レポート

イベント報告4:パプア・チョコレートの挑戦|民衆交易とパプアのカカオ

2012年12月3日

イベント報告4:パプア・チョコレートの挑戦
民衆交易とパプアのカカオ

パプアとのカカオの民衆交易の実現に最初から携わってきたオルター・トレード・ジャパン取締役の堀田がこのカカオの民衆交易とは何かを語ります。それは「苦い」カカオから始まります。
おいしいカカオがなぜ「苦い」のか? お聞きください。

【発言の内容】

このカカオをチョコレートにしてみなさんに食べていただきたいと思っております。しかし、チョコレートを食べれば食べるほどパプアの人びとが幸せになるというわけではないということを最初にお断りしておきたいと思います。

カカオ自体、もともとパプアにあったものではないわけですね。ご存知のことと思いますが、カカオは中南米、インカあるいはマヤ民族の人びとが育てていた植物でありまして、世界的に植民地が広がっていく中でアフリカに移植され、アフリカでは児童労働、内戦を引き起こして、経済混乱を起こす、その中で、今、アジアに、とりわけインドネシアにカカオが移植されて、安定した生産を期待する、ということでチョコレートの世界的な独占企業がインドネシアに次々に工場を作っています。

パプアの人たち、あるいはインドネシアの人たち、農民がカカオの奴隷にされていくという構造が生まれつつあるわけです。

こうした中で私たちがカカオをやるというのはあくまでもパプアの人びとが新しい生き方を作っていくための第一歩として、いわば、最初にエンジンをかけるためにみんなで後ろから自動車をいっしょに押すみたいな話でありまして、カカオのままで幸せになれるという話ではない。

それではパプアの人たちにとっての本当の幸せとは何なのか、ということなのですが、これはデッキーさんたちに真剣に考えていただいて、できるだけ近い将来、また新しい夢を描いていただきたい、と思っています。

そういった意味では、チョコレートとは実に苦い食べ物でありまして、熱帯産物というのはコーヒーにしろ、紅茶にしろ、カカオにしろ、きわめて苦いものであります。

パプアのカカオがなぜ苦いか語るオルター・トレード・ジャパン堀田なぜこの苦いものがヨーロッパでデザートになっていったのか、そこには奴隷貿易とプランテーションという抑圧的な大規模農業で作られた砂糖という商品があったわけですね。これは全部砂糖なしで成立しないものなんです。紅茶にしろ、コーヒーにしろ、カカオにしろ。砂糖を大量に消費することがいわば文明国であったわけで、そういう意味では熱帯産品の四大スターといいますか、砂糖、コーヒー、紅茶、カカオ、この苦味をじっくり噛みしめながら、作っている人たちの暮らしを私たちは考えながら生きていきたい。

カカオについても私たちが民衆交易と言っていることはまず最初に互恵、お互いがこの関係において恵まれていくということが前提にあります。それからその互恵の関係を継続するために交換を、つまり貿易、やりとりを続けていくということがあります。そしてお互い利益が生まれたところで、いつも一方的に支えてもらうのではなくて、支えられる側が相手を支えるというお互いの支えあいを実現したいということがあります。

ですから、私たち豊かな日本の消費者が貧しいパプアの人びとに余計な価値をつけてカカオを買ってあげているというものではないということです。これはあくまで日本にとっても自分たちの暮らしをこれから先、考えていくための交換の作業、共同作業であるということです。

パプアの暮らしは実は、先ほど吉田さんもおっしゃっていましたが、支えられること、与えられることに慣れてしまったパプアの人たちというのは、逆に言えば、選ぶことしかできない豊かな日本の消費者という姿と二重写しになっているわけでありまして、パプアの人たちが自分たちの生き方をもし自分で作り出すということに私たちが関われれば、それは私たちの暮らしも同じように自分たちの手で作り変えていく力につながっていくのではないかと思っています。

そういう意味で民衆交易というのは相互の連帯ということをカカオというモノに転化して共同作業をしていくことなのだと思っています。

この共同作業をどこまで深く私たちが追求できるのか、そのことをみなさまといっしょにこれからもやっていけたらいいなと思っております。

今日は本当にどうもありがというございました。

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