【バナナニュース236号】ボイさん・アナさん一家の物語④ ~モノを超えた生産者と消費者の交流~

2014年10月3日

毎年、ネグロスではバランゴンバナナ生産者と消費者の交流が行われており、多くの消費者が東ネグロス州マンフヨッド町ロウア・カンダボン村も訪問しています。

家畜の牛の糞尿から堆肥を作っているボイさん。
産地を訪問した消費者にそのことも説明。


バランゴンバナナ生産者兼オルタートレード社(以下:ATC)のスタッフであるロッドジム・カトゥバイさん(通称:ボイさん)とパートナーのアナ・カトゥバイさんも多くの消費者と交流しており、これからも多くの消費者と交流していくことでしょう。
そして、今年の10月下旬には、ボイさんがバランゴンバナナの消費者の皆さんと交流するために来日します。ボイさんに、生産者と消費者の交流について、お話を伺いました。

 

ボイさんのバナナ畑の視察の様子。

生産者・消費者の交流について、どう考えていますか。
「生産者・消費者の交流は民衆交易の一部だと考えており、生産者と消費者の関係性強化に繋がっています。生産者にとって、消費者が産地を訪問するということは、これからも私たちのバランゴンバナナを食べ続けていくというメッセージであり、バランゴンバナナの安定したマーケットがあることを意味しています。なので、生産者は安心してバランゴンバナナを育てることができるのです。
バランゴンバナナには、生産者の様々な想い、願いが込められています。私たち生産者は、消費者が産地を訪問した際に、私たちの生活、なぜバランゴンバナナを育てているのかなどについて話し、そのことがバランゴンバナナを食べてくれる消費者が増えることに繋がると考えています。生産者と消費者の交流こそがバランゴンバナナの大切な価値の一つだと考えています。」

生産者にとって、交流はどのような意味がありますか。
「交流は一方通行ではなく、双方向の関係性作りです。消費者が産地に来ることは、生産者の意欲向上に繋がり、生産者はバランゴンバナナの栽培により力を入れていくことで消費者の想いに応えていく。
また、消費者と交流することで、生産者は消費者のバランゴンバナナに対する期待を実際に聞くことができ、安心・安全の重要性を改めて実感することができます。交流に参加した生産者が、他の生産者にその経験を伝えていくことも大切です。」

消費者に説明をしているボイさん。以前は人前でうまく話すことができなかったそうです。

交流を通して、学んだことは何ですか。
「消費者との交流に参加することで、自分の仕事の本当の価値・目的を知ることができました。私はただ仕事をしているのではなく、生産者と消費者の連帯の一端を担っているということを、交流を通して気付くことができました。
また、消費者との交流を通して、自分に自信が持てるようになりました。私は小学校しか卒業してなく、以前は人前で話すのがとても恥ずかしかったのですが、今は自分の意見をはっきり言えるようになりました。」

日本へ行くことに関して、どう思っていますか。
「私が日本へ行く生産者として選ばれ、驚いています。夢の中でしか行けないと思っていた日本へ行くことができるのは、格好の機会だと考えています。マンフヨッド町、そしてバランゴンバナナの生産者代表として、生産者の状況、想い、夢を日本の消費者にお伝えしたいと考えています。」

フィリピン駐在員 黒岩竜太

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【バナナニュース235号】ボイさん・アナさん一家の物語③ ~ボイ・アナさん一家から見る東ネグロス州の食文化~

2014年8月29日

東ネグロス州マンフヨッド町ロウア・カンダボン村(地図)のバランゴンバナナ生産者兼オルタートレード社(以下:ATC)のスタッフであるロッドジム・カトゥバイ(通称ボイ)さんとパートナーのアナ・カトゥバイさん。共働きのため、食事の支度は基本的に長女リゼル(23歳)の担当。リゼルは以前、小学校の臨時教員として働いていましたが、今は新しい職場を探し中。今回はリゼルに一家の食事について話しを聞きました。

朝食を準備する長女リゼル

一家の食費などの支出は週に約3000ペソ(約7000円)。買い物は基本的に週に1回、庶民が利用する市場で行います。同一家は軽トラックを所有しており、それをバランゴンバナナの集荷に使用していますが、ガソリン代を節約するためにバランゴンバナナの集荷の帰りにまとめて買い物をしています。「財布のひもを握っているのはお母さんだけど、使うのはお父さんの給料」と笑いながら説明するリゼル。

東ネグロス州では良く見られるトウモロコシ畑

東ネグロス州の農村の人々の主食はトウモロコシ※1。そのため東ネグロス州の農村では多くのトウモロコシ畑が見受けられます。ただし、ボイ・アナさん一家の主食はお米。トウモロコシは週に1回、夕食時に食べます。「お父さんはトウモロコシが好きだけど、他のみんなはお米の方が好き。私の家族は他の農家の様にトウモロコシも植えていないし、安いお米なら価格もトウモロコシと同じで、30ペソ/㎏ぐらい。トウモロコシはパサパサするからお米の方が好き。」

※1 東ネグロス州の農村部の主食はトウモロコシ。トウモロコシを挽いて、お米の様に炊いて食べます。フィリピンではセブアノ人の主食はトウモロコシですが、他の人はお米を主食とします。

インスタントコーヒーとパン

一家が日常食べているのは、朝食にお米と干し魚、昼食にお米と魚、夕食にお米と野菜。リゼルはだいたい毎日朝の6時に朝食の支度を始め食べるのは8時頃、10時に昼食の仕度を始め食べるのは11時頃、夕食の支度は6時から始めて食べるのは7時頃。ガスコンロも持っていますが、基本的には費用がかからない薪で料理をします。薪を集めるのはボイさんの仕事。月に2~3回、仕事の後に薪集めをします。メリエンダ※2 は毎日は食べませんが、食べる時はインスタントコーヒーとパンを食べることが多いです。

※2 フィリピンでは一般的に朝食と昼食の間の「モーニングメリエンダ」と、昼食と夕食の間の「アフタヌーンメリエンダ」と呼ばれているおやつを食べる習慣がありますます。

薪で料理するリゼル

モリンガ※3 、ナス、カボチャといった野菜は自給しており、買っている食材はお米、トウモロコシ、魚(生・干し魚)、調味料、トマト、玉ねぎ、ニンニクなど。豚肉は滅多に食べず、誕生日やお客さんが来た時には自分たちで飼っている鶏を絞めて食べます。

 ※3モリンガはワサビノキ属であり、東南アジアでは果物、葉が野菜やスパイスなどに用いられています。

フィリピンの大衆食堂、トゥロ・トゥロ

日曜日は家族全員で教会に行き、帰りにトゥロ・トゥロ(Turo Turo)※5と呼ばれている大衆食堂でご飯を食べます。トゥロはタガログ語で「指さす」を意味しています。トゥロ・トゥロにはメニューがなく、自分が食べたい料理を指さして頼みます。「トゥロ・トゥロではおかずが1品25ペソ程度、ご飯が10ペソでトウモロコシは6ペソ。」マンフヨッド町にはマクドナルド、ジョリビー、チョウキン※4 といったファーストフード店がなく、ドマゲッティ市などにでかけた際にはファーストフード店で食事をすることもあるとのこと。

 ※4ジョリビーはフィリピンで有名なハンバーガーショップ、チョウキンは中華料理店。
※5出来合いのおかずを何品か並べておいてそこから注文を取る食堂。

 

家族皆の好物はギナタアン。これはカボチャ、モリンガ、モンゴ豆などを水とココナッツミルで煮詰める、フィリピンでは一般的な料理の1つ。ココナッツミルクを入れることで料理がクリーミーになり、風味も増します。ココナッツミルクはフィリピンでは一般的な調味料です。

とある日のボイ・アナさん一家の食事

 ボイさん・アナさん一家の場合、ココナッツミルクは畑に植えているココナッツから作ります。まずはココナッツの実の内側の白い果肉部分を細かくおろし、水を加え果肉を搾ります。そうすると水が白くなり、それがココナッツミルクです。ココナッツの果肉を細かくおろす作業は力仕事なので、基本的には男性の仕事。近所に住んでいる甥などが手伝います。アナさんの兄弟は近くに住んでいるため、料理の準備を手伝い、一緒に食事をします。

 

今後もボイ・アナさん一家の様々な物語を、Webサイトを通して発信していきますので、ご期待ください!また、ボイさん・アナさんについて知りたいことやメッセージなどがありましたら、以下のアンケートにぜひご記入ください!(日本語で大丈夫です)。

皆さまからのメッセージはATJ/ATCスタッフからボイさん・アナさんにお届けします!!

フィリピン駐在員 黒岩竜太

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【バナナニュース234号】ボイさん・アナさん一家の物語② ~「生産者のために」ボイ・アナ夫婦の仕事~

2014年7月31日

皆からボイさんと呼ばれている東ネグロス州マンフヨッド町ロウア・カンダボン村のバランゴンバナナ生産者兼オルター・トレード社(ATC)のスタッフであるロッドジム・カトゥバイさんとパートナーのアナ・カトゥバイさん。ボイさんは1994年からはATC現場スタッフとして働き、アナさんも2003年からATC現場スタッフとして働いています。

ボイさんは現場スタッフとして2002年12月に品質向上及び出荷数量に貢献したと評価されてATCから感謝状が贈られ、さらに、2013年7月に行われたATC25周年式典では最優秀フィールド・ワーカー賞を受賞。2つの賞を受賞したのはボイさんですが、「アナがいなければ賞を受賞することはできなかった」と語ってくれました。

現場スタッフとして特に大変だったのは2002年、ATCがバランゴンバナナの品質改善と出荷量向上のために手入れ作業を導入した頃。今までバランゴンバナナの手入れ作業を行っていなかった生産者に対して、袋がけ・タグ付け、脇芽管理、病気にかかった葉っぱの除去などといった手入れ作業の技術が紹介されました。

「生産者が手入れ作業を実施するために、
まずは手入れ作業をすることの効果を実証する必要があった。」とボイさんは当時を振り返りました。手入れ作業の効果を実証するために、試験農園を作った2人。「試験農園には週に3日通い、バランゴンバナナの手入れ作業をした。私が袋掛けやタグ付け、アナが除草や病気になった葉っぱの除去などを担当した。」

また、バランゴンバナナの生産者の中には読み書きが十分に行えない人も多く、中には色の違いが覚えられない生産者もいました。記録の取り方から手入れ作業の具体的な方法、どの色のタグをいつ付けて、それがいつ頃収穫期を迎えるのかなどといったことを、生産者が理解して、実践できるようになるまで、ボイさん・アナさんは生産者を指導・サポートし続けました。

 現場スタッフとして様々な困難に直面しているボイさん・アナさん。しかし、アナさんは「現場スタッフの仕事を続けることで、娘が大学を卒業できたことはとても嬉しい」と話してくれました。また、ボイさんはATC現場スタッフとして働くことで、いろいろなことを学ぶことができたと言います。ボイさんは、ミンダナオ島やネグロス島各地で行われたスタッフ向けの様々な研修ツアーに参加しました。小学校しか卒業してないボイさん。「以前は何も考えずに野菜を栽培していた。有機農業について、すべてATCで働くようになってから学んだ」。研修ツアーなどで学んだ技術を、地域で活用できる資源を使いながら実践している2人。有畜複合農業に取り組んでいるボイさん・アナさんの実践は地域のモデルとなっています。

最優秀フィールド・ワーカー賞を受賞したことに当初は驚いていた2人ですが、「この賞を受賞したということは、フィールド・ワーカーとして一番高い位置にいるということ。これからもベスト・オブ・ザ・ベストを目指す」と頼もしく話してくれました。

向上心を忘れずに、ひたむきに生産者と向き合い続けている2人。今後も2人の様々な物語を、Webサイトを通して発信していきますので、ご期待ください!また、2人について知りたいこと、ボイさん・アナさんに対してのメッセージなどがありましたら、以下のアンケートにご協力ください!
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フィリピン駐在員 黒岩

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【バナナニュース233号】ボイさん・アナさん一家の物語①~「子どもの世代により良い生活を」ボイ・アナ夫婦の歩み~

2014年7月3日
ボイさん

ボイさん

皆からボイさんと呼ばれている東ネグロス州マンフヨッド町ロウア・カンダボン村のバランゴンバナナ生産者兼オルタートレード社(以下:ATC)のスタッフであるロッドジム・カトゥバイさん。ボイさんがコミュニティオーガナイザーとして同地域に移り住んだのは1980年代のこと。それからボイさんは同地で、社会正義への取り組みに生涯を捧げることになり、また人生の最愛のパートナー、アナ・マリア・カトゥバイさんに出会うことになります。

長女リゼルの大学の卒業式

長女リゼルの大学の卒業式

ボイさんは現在44歳、パートナーのアナさんは40歳。2人が出会ったのは1989年、当時ボイさんはコミュニティオーガナイザーとしてサトウキビ労働者の労働条件の改善のために働き、アナさんはサトウキビ農園の労働者でした。1990年に同居するようになった2人は、その後2人の娘に恵まれました。長女リゼルは22歳、教員資格をいかして小学校教員の仕事を求職中です。次女のルチェルは19歳、大学でITを専攻しています。

ボイさん・アナさん夫婦は、ネグロスの歴史の中でも最大の社会・経済・政治的危機であったと言われている砂糖危機を、手と手を取り合いながら、こどもの世代がより良い生活を送れるようにと協力し、乗り越えてきました。自分の家族を持つようになってから、ボイさんは自分の家族がより良い生活をしていくためには、経済機会を増やし、より良い労働条件で働くことが重要であることを改めて気付いたとのこと。そして、2003年にはボイさん・アナさん夫婦は自分たちの土地の権利を得ることができました。

また、ボイさんは東ネグロス州でバランゴン交易が始まった当初から集荷及び圃場確認スタッフとしてバランゴンに関わってきました。現場スタッフとして、ボイさんは長年、バランゴン交易の持続・発展に貢献してきた1人です。

鶏の世話をするボイさん

鶏の世話をするボイさん

ボイさん・アナさん夫婦は、基本的な衣食住に困ることなく、家族が思いやりをもって、安心して暮らしていけるよう、一生懸命働いたと言います。2003年からは、アナさんもATCの現場スタッフとして働くようになり、2人はATCからの給料を貯金し、家畜、バナナ栽培などといった農業を始めるための資本に充ててきました。

2人は、資金回収が比較的早い養豚に取り組んでいます。また、養牛・養鶏にも取り組みながら、バランゴンバナナも少しずつ作付け数量を増やしています。豚、牛などといった家畜からは大きな収入を得ることができるので、子どもたちの学費など大きな出費に充て、バランゴンバナナからは1回1回の収入は少額ですが、毎週定期的な収入を得ることができるため、子どものお小遣いなどに充ててきました。

豚の世話をするアナさん

豚の世話をするアナさん

ボイさん、アナさんは養豚に関しての様々な思い出を話してくれました。「1990年代、私たちは7頭の豚を1年かけて育てましたが、販売する時の豚の体重はたったの50kg程度。豚は、3~4ヶ月で70~80kg まで育つのが理想的だが、当時餌代が無かったので、豚を育てるのにとても長い時間がかかった。」と当時の苦労を振り返っていました。

また、2人の娘が小さい時は、家畜の世話の手伝いをしていたとのこと。「2人の娘に無事大学教育まで受けさせることができたことを嬉しく思っている。娘たちは農業を通して大学教育まで受けることができた。大学を卒業して専門職に就いても、自分たちが農家出身であることを絶対に忘れないでほしい。」とボイさんは話していました。

二人三脚で様々な困難を乗り越えてきたボイさん・アナさん夫婦。今後も2人の様々な物語を、Webサイトを通して発信していきますので、ご期待ください!また、2人について知りたいこと、ボイさん・アナさんに対してのメッセージなどがありましたら、以下のアンケートにご協力ください!

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フィリピン駐在員 黒岩

ボイさん・アナさん一家の物語②に

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【バナナニュース232号】台風の後、豚と野菜で生活をつなぎました。 ~ホノラト・アグスティノさん、パナイ島カーレス町~

2014年6月4日

ホノラト・アグスティノさん(62歳)は、パナイ島でプロジェクトが始まった1990年代からずっとバランゴンバナナを栽培しています。5人の子供のうち2人は失くしてしまいましたが、3人の子どもたち全員に、大学教育まで受けさせることができました。末の子が今大学生です。

 

最初は、1本5ペソでバナナの苗を買って植えるところから始めました。昨年の超大型台風ヨランダの前には、バランゴンバナナからの収入は1800ペソ/月(約3600円)程度ありました。一番収入が多いココナッツからは100ペソ/日、その他野菜などから20~25ペソ/日の収入がありましたので、農産物からの現金収入のうちバランゴンバナナは3割ぐらいになっていました。他に、米や野菜は自給ができており、豚を4頭飼育していました。

台風で農産物は被害を受け、その後の乾季で水不足のために生育不良に見舞われました。仕方なくまだ小さかった豚を2頭売って、米や生活必需品を買い生活をつなぎました。台風の後は短期間で収穫できる野菜の種を蒔き、自給用と少しばかりの現金収入を得られるようになりました。日本からの支援で、100本のバランゴンを植え、合計120本のバランゴンを育てています。1年後の収穫に期待しています。これらのバランゴンバナナで何とか台風前の生活水準を取り戻したいと願っています。

ネグロス東州、ホマイホマイ村の子供たちは 新しい教室で勉強を始めています。【231号】

2014年5月12日

2012 年2 月に発生したネグロス東州の地震から2 年が過ぎました。皆様からいただきました支援金は、緊急救援、そしてホ
マイホマイ村の子供たちが学ぶ校舎を安全な場所に建て直すことに使わせていただきました。
地方行政との協力で2013 年3 月には2つの教室が完成し、その後、幼稚園児のための教室が増設され、トイレや電気・水道関係の設備などが整えられていきました。さらに、同じ敷地のなかに村役場やクリニックが建てられました。
一方、地震の後2012 年5 月、ATC はホマイホマイ村の人々と、地震後の復興について話し合いを行いました。村の状況調査や村人の聞き取りを行い、バランゴンバナナ民衆交易プロジェクトをやっていきたいという村人の意志が確認されました。

2012 年11 月には、20 人の生産者とともにバナナの苗床をつくり、1900 本のバナナの株をつくり、植え付けました。その成果として、2013 年11 月の台風ヨランダの前までは、隔週で8000 本(約650房)のバナナを収穫できました。台風ヨランダの影響でバナナの葉がボロボロになるなどの被害があり、収量は3000~5000 本に減ってしまいました。現在は、少しずつ回復に向かっています。

台風30号(ヨランダ)被害からの 総合的な復興をめざして頑張っています~ネグロス島~【230号】

2014年5月12日

昨年11月にフィリピンを襲った台風ヨランダは、ネグロスのバランゴン生産者にも被害をもたらしました。風でバナナの葉が裂けたり、ストレスで生育に支障が発生しています。ネグロス島は土壌も肥沃ではなく、バナナも小ぶりです。まずは出荷に合格する品質にするために、早急な対策をとり、生産者の収入とバナナの出荷数量を取り戻す必要があります。

台風の被害を受けた生産者たちは、昨年中は倒れたバナナの片付けなどを行いましたが、それだけではバランゴンバナナの復興とはなりません。

今年1月、生産者たちはATC(オルター・トレード社)担当者との話し合いをして、ネグロス西州で19035本、東州で15070本のバランゴンバナナに、有機肥料を施すプロジェクトを実施することにしました。ネグロス西州DSB-コマリスキス地域では2月に入ると早々に有機肥料の原料として鶏糞やサトウキビの搾りかすが運び込まれました。2月20日には日本からの支援でシュレダーが配置されました。バナナの茎や木々など地域の残渣を細かく粉砕して、鶏糞などと混ぜて有機肥料をつくります。24日には隣接するスパー14地域も含めて有機肥料プロジェクトを開始しました。西州のパタグでは地域内にある家畜の糞など有機物を集めての有機肥料づくりが行われています。西州で影響のあった他の産地や東州のマンフヨッド町にある2カ所の産地で同様のプロジェクトが進められています。

大型台風がバランゴンバナナ産地に上陸~ネグロス島及びミンダナオ島北部の被害状況~【216号】

2013年1月1日

 昨年(2012年)の12 月初旬に大型の台風24 号(フィリピン名:Pablo(パブロ))がフィリピンに上陸し、多大な被害を与えました。この台風の影響により540 万人以上が被災し、1000 人以上の人が亡くなりました。

また、気象当局によると、台風24 号の中心付近の最大風速は35m/s、最大瞬間風速は50m/s であり、被害総額は約370 億ペソ(約740 億円)、農業部門への被害総額は約265 億ペソ(約530 億円)に登ります。

幸い、バランゴンバナナの関係者に犠牲者が出たという報告はありませんでしたが、台風が上陸したネグロス島及びミンダナオ島北部ではバランゴンバナナの畑に大きな被害がありました。被害が大きかった産地では、その地域全体の80~90%のバナナが強風によって倒されてしまいました。

今後オルタートレード社は、バランゴンバナナに被害があった生産者を対象に、新たなバナナの作付けの支援などを行っていく予定です。収量の回復には8~10 ヶ月かかる見込みです。

今後、台風の影響による収量不足により、供給面でご迷惑をおかけしますが、回復へ向け努力をしておりますので、今後ともバランゴンバナナをよろしくお願い致します。

農業と教育の現場で、二足の草鞋(わらじ)を履くのが夢!~ネグロス西州/バイス・バランゴンバナナ生産者協会(BGA)~【215号】

2012年12月1日

 レイマン・イグナシオさん(31 歳)は、バイス地域のバランゴンバナナの若手生産者です。子供のころから農業が好きで父親のバランゴンバナナ栽培を手伝ってきました。ふもとのラ・カルロータ市に下宿していた大学生時代も週末には村にもどって畑仕事をしていました。

大学では教育学を勉強し、教員になるのが夢です。2003 年に大学を卒業後、教員免許取得の試験を受けていますが、今年12 月に3 回目の挑戦となります。05 年には教員をしている女性と結婚しました。晴れて試験合格となれば近所の小学校で教えながら、農業をやっていきたいと考えています。「祖父が学校に土地を寄付しているからきっと大丈夫だ!」と楽観的です。

農業については、持続型農業を行っていきたいと農薬や化学肥料を使わずに堆肥を施す有機農業に取り組んでいます。今、豚1頭とヤギ15 匹を飼っています。ちなみに今いる豚は奥さんの誕生日にレチョン(豚の丸焼き)としてプレゼントするそうです。父親とやってきたバランゴンバナナは、自分のものとして200 株ありますが、これを1000 株まで増やす予定です。米づくりは虫がついて難しいので、家族が食べる分は近所の仲間から購入しています。主な収入源は、叔父の援助を受けて行っている闘鶏用鶏の飼育です。結婚を機に家も新築し(てもらい?!)、なかなか現代風合理的な青年で、バイス・バランゴン生産者協会の副委員長を務めています。

バランゴンバナナ民衆交易で、先住民族の自立と環境保全を!~ミンダナオ島レイクセブ地域~【214号】

2012年11月1日

 ミンダナオ島レイクセブは標高も高く、先住民が多く暮らしています。持続可能でない方法での焼畑などにより森の環境破壊が進むなかで、先住民の支援活動を行っているアラー渓谷開発財団は、バランゴンバナナ民衆交易の取り組みを始めました。

バランゴンと一緒に、果樹や野菜などの作付けもするように先住民に勧めています。「バランゴンバナナの民衆交易に参加して何が変わったか?」という問いに、生産者のひとり、ランドイ・ダガンさん(35 歳)は次のように答えています。

「私は牧師をやっていますが、教会活動で湖の反対側の家に行くときに、以前は湖の周りを歩いていましたが、今は船賃が払えるようになりボートを利用できるようになりました」「大きな変化としては、畑の生産性があがったことです。以前はトウモロコシだけを栽培していましたが大抵失敗に終わっていました。今はバランゴンを600 株、ゴムの木を250 本、ドリアンを60 本育てています。また無農薬でタロ芋なども作り、それらは教会関係者が喜んで購入してくれます。」「2 年のうちに家の修理をすることとモーターバイクを買うことが目標です」。

バランゴンバナナは、安定した収入により先住民の暮らしの向上に貢献し、また森林へ負担のかからない暮らし方の提案にもなっています。

有機肥料は土を育てるんだって!?白菜についた虫を一匹ずつ摘むんですか?(バランゴン生産者のマカオさん、伊賀の有機農家を訪ねる)【213号】

2012年10月1日

 ネグロス西州パンダノン地域のバランゴンバナナ生産者のマカオさんが、三重県で有機農業に取り組む伊賀有機農産供給センターを訪ねました。

「有機肥料は作物を育てるものではない」という説明に衝撃を受けました。「もっと言うと有機物は土の中の微生物の飯だよ。微生物が元気になると自分たちで有機物をつくるので持続的な土作りの世界ができるんだよ。」マカオさんは「伊賀で新しい考え方を発見した。仲間たちに土づくりのロマンを話したい」と語りました。マカオさんのような山の農民にとって、これまでは自然の環境の中で良質の土に恵まれていたのかもしません。「伊賀ももともとは山だったが、人間が手をかけて作物をつくり出荷を始めてからは、人間が手をかけて土づくりをしていかないと、持続しないのよ」と、教えられました。

マカオさんのところに、バコロド在住の韓国人グループからキムチ用の白菜出荷の依頼があったのですが、有機でつくった白菜はみごとに虫にやられてしまい、白菜の有機栽培は無理と諦めていました。伊賀有機の若い農民たちは、「あっ、それいっしょ!同じムシだよ。自分は掃除機のような道具を使ってみたけど・・・」「一匹ずつ摘むしかないね~」。マカオさんは「有機農業とは、苦労と手間ひまがかかるものなんだ・・・」と認識したのでした。

村のみんなで力を合わせてバナナ病害を乗り越えました。(ネグロス西州/DSB、パンダノン・バランゴンバナナ生産者協会)【212号】

2012年9月1日

 ネグロス西州パンダノン地域は、島の北部山岳地域の入り口にあります。ネグロス北部はかつて森林伐採が激しく今でもバランゴンバナナ栽培においては、旱魃や強風の影響を受けやすい状況にあります。

パンダノンの生産者のひとり、マカオさんは16 年にわたりバランゴンバナナを出荷しています。最初400 本ほどしかなかったバランゴンを、1500 本まで増やしました。そのおかげで生活のために仕方なく携わっていた森林伐採に関わる仕事を辞めることができました。ところが、2000 年に入ってパンダノン地域でバナナ病害が深刻になりました。対策としては、感染したバナナを抜き取るしかありません。村長が村人に呼びかけて村中のバナナ、バランゴン以外のバナナまで抜き取りました。その甲斐あって、病害は1 年で乗り越えることができました。そして、その経験は生産者協会メンバーの結束力を高め、『皆で力を合わせればどんな困難も何とか乗り越えられる』という自信をつけることになりました。

マカオさんとダイアナさんは、バナナ以外の作物づくりにも力を入れています。「子どもたちがどんな仕事につこうと、食べ物をつくることの大切さは全員に教えていく」という考え方を持っています。

有畜複合農業の一環としてバランゴンバナナ生産を復活!(ネグロス西州/バイス・バランゴン生産者協会)【211号】

2012年8月1日

 ネグロス西州ラ・カルロータ市ユボ村に属するバイス地区は、かつてはラグランハと呼ばれていた地域にある17 のBGA(バランゴンバナナ生産者協会)のなかでも、生産量が多く活気のある地域でした。しかしながら、1994 年ごろからバンチトップ病というバナナの病気が発生し、10 年以上にわたってバナナの生産ができない状況が続きました。

2007 年ごろからバイス地区で病害からの回復の兆しが見えてきましたが隔週で20 箱ほどと収穫量は多くありませんでした。

2 年前から、若手生産者たちはKFRC(カネシゲファーム・ルーラルキャンパス)での農業研修に参加し、生産者組織も再編して心機一転を図りました。持続可能な有畜複合農業づくりの取り組みのなかで、バランゴンバナナ栽培が本格的に始まっています。

かつては70 人いたメンバーも今は20 人ですが、あと45 人増やそうとメンバーは仲間を説得しています。バナナの出荷数量も最近では180 箱まで増えてきました。バナナの手入れに慣れているメンバーは、他の生産者にも広めようとしており、一人当たり300 株のバナナを目標に作付けを進めています。

32人の生産者が100本ずつ苗を増やして1人当たりの年間収穫量32,760本目標!~カンダボン生産者協会設立7年目の挑戦~(ネグロス東州・カンダボン生産者協会)【210号】

2012年7月1日

 ネグロス東州マンフヨッド地域のカンダボン生産者協会は2006 年に22 人の生産者で設立されました。現在メンバーは32 人に増えました。課題は、バナナの株が3~4 年目となり生産性が落ちていることと、バナナの手入れを熱心にやらない生産者がいることです。

そこで生産者協会として、設立7年目の挑戦を掲げました。「生産性の向上」「組織力の強化」「財務のしくみ」の3 本柱の改革です。

まず、メンバー全員が100 株ずつ新しい苗を植えることです。現存のバナナと合わせてカンダボンでは合計11,682 株となります。1人当り365 株、年間収穫見込みが32,760 本、収入見込みが29,484ペソという計算になります。月額2,457 ペソ(約5,000 円)は、ちょうど生産者が1ヶ月に必要な生活費に当ります。これで、生産者一人一人のモチベーションは上がることでしょう!

苗を植えるだけでは生産性はあがりません。生産者をグループ分けして、お互いに話しやすく協力し合えるようにしました。堆肥づくりやバナナの手入れ研修は、昨年から開始しています。

バランゴンバナナ出荷歴13年、有機栽培で野菜作りも始めました。ダイアナ・セラルボ(ネグロス西州・DSBバランゴンバナナ生産者協会メンバー)【209号】

2012年6月1日

 女性生産者のダイアナさんは、13 年にわたるバランゴン生産においては、夫のマカオ氏と二人三脚で誰にも負けない頑張り屋さんです。DSB 地域ではNO.1 生産者として一目置かれています。

最近この二人、バランゴンバナナ以外の生産物からの収入が増えているのです。パパイヤとサツマイモで1800ペソ(3600 円)の収入になったことで、インゲン、ダイコン、アボカド、キャッサバと生産物を増やしてみると3000 ペソ(6000 円)の収入に増えました。強風などの影響で品質が不安定なバランゴンバナナは、一度の出荷でだいたい1500ペソ(3000 円)くらいなため、大きなプラスです。

バランゴンバナナに習って野菜づくりも有機栽培でやっているので、葉っぱがレースのようになってしまったダイコンなどまだまだ失敗も多いですが、バランゴンバナナ以外でも収入源が増えたため暮らしにゆとりができました。ダイアナさんは、増えた収入を貯金にまわしたり、共同農場の運営資金にあてたりしています。生活必需品の購入や医療費などの支払いにも余裕を持てるようになりました。

バランゴンバナナをあきらめない!ロヘリオ・トーレス(ネグロス東州・タンハイ・バランゴンバナナ生産者協会委員長)【208号】

2012年5月1日

 2012年3 月11 日、バランゴンバナナの産地ネグロス東州タンハイ地域では、小さな祈りの会がありました。

1 年前の3 月、バランゴン生産者協会委員長のトーレスさん始めタンハイの生産者たちは、東日本で起こった地震・津波の被害の様子を見て「日本の人々が、食べ物がなく、家も壊れて、寒い夜を迎えている」と、胸を痛めていました。トーレスさんは早速ATC に連絡して「支援バナナを日本に送りたい」と申し出たそうです。

その年の暮れ、季節外れの台風でタンハイ地域は大洪水に見舞われました。バランゴンバナナはすべて流され、家屋への被害も出ました。その状況は、倒れた木々やバナナなどを片付けるために裁断機が必要なほどでした。畑の残渣をかたづけると、トーレスさんたちは早速バナナの苗を植え付けました。ところが2月末にまた洪水が発生し、12月末に植えたばかりのバランゴンバナナの苗が、再びすっかり流されてしまいました。

「でも私はあきらめない。またバランゴンバナナを植えて、手入れをしていくよ。仲間たちといっしょに、ここに来てくれる日本の消費者の人たちと出会うのが楽しみなんだよ。」

3 月11 日、トーレスさんは、東日本大震災の被災者、そしてネグロスの洪水や地震の被災者のために祈りました。

子供たちに笑顔を!ATCの救援活動と3.11キャンドルナイト【207号】

2012年4月1日

 2012 年2 月6 日に発生したネグロス島東部の地震被害に対してフィリピンのオルター・トレード社(ATC)が行っている救援活動についてお伝えします。ATC は地震発生の翌週からお米、いわしの缶詰、マスコバド糖などの緊急支援物資を持って被災地を訪問しました。3 月3 日には校舎の損傷が大きく、授業をすることが出来ないホマイホマイ村の学校の仮設校舎となるテントの設営も行いました。

そして、3月11日の被災地訪問は子供たちのために計画されたものでした。犠牲者の冥福と命への感謝のお祈りが奉げられた後、学年ごとに子供たちを集めてゲーム大会が始まり、500 名近い子供たちの歓声や笑い声があちこちから沸き起こりました。子供たちには文房具や塗り絵などのセットがそれぞれ贈られ、学校にはみんなで遊べるようにバレーボールとネット、卓球台にラケット、サッカーボール、バスケットボールにバスケットリングなどが贈呈されました。

東日本大震災から1 年となったこの日は日没前ではありましたが、キャンドルナイトも企画されました。震災の犠牲となった日本・フィリピン両国の友人たちのためにロウソクの火を灯し、お祈りをささげました。ATJ からも参加し、「日本もフィリピンもこの1 年で大きな地震を経験した。大変な時こそ今まで培ってきた日本とネグロスの架け橋を大切にしよう」と確認しあいました。

2012年2月6日に発生したネグロス東州の地震について【206号】

2012年3月1日

206 前回のバナナニュースで台風被害(北ミンダナオ・ネグロス東州)を報告したばかりですが、今回はネグロス東州での地震被害についてお伝えします。

2012 年2 月6 日のお昼前、ネグロス東州の北東沖を震源とするマグニチュード6.9 の地震が発生しました。一時は政府から津波警報も発令されたとのことですが、幸いなことに津波の被害はありませんでした。しかしながら、建物の倒壊、道路の亀裂や土砂崩れで大きな被害が出ています。特に、土砂崩れの被害が大きいギフルガン市のプラナス地域は、日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC、現APLA)時代にネグロス救援復興センター(NRRC)が支援活動を行った場所で、周辺地域も含めてバランゴンバナナの生産地です。

ATC(オルター・トレード社)は翌日にはスタッフを派遣して被災地の視察を行いました。道路のあちこちに亀裂が入り、余震が続く中、家の倒壊を恐れて安全な場所を求めて移動する人やテント生活を送る人などを多く見かけたとのことです。プラナス地域では必死の捜索活動が続いていますが、土砂に埋まり亡くなった方・行方不明の方が多くいます。支援物資もなかなか届かないため、ATC も緊急救援物資を被災地に直接届けました。土砂災害などの被害がない地域でも余震が続いているため、バナナの収穫を見合わせている生産者がいます。ATC としては出荷できる生産者がいるのであればバナナの集荷は続け、なるべく収入につながるようにしたいと考えています。

日本のメディアでは報道が小さくなりましたが、事態が収まったわけではありません。ATJとしても何が出来るのかを検討し、バナナニュース、ATJ のホームページやツイッターでも状況についてフォローをしていく予定です。