロ相当などの建築資材を配布しました。
第5次救援活動:3月27日(火) 同プラナス村
小学生及び就学前児童、計701名のためにATC職員が集団でゲームを行い、靴やお菓子などを配布しました。
2. 募金総額
1,431,050円(団体・法人16、個人17名)
3. 送金状況
第1回送金:1,016,000円
第2回送金:415,050円
現地通貨換算:計732,448ペソ
4. 支援活動経費
第1次~第5次救援活動費総計:691,084ペソ
なお、残額はホマイホマイ村長の要請により、同小学校の用地取得(現校舎の敷地は高台にあり地滑りの危険があるため、小学校は移転する計画)の一部として活用されます。
【支援活動の様子】
![]() お米などを食料配布(3月3日) |
![]() 小学校仮教室を建設中(3月3日) |
![]() 犠牲者を追悼(3月11日) |
![]() 追悼イベント(3月11日) |
![]() 子どもとゲームで遊ぶ(3月24日) |
![]() 建築資材で家を建築中(3月24日) |
オルター・トレード社(ATC)からのお礼状(訳文)
募金していただいた日本の皆様へ
ネグロス東州で発生したマグニチュード6.9の地震被災者、とくにギフルガン町の農民とバランゴン生産者に代わって、最も辛く困難な時期に彼らを心に留め、支援の手を差し伸べてくださった皆様に心からの感謝を表明したいと思います。皆様からのご寄付、メッセージや思いによって、どれほど彼らの心の痛みが和らぎ、もう一度暮らしを再建しようと前向きな気持ちになったことでしょう。
元の暮らしに戻るプロセスは、この先長くかかるでしょう。プラナス村で起きた地滑りによって愛する者を失った人はなおさらです。しかし、私たちの継続的な関与とバランゴン民衆交易がつないでくれたつながりは、復興に向けた手段を必ずや提供してくれるものです。
改めて感謝の気持ちを表します。皆様からの計り知れないご支援をいつまでも心のなかに大切にしまっておきます。
オルター・トレード社(ATC)社長
ヒルダ・カドヤ
バランゴンバナナをあきらめない!ロヘリオ・トーレス(ネグロス東州・タンハイ・バランゴンバナナ生産者協会委員長)【208号】
2012年3 月11 日、バランゴンバナナの産地ネグロス東州タンハイ地域では、小さな祈りの会がありました。
1 年前の3 月、バランゴン生産者協会委員長のトーレスさん始めタンハイの生産者たちは、東日本で起こった地震・津波の被害の様子を見て「日本の人々が、食べ物がなく、家も壊れて、寒い夜を迎えている」と、胸を痛めていました。トーレスさんは早速ATC に連絡して「支援バナナを日本に送りたい」と申し出たそうです。
その年の暮れ、季節外れの台風でタンハイ地域は大洪水に見舞われました。バランゴンバナナはすべて流され、家屋への被害も出ました。その状況は、倒れた木々やバナナなどを片付けるために裁断機が必要なほどでした。畑の残渣をかたづけると、トーレスさんたちは早速バナナの苗を植え付けました。ところが2月末にまた洪水が発生し、12月末に植えたばかりのバランゴンバナナの苗が、再びすっかり流されてしまいました。
「でも私はあきらめない。またバランゴンバナナを植えて、手入れをしていくよ。仲間たちといっしょに、ここに来てくれる日本の消費者の人たちと出会うのが楽しみなんだよ。」
3 月11 日、トーレスさんは、東日本大震災の被災者、そしてネグロスの洪水や地震の被災者のために祈りました。
バランゴンバナナ 福島県新地町の仮設住宅を訪問
フィリピンのバランゴンバナナ生産者たちは、これまで支援してもらっている日本の人たちへの恩返しとして、東日本大震災被災者のために何かしたい、と支援バナナを昨年届けてくれました。そんな生産者の気持ちをこめて、生活クラブふくしまが応援する新地町の仮設住宅の青空市でバランゴンバナナが供給されることになりました。
2012年2月25日(土)、福島は朝から雪が降っていました。物資をトラックに積み込み、郡山市から福島市にはいり霊山の山を越えて新地町に入ります。雪道をどうにか目的地にたどり着くと、組合員さんはじめ仮設住宅の皆さんはすでに集会所に集まって大幅に遅れたトラックを待っていてくれました。みんなで手伝って物資をトラックから降ろし、野菜、果物、冷凍肉や缶詰など並べて特設市場ができあがりました。この日バランゴンバナナは、がんご屋仮設と前田仮設住宅での青空市に提供されました。バランゴンバナナに慣れている生協の組合員さんは「これは特別のバナナだから、ちゃ~んと甘く熟させてから食べてくださいね」とひとりひとりに声をかけていました。こうしたコミュニケーションも大事なのだといいます。たくさん買い込んでしまったおばあちゃんの荷物は、生協職員がお部屋まで特別サービスで配達します。


この青空市に供給されている物資は、組合員さんのカンパや生産者の協力で提供されたものが多いのですがすべてに値段がついています。自らが被災者でもある組合員さんは「ただでもらうことに慣れてはいけない。小さなコミュニティでもお金がまわると経済がまわり始めるものだ」と考えています。その売上は仮設住宅ごとの自治会に寄付されています。「住民がカフェやお弁当サービスのような起業を起こす資金になればいいのですが・・・」と生活クラブふくしまの土山専務理事は考えています。この日の売上の一部はネグロスで発生した地震の被災者への支援金としてカンパされました。
仮設住宅住民の皆さんの買出しが一段落すると、組合員さん手作りの心のこもった暖かいお昼をいただきました。生協スタッフの皆さんは、配達のない土曜日に休みを返上してこうした活動を続けています。「このお昼が楽しみで毎週来ているんですよ!」と、仮設での昼食は大きな励みになっているようです。この日は、吹雪と雪道の恐怖で凍りついた心と身体が、温かい食事で解けていくような味わいでした。お昼をいただきながら、埼玉からの生協組合員さんたちといっしょに、福島の皆さんから避難当時の様子や仮設住宅の状況などを伺いました。「これから長い時間、この福島のみんなと本気で寄り添っていくことが日本の人たちに必要だと思う。具体的にどうしたらいいかは、来て、見て、聞いて感じないとわからないと思う」と土山さんは話しました。
引き続きバランゴンバナナは、3月17日に福田仮設と作田仮設住宅、4月7日に小川仮設と雀塚仮設住宅での青空市に提供されました。4月には、がんご屋仮設と小川仮設住宅の子どもたちだけで協力してクッキーを焼いたり模擬店を出したりする「マイタウン企画」を予定しています。いっしょに考えたり作業することで仲良しになって協力し合える関係になってほしいという生協組合員のアイディアです。
子供たちに笑顔を!ATCの救援活動と3.11キャンドルナイト【207号】
2012 年2 月6 日に発生したネグロス島東部の地震被害に対してフィリピンのオルター・トレード社(ATC)が行っている救援活動についてお伝えします。ATC は地震発生の翌週からお米、いわしの缶詰、マスコバド糖などの緊急支援物資を持って被災地を訪問しました。3 月3 日には校舎の損傷が大きく、授業をすることが出来ないホマイホマイ村の学校の仮設校舎となるテントの設営も行いました。
そして、3月11日の被災地訪問は子供たちのために計画されたものでした。犠牲者の冥福と命への感謝のお祈りが奉げられた後、学年ごとに子供たちを集めてゲーム大会が始まり、500 名近い子供たちの歓声や笑い声があちこちから沸き起こりました。子供たちには文房具や塗り絵などのセットがそれぞれ贈られ、学校にはみんなで遊べるようにバレーボールとネット、卓球台にラケット、サッカーボール、バスケットボールにバスケットリングなどが贈呈されました。
東日本大震災から1 年となったこの日は日没前ではありましたが、キャンドルナイトも企画されました。震災の犠牲となった日本・フィリピン両国の友人たちのためにロウソクの火を灯し、お祈りをささげました。ATJ からも参加し、「日本もフィリピンもこの1 年で大きな地震を経験した。大変な時こそ今まで培ってきた日本とネグロスの架け橋を大切にしよう」と確認しあいました。
2012年2月6日に発生したネグロス東州の地震について
前回のバナナニュースで台風被害(北ミンダナオ・ネグロス東州)を報告したばかりですが、今回はネグロス東州での地震被害についてお伝えします。 2012年2月6日のお昼前、ネグロス東州の北東沖を震源とするマグニチュード6.9の地震が発生しました。一時は政府から津波警報も発令されたとのことですが、幸いなことに津波の被害はありませんでした。しかしながら、建物の倒壊、道路の亀裂や土砂崩れで大きな被害が出ています。特に、土砂崩れの被害が大きいギフルガン市のプラナス地域は、日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC、現APLA)時代にネグロス救援復興センター(NRRC)が支援活動を行った場所で、周辺地域も含めてバランゴンバナナの生産地です。
ATC(オルター・トレード社)は翌日にはスタッフを派遣して被災地の視察を行いました。道路のあちこちに亀裂が入り、余震が続く中、家の倒壊を恐れて安全な場所を求めて移動する人やテント生活を送る人などを多く見かけたとのことです。プラナス地域では必死の捜索活動が続いていますが、土砂に埋まり 亡くなった方・行方不明の方が多くいます。支援物資もなかなか届かないため、ATCも緊急救援物資を被災地に直接届けました。
土砂災害などの被害がない地域でも余震が続いているため、バナナの収穫を見合わせている生産者がいます。ATCとしては出荷できる生産者がいるのであればバナナの集荷は続け、なるべく収入につながるようにしたいと考えています。
日本のメディアでは報道が小さくなりましたが、事態が収まったわけではありません。ATJとしても何が出来るのかを検討し、バナナニュース、ATJのホームページやツイッターでも状況についてフォローをしていく予定です。
2012年2月6日に発生したネグロス東州の地震について【206号】
前回のバナナニュースで台風被害(北ミンダナオ・ネグロス東州)を報告したばかりですが、今回はネグロス東州での地震被害についてお伝えします。
2012 年2 月6 日のお昼前、ネグロス東州の北東沖を震源とするマグニチュード6.9 の地震が発生しました。一時は政府から津波警報も発令されたとのことですが、幸いなことに津波の被害はありませんでした。しかしながら、建物の倒壊、道路の亀裂や土砂崩れで大きな被害が出ています。特に、土砂崩れの被害が大きいギフルガン市のプラナス地域は、日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC、現APLA)時代にネグロス救援復興センター(NRRC)が支援活動を行った場所で、周辺地域も含めてバランゴンバナナの生産地です。
ATC(オルター・トレード社)は翌日にはスタッフを派遣して被災地の視察を行いました。道路のあちこちに亀裂が入り、余震が続く中、家の倒壊を恐れて安全な場所を求めて移動する人やテント生活を送る人などを多く見かけたとのことです。プラナス地域では必死の捜索活動が続いていますが、土砂に埋まり亡くなった方・行方不明の方が多くいます。支援物資もなかなか届かないため、ATC も緊急救援物資を被災地に直接届けました。土砂災害などの被害がない地域でも余震が続いているため、バナナの収穫を見合わせている生産者がいます。ATC としては出荷できる生産者がいるのであればバナナの集荷は続け、なるべく収入につながるようにしたいと考えています。
日本のメディアでは報道が小さくなりましたが、事態が収まったわけではありません。ATJとしても何が出来るのかを検討し、バナナニュース、ATJ のホームページやツイッターでも状況についてフォローをしていく予定です。
生活クラブ関西事業部ネグロス交流ツアー
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ATCのアイリーンさん(右端)
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2002年から始まって今年8回目となる恒例のネグロス交流ツアーが、生活クラブ大阪、京都、奈良から1名ずつの参加で6月29日から7月4日に行われました。 ツアーの初めに行われるオリエンテーションでは、これまでの概略説明形式を変えて、今回はオルタートレードのスタッフが具体的にどんな仕事をしているか、という発表形式で行われました。ATMC(マスコバド糖製糖工場)のパッキングセンターの責任者であるサルベさんは、以前は砂糖労働者組合の仕事をしていて、5年前からマスコバド製糖工場の仕事をすることになり、砂糖労働者の状況をよくしていきたいという夢がより具体的にできるようになって嬉しい、と自己紹介してくれました。ATFI(オルタートレード財団)の地域現場担当の仕事についたばかりのクラークさんは、エスペランサのNARB(ナガシ農地改革受益者組合)のリーダーであるリト・エスタマさんの息子です。NARBの活動で農地改革が実施され、自分も大学を卒業することができて、今後は自分の地域だけでなくATFIを通して周囲の地域のためにも頑張っていきたいと夢を膨らませています。アイリーンさんはATCの人事課所属で3年目になります。研修でバナナ生産者を訪ねてさまざまな話を聞いたり活動を見たり、日本からの訪問ツアーに同行した経験も踏まえて、スタッフや生産者により役に立つようなプログラムをつくっていきたいと意欲的です。続いて、日本の参加者からは、日本の生協活動や生協組合員について、そして経営しているこだわりレストランについて、それぞれ紹介しました。
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エスペランサでの交流会
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クラークさんも同行して、マスコバド糖原料のサトウキビを生産者であるエスペランサのNARBを訪問しました。たくさんの伝統的なおやつを準備してくれました。日本からは生協で取り扱っているお菓子やマスコバド糖かりんとうを持っていきました。いつもはリーダーのリトさんが土地取得までの歴史の話をしてくれますが、今回は女性たちが中心に対応してくれました。
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パンダノンでの石けんキャンペーン
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ネグロス西州・バランゴンバナナ産地のパンダノンでは、ドロレス委員長を中心に女性メンバーが腕を振るって昼食やおやつをたくさん準備してくれました。美味しい食べ物に大満足した後は、日本から生協活動のひとつとして、石けんキャンペーンの様子を紹介しました。「なぜ石けんなのか?」フィリピンでは、台所でも洗濯にも合成洗剤が主流です。使う人への害、環境への害など、パンダノンの女性たちは熱心に耳を傾けてくれました。お土産の手作り石けんは、小さく切り分けてみんなで持ち帰っていきました。
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パンプローナでのバナナの切り出し
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ネグロス東州では、バナナの切り出しから箱詰めまでの行程を視察しました。急な傾斜地にある圃場にはたどり着くだけでも大変と、実感しました。フィールドアシスタントのラダさんの家に民泊させていただいて、仕事の話を聞いたり、生活の様子をみせてもらいました。フィールドアシスタントをしているラダさんは、雨が降るとバナナの切り出しはとても困難になること、生産者が広範囲に散在しているために皆を見回るだけでも大変だと話してくれました。パッキングセンターでは、箱詰め作業員の皆さんと、日本からのお土産のバランゴンバナナケーキをおやつに交流をしました。初めてで緊張ぎみで、名前を言うのがやっとという感じでしたが、バランゴンバナナケーキやマスコバド糖かりんとうは好評でした。仕事は疲れるけれども、家計の足しになるので助かっていますという精一杯の発言でした。 今年の交流ツアーは、よりお互いの活動の交流ができました。バランゴンバナナを介して協力し、お互いの暮らしの場をよりよくしていこうという繋がりがまたひとつ広がりました。
(事業部 幕田)