APLA「ホンモノの愛を伝える本当の手づくりチョコレート」ワークショップ

2013年1月25日

パプアの先住民族が自分たちの森を守りながら育てたカカオ豆を使って、APLAが手作りチョコレートワークショップを企画しました。

【日時】 2013年1月29日(火)14時~16時(13時半オープン)

【会場】レンタルスペース「和日和」 東京都杉並区上荻3-26-14

【講師】出張料理きまぐれや 吉田友則シェフ

【参加費】2500円※ 材料費、おみやげ用チョコレート、ドリンク代込み

詳細はAPLAのイベント情報

チョコラ デ パプア:東ティモールからのメッセージ

2013年1月25日

東ティモールのコーヒー豆とパプアのカカオで作った豆チョコレート。東ティモールでコーヒー生産者を支援するKSIのネタさんから東ティモールのコーヒー豆とパプアのカカオで作った豆チョコレートについてのメッセージです。

コーヒー豆チョコレート

チョコラ デ パプアコーヒー豆

パプア(インドネシア)の生産者から届いたカカオで作ったビターチョコレートで、東ティモールの珈琲豆を包みました。チョコレートのほのかな酸味とコーヒーの苦味が絶妙な、ちょっと大人な風味のチョコレートです。珈琲豆には香りのよいアラビカ種の焙煎豆を使用。民衆交易のカカオとコーヒーがコラボレーションした製品です。
チョコラ デ パプア商品リスト

バランゴンバナナ生産者のマカオさんが、日本で400人のバランゴン消費者に出会いました

2013年1月22日

マカオさん昨年2012年9月18日~28日にかけて、ネグロス島西州のパンダノン村から、バランゴンバナナ生産者のマカオさんが日本にやってきました。関東、関西、そして宮城県の生協をまわりおよそ400人もの組合員さんと交流しました。来日に先立って、ネグロスのオルタートレード社のスタッフのパウロさんと生産者のマカオさんは報告のために動画と写真スライドを準備してくれました(写真はクリックすると拡大します)。

マカオさんのバランゴンバナナ出荷日の一日を撮影した動画は、マカオさんの暮らしやバランゴンバナナの出荷の様子が映し出され、大変好評でした。マカオさんのバナナ圃場は、あまりに急な傾斜地で収穫場面を撮影できなかったことや、撮影途中で雨にあいカメラが壊れてしまって途中からスチール写真に変わるなど、撮影制作そのものまでドラマチックなドキュメンタリーとなりました。

写真スライド『マカオさんと民衆交易バランゴンバナナ』を使いながら、マカオさんはゆっくりとネグロス現地語のイロンゴ語で消費者の皆さんに語りかけました。「私、マカオは、ネグロスのひとりの農民です・・・」と始まり、マカオさんの農業に対する想いをゆっくりと話しました。かつてマカオさんは、生活のために森林伐採に関係する仕事もせざるを得なかったのですが、バランゴンバナナの日本への出荷が始まってからは農業に専念することができるようになりました。

さらにバランゴンバナナの栽培を通して、地方行政が組織する環境保護組織のリーダーに任命され、環境保護の立場で仕事をすることができるようになったと、バランゴンバナナ民衆交易に対するマカオさんの喜びと感謝が伝えられました。また、バランゴンバナナをたくさん出荷できると、その収入を他の作物栽培の資金として使うことができて、さらに収入をふやすことができるという農業経営の話まで発展しました。

「子どもが7人いますが、それぞれの夢を実現して欲しいと思っていますが、7人全員に食べ物をつくることの大切さは教えています」。すでに次男がマカオさんの後継者志願で農業研修中です。「日本の消費者の皆さんと信頼のある関係があれば、バランゴンバナナ生産の後継者に困ることはありません。ところで、消費者の皆さんの後継者はいかがでしょうか?」と消費者に問いかける余裕まで見せてくれました。

《関東編》

【9月18日 AM生活クラブ神奈川】
参加者67名
「マカオさんが“人と人のつながり”をとても大切にしている事、日本の消費者を“夢を叶えるパートナー”と言ってくれたことに感謝して、自分にできる事で応えたい」。「援助だけでない“生産者と一緒に”がやはり大切」。「私たち消費者が現地の生産者を訪問して交流する事が、生産者に誇りと自尊心を与えている、というパウロさんのお話が印象的でした。私たちと生産者の間の信頼関係をこれからももっと強めていきたいと思いました」。交流会終了後は、名残惜しむ間もなく次の会場の埼玉に向かうことになりました。

バナナ生産者交流会 昼食は電車生活クラブ神奈川、埼玉、東京、虹の街(千葉)と、3日間で4箇所での交流会が開催されました。11月18日初日は、午前中に神奈川、午後は埼玉に移動、昼食は電車の中という、ネグロスでは考えられない超多忙なスケジュールでした。慣れない車中での食事は、揺れが気になって落ち着かないといいながらも、生協特性お弁当を平らげてくれました。

【9月18日PM クラブ・埼玉】

参加者60名
生活クラブ埼玉の会場に到着したときには、すでにネグロスとの経緯を綴ったDVDが流れ始めていました。ちょっと一息ついて、マカオさんは、今度は少し余裕をもって話し始めることができました。

バナナ生産者交流会埼玉「遠いところをありがとうございました。マカオさんの話とメッセージに感動しました。この強い絆を維持していきましょう」。「決して裕福という生活は遠く得がたい環境にある農業、そしてバナナ農業だと思うが、子どもたちが農業が好きといえることがすごいと思った。生産者と消費者が対等になれて手をつなぎあうことがそこにはあると思うので、食の安全を我が子孫の為にも一層広めていきたいと考えます」。

交流会終了時間が過ぎても、名残惜しむ組合員さんやスタッフの皆さんとゆっくりすることができました。そして、マカオさんもやっと自分のバナナを食べてくれている日本の消費者を実感できたようです。

【9月19日 AMクラブ東京】

参加者60名
朝のラッシュ時に満員電車を体験しながら会場に到着です。60人近い消費者が、手作りのバナナおやつを準備して向かえてくださいました。
「マカオさん今日は遠いところから来てくださりありがとうございました。仕事のこと、家族のこと、語ってくださり、心があつくなりました」。「このおいしいバナナを食べ続けていくことが、良い未来につながるということはとても嬉しいです」。

バナナ生産者交流会 配達体験【9月19日PM 配達体験】
交流会終了後は、生協の配達体験をしました。バランゴンバナナの注文はなかったけど、“ご苦労さま!”といただいたアイスクリームが入ったシュウクリームに感動したマカオさんとパウロさんでした。

配達の後の空きっ腹を満たしてくれたのは地元のおそばやさんの親子丼とカツ丼でした。

バナナ生産者交流会 経堂のそば屋が気に入った! バナナ生産者交流会 経堂のそば屋が気に入った!
経堂のそば屋が気に入った!
【9月20日AM 生活クラブ虹の街(千葉)】
バナナ生産者交流会 新松戸デポーにて新松戸デポーにて

参加者24名
「黒くなったバナナばかりを買っていたら、“黄色い”バナナを見ない子供が“バナナって黒い”と信じていた」。「私たちが食べているのはただのバナナではないこと、バランゴンバナナを取り組むことが人々の暮らしと土地を守ることにつながっていることがよくわかりました」。「マカオさんが奥さんと一緒に仕事ができることを大切に思っていることを嬉しく思いました」。

交流会終了後に、会場の新松戸デポーのひとりのスタッフが、「参加できなかったけど、バランゴンバナナの生産者に会うことが夢だったんです!」と、駆け上がってきて特別握手を求められました。そんな熱いスタッフさんがバランゴンバナナをお薦めしてくれているんだ、とマカオさんとパウロさんのほうが感激してしまいました。

【9月20日PM 浅草で日本の下町文化を満喫】

2人の表情もゆるんで、いつもの笑顔と茶目っ気が戻りました。
バナナ生産者交流会 浅草 バナナ生産者交流会 浅草 バナナ生産者交流会 浅草

《関西編》

バナナ生産者交流会 生活クラブ・エスコープ大阪

【9月22日:生活クラブ・エスコープ大阪】

参加者21名
10年以上前にネグロスを訪問した組合員と職員も参加。3歳でネグロスを訪問したという(現在は)高校生も、当時いっしょにネグロス訪問したお母さんと参加してくれました。

「生産者のお話しを直接聞けたことは貴重でした。もっとバランゴンバナナを利用していきます」。「私たち消費者との関係を“パートナーシップ”と言ってくださったマカオさんに感激です」。

【9月24日:生活クラブ関西(大阪、京都、奈良、滋賀)】

バナナ生産者交流会 生活クラブ関西AM Ⅰ部:2012年ネグロス交流ツアー報告会:参加者61名
PM Ⅱ部:バランゴンバナナ生産者交流会:参加者46名

ネグロス交流ツアー参加者によって、手作りバナナのオブジェや写真パネル、そしてバランゴンバナナ・パンを準備されていました。マカオさんも、ついついお土産のバランゴンバナナを自分で配り始めてしまいました。アットホームな報告・交流会になりました。

ネグロス交流ツアー報告会へのコメント

【マカオ】ネグロスを訪問することを喜んでくださり、そして私たちを喜んで受け入れていただいたことに感謝します。交流すること、植林など消費者の皆さんと協働することは大切なことだと思います。
【パウロ】ネグロスでお会いした方々に、日本で再会できたことはとても嬉しいことです。ネグロスではツアー参加の皆さんはたくさんの質問をされます。その意味が今、よくわかりました。こんなにたくさんの組合員さんたちが報告を楽しみに待っていてくださるからなんですね。情報を伝えること、人と人の関係をつくることが大切だと思います。

「バイスの子どもたちの笑顔、パンダノンの生産者たち、協会の運営がよい方向にいっていることを感じました。マカオさんの言葉“植林は環境問題だけでなく、山を守り自分たちの生活もよくするものである”ということがよくわかりました」。「自然と共存し、工夫しながら生活収入を得ているのがよくわかりました。報告会に参加することで、私も現地で生産者と交流できた気分になりました。バナナが届くのが楽しみです」。「生産者と消費者という関係からさらに発展し学びあう関係になっているということがとても印象に残りました」。「マカオさんが農民として誇りをもって生きている様子が印象的でした」。

【9月25日AM 生活クラブ・都市生活】

参加者30名
「はるばるフィリピンから生産者を迎えて交流できる機会はそうないので、今回はこの貴重なチャンスにわくわくしながら会場に向かいました」。「言葉は通じなくても、気持ちで理解し合えた良い交流ができ、とても満ち足りた気持ちでいっぱいです。そこには確かな信頼があったと、思っています」。「生産者と消費者双方が笑顔になれる。これが真の民衆交易だと思います。フィリピンの一農民と日本の一主婦の出会い、普通ではあり得ないような出会いが一本のバナナを通して現実となりました。1人では到底実現できないようなことが組合員として活動することで可能になる、“みんなの力”の大きさを改めて痛感しました」。

バナナ生産者交流会 三重県・伊賀有機供給センター

【三重県・伊賀有機供給センター訪問】

マカオさんは、一度有機農法で白菜をつくってみたところムシにやられてしまった経験があります。「有機で白菜づくりは無理」と諦めていました。その話を聞いた伊賀有機の皆さんは、「そのムシ、うちの畑にもいるよ!いろいろ対策をやってみたけど、結局朝晩一匹一匹、こまめにつまみ出してるよ!」。それを聞いたマカオさんは、「技術の進んでいる日本でも、有機農業は手間ひまかかるんだ!」。
バナナ生産者交流会 三重県・伊賀有機供給センター

【大阪と京都散策】
バナナ生産者交流会 大阪と京都散策東京は人も車も忙しい!
大阪は・・・ゆったりだね~!
バナナ生産者交流会 神戸で気に入ったのは“お好み焼き”!神戸で気に入ったのは“お好み焼き”!
なかなか庶民派です。
バナナ生産者交流会 京都清水寺の茶屋で一休み。京都清水寺の茶屋で一休み
バナナ生産者交流会 京都清水寺の舞台から京都清水寺の舞台から
《東北編》
【9月27日AM あいコープみやぎ】

参加者35名
特性バナナハットをかぶっての交流会進行役、“ごっつぁんです”隊によるバナナジュースとバナナクレープ、マカオさんはついついまた自分でお土産のバナナを配り始めました。アットホームな力に誘導されてしまうようです。

「初めての海外生産者との交流会でした。子どもや環境のことを思いながらバナナを作っていただいていること、大変ありがたく思いました。遠く離れていますが、思いはひとつ、“夢をかなえるパートナー”とさせていただきます」。「生産者に会えたことはとても貴重なことだったと思いました。よりよい人間としての暮らしと家族を守るために活動しているマカオさんのお話がより説得力がありました。自然と共生していく事の大切さを実感します。お母さんはクイーンだという考え方はすごいです」。

バナナ生産者交流会 お土産のバランゴンバナナの確認。お土産のバランゴンバナナの確認
バナナ生産者交流会 バナナハットをちょっと拝借!バナナハットをちょっと拝借!

台風24号のフィリピンでの被害状況について

2012年12月11日
台風PABLOの進路(フィリピン政府)
台風PABLOの進路(フィリピン政府)クリックで拡大

今月初めに台風24号(フィリピン名:PABLO)がフィリピン南部に上陸し、甚大な被害が生じました。

12月10日の政府発表によると、死者647名、行方不明者は約700名、7万軒以上の家屋が全壊・半壊しました。

また、ミンダナオ島にあるバナナ・プランテーションでも大きな被害が出たことはマスメディアでも報道されました。

フィリピン東方沖に発生した台風は、バランゴンバナナ産地があるミンダナオ島北部、ネグロス島南部を通過しました。

現時点で生産者が犠牲になったという報告はありませんが、一部の産地ではバナナへの被害が出ているという報告をオルター・トレード社(ATC)から受けております。詳細を含め、現在ATCが確認をしていますので、情報が届き次第随時、ウェブサイトでお知らせしてまいります。

エコシュリンプでオルタナティブな食を|クッキングスタジオBELLE料理教室

2012年12月6日

11月13日、生活クラブ・クッキングスタジオBELLEで、エコシュリンプ20周年記念クラス料理教室「エビをおいしく~えびたっぷり和のメニュー~」が開催されました。

エコシュリンプ20周年記念クラス料理教室「エビをおいしく~えびたっぷり和のメニュー~メニューは、お正月の装いをしたエコシュリンプでした。エコシュリンプのむきみを使った“えびしんじょうのお椀”、棒書紙を巻いたように見せる“棒書揚げ”は、まるで内掛をまとったかと思えるエコシュリンプでした。そして季節の野菜たちとお皿を華やかに彩る“えびの黄金焼き”。どれもエコシュリンプの旨みや食感を大切に引き出すレシピです。エコシュリンプの旨みは、ボイルかオリーブオイル炒めと決めつけていましたが、季節の装いやさまざまな食文化の装いでたくさん楽しめる素材だと実感しました。

受講者の方たちが試食される間に、BELLEマネージャーの近藤惠津子さんに代わって、ATJから環境に配慮したエコシュリンプの養殖方法についてお話しさせていただきました。

エコシュリンプ20周年記念クラス料理教室「エビをおいしく~えびたっぷり和のメニュー~クッキングスタジオBELLEとは、「安心・安全な食生活を送り、食べ物を生産し続けられる地球を維持するために、食を追求する場」と謡われています。そして「食を楽しむ」場でもあると近藤さんは言います。使う食材や料理方法はサステイナブル(持続)に繋がり、そして受講生の皆さんもグループでお料理を仕上げることからチーム力のある人間関係ができるそうです。

生産する人、流通する人、料理する人、そして食べる人、皆の想いがつながって持続的な社会ができるのだと近藤さんは語ります。また、「セミナー&クッキング 食の安全」クラスでは、11月のセミナーでは「世界の養殖~エビ~」と題して水産物の消費の現状、そしてエコシュリンプのお話しでした。

BELLEマネージャーの近藤惠津子さんBELLEマネージャーの近藤惠津子さん

クッキングスタジオBELLEのプログラムは近藤さんが理事長を務めるNPO・CSまちデザインによって運営されています。

近藤さんは生協に入ることをきっかけに食の安全、食(生産)の持続、暮らしのあり方に関心を持ち、生協活動のリーダーとして活躍する中で、直接運動には参加しなくても、サステイナブルな社会の必要に気付く人々を増やしていきたいと考え始めました。生協で学び培ってきたことをさまざまな形で発信することで、サステイナブルな社会づくりをめざすゆるやかなうねりをつくるために、CSまちデザインを設立しました。

CSまちデザインは、生活クラブの人材育成プログラムである「食のコンシェルジュ養成講座」、その活動の一環として「クッキングスタジオBELLE」の企画・運営を担う一方、独自の講座や講師派遣なども行なっています。

 そして、CSまちデザインのもうひとつの活動が、学校教育の場での“食農共育”です。子どもたちにも食を通して豊かな暮らしや人間関係を伝え体感して欲しいと奔走しています。講座や授業を通じて「世界一エビを食べるといわれている日本人、子どもたちが大好きなエビ、そうしたエビを日本人が食べることで地球環境が破壊されている実態があるなかで、エコシュリンプは、そうではないオルタナティブな食のあり方を具体的に提案してくれる重要な素材です」と語ってくれました。

(ATJ交流企画事業推進室・幕田恵美子)

イベント報告4:パプア・チョコレートの挑戦|民衆交易とパプアのカカオ

2012年12月3日

イベント報告4:パプア・チョコレートの挑戦
民衆交易とパプアのカカオ

パプアとのカカオの民衆交易の実現に最初から携わってきたオルター・トレード・ジャパン取締役の堀田がこのカカオの民衆交易とは何かを語ります。それは「苦い」カカオから始まります。
おいしいカカオがなぜ「苦い」のか? お聞きください。

【発言の内容】

このカカオをチョコレートにしてみなさんに食べていただきたいと思っております。しかし、チョコレートを食べれば食べるほどパプアの人びとが幸せになるというわけではないということを最初にお断りしておきたいと思います。

カカオ自体、もともとパプアにあったものではないわけですね。ご存知のことと思いますが、カカオは中南米、インカあるいはマヤ民族の人びとが育てていた植物でありまして、世界的に植民地が広がっていく中でアフリカに移植され、アフリカでは児童労働、内戦を引き起こして、経済混乱を起こす、その中で、今、アジアに、とりわけインドネシアにカカオが移植されて、安定した生産を期待する、ということでチョコレートの世界的な独占企業がインドネシアに次々に工場を作っています。

パプアの人たち、あるいはインドネシアの人たち、農民がカカオの奴隷にされていくという構造が生まれつつあるわけです。

こうした中で私たちがカカオをやるというのはあくまでもパプアの人びとが新しい生き方を作っていくための第一歩として、いわば、最初にエンジンをかけるためにみんなで後ろから自動車をいっしょに押すみたいな話でありまして、カカオのままで幸せになれるという話ではない。

それではパプアの人たちにとっての本当の幸せとは何なのか、ということなのですが、これはデッキーさんたちに真剣に考えていただいて、できるだけ近い将来、また新しい夢を描いていただきたい、と思っています。

そういった意味では、チョコレートとは実に苦い食べ物でありまして、熱帯産物というのはコーヒーにしろ、紅茶にしろ、カカオにしろ、きわめて苦いものであります。

パプアのカカオがなぜ苦いか語るオルター・トレード・ジャパン堀田なぜこの苦いものがヨーロッパでデザートになっていったのか、そこには奴隷貿易とプランテーションという抑圧的な大規模農業で作られた砂糖という商品があったわけですね。これは全部砂糖なしで成立しないものなんです。紅茶にしろ、コーヒーにしろ、カカオにしろ。砂糖を大量に消費することがいわば文明国であったわけで、そういう意味では熱帯産品の四大スターといいますか、砂糖、コーヒー、紅茶、カカオ、この苦味をじっくり噛みしめながら、作っている人たちの暮らしを私たちは考えながら生きていきたい。

カカオについても私たちが民衆交易と言っていることはまず最初に互恵、お互いがこの関係において恵まれていくということが前提にあります。それからその互恵の関係を継続するために交換を、つまり貿易、やりとりを続けていくということがあります。そしてお互い利益が生まれたところで、いつも一方的に支えてもらうのではなくて、支えられる側が相手を支えるというお互いの支えあいを実現したいということがあります。

ですから、私たち豊かな日本の消費者が貧しいパプアの人びとに余計な価値をつけてカカオを買ってあげているというものではないということです。これはあくまで日本にとっても自分たちの暮らしをこれから先、考えていくための交換の作業、共同作業であるということです。

パプアの暮らしは実は、先ほど吉田さんもおっしゃっていましたが、支えられること、与えられることに慣れてしまったパプアの人たちというのは、逆に言えば、選ぶことしかできない豊かな日本の消費者という姿と二重写しになっているわけでありまして、パプアの人たちが自分たちの生き方をもし自分で作り出すということに私たちが関われれば、それは私たちの暮らしも同じように自分たちの手で作り変えていく力につながっていくのではないかと思っています。

そういう意味で民衆交易というのは相互の連帯ということをカカオというモノに転化して共同作業をしていくことなのだと思っています。

この共同作業をどこまで深く私たちが追求できるのか、そのことをみなさまといっしょにこれからもやっていけたらいいなと思っております。

今日は本当にどうもありがというございました。

[button link=”https://altertrade.jp/wp/archives/2005″ color=”silver”]パプア・チョコレートの挑戦 ~現地パートナーを迎えて~メインページに戻る[/button]

イベント報告3:パプア・チョコレートの挑戦|きまぐれやシェフ吉田さんの提案

2012年12月3日
イベント報告3:パプア・チョコレートの挑戦
きまぐれやシェフ吉田さんの提案

きまぐれやシェフ吉田さんカカオ、といえばチョコレート、しかし、きまぐれやの出張シェフ吉田さんにかかるとカカオはもっと変幻自在な食材になってきます。

カカオは発酵食品であり、しかもさまざまな料理のコクを引き出す発酵調味料だとみる吉田さんはそれを使って、次々に新しい食のあり方を提案します。

といっても難しい料理は縁がないと思われるかもしれません。でも吉田さんの提案は誰にでもできるもの。レトルトのハヤシライスにカカオマスを削って入れてみる、さらにはレトルトのおしるこに入れてみる。さらにはオルター・トレード・ジャパンのゲランドの塩とマスコバド糖と3つを混ぜてお酒のおつまみに。複雑な調理はまったく不要です。

熟成していく料理はだんだんと味が深まります。

最後に吉田さんはとても味わい深い発言で、試食会を締めくくっていただきました。

「みなさん、途方も無い試食に付き合っていただき、ありがとうございます。先ほどのパプアの方の話の中に私たちはあまりに与えられることに慣れてしまったというお話がありましたけど、日本の消費者もまったく同じ状態だと思っています。与えられるものを右から左に流している状態だと思います。でもせっかくこのカカオという力強いものが来ているので、新しいあり方もできるんではないかと思って、こういうちょっと変わった提案をしてみました。夢のあるものをみなさんと作って行きたいと思っています」

試食会の内容をもっと知りたい方は是非ビデオでご確認ください。

[button link=”https://altertrade.jp/wp/archives/2005″ color=”silver”]パプア・チョコレートの挑戦 ~現地パートナーを迎えて~メインページに戻る[/button]

イベント報告2:パプア・チョコレートの挑戦|パプア現地で今

2012年12月3日

イベント報告2:パプア・チョコレートの挑戦
パプア現地で今

パプアには世界1位の埋蔵量の金、第3位の銅の他、石油、木材、海産物などの資源が豊富です。戦後、パプアでの豊富な天然資源に目をつけた外国企業による大規模な自然破壊が行われています。

広大な原生林を破壊して、アブラヤシ(パーム・オイル)のプランテーションが作られたり、米国の鉱山会社フリーポート社が1970年から金と銅の露天掘りの鉱山開発をしています。これにより多くのパプアの先住民族が土地を失いました。先住民族の存在を無視した大規模開発が行われています。一方、先住民族コミュニティの権利は確立されずに、パプアの村落部貧困率はインドネシアの全国一位となっています。

こうした中で先住民族が自らの手で自立するためのカカオ事業を始めようというわけです。現地の農民を支援するパプア農村発展財団(YPMD)代表のデッキー・ルマロペンさんにお話をお聞きします。


パプア現地の状況を伝えるパプア農村発展財団(YPMD)代表のデッキー・ルマロペンさんパプアの人びとはどのようにカカオの栽培を始めたのですか?

デッキー:1930年代にオランダがパプアでカカオの栽培ができないかということで土壌の調査を始めました。1969年にパプアがインドネシア政府に併合されてから、インドネシア政府とオランダ政府が共同で出資をして、イリアンジャヤ開発財団を立ち上げました(当時パプア地域はイリアンジャヤと呼ばれていました)。その時にパプア人のための研修センターなども作られました。

1970年台からジャヤプラとマノクワリでカカオの栽培が本格的に始まりました。

その時、パプアの人たちはカカオをどのようにとらえたのでしょうか?

デッキー:パプア人はカカオを栽培することをとても喜ばしいこととして受け入れました。ジャヤプラ近郊のグニェム地方は土壌がカカオ栽培にとても適していたということもあって、積極的に受け入れられています。オランダ人の調査に基いて、カカオを栽培する地域を決めました。このイリアンジャヤ開発財団は最初から25年という期限付きで1995年まで事業が行われました。

当時はイリアンジャヤ開発財団がカカオの買い付けを独占していたので、買い付け価格もキロあたり、当時の価格は245ルピア(20円くらい)でした。現在は5000ルピア(日本円にして50円くらい)で売られています。

イリアンジャヤ開発財団が1995年に終わって、それからインドネシア政府主導によるカカオ開発になると思いますが、大きな変化はありましたか?

デッキー:1995年以降はインドネシア政府主導でカカオ栽培が行われたわけですが、イリアンジャヤ開発財団がやっていた頃はカカオとは呼ばずにチョコラ、チョコラテと呼んでいました。ですから地元の人たちは「これはチョコラテの木だ」と思っていたわけです。

 そして2000年になってからインドネシア政府がまたカカオの苗木を配り始めました。その時、インドネシア政府は「これはカカオの苗木だ」と言って生産者に配ったので、生産者は「これからはカカオなんだ。チョコラテの木はおしまいなんだ」と以前のカカオの木を切り倒してしまうという誤解も生じました。

 そして、インドネシア政府が苗木を配り、豆の買い付けは独占ではなく自由競争になりました。カカオの買い付け価格も少しは上がってきましたが。

 YPMDは1984年に設立されたパプアのNGOですが、パプアの人びとの自立、そして環境に焦点をあてた活動をしています。今、日本の消費者の人びとの要望にいかに応えられるようにがんばっています。

 そのためにパプア人が守らなければならない条件があります。

  • 日本にカカオを輸出する上でそのカカオはおいしいもの、高品質でなければなりません。
  • そしてその事業によってパプアの緑がずっと守られていくことが必要です。
  • さらにカカオを通じてパプアの人びとが他の国の人たちとつながって多くのことを学んでいける。

 この3つの条件が必要だと思っています。

 文化の背景の違う人びととつながることで学び、より豊かになっていくことができる。そういうことを私たちは期待しています。

 私たちはすでに日本にカカオを輸出しました。しかし私たちはそれだけで満足しているわけではありません。

パプアの生産地の地図

パプアの生産地の地図。日本との位置を見るためにはこちらの地図

YPMDが活動する村々では、カカオは現金収入を得るために重要な産物でありました。わたしたちはケヒランというところに一時加工場をつくりました。そこでヤニムとブランソーの若者をリクルートして、加工場で働きてもらうことにしました。

カカオ畑の写真
カカオの畑ですが、これは清掃した後なので、普通はもっと鬱蒼とした森のようになっています。

カカオの実と生産者
これがカカオの木です。カカオの花が木の幹に直接咲きます。6ヶ月たつとこのような大きな実になり、中を割るとカカオのタネがこのように入っています。

私たちが買い付けに行く日、生産者たちは朝早く生産者たちはカカオ畑に行ってカカオを収穫します。

カカオの実を取って、一箇所に集めて、カカオの実を割って、中の白いタネを取り出して家に持ち帰ります。

カカオの収穫には男性も女性も出ます。カカオの畑から帰ってくるのは夕方4時くらいです。パプアの人たちは広い土地を持っているのですが、ひじょうに遠くて、近い人でも3キロ、遠い人は10キロほど離れています。20キロの人もいます。みんなが帰ってくるのを待つと夜遅くになってしまいます。

私たちが買い付け前に村の人たちを前に生産者を集めて説明しました。まず白いきれいな豆をYPMDは買います。しかし変色した豆、質の落ちる豆は買わないと言ったら、生産者は非常に憤り、どうして私たちの豆を全部買わないのかと文句を言われたりもしました。いろいろありましたが、生産者たちは私たちを愛し続けてくれています。

買い付ける前に生産者が持ってきた豆を全部ひっくり返して全部選別します。

私たちの買い付けは夜遅くまで続きます。しかし、生産者たちは夜中の12時になっても私たちを待っています。一日に村を3つも4つも回るので、最後の村に着くのはどうしても夜の10時過ぎになってしまいます。

YPMDが買う時には必ず買い付け伝票を生産者に手渡します。その伝票には買い付けた重量と金額が記入されます。生産者はその伝票で、自分がどれくらいの豆を売って、どれくらいの収入を得たかということがわかるようになります。そして直接すぐに現金払いで、お金を生産者に渡します。

カカオの買い付けを深夜まで待っている家族
これは夜間の買い付けですが、夜になっても待っていてくれるわけです。

早く帰ってこられたとしても夜の11時くらいなのですが加工場に戻ってきます。そして600キロ入れることができる発酵箱に入れます。

発酵箱に入れたカカオを取り出す発酵は4日間行います。最初の一日目、二日目はそのまま寝かせて、3日目と4日目はかき混ぜて酸素を入れるようにします。

乾燥は豆の水分含有量が7%になるまで続けます。毎日、熱い日が続いて、天日乾燥ができたらだいたい4日から5日ほどで7%くらいまで水分は落ちます。

カカオを乾燥させる2時間毎に豆をひっくり返して、均等に天日干しができるようにします。しかし、急に雨が降りだすこともあります。そのような時は急いで乾燥台を倉庫の中にしまわなければなりません。

天候の悪い時には機械で乾燥を行います。

照りつける太陽の下で乾燥作業をやるのは大変なことです。

しかし、経験でわかったのですけど天日で乾燥させた方がよいものができました。

さまざまな加工に関わる道具をきれいにあらう、そうした衛生管理を私たちはひじょうに重視しました。

豆の選別は2種類あり、1つは品質の選別で匂い、形から品質を選別するのと、もう一つはサイズで選別するという作業があります。

計量して麻袋一袋がちょうど60キロになるようにします。最後に匂いでチェックしたり、カビが生えていないかをチェックします。

最後の作業が麻袋を縫い付ける作業です。

袋詰めしたカカオをいよいよ出荷ここはコンテナが加工所に来て、東ジャワのジェンブルに出荷するところなんですが、パプアのたくましい青年たちはこの一袋60キロの麻袋を担げない、担ぎたがらない。そこでコンテナの会社が雇っているマカッサル人の人たちが倉庫から出して車に積み込みました。

マカッサル人の人たちは体も小さいのに、12.5トンの豆を4時間もかからずに積み込むことができました。その時皮肉っぽく、マカッサル人の人たちはパプア人と全然違うじゃないか、マカッサル人の人たちの働きぶりを見ろと言いました。

なんとか出荷できてよかったね、という写真です。

私たちは初めて買い付けから加工・出荷までを行ったわけですが、これは生産者にとっても私たちにとってもいろいろと勉強させられました。

まず第一は人間の問題です。誰がやるか、その人たちがしっかり働かなければならないのですけれども、パプアの人たちがどこまでできるかということにかかっているわけです。

一番難しかったことはカカオの加工場で働いている町の若者たち、彼らにどう働いてもらうかということで、というのはパプアの人たちというのは自然の中で自由に生きている人たちです。朝何時に起きて、何時に食事して、というのも自由なんです。そういう人たちが事業という枠組みの中でルールに従い働くというのは大変なことで、これからの挑戦でもあります。

そして2番めには生産者の側の問題です。生産者たちはお金がなくなった時に畑に行き、カカオを収穫します。お金があれば畑に行かないのです。だから畑には熟れすぎてダメになってしまったカカオもたくさんあります。また、パプアの人たちの畑は広いけれども、その広さにもかかわらず生産は多くありません。

そこで収穫が終わった後、生産者たちにカカオの木の実態調査をして、カカオの木の正しい育て方という講習会を行いました。

最後にこのカカオを通じた夢を語っていただきたいと思います

デッキー:私が望むのはパプア人もお金を稼げるようになりたいということです。今まで私たちはただ与えられるのみ。自分たちで作り出すことができていません。ですから私たちは他の人たちに従わなければならない。しかし、自分たちできちんとお金を稼げれば、経済を打ち立てることができれば自分たちが思うように生きることができると思います。

そして、こうして日本のみなさんとつながる、そしてお互いに学ぶ関係を作ることです。そして人と人との結びつき、交流を通じた交易、これが国境を取り払い、それぞれの違いを超えて深くつながることができると思います。

どうもありがとうございます。

最後にデッキーさんに歌っていただいたパプアの歌をお聴きください。

[button link=”https://altertrade.jp/wp/archives/2005″ color=”silver”]パプア・チョコレートの挑戦 ~現地パートナーを迎えて~メインページに戻る[/button]

イベント報告1:パプア・チョコレートの挑戦|~現地パートナーを迎えて~

2012年12月3日
イベント報告1:パプア・チョコレートの挑戦
~現地パートナーを迎えて~

イベント:パプア・チョコレートの挑戦長年「民衆交易」を通じて、バナナやエビ、コーヒーなど、アジアの農民と直接関わり合いながら、各地域の資源を生かし、南の生産者と日本の消費者を「顔の見える関係で」つないできた(株)オルター・トレード・ジャパン(ATJ)の商品に、新たにチョコレートが加わることになりました。

インドネシア領パプアから届くカカオで作られるチョコレートは、豊かな大地・森で育ったカカオを活用し、パプアの人びとが自分たちの手で暮らしと地域を創ることで、グローバル化の中で周縁に追いやられている現状を打開し 、持続可能で自立した経済の仕組みづくりにチャレンジする試みそのものです。パプアのカカオ産地では、2012年より収穫、加工の取り組みが始まりました。

初めての収穫シーズンを終えて、パプアよりカカオ事業に取り組む仲間たちが来日し、その現地の状況や課題を聞き、またこれまで、民衆交易の商品を使ったおいしいごちそうのレシピを作っていただいている「きまぐれや」の吉田友則シェフに、チョコレートだけではないカカオを用いた誰にでもできる様々な使い方を提案していただきました(イベント案内)。

パプアのカカオ事業はこれからがスタート。並んだ完成品を買うのだけではなく、人のつながりから自分の食を作っていける、そんな提案にもなっていけばと思います。

ぜひご注目ください。


ようやくスタート!

3年間の準備を経て、やっと今年、パプアでカカオの収穫、出荷がスタートしました。これから始まります。

オルター・トレード・ジャパン社長の上田の挨拶です。

カカオ栽培で盛り上がるパプアの村々

パプア現地の状況を伝えるパプア農村発展財団(YPMD)代表の デッキー・ルマロペンさんパプア農村発展財団(YPMD)代表の デッキー・ルマロペンさんにパプアの現地ではカカオをめぐってどんな歴史があって、現在どうなっているか、語っていただきました。先住民族自身が自分たちの経済を作るために悪戦苦闘、その様子をお伝えします。

[button link=”https://altertrade.jp/wp/archives/2035″ color=”silver”]デッキーさんのパプア現地報告[/button]

吉田シェフにとってのパプアのカカオ

きまぐれやシェフ吉田さんカカオといえばチョコレートと思ってしまう私たち。でも吉田シェフの考えはちょっと違います。「これは発酵調味料だ!」と思いもかけないものに入れていきます。

日本の伝統的食品と合わせるという意外なアイデアも。既成概念の枠を破って自分たちが作り上げる食文化の案内人、吉田シェフの魔術をご覧ください。

[button link=”https://altertrade.jp/wp/archives/2064″ color=”silver”]吉田シェフの提案するパプア・カカオレシピ[/button]

民衆交易とパプアのカカオ

パプアのカカオがなぜ苦いか語るオルター・トレード・ジャパン堀田カカオで盛り上がるパプア現地、そして日本。私たちは何をしていけばいいか、このプロジェクトの開始から関わり続ける堀田オルター・トレード・ジャパン取締役にとってはカカオは「苦い」ものだといいます。なぜおいしいカカオを苦いというのか、お聞きください。

[button link=”https://altertrade.jp/wp/archives/2075″ color=”silver”]「苦い」カカオから始めよう[/button]

共に作るカカオ、共に作るチョコレートをめざして

イベント:パプア・チョコレートの挑戦:試食会このセミナーは終了しましたが、パプアのカカオ事業はこれから始まります。パプアのチョコレート、カカオを使って何を実現していくか、さまざまなアイデアや企画を考えています。

あなたのアイデアもぜひお寄せください。

[button link=”http://www.altertrade.co.jp/06/06_02.html” type=”icon” icon=”mail”]メッセージを送る[/button]

オリーブ苗木を植樹してパレスチナ農民を応援します!

2012年11月22日

イスラエル占領下でパレスチナの農民は常に農地没収や、イスラエル軍や入植者の破壊行動に脅かされています。先祖代々大切に育ててきたオリーブ畑も同様です。そこで10月より、パレスチナのオリーブオイルを取り扱ってくださっている(株)大地を守る会と共同で、オリーブの苗を植えて農地を守っていくために基金積立てを始めました。

パレスチナ地図、アクラバ村位置

パレスチナの地図、アクラバ村位置。クリックすると拡大します

今回の対象地域は、現地パートナーであるUAWC(パレスチナ農業開発センター)が支援活動を行っているアクラバ村。ヨルダン川西岸地区北部のナブルス行政区域に位置する人口10,000人弱のこの村は、1967年の第三次中東戦争以前は東側を流れるヨルダン川まで農地が広がっており、当時のヨルダン川西岸地区第二のコムギ産地として知られていました。

ところが、第三次中東戦争が起こり、面積の80%(約144,000ドゥナム=14,400ha)がイスラエル占領当局によって占領されました。これらの土地には、イスラエル入植地や軍事基地が作られ、現在、そのほとんどの場所は、行政権・軍事権をイスラエルが持つ「C地区」となっています。結果としてアクラバ村は、ヨルダン川西岸地区の中でも、最もイスラエルの支配地域に囲まれた地域の一つとなりました。

C地区では、パレスチナ人は、イスラエルの許可なしに建物を建てたり、井戸を掘ったりすることが禁じられています。もし何らかの建造物が許可なしに建てたと見做されれば、イスラエルから「取り壊し命令」を受け、軍が破壊しにやって来ます()。主要な幹線道路もイスラエルによって管理されているため、アクラバ村の人々は、残された20%の土地の中で、往来や水資源の利用が厳しく制限された環境下にさらされています。現在では、村人の半数以上が、貧困ラインを大きく下回る暮らしを余儀なくされていると言われています。

さらに、アクラバ村では、周囲に住むイスラエル入植者による嫌がらせもエスカレートしています。入植者が、村の大部分を占めるオリーブ畑を始めとした農地へやってきて、木を切り倒したり燃やしたりするという事件が、現在でも多発しています。これは単なる嫌がらせではなく、そこに住むパレスチナ人を追い出して自分たちの土地にするというのが目的です。

このようなアクラバ村の現状に対し、現地パートナー団体であるUAWCは2010年2月より支援活動を始めました。荒れた土地を修繕・開墾して使えるようにし、塀で囲うなどして、オリーブを植えられる環境作りを進め、準備された土地にオリーブの苗を植えていくことで、オリーブ農家の土地と生活を守る手助けを行っています。

しかし、2012年に彼らが植えたオリーブの本数は約750本。それに対し、同じ期間に2,500本近くのオリーブが抜かれており、その中には新しく植えたものも含まれます。このように植えても植えても抜かれる中、それでもオリーブを植え続けていくことは、パレスチナに生きる生産者の土地を守り、当たり前の暮らしを取り戻していくために、最も大切な運動の一つです。そして、そのオリーブのための基金を日本から届けることは、現地で抵抗し続けているパレスチナの人々を強く勇気付けるものであると同時に、植えられたオリーブそのものが我々の連帯の証となります。

[tabs slidertype=”images” auto=”yes” autospeed=”7000″]

農地開墾はUAWCプログラムの一つ

農地開墾はUAWCプログラムの一つ
入植者によって切られたオリーブの木

入植者によって切られたオリーブの木
丘陵地では農道が必須。UAWCが支援して建設中の農道

丘陵地では農道が必須。UAWCが支援して建設中の農道

[/tabs]

第1回目の植樹は12月の予定です。まだ始まったばかりの取り組みですが、このアクラバ村を軸にして現地で暮らす人々の様子を伝えることで、少しでも多くの皆様に、パレスチナ自治区のことを知って頂ければ幸いです。

※基金(スマイルオリーブ基金)については大地を守る会ウェブサイトをご覧ください。 
URL:http://www.daichi.or.jp/info/press/2012/10/121-108.html


(注) OCHA=国連人道問題調整事務所のレポートによると、C地区はヨルダン川西岸地区のおよそ60%を占めており、2011年にイスラエルによって破壊された住居の90%以上は、C地区内にあったといいます。

【エコシュリンプ生産者来日】|国を越えた交流へ(野付訪問その2)

2012年11月14日

野付訪問国際協同組合年である今年の「協同組合地域貢献コンテスト」で、215件の中から4件の最優秀賞に輝いた野付漁協。その取り組みは「植樹を通じた環境保全活動と生協との産直交流」です。そして今回、彼らが野付にお邪魔した最大の目的は、前日の資源管理型漁業について学ぶことに加え、植樹を通じた交流活動に他ならないのでした。

その日の早朝。まだまだ10月はそれほど寒くないとは言え、「初めて体験した」と言わしめる気温の中、漁港に彼らの姿がありました。深夜に定置網漁に出た漁船が帰港し、秋サケをはじめ、水揚げされた水産物の数々。中には見知った魚もあるとのこと。それらがどのように選別され、管理されているのか・・・きりっと冷えた頭で視察しました。

朝食では特別な計らいで、揚がったばかりのカレイを煮付けて頂くという贅沢。定番の秋サケの塩焼きも含め、一週間かけてじっくり楽しみたいくらいの大量の魚をきれいに平らげ、メインイベントの植樹へ。自分達の名前が書かれたプレートが準備され、参加者全員がめいめいに土を掘り、汗を流して木を植える営みは、それだけで十分心に残るものとなりました。そして、恐らく初めてではないかと思われる外国人である彼らの名前は、未来永劫この野付の地に刻まれることとなったのでした。

周りを見渡してみると、かなりの数のネームプレート。この場所も、数十年後には森になるはずです。「100年かけて、100年前の自然の浜を取り戻そう」というこの運動には、とても多くの人が関わっていることが実感できました。今回は「クマが出る」ために残念ながら車からの見学となりましたが、実際にほぼ森状態になった場所では、新しく湧き水が湧き始めたとのこと。まさに「継続は力」であることがわかります。

野付訪問さて、このように人々の力と継続的な運動が実を結んだ様を目の当たりにして、彼らは何を考えたのか? インドネシアに帰った彼らは、今回の体験をどのように仲間へ伝え、今後どのような活動につなげていくことができるのか?今までにない、海を越えた交流活動は、まだまだ始まったばかり。この関係をこれからも継続し、具体的な次へのアクションにつなげていくことを心に誓い、中標津空港を後にしたのでした。

末筆となりますが、このような貴重な機会を与えてくださった野付植樹協議会の皆様に、心より御礼申し上げます。

イベント:パプア・チョコレートの挑戦 ~現地パートナーを迎えて~

2012年10月26日

長年「民衆交易」を通じて、バナナやエビ、コーヒーなど、アジアの農民と直接関わり合いながら、各地域の資源を生かし、南の生産者と日本の消費者を「顔の見える関係で」つないできた(株)オルター・トレード・ジャパン(ATJ)の商品に、新たにチョコレートが加わることになりました。

インドネシア領パプアから届くカカオで作られるチョコレートは、豊かな大地・森で育ったカカオを活用し、パプアの人びとが自分たちの手で暮らしと地域を創ることで、グローバル化の中で周縁に追いやられている現状を打開し 、持続可能で自立した経済の仕組みづくりにチャレンジする試みそのものです。

パプアのカカオ産地では、2012年より収穫、加工の取り組みが始まりました。初めての収穫シーズンを終えて、パプアよりカカオ事業に取り組む仲間たちが来日します。現場での様子をご紹介するとともに、パプアのカカオの魅力をお伝えしたいと思います。

ぜひ、お申し込みの上、ご来場ください。(終了)

【日程】 2012年11月3日(土)
【場所】 SHIBAURA HOUSE 5F 東京都港区芝浦3-15-4
http://www.shibaurahouse.jp/about/info/
JR田町駅東口より徒歩7分
【時間】 13:30~16:00(13:00開場)
【参加費】 1,000円
★ブックレット『パプア・チョコレートの挑戦』
・ チョコレートのおみやげ付き
【共催】 特定非営利活動法人APLA
株式会社オルター・トレード・ジャパン
2012年11月3日 カカオイベント会場地図

会場地図

≪プログラム≫

=第1部=

2012年よりインドネシア領パプアで始まったカカオの収穫と加工。なぜパプアのカカオなのか? どんな人たちが携わっているのか? カカオ産地ではたくさんの人たちの手によって作られています。カカオ出荷までの過程のエピソードなどを、ゲストの二人を囲みながら、現地の様子をご紹介します。

映像『kakao kita ~わたしたちがつくるチョコレート~』上映

=第2部= カカオの食べ方・デモストレーション

これまで、民衆交易の商品のレシピ化に取り組んでくれた吉田友則シェフに、カカオを用いた様々な使い方を提案していただきます。チョコレートだけに限らない、カカオの魅力に迫りたいと思います!

吉田友則さん(きまぐれや出張シェフ)吉田友則さん(きまぐれや出張シェフ)
横浜にある製菓製パンの専門学校で勉強し、その後料理の世界に入る。2000年からは、出張料理人として、お祝い、法事、新築、新店舗立上げ、婚礼、野外パーティーなどありとあらゆる場所へ全国をまわり、1200件以上の料理を提供。マスコバド糖をきっかけに、ATJ商品のレシピ開発などにも携わってきた。

[ignore]

【お申し込み】

締め切り:2012年10月31日(水) 下記のフォームからお申し込みください。 フォームがうまく動かない場合はFAX:03-5273-8162までお送りください。 ※席に限りがありますので、お早めにお申し込みください。先着順での受付となります。 [contact-form-7 id=”1773″ title=”カカオイベント”]
[/ignore]

問い合わせ先
特定非営利活動法人APLA 吉澤 TEL:03-5273-8160
株式会社オルター・トレード・ジャパン 小林、義村 TEL:03-5273-8163
〒169-0072 東京都新宿区大久保2-4-15サンライズ新宿3F

【エコシュリンプ生産者来日】|資源管理型漁業について学び、海の幸を堪能する(野付訪問その1)

2012年10月25日

野付訪問① 【資源管理型漁業について学び、海の幸を堪能する】1
今回のエコシュリンプ生産者来日の背景の一つは、野付植樹協議会の設立10周年を記念して2012年3月にインドネシアで行われた交流がきっかけでした(当時の報告はこちら。インドネシアで持続的なエビ養殖を営んでいるエコシュリンプ生産者に、今度は野付の資源管理型漁業を見せたい!という有難いお招きに預かり、この度の訪問が叶ったわけです。

さて、乾季で暑いインドネシアから初来日の翌日、羽田空港に集合してさっそく中標津空港まで飛んだレギミンとアサッド。空から見える広大な牧草地を珍しそうにしげしげ眺めるアサッドと、その横で揺れに怯えて縮こまるレギミンが、対照的でした。

野付訪問① 【資源管理型漁業について学び、海の幸を堪能する】2牧草とウシの香る中標津空港から、一路野付漁協へ。ヒトよりウシが多く、あまりに通行人が少ない様子に驚きながらも、広大な土地の真ん中での快適なドライブでした。野付漁協では、3月にインドネシアでお会いした懐かしい皆様がお出迎え下さり、早速、北海道の漁業の概要から、野付漁協の資源管理型漁業への取り組みレクチャーを頂きました。

北海道の年代別漁業就業者は、やはり50代以上が中心。そして全体的には減少傾向にあります。それを見たアサッド(=50歳、孫あり)は、しみじみと一言。「高齢者ががんばって支えているのか・・・」。シドアルジョのエビ生産者でも同じような傾向はあるようで、人事ではないと感じた模様。アサッドにはまだまだ現役で頑張ってもらうとしても、今回残念ながら来られなかったイルルのような若手生産者も一緒に支え合って行ける関係が、これからのエコシュリンプには求められているのです。

野付訪問① 【資源管理型漁業について学び、海の幸を堪能する】3一方、資源が豊富な野付地区の漁場で資源管理型漁業が始まった背景は、乱獲や環境変化による水産資源の枯渇でした。現在は、稚貝の放流や親魚の捕獲を計画的に実施すると共に、漁獲の前には資源量調査を行い、獲り過ぎにならないように漁業制限を設けながら、水揚げを行っています。漁協の組合員もそのことを理解し、「譲りと協同」の思想の下、個々人の漁獲高に固執しない漁業が営まれているのです。

インドネシアではまずお目に掛かることの無いこの取り組み。まずアサッドからは「どういう意識があると、そういうことができるのか!?」と驚き混じりの質問があり、続いてレギミンからは「漁獲制限は政府から割り当てられるものなのか?」と、これも不思議な表情。「自分達で決めて進めていく」という野付漁協のあり方が、まずは彼らにとって斬新だったと言えます。それでも、「守らない人にはペナルティーも辞さない」という徹底振りに、「将来を考えた取り組みを、協同で自発的に進めている点」が少なからず腑に落ちたようです。

夜は、そんな野付半島で獲れた海の幸を堪能。さすがに生のホタテやイクラには抵抗があったものの、野付漁協のご好意によって「ホタテ揚げ」に変身した途端、旺盛な食欲で頂きました。なお、かの有名な「北海しまえび」を山ほど食べたことは、言うまでもありません。

野付訪問① 【資源管理型漁業について学び、海の幸を堪能する】4野付訪問① 【資源管理型漁業について学び、海の幸を堪能する】5

(報告:商品課 若井俊宏)

ATJあぷらブックレット3 『パプア・チョコレートの挑戦』

2012年10月10日

ATJあぷらブックレット3 『パプア・チョコレートの挑戦』表紙このたび株式会社オルター・トレード・ジャパン(ATJ)の民衆交易に新しい仲間が加わることになりました。それが、このブックレットで紹介するチョコレートとその原料のカカオ、そしてパプアの人びとです。

「パプア」というと、パプアニューギニアのことを思い浮かべる人が多いと思いますが、今回の舞台となるのはインドネシア領パプアです。初めて耳にした人も多いのではないでしょうか? パプアとはどんな地域なのか、どんな人たちがどんな思いでこのカカオの民衆交易を始めることになったのか、その一端を知ってもらうためにこのブックレットを作成しました。それとあわせて、私たちにとって身近なお菓子・チョコレートについて、その歴史や産業の現状、原料となるカカオの基礎情報など、写真やイラストをつかってわかりやすく解説しています。

もっと詳しく見る(APLAのサイトへ)

エコシュリンプ: 壁の内側では何かが起こりつつあるようだ-ATINA自社工場建設(2)

2012年8月3日
とりあえずサトウキビの侵入を食い止めたい壁の基礎(2012.2月)
とりあえずサトウキビの侵入を食い止めたい壁の基礎(2012.2月)

「うなぎの寝床」整地完了から、早半年・・・。その間、本物のうなぎは高騰の一途を辿り、土用丑の日に精力を付けられなくなった多くの日本国民に熱中症をもたらすこととなりました。

一方、インドネシアのシドアルジョにおいては、暑さ慣れしているインドネシアの人々により、着々と新工場の建設準備が進められています。隣に残るサトウキビ畑との境界には、長さ500メートルのコンクリート壁が毅然と張り巡らされ、ようやく何か建物ができることを予期させる風景へと変貌を遂げました。

急ピッチで壁建設(2012.2月) ネズミ一匹入らせまいという断固たる決意が感じられる500mの壁とこれから何かすごいものができそうな予感のする細長い土地
急ピッチで壁建設(2012.2月)
ネズミ一匹入らせまいという断固たる決意が感じられる500mの壁とこれから何かすごいものができそうな予感のする細長い土地(2012.3月)

敷地内では下から順に工事が進み、まずは製造中に使う水を貯めておくためのスペースが掘られています。

泳いだら気持ち良さそうなプールに見えるタンク予定地 タンク予定地2
泳いだら気持ち良さそうなプールに見えるタンク予定地(2012.7月)

タンク予定地2(2012.7月)

工場の背面になる敷地の奥では排水用のタンクも掘られ始め、そこには、かの有名なBMW技術が導入される予定です。これで排水も今まで以上にキレイになり、より環境負荷の小さい低い次世代工場へと進化することができます。

さっそく水が溜まって準備万端な排水タンク予定地

さっそく水が溜まって準備万端な排水タンク予定地(2012.7月)

新工場では、従来の冷凍エビとしての「エコシュリンプ」に加え、エコシュリンプを使った加工品の製造や、エビ以外の製品も視野に入れた稼動を目指しています。また、冷凍倉庫、石けん工房、分析室などが一箇所に集約され、より無駄の少ない効率的な稼動ができるようになります。

明るく元気で丈夫な工場が生まれますよう、これからも応援の程、宜しくお願い致します!

商品課 若井俊宏

ATC設立24周年を祝う

2012年8月3日
ATC職員とバナナ生産者

7月末、フィリピンのオルター・トレード社(ATC)が設立24周年の祝賀イベントを開催しました。24周年?と思われる方も多いと思いますが、ATCは登記したのが1987年ですが、会社そのものの設立は前年の1986年。今年がちょうど25年の節目にあたるという訳です。固いことは言わずに一緒にお祝いしましょう!

ぬかるむ急坂を登って植樹場所へ向かうぬかるむ急坂を登って植樹場所へ向かう

24年前、ネグロス島を飢餓が襲っていました。海外から寄せられた援助により一時的に貧困や飢餓は和らいだものの、残念ながら援助は持続せず多くの砂糖労働者の暮らしは元のままでした。その状況の中で「援助ではなく交易を」という理念のもと、ATCが生まれたのです。

そして24年経った現在、フィリピン全土でバランゴンとマスコバド糖生産者は5,000名を超えました。最初のテスト輸出で日本に届いたのは低品質の砂糖と黒くなったバランゴンでしたが、今では品質も安定しました。輸出先は日本から韓国、ドイツ、スイス、フランス、アメリカ、アジア各国へと広がっています。

7月27日と28日、「進めよう、人間開発。深めよう、パートナーシップ。変えよう、コミュニティ」というテーマのもと様々な記念行事が行われました。27日にはノルマ・ムガール理事長とヒルダ・カドヤ社長が地元のテレビABS-CBNの番組に出演、引き続き記者会見を開きました。また、地元の新聞「Sun Star」にもATC24周年を伝える記事が掲載され、ATCの活動を一般にアピールしました。

他にも感謝のミサ、記念パーティー、バランゴン産地の一つ、パンダノン村での記念植樹、記念ロゴ・コンテストなど、遊びの天才、フィリピン人らしくATC社員、生産者で楽しく24周年を祝ったのでありました。(広報室 小林)

記者会見には地元のメディアが集まった ようやく到着、ランブータンなどの苗木を植樹
記者会見には地元のメディアが集まった
ようやく到着、ランブータンなどの苗木を植樹
ロゴ・コンテスト受賞者のパウロさん(中央) 24周年を祝うケーキ
ロゴ・コンテスト受賞者のパウロさん(中央)
24周年を祝うケーキ

ネグロス東州地震被災者支援活動報告

2012年5月29日

ATJはオルター・トレード社(ATC)の要請を受けて本年2月6日、ネグロス東州で起きた地震の被災者への募金を2月末より呼びかけてまいりました。株主生協、APLA会員をはじめ、多数の方からご協力をいただき、約143万円をATCに送金することができました。ATCは現地で集めた募金を加えて、バナナ産地であるプラナス村、ホマイホマイ村で5回の支援活動を実施しました。活動にはATC職員も多数バコロドから駆けつけました。

1. 支援活動内容

第1次救援活動:2月13日(月)、ネグロス東州ギフルガン市プラナス村
大規模な地滑りが発生し、多くの住民が避難しているプラナス村1,000家族に対して米2キロ、いわし缶詰3缶、マスコバド糖250gの食料パック、ATC社員が集めた古着を配布しました。

第2次救援活動:3月3日(土)、同ホマイホマイ村
米3キロ、干魚500g、マスコバド糖1キロを450家族に配布。校舎が損壊して休校中のホマイホマイ小学校に対しては、仮教室の建築資材として屋根用に大きなキャンバス地の布7枚、合板を提供しました。

第3次救援活動:3月11日(日)、ホマイホマイ村
この日のプログラムは、精神的に辛い日々を送っている小学生のために企画されました。集まったホマイホマイ村、プラナス村、アンテバラス村の子どもたち350名に対して、学用品、教科書、靴、おもちゃ、お菓子等、また学級ごとに絵本やスポーツ用品を配りました。この後、ATC職員が子どもたちとゲームを行い、笑いと歓声が村中に沸き起こりました。プログラムのハイライトはキャンドルナイト。親と子どもが順番にローソクを灯し地元の犠牲者とともに東日本大震災の犠牲者も追悼しました。

第4次救援活動:3月24日(土) 同プラナス村
地滑りで避難生活を送る49家族に対して、トタン板10枚、合板6枚、針金・釘2キロ相当などの建築資材を配布しました。

第5次救援活動:3月27日(火) 同プラナス村
小学生及び就学前児童、計701名のためにATC職員が集団でゲームを行い、靴やお菓子などを配布しました。

2. 募金総額

1,431,050円(団体・法人16、個人17名)

3. 送金状況

第1回送金:1,016,000円
第2回送金:415,050円
現地通貨換算:計732,448ペソ

4. 支援活動経費

第1次~第5次救援活動費総計:691,084ペソ

なお、残額はホマイホマイ村長の要請により、同小学校の用地取得(現校舎の敷地は高台にあり地滑りの危険があるため、小学校は移転する計画)の一部として活用されます。

【支援活動の様子】

お米などを食料配布
お米などを食料配布(3月3日)
小学校仮教室を建設中
小学校仮教室を建設中(3月3日)
犠牲者を追悼
犠牲者を追悼(3月11日)
追悼イベント集合写真
追悼イベント(3月11日)
子どもとゲームで遊ぶ
子どもとゲームで遊ぶ(3月24日)
建築資材で家を建築中
建築資材で家を建築中(3月24日)

オルター・トレード社(ATC)からのお礼状(訳文)

募金していただいた日本の皆様へ

ネグロス東州で発生したマグニチュード6.9の地震被災者、とくにギフルガン町の農民とバランゴン生産者に代わって、最も辛く困難な時期に彼らを心に留め、支援の手を差し伸べてくださった皆様に心からの感謝を表明したいと思います。皆様からのご寄付、メッセージや思いによって、どれほど彼らの心の痛みが和らぎ、もう一度暮らしを再建しようと前向きな気持ちになったことでしょう。

元の暮らしに戻るプロセスは、この先長くかかるでしょう。プラナス村で起きた地滑りによって愛する者を失った人はなおさらです。しかし、私たちの継続的な関与とバランゴン民衆交易がつないでくれたつながりは、復興に向けた手段を必ずや提供してくれるものです。

改めて感謝の気持ちを表します。皆様からの計り知れないご支援をいつまでも心のなかに大切にしまっておきます。

オルター・トレード社(ATC)社長
ヒルダ・カドヤ

新しい時代の幕開け 独立10周年を迎えた東ティモール

2012年5月24日
新旧大統領を表敬訪問したインドネシア大統領を見送るディリ市民

大統領官邸前で東ティモールの人々が待ち構えていたのは、ラモス・ホルタ&マタンルアクの新旧大統領を訪問したユドヨノ大統領夫妻でした。官邸を去る車に向かって人々が拍手している光景が印象的でした。

今年の独立記念日は10周年という節目、そして新大統領の就任と東ティモールの人々にとっていっそう特別な日となりました。

独立記念式典に先立ち、新大統領の就任式が各国首脳・要人(インドネシア、オーストラリア、ポルトガル、中国、ニュージーランド、ツバル)の立会いの下、執り行われました。時間は深夜0時(そういう習慣だとか?)!会場には多くの人々が集まり、大きな歓声を上げていました!

午前8時から始まった独立10周年の記念式典には、かつて殺しあったインドネシア軍と東ティモール軍も出席しました。友好的かつ平和裏に執り行われた様子は、とても印象的な光景でした。

各国の首脳が出席した今回の式典は、東ティモールという国の存在を世界に示す、特別なものだったと思います。

一方、人々が熱狂して街中で大騒ぎというようなことはなく、控えめな東ティモールの人々の民族性を表しているのかなとも感じました。

大統領就任式を見守る人々

大統領就任式を見守る人々: 暗くてよくわからないのが残念です。明かりの向こうで式典が執り行われていました。

演説でマタン・ルアク新大統領は、今後の国際関係において、他国との協力・友好姿勢を強調すると共に、近隣諸国との境界線についても言及しました。

それは、いまだ東西半分に分割されているティモール島のこと。

そして、オーストラリアとの天然資源をめぐる海域の問題です。

今回、インドネシアとのとても友好的な祝福は素晴らしいものでしたが、これで終わりではありません。東ティモールにとって、インドネシアとの間には、引き続き、直面しなければならない非常に緊迫した問題が横たわっていると感じました。

今年12月には、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)は撤退し、再び、東ティモールの国家・人民に全権が返還されます。

新しい時代の幕開けを象徴するイベントだったと感じました。

名和

東ティモール:エルメラでコーヒー収穫が始まりました!!

2012年5月24日
赤いチェリーのみを手で選別した後、手回しの果肉除去機にかけている様子

赤いチェリーのみを選別した後、手回しの果肉除去機にかけます。チェリーを投 入する人、水を供給する人、果肉除去機を回す人。みんなで手分けしながら演習しています。

いよいよエルメラでコーヒー収穫が始まりました!!

生産者にとっては家計を支える現金収入を得られる大切な季節。

レキシ集落では、今年から75名の生産者がパーチメント加工にチャレンジ!!
ATTのダニエルが加工方法を実践講習しました。

それを聞き入る生産者の表情は、真剣そのもの。

ATTでは、初めてパーチメント加工する生産者を対象に、実践講習の約10日後に最初のサンプルを取り、品質確認します。

もしも十分な品質でない場合、その原因を指摘し、改善してもらうという流れです。

このプロセスを経て、生産者は良質のパーチメント加工方法を身に付けていきます。

果肉除去した後、パーチメントを水洗いし、混ざったチェリーを取り除いているところ果肉除去した後、パーチメントを水洗いし、混ざったチェリーを取り除きます。

コーヒー豆:約24時間、発酵させるために、大切に保管します約24時間、発酵させます。発酵させることによって、パーチメントに付着しているヌメリが取り除きやすくなるのです。

報告:名和

東ティモール:独立10周年記念フェスタ in Tokyo 開催!

2012年5月14日

エゴ・レモスさん10周年という節目の年に、たくさんの方々に東ティモールについて知ってもらうために、ATJ、APLAも呼びかけ人となっている「東ティモール独立10周年を記念する会」主催イベントが今月19日、20日に東京(青山学院アスタジオB1Fホール)であります。

映画、トークショー、エゴ・レモスさんのライブなど、色々な角度から東ティモールに触れるチャンスです。沢山の皆さんのご参加、お待ちしています!

詳しいプログラム、会場については公式ホームページをご覧ください。

※会場では、メインプログラム以外にも、写真展示、東ティモールの産品や関連書籍などの紹介・販売などをおこないます。どうぞお楽しみに!

■参加申込み:
資料代として、1日につき1,200円をいただきます。事前に申込みをいただいた方は、200円割引!
お申込み

■問い合わせ先:
東ティモール独立10周年を記念する会 事務局:
APLA事務局内(担当:吉澤・野川)
電話:03-5273-8160
メール:timor.leste.10th@gmail.com