パレスチナ・ガザ地区救援カンパのお願い

2021年5月26日

東エルサレムにあるシェイク・ジャラ地区におけるパレスチナ人居住者の強制立ち退き命令、そして、イスラム教徒にとって最も神聖な月(ラマダン)に聖地アルアクサー・モスクで起きた衝突をきっかけに、イスラエル政府とガザ地区を実行支配するハマスの間で大規模な戦闘が発生しました。

UNRWAが運営支援する学校に避難している家族の様子(PARC提供)

とりわけイスラエル軍によるガザ爆撃は5月10日から停戦となる21日まで続き、国連報告によると、ガザ地区では子ども66人を含む242人が犠牲となり、負傷者は1,948人にのぼりました。この間の住宅地への爆撃で15,700もの住居が破壊されました。そのため、停戦時には国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営支援する学校に約71,000人、親戚の家に約35,000人が避難していました。

生活に必要なものがほとんどない状況が続いています(PARC提供)

こうした事態を受けて、パレスチナのオリーブオイルの2つの出荷団体、パレスチナ農業復興委員会(PARC)及びパレスチナ農業開発センター(UAWC)では、爆撃によって家が壊された家族に対する緊急救援を開始しました。

弊社と姉妹団体のAPLAでは、パレスチナの人々に心からの連帯を込めて、両団体の活動を支援するため募金を呼びかけます。

何卒できる限りのご協力をお願い申し上げます。

UNRWAが運営支援する学校に避難している家族の様子(PARC提供)

 

救援活動について

  • 家から着の身着のままで避難したので、多くの避難民が食料や日常生活に必要なものを何も持ち出せませんでした。PARCはオリーブオイルや調味料、主食の一つであるクスクス、粉ミルクなどを詰めた食料セットを配布します。UAWCは食料セットに加えて毛布やおむつの配布も予定しています。
  • 食料は主にヨルダン川西岸地区の小規模農家や農業協同組合から購入し、ガザ地区に運搬します。
  • PARC、UAWCは独自に救援活動を行いますが、支援区域や支援者が重ならないように適時、情報交換しながら活動を進めます。物資配布はガザ地区職員の他、ボランティア、関係する青年、女性団体などの協力を得て行います。
  • 家を破壊された人びとの住居再建、大きな被害を受けた農地や農業施設の復興も大きな課題です。現地の状況に合わせて必要な支援を行っていきます。

 

募金方法

募金の受付の窓口は姉妹団体であるNPO法人APLAとなります。

■郵便振替
00190-3-447725 特定非営利活動法人APLA
※通信欄に必ず「ガザ救援」と明記ください。

■銀行振込み/クレジットカード決済
寄付フォーム からご寄付いただけます。「支援の種類」で「今回のみ」、「寄付の使途」で「81.ガザ救援」をお選びいただき、必要事項をご記入ください。

  • 領収書の発行は省略させて頂きます。領収書が必要な場合はAPLA事務局までご連絡下さい。
  • 募金総額の一部(上限10%)を事務経費のために使用させていただきますこと予めご了承ください。

パレスチナが燃えている~ガザ情勢~

2021年5月20日

メディアでも報道されておりますように、ガザ地区では5月10日よりイスラエル軍による爆撃が続き、国連人道問題調整事務所(OCHA)によると、5月19日現在、子ども63名を含む219名が犠牲となりました。

パレスチナのオリーブオイルの出荷団体、パレスチナ農業復興委員会(PARC)及びパレスチナ農業開発センター(UAWC)に関係者の安否を問い合わせたところ、PARCのフェアトレード事業会社であるアルリーフの職員、Nayef Al Neseroneさんの娘のパートナーであるMohammed Abu Ayeshさん(28歳)が爆撃で亡くなられたそうです。ATJが扱うオリーブオイルの産地であるヨルダン川西岸地区でも緊張が高まっており、イスラエル入植者によるオリーブ生産者に対する嫌がらせが発生している模様です。

2,200人以上の犠牲者を出した2014年の戦争以降、最大規模となった今回の爆撃がなぜ起きたのか、その背景についてはPARCからのアピール「パレスチナが燃えている~占領に終止符を、パレスチナに解放を」をご覧ください。

イスラエル政府、ハマス双方ともに攻撃を止める姿勢が見られない中、日々犠牲者が増えていく事態を受けて、5月17日、国内でもパレスチナに関わる4つのNGOが外務省に対して一刻も早い停戦に向けた外交的努力を求める声明を提出しました。ATJも呼び掛けを受けて、賛同団体として名前を連ねました(5月20日時点で15の団体が賛同しています)。

JVC – 【日本のNGO団体の声明】イスラエルおよびガザに一刻も早い停戦を – 声明/提言書など

壁に囲まれ逃げることもできない中で爆撃にさらされ、恐怖に脅えるガザの人たちが安心できる日が1日も早くくるように願っています。

 

 

レシピ:ほくほく野菜とエコシュリンプのオリーブオイルグリル

2020年10月13日

秋に美味しい、ほくほくのかぼちゃとさつまいもなどの秋の野菜と、エコシュリンプをたっぷりのオリーブオイルでマリネしてグリルしました。

エコシュリンプとソーセージの旨み、野菜の甘みが楽しめて、しかも調理もとっても簡単。
大人もこどもも楽しめる一品です。

<材料>
・エコシュリンプむきみ:200g
・ カボチャ:1/4カット
・ サツマイモ:小1本
・ ニンジン:1/3本
・ブロッコリ:適量
・ ぶなしめじ:1/2株
・ソーセージ:5本(今回はレモンとバジルの入ったソーセージ使用)
・ パレスチナのオリーブオイル:適量
・ ゲランドの塩 細粒塩:少々
・ 胡椒:少々

<作り方>
① エコシュリンプを解凍する。
② カボチャ、サツマイモ、ニンジンは一口大にカットする。ブロッコリーも食べやすい大きさにカット。ぶなしめじもバラしておく。
③ カボチャ、サツマイモ、ニンジン、ぶなしめじを電子レンジで5-10分蒸す。(野菜の大きさに合わせて時間を調整してください。)
④ 解凍したエコシュリンプに、パレスチナオリーブオイルとゲランドの塩をまぶしてマリネする。
⑤ ③で蒸した野菜をボールにいれて、たっぷりめのオリーブオリル、塩をかけて軽く混ぜる。(あまりぐちゃぐちゃ混ぜるとかぼちゃがくずれるので注意してください。)
⑥ 耐熱皿に③と④、そして一口大にカットしたソーセージをバランスよく盛り付ける。
⑦ 200℃に温めておいたオーブンで、25分ぐらいグリルする。
⑧ エコシュリンプに火が通ったら出来上がり。

★お好みで、チーズやパン粉を上から散らすと香ばしさもアップします。

レシピ:キホンのATJ万能ドレッシング

2020年9月2日

ほんのひとつまみのマスコバド糖を最後に加えるのがキモ!

お好みの調味料を追加して色々なアレンジもできます。

シャキっとみずみずしい野菜のサラダに大活躍の基本のドレッシングレシピをご紹介します。
「マスコバド糖はサトウキビの持つ糖分以外の栄養が多く残っているので、甘味の1種類としてとらえるのではなく天然の旨味調味料として使用しています」と、砂糖だけではないマスコバド糖の使い方を提案してくださる吉田シェフ監修のレシピです。
そのままはもちろんのこと、お好みの調味料を追加して色々なアレンジを楽しめます。パレスチナのオリーブオイルは、和風にも洋風にも馴染むのでドレッシングのベースとして幅広くご活用いただけます。

<材料>
・パレスチナのオリーブオイル:175㏄
・白ワインビネガーなどの西洋酢またはお好みの酢:35㏄
・ゲランドの塩 細粒塩:小さじ1/2
・マスコバド糖:小さじ1/4

<作り方>
①マスコバド糖以外の材料をよく混ぜる。
②最後にマスコバド糖を加えよく混ぜる。

★瓶などに入れて冷蔵庫で保管すれば半月以上もちます。

レシピ監修: きまぐれや 吉田友則シェフ

二重の災厄に苦しむパレスチナ~イスラエル占領下のコロナ事情~(PtoP NEWS vol.39 2020.08)

2020年8月31日

配布用の野菜の苗を育てる

 

世界的に新型コロナウィルス感染症が拡大し、人びとの暮らしに大きな影響を与えています。ATJのオリーブオイルの産地パレスチナでも、3月5日、キリスト生誕の地として知られるベツレヘム市で初の新型コロナウィルス感染者が確認されました。

パレスチナ自治政府は同日、1カ月間の緊急事態宣言を発令し、翌日に全国の小中高や大学の休校、ベツレヘム市はロックダウン(都市封鎖)を行いました。さらに3月中旬にはすべての自治体が封鎖となり、人びとや物資の移動が厳しく制限され、7月現在も継続中です。

 

農民が都市住民に野菜を提供

UAWCが配布した野菜を受け取った子どもたち

こうした状況に対してオリーブオイルの出荷団体であるパレスチナ農業開発センター(UAWC)とパレスチナ農業復興委員会(PARC)は、オリーブの産地であるヨルダン川西岸地区の住民のニーズに応える形で支援を行ってきました。

最初に実施した活動は感染予防対策です。消毒薬や石けんなどを詰めた衛生キットを配布したり、医療NGOと協同して感染予防セミナーを行いました。

PARCが配布したフードバスケット

ロックダウンが継続すると、ベツレヘム市をはじめとする都市住民は食料、特に野菜不足に悩まされました。

UAWCはヨルダン川渓谷や北部の農民の協力を得て、3月下旬に4台のトラックで計30トンもの野菜をベツレヘム市に運び、配布しました。

PARCもエルサレム市などの住民に23トンの野菜を届け、さらに海外のフェアトレード団体や人道団体に協力を呼びかけて1500家族に小麦粉や調味料を詰めたフードバスケットを提供しました。

 

野菜を植えることのもう一つの意味

空き地が家庭菜園に変身

野菜などの農産物がなかなか市場に出回らない状況を見て、次にUAWCが取り組んだのが「土地に戻って耕そう」キャンペーンです。

UAWCは2003年、ヘブロンに在来種の種子銀行を設立し、パレスチナの気候風土で育まれた在来種の保存と普及に取り組んできました。短期間で育つキュウリ、ナス、トマト、オクラ、ズッキーニ、カボチャ、インゲン、スイカなどの夏野菜の苗を育て、約3000家族に配布しました。住民たちは庭や空き地、屋上やベランダなど空間があればどこでも工夫して菜園を作りました。配った苗は最終的に40万本に達し、住民が新鮮で栄養ある野菜を手にできるようになりました。

パレスチナは、イスラエルにとって農産物の最大の輸出先の一つとなっており、市場にはイスラエル産の野菜や畜産物が溢れかえっています。皮肉なことにパレスチナは食料をイスラエルに依存しているのです。

 

土地に戻って野菜を植えよう

UAWCのフアッド・アブサイフ理事長はこう話します。

「土地や水といった生産手段や市場をイスラエルに奪われ、自給出来ていないという脆弱な食料事情がコロナ禍をさらに大きな災厄にしてしまいました。国内で地産地消の仕組みを整えることが、人びとの暮らしを支え、食料を保障することにつながります。野菜の苗を植えることは、パレスチナ人にとって新型コロナウィルスから身を守るだけではなく、イスラエル占領に対抗する手段でもあるのです。」

 

 

コロナが浮き彫りにしたパレスチナの非日常性

ガザ地区で行われた併合反対の抗議集会

新型コロナウィルスのために世界中で多くの人びとが移動を制限された不自由な暮らしを強いられています。

しかし、占領下のパレスチナ人にとって、こうした制限はいまに始まったことではありません。主要道路の至るところに検問所やバリケードが設置され、ユダヤ人入植地との間には数百キロにわたる分離壁が建設され、日常生活に支障をもたらしています。

また、入植者によるパレスチナの農民に対する暴力、オリーブの木を引き抜いたり焼いたりする破壊行為が、卑劣なことに、新型コロナウィルスで移動制限が厳しくなった3月以降倍増しています。

さらに、パレスチナ国家の存在そのものを脅かす大問題が起きています。イスラエルのネタニヤフ首相が、ヨルダン川西岸地区の面積の30%に相当するユダヤ人入植地とヨルダン渓谷のイスラエル領併合を進めようとしているのです(※)。

すでに60万人以上のユダヤ人が住む入植地建設は国際法違反として、国際社会から長い間批判を浴びてきました。また、肥沃で水資源が豊かなヨルダン渓谷はパレスチナの「食糧庫」と呼ばれ、約6万6000人のパレスチナ人が暮らしています。併合されると、この地でパレスチナ人が住み続けることは不可能とフアッドさんは断言します。

他の場所では異常とされることが日常化しているパレスチナの現実。私たちは改めてパレスチナと人びとと共に何ができるか考えたいと思います。

ペットボトルで育てる野菜

小林和夫(こばやし・かずお/ATJ)

 

※APLAとATJは、パレスチナに関係するNGO、市民団体などと連名で、日本政府外務省に対してイスラエルによる併合を阻止するための適切な行動を取るよう要請する声明を提出しました。

日本国際ボランティアセンター(JVC) AIDA声明 「イスラエルによるヨルダン川西岸地区併合を阻止する行動を取るよう国際社会に求める」

 

●新型コロナウィルス感染予防のため、フィリピンやインドネシア、東ティモールなどの他の民衆交易品の産地でも、人びとはさまざまな制約の中で生産活動に従事しています。産地の様子は民衆交易産地における新型コロナウィルスの状況で随時報告していますので、ご覧ください。

 

 

民衆交易産地における新型コロナウィルスの状況

2020年7月31日

新型コロナウィルスの世界的な感染拡大が続いています。民衆交易の現場では生産者たちがどのような生活を送っているのでしょうか。また、生産活動に影響や支障は出ていないのでしょうか。状況を産地ごとに随時報告します。

◆フィリピン(バランゴンバナナ・マスコバド糖産地)

◆インドネシア(エコシュリンプ産地)  ◆東ティモール(コーヒー産地)

◆インドネシア・パプア(カカオ産地)  ◆パレスチナ(オリーブオイル産地)

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◆フィリピン(バランゴンバナナ・マスコバド糖産地)
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〇2020年8月14日

ダバオ(ミンダナオ島)で最終検品中のジェイソンさん

7月末から連日のように4,000人前後の新規感染者の発表があります。8月10日は6,958人に達し、その約60%はマニラ首都圏での感染者です。8月11日時点で、累計の感染者は139,538人、死者数は2,312人にのぼっています。陽性率は10%を超えてきています。感染者の48.5%が20代および30代で、死者数の61.7%が60歳以上で占められています。現在の感染者の内、約91%が軽症、約7%が無症状という状況です。

詳細はこちらをご覧ください

 

〇2020年7月6日 

バランゴンの産地はすべて、現段階で政府による規制レベルの中で最も緩い地域に属しています。規制の緩和を受けて、現在出荷が止まっているバランゴンの産地はありません。オルタートレード・フィリピン社スタッフも通常の体制に戻っていますが、マスク着用やソーシャルディスタンス、出社時の検温など実施しています。州境を超える長距離バスはまだ運行されていなかったり、フィリピン国内での島間の移動は依然として禁止されているため、職員が産地を訪ねることはまだ困難です。

詳細はこちらをご覧ください

ジプニー(乗り合いバス)も運行が再開に(写真はコロナウイルス流行前)

〇2020年5月11日

全国の感染者の7割近くを占めるマニラ首都圏では依然としてロックダウンが継続されています。一方、バランゴンバナナの産地は感染者数が少ないため、隔離措置や市町村をまたぐ移動も緩和されました。西ネグロス州では農業、漁業、病院、小売業などは全面的に、生活必需品以外の製造業、床屋、修理業などは50%の事業再開が可能となり、日常の暮らしが徐々に戻りつつあります。ネグロスではバランゴン生産者やスタッフに感染者は出ていないとのことです。

詳細はこちらをご覧ください

 

バナナを運ぶトラックに貼られた通行許可書(ミンダナオ島)

〇2020年4月17日
マスコバド糖およびバランゴンバナナの産地であるネグロス島においては、東京に比べるとかなり感染者数が少ない段階で、西州が3月30日、東州が4月3日からロックダウン(都市封鎖)になっています。4月15日時点では、都市封鎖の期間は西州は4月30日まで、東州は5月2日までとされています。(共に当初の予定よりも延長されています。)

 

ロックダウン後は、人の移動が厳しく制限され1世帯に1枚の外出許可書が配布されました。家から外出できるのは1人のみで、外出時にはマスク着用が義務付けられています。自治体をまたいでの移動も厳しく制限されているほか、飛行機や船を使ってのネグロス島と他島間の人の移動は停止されています。
貨物については規制の対象外で、農家は外出制限の対象外であるため、ネグロス島でのバランゴンバナナの出荷はなんとか継続できる見込みです。

しかし、州内の自治体によって規制内容が異なるケースがあったり、検問強化で激しい交通渋滞が発生したりと、日ごとに状況が変化している中で、バランゴンバナナは生産者にとって貴重な収入源であるため、集荷を担うスタッフは出荷が継続できるように尽力してくれています。

詳細はこちらをご覧ください

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◆インドネシア(エコシュリンプ産地)
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〇2020年4-6月の状況

インドネシアにおける新型コロナウイルスの拡大は、首都ジャカルタから始まり、そこから各地に広がったと考えられています。2020年3月31日付大統領令において公衆保健緊急事態が宣言され、新型コロナウイルスへの迅速対応における大規模社会的制限に関する政令が発布されました。具体的には、学校の休校、職場の業務休止、宗教活動の制限、社会文化活動の制限、交通手段の制限など、細かく定められています。

6月17日現在、新型コロナウイルスによる全国の感染者が3万8277名、死者2134名と広がっており、政府は国内の移動制限(陸路、空路、海路の旅客の往来を原則禁止)や、夜間の営業禁止など、厳しい措置を取っています。

ATINA工場敷地内に入る前には丁寧な手洗いが必要

しかしながら、飲食産業に関しては、パンデミック(世界的な感染爆発)下においても「健康を守るためのプロトコール(規定)」を適用したうえでの業務継続は可能である、という産業大臣の決定があり、オルター・トレード・インドネシア社(ATINA)でも、加工工場のすべての部門で規定をしっかり守りながら操業を継続しています。

 

■生産者とのコミュニケーションを大切に
新型コロナウィルスの拡大は、水産業を含めて各界に多大な影響を及ぼしていることは紛れもない事実です。しかし、エコシュリンプの養殖池における実務的な問題はまったくなく、エコシュリンプの生産者は通常通り、養殖池での生産・収獲を続けてきています。一方で、感染拡大を防ぐための地域における防疫対策は強化され、各地の生産者たちは養殖池エリアへの外部者のアクセスを制限し、基本的に地元住民(生産者)しか入域できないようにしています。けれども、ATINAの監査員は例外として、養殖池を訪問することを認められています。必ずATINAの制服を着用し、身分証明書を所持して地域の検問を通過することがルーティーンになっています。当初、外部からの来訪者を嫌がる生産者もいましたが、ATINAは地域の生産者のリーダーと協議し、エコシュリンプが事前監査がルールであることをあらためて理解してもらったうえで、 監査員による養殖池の訪問と監査を実施しています。

生産者にとっての障壁は、優良な稚エビの入手がしづらくなっていることです。品質の良い親エビはアチェから届いていますが、新型コロナウィルスのパンデミックによって、多くの飛行機の運航中止や減便が続いており、いつ通常に戻るかはわからない状況です。また、シドアルジョにある多くの工場は、市場からの需要が止まったことで、操業を減らしたり、止めたりせざるを得なくなりました。当初は、こうした一般的な状況を見て、一部のエコシュリンプ生産者は、自分たちが収獲したエビも買ってもらえないのではないか、というようなパニックに陥った人もいました。しかし、ATINAはすぐに各地の生産者とコミュニケーションをとりました。東ジャワのシドアルジョとグレシックでは、監査スタッフが生産者を訪問し、また、南スラウェシのピンランでは、オンラインビデオ会議ツールを活用して、通常通りのスケジュールでエコシュリンプの買い付けを実施することを説明したので、生産者の不安はすぐになくなりました。

■南スラウェシでの買い付けを休止
しかしながら、5月中旬、スラウェシ島のマカッサルとジャワ島のスラバヤを結ぶ飛行機の運行が突然止まるという事態になり、ATINA工場まで航空便でエビを輸送しているため、ピンランでのエビの買い付けを休止せざるを得なくなってしまいました。当然ながら、ピンランのエビ生産者たちは大きな不安を感じていますが、どうしようもない状況であるということには理解を示してくれています。ただ、残念なことに、ATINAの買い付けがストップしてしまって以降、養殖池からエビが盗まれるという事件が発生しているとの報告が届いています。

このように、エコシュリンプの生産者も直接的、間接的な影響を受けていますが、生産者と消費者の関係性をより強くすることで、共に新型コロナウィルスの世界的パンデミックの時代を乗り越えたいと強く思います。(報告:ATINAヘンドラ・グナワン)(APLA機関紙『ハリーナ』2020年8月号特別報告から)

※スマトラ北端に位置し、西はインド洋、東はマラッカ海峡、北はアンダマン海に面している。2004年12月に発生したスマトラ島沖・津波では約13万人もの死者数が出るほど、甚大な被害を受けた。

 

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◆東ティモール(コーヒー産地)
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〇2020年4-5月の状況について

東ティモールでは2020年3月27日に1カ月の期限付きで非常事態宣言が発令され、28日から、移動、5人以上が集まること、不要不急の屋外での活動、宗教行事や慶事行事が制限されました。学校もすべて休校となっています。その後国会で2度の延長が通り、6月中旬現在も非常事態宣言下にあります。

独立から今年で18年目を迎える小さな島国、東ティモール。医療インフラに限りがあること、隣国インドネシアで感染が拡大していることなどから、感染拡大を防ぐための措置が続いています。

APLAの現地スタッフや首都ディリ在住の松村優衣子さんから話を聞く限り、非常事態宣言が発令された直後は、市民の多くは新型コロナウイルスについてわからないことが多いことからある種のパニックや恐怖に襲われ、家にこもって過ごす人がほとんどだったそうで、ディリ市内は閑散としていたそうです。しかしながら、1週間ほど経つと、状況に慣れてきた人が多く、だいぶ落ち着いてきたと言います。ディリなどでも日用品を販売するお店は、1家庭に1人のみの来店、開店時間を短くする、手洗いとマスク着用を徹底するといった対策を取りながら当初から営業を続けていましたが、東京で緊急事態宣言の発令について報道された時のような「買い占め」は発生しなかったといいます。そもそも金銭的な余裕がない市民がほとんどで、「買い占め」をできる人が少ないという事情もありそうです。なお、政府は、非常事態宣言下の経済状況を鑑み、1世帯につき100米ドルの補助金の支給を発表しましたが、実際に支給がされ始めたのは、6月に入ってから。対応の遅さは日本も同じですね……。

 

■コーヒー産地では

エルメラ県のコーヒー産地からは、町で週に1〜2度開かれる定期市が開催されないことで、自分たちが作った野菜を売る場所がなくなる、生活に必要な日用品やお米などを購入することができない、といったことから、大きな不安を感じているという声が届いてきていました。これに対して、現地のオルター・トレード・ティモール社(ATT)では、5月前半に667世帯に米、食用油、石けんの支援を実施したそうです。コーヒーの買い付けに使うトラックにディリで購入したそれらの物資を積み込み、エルメラ県内各村のコーヒー生産者グループに運ぶ様子は、こちらから動画でご覧いただけます。なお、エルメラ県ではコーヒーの収穫シーズンが始まりました。生産者が収穫・加工したコーヒーの買い付け、輸出という一連のプロセスに大きな影響が出ないことを心から祈るばかりです。

APLAは、この間、コーヒー生産者地域での作物の多様化やエルメラ県内の公立学校での学校菜園・環境教育活動を続けてきましたが、非常事態宣言下においてはディリ在住のスタッフが移動することも難しく、活動は休止せざるを得ない状況が続いてきました。現在状況を見ながら、スタッフたちは活動を再開させる準備を進めています。(APLA機関紙『ハリーナ』2020年8月号特別報告から)

 

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◆インドネシア・パプア(カカオ産地)

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〇2020年8月1日

パプア州全体では感染者数1211名、その多くは、現地パートナーのカカオキタ社が活動するジャヤプラ県に集中(854名)しています(6月12日現在)。ジャヤプラ県では、医療施設が十分でない事もあり、3月から空港と港を封鎖するなど、早めにCOVID-19対策を進めていますが、市場などの人が集まる場所でクラスターが発生しています。

カカオキタ社の事務所がある町の大通りでも、COVID−19対策の啓蒙のためのバナーが至る所に掲げられ、町中の食堂、商店、スーパーの入り口には、臨時の手洗い場所と石鹸が設置されています。スーパーをはじめ商業施設の入り口では警備員による検温と手の消毒を求められ、予防対策はかなり徹底しています。

この間、政府により午後2時以降の外出・移動規制が出されていたため、カカオキタのスタッフたちも生産地の村でのカカオ豆の買い付けは、早朝に出て昼過ぎには戻るという形を取り、午後の活動を休止していました。村での生活には何も変わりがないことが確認できていましたが、6月に入り規制が緩和されたことから、町の人びとの暮らしも徐々に通常に戻りつつあります。

また、カカオキタでは生産者の生産物(カカオ、マンゴー、野菜など)を使ったアイスクリームやお菓子の製造・販売を行うカフェのオープンに向けて準備を進めてきていましたが、COVID-19対策のために、飲食はまだ始めることができていません。それでも、アイスクリームやお菓子の持ち帰り販売を積極的に行なっています。カカオキタの若手スタッフと地域の起業家やNGOとがつながり、COVID-19予防を兼ねたアイスクリームの販促キャンペーンの活動を展開してきました。

このキャンペーンは、カカオキタのチョコレート・アイスクリームを購入してもらうと、市場で働く女性たちに石けんやマスクを寄付するというもので、カフェのスタッフやSNSでつながった仲間たちがキャンペーンを立案し、製造や配送まで分担して作業しました。

キャンペーンの効果もあり、1ヶ月で過去最高の約2000個のアイスクリームを売り上げ、5月16日、キャンペーンスタッフ全員で州都ジャヤプラにあるPasar Mama Mama(お母さんたちの市場)を訪れて、そこで働く女性たちに石けんを配布しました。また別の日に、教会で布マスクを配布しました。

カカオキタカフェのマーケティングを担当するアプリは、「コロナウイルスの脅威が広がるなか、人びとへの啓発と感染の予防に貢献できるうえに、カカオキタの売り上げにつながるWin-Winのモデルになれば嬉しい」と話しています。(APLA機関紙『ハリーナ』2020年8月号特別報告から)

 

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パレスチナ(オリーブオイル産地)

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〇2020年4-5月に実施された支援活動(PARC)
パレスチナ農業復興委員会(PARC)はエルサレムやラマラといった主要都市だけでなく、パレスチナの食糧庫として知られるヨルダン川渓谷の農村部でも食料の配布を行いました。イスラエルで感染者数が激増し、イスラエル政府が同国内で働いていたパレスチナ人労働者に帰宅命令を出したため、収入の道が途絶えた家族、及び移動制限のため農産物を販売できなくなった農民を対象に行いました。

フードバスケットを届けている様子

フードバスケット

 

 

 

 

 

 

また、海外のフェアトレード団体や人道団体に協力を呼び掛けて1500家族にフードバスケットを提供しました。フードバスケットの中身は小麦粉や調味料、オリーブオイル、消毒用アルコールなどです。日本でも グリーンコープ生活協同組合連合会とオイシックス・ラ・大地株式会社が資金協力をしました。

 

〇2020年4-5月に実施された支援活動(UAWC)

食料配布の後、パレスチナ農業開発センター(UAWC)は「土地に戻って耕そう」キャンペーンに取り組みました。

家庭菜園でズッキーニを収穫

市場が閉鎖されたり、移動制限のため農産物が手に入りづらい状況となったことをうけ、自家消費用の野菜栽培が出来るように、短期間で育つキュウリ、ナス、トマト、オクラ、ズッキーニ、カボチャ、インゲン、スイカなどの夏野菜の苗を約3,000家族に配布しました。UAWCは2003年に在来種の種子銀行を設立し、パレスチナの気候風土で育まれた在来種の保存と普及に取り組んできましたが、その活動が役に立ちました。
住民たちは庭や空き地、屋上やベランダなど空間があればどこでも工夫して菜園を作りました。配った苗は最終的に40万本に達し、住民が新鮮で栄養ある野菜を手にすることが出来ました。

ペットボトルがプランターに

種子銀行で配布用の野菜苗を育てる

 

 

 

 

 

 

 

 

〇2020年3月31日 
今月5日、初の新型コロナウィルス感染者が確認されました。場所はキリスト生誕の地として知られ、世界的な観光地でもあるベツレヘム市。翌日にベツレヘム市はロックダウン(封鎖)され、それから2週間以上にわたって封鎖が続いたため、食料、特に野菜が不足する事態になりました。

ベツレヘムに野菜を運ぶトラック

住民からの支援要請を受けたオリーブオイルの出荷団体パレスチナ農業開発センター(UAWC)は、ヨルダン川渓谷の農民に協力を依頼。200人以上の農民と8つの生産者組合が応えて、23日、UAWCが手配した4台のトラックに25トンもの野菜を積んでベツレヘムの市民に届けました。野菜はヨルダン川渓谷と西岸地区北部の農民が無償提供しました。

野菜のトラック積み込み作業の様子(動画)

ウェブサイトの情報によると、パレスチナでは3月末までに100人以上が感染し、ヨルダン川西岸地区のすべての学校、大学、モスクや教会は3月5日から1か月間閉鎖されているそうです。パレスチナでも一日も早く新型コロナが収束するようにエールを送りたいと思います。

ATJ30周年 広がる協同のネットワーク

2020年1月23日

2019年、オルター・トレード・ジャパン(ATJ)は創立30周年を迎えました。ATJには前史があります。1980年代半ばに砂糖の国際価格が暴落したことをきっかけに、「フィリピンの砂糖壺」と呼ばれていたネグロス島で飢餓が発生しました。

深刻な事態を受けて、86年、日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC、2008年APLAに再編)が設立され、飢餓に対する緊急救援を開始しました。しかし、農園労働者が支援に依存せず、事業を起こして自立することを応援するため、1987年、初の「民衆交易」商品であるマスコバド糖(黒砂糖)の生産、87年に日本への輸入が始まりました。

その後、マスコバド糖に続いてバランゴンバナナの輸入が構想された89年、生活協同組合(生協)、JCNCをはじめとする市民団体や個人による市民事業体としてATJが設立されたのです。

社名に込められた意味

「オルター・トレード」という社名は、英語の「オルタナティブ」(もうひとつの、代わりの、という意味)に由来しています。これには2つの意味が込められています。募金を集めて、貧困を解決するためのプロジェクトを実施する従来の国際協力の手法ではなく、国境を越えて市民が協力して経済活動を立ち上げ自立を支援するという、開発の在り方としてのオルタナティブです。

もう一つは生産者と消費者の関係の在り方です。ATJが設立された89年は、ちょうどバブルの時代の絶頂期、日本人の「飽食」がアジアの人びとの暮らしや環境を犠牲にして成り立っているという批判が起きていました。

フィリピンのミンダナオ島にある大規模なプランテーションで生産されるバナナや、台湾、インドネシア、タイといったアジア各地で造成された集約型養殖池で生産されるエビなどがその典型です。

そうした収奪的な消費を推し進めるのではなく、顔の見える交易を通じて互恵的な関係の橋渡しをするための会社がATJだったのです。民衆交易はJCNCに結集した市民による国際協力に、安全・安心な農産物の生産・消費により、環境や地域農業を守るという生協による産直提携事業が出会って生まれたといってよいでしょう。

韓国にも広がった民衆交易

その後、マスコバド糖、バランゴンバナナに続いて、フィリピン以外の国々と様々な商品の交易が始まります。粗放養殖エビ「エコシュリンプ」(92年、インドネシア)、コーヒー(93年、東ティモール、ラオスなど)、ゲランドの塩(02年、フランス)、オリーブオイル(04年)、カカオ(12年、インドネシア・パプア州)などへと展開します。

オリーブの木の下で

現在、ATJが取扱うのは7品目、その産地は12カ国に広がっています。さらに2000年代以降は、韓国の生協もマスコバド糖や東ティモールのコーヒー、パレスチナのオリーブオイル、バランゴンバナナなどを輸入するようになり、消費する側の横のつながりも生まれています。

エコシュリンプはインドネシアで古くから続く環境保全型の地場産業を守り、コーヒーの安定的な買い付けは国際市場の相場に左右される生産者の暮らしを支え、パレスチナの農民がイスラエル占領下で作るオリーブオイルを買い支えることが土地を守ることにつながります。

それぞれの商品の交易が地域の課題解決の一助となり、生産者や産地の住民が抱える政治経済的な諸問題を日韓の消費者に伝えるメディアとなっています。

「キタ」の精神は民衆交易のDNA

カカオポッド(果実)の収穫

もっとも新しい民衆交易品はインドネシア・パプア州のカカオで作るチョコレートです。パプアでカカオの集荷・加工・輸出、生産者支援を行う事業体が「カカオキタ社」です。

インドネシア語で「キタ」とは、私とあなたを含む「私たち」という意味。カカオを生産する人、加工する人、出荷する人、チョコレートを製造する人、食べる人、そしてカカオを育む大地と森をも含めすべての仲間が協働することをイメージしてこの社名がつきました。

代表のデッキー・ルマロペンさんは、事業によって「みんなで一緒に幸せになる」という考えを大切にしています。経済のグローバリゼーションが進むに伴って、「持てる者」と「持たざる者」の格差が大きくなっています。

温暖化や異常気象などの環境問題も待ったなしの深刻な状況です。そうした状況下であるからこそ、国境を越えて生産者と消費者が「キタ」という意識をもってつながり、持続的な農業生産、暮らしや地域づくりを進めるという民衆交易の意義がますます重要になっているのだと思います。

デッキーとブラップ村の女性たち

小林和夫(こばやし・かずお/ATJ)

パレスチナの農民のために、オリーブオイルの評価を高めたい!イッサ・シャトラさん fromパレスチナ

2019年6月28日

イッサ・シャトラさん

イッサ・シャトラさん

パレスチナ農業復興委員会(PARC)が設立したフェアトレード事業会社(アルリーフ社)の副社長を務めるイッサ・シャトラさん。

イエス・キリストの生誕地、ベツレヘム出身のクリスチャンであるイッサさんは、高校生のときにPARCのボランティアとして活動を始め、PARCの奨学金を得てフランスの大学で農学を学びました。以来、さまざまな形で働いてきました。

 

オリーブの収穫

オリーブの収穫

イスラエル占領下にあるパレスチナ西岸地区において、農業が経済活動に占める位置は高く、オリーブは主要作物です。

1990年代よりPARCは農民への技術指導や搾油・保管施設の改善を通して、付加価値の高いエキストラバージン・オリーブオイルを生産し、欧米のフェアトレード市場に向けて輸出してきました。

しかし、知名度が低いパレスチナのオリーブオイルの市場開拓は容易なものではありませんでした。イッサさんはイタリアやスペインといった「オリーブオイル先進国」の事情を勉強して、品質を保証する制度や仕組みの必要性を痛感しました。

 

オリーブの手入れ作業

オリーブの手入れ作業

イタリアなどではワインのソムリエのように、政府公認のオリーブオイル・テイスター(鑑定士)がいます。エキストラバージン・オリーブオイルには酸度0.8%以下、過酸化物価20以下という国際的な基準があります。

テイスターの役割は、化学的数値では測りきれない質的特徴を判断し、粗悪なリーブオイルを発見することです。

収穫されたオリーブの実

収穫されたオリーブの実

PARCは、イッサさんのアイデアを受けて政府やNGO、農民団体と協力して認証制度を整え、テイスターを養成し資格を与えるパレスチナ基準協会(PSI)を1996年に設立しました。現在、パレスチナには24名(うち2名はPARC職員)のテイスターがおり、海外に輸出する前にすべてのオリーブオイルを検査しています。

品質の高いオリーブオイルを生産するには、何より最高のオリーブオイルを作りたいという農民の意識や熱意が必要不可欠です。

これまた「オリーブオイル先進国」に倣って、PSIは収穫が終わる毎年12月に品評会を開催しています。

化学的数値とテイスティングによって金賞、銀賞、銅賞に等級分けされ、農民の大きな励みとなっています。今では0.8%という基準よりもずっと酸度の低いオリーブオイルも生産されるようになりました。

 

イッサさんは、パレスチナ農民のオリーブ生産を後押しする認証制度の整備や品評会開催の立役者の一人です。こうした努力の積み重ねによって、パレスチナのオリーブオイルは欧米の市場でも評価が高まりつつあります。

 

小林和夫(こばやし・かずお/ATJ)

 

パレスチナのオリーブオイルについての詳細

【PtoP NEWS vol.28 特集】土地を守るためのオリーブ栽培 from パレスチナ

2018年11月28日

長い分離壁で包囲された街

長い分離壁で包囲された街

なかなか伝わってこないパレスチナの暮らし

パレスチナと聞いて、皆さんはどういうイメージをお持ちだろうか?私の知り合いの大半は「あぁ、あの大変な所ね」という反応である。新聞やマスコミでパレスチナが取り上げられるのは、物々しい話ばかり。

ここ最近では、イスラエルの米国大使館のエルサレム移転に抗議する市民のデモに対してイスラエル軍が攻撃を繰り返し、多くの死者負傷者が出たことが記憶に新しい方も多いと思うが、パレスチナに普通に暮らす人びとの様子はなかなか伝わってこないのが現状だ。

パレスチナ側の住居。屋上には水タンクが設置されている

パレスチナ側の住居。イスラエルによる水の制限があり、屋上には水タンクが設置されている

オリーブオイルで平和な暮らしを目指す
オルター・トレード・ジャパン(ATJ)が2004年から取り扱っているパレスチナのオリーブオイルは、パレスチナ農業復興委員会(PARC)とパレスチナ農業開発センター(UAWC)という2つの団体から届いている。ヨルダン川西岸地区で栽培されたオリーブから搾油されたエキストラバージンオリーブオイルだ。

PARC、UAWCともに、生産者が手塩にかけて育てたオリーブから搾油したオリーブオイルやその他の農産物を加工品にして世界の市場につなげることで、パレスチナの産品の商品価値を高めてゆくこと、そして人びとが自分たちの土地で平和に暮らしてゆけることを目指している。

オリーブ栽培そのものが、イスラエルによる入植地の建設のために土地が収奪される危機に常にさらされているパレスチナの人びとの土地を守るための運動であるが、それ以外に、農業技術改善の支援や生産者に向けた研修などにも力を入れている。

目や耳を疑うようなパレスチナの現状
このように生産者の支援を続けるPARCやUAWCの担当スタッフから聞くパレスチナの現状は、目や耳を疑うようなものばかりだ。

オリーブの木を重機を使って抜き取り

オリーブの木を重機を使って抜き取り

冒頭でも少し触れた「土地の没収」については、オスロ合意(いまや完全な崩壊が決定的になってしまっていると言っても過言ではない協定だが…)で認められたパレスチナ人による暫定自治があるにもかかわらず、パレスチナの土地はコマ切れに区分されてしまっている。

行政権や警察権がすべてパレスチナにゆだねられているA地区。行政権はパレスチナ、警察権はイスラエルのB地区、そして、行政権と警察権すべてがイスラエルに管轄されているC地区だ。特にC地区は、自然保護地区、森林、井戸が豊富にあり、農地としての力をもった重要な地域だが、イスラエルは、パレスチナ自治政府に返還するという署名合意も無視し続け、占拠を続けている。

オリーブの木の植樹

オリーブの木の植樹

また、新たな入植地を建設するために、パレスチナの人びとがオリーブ栽培をしているにも関わらず、「使っていない土地」と見なすや否や、文化遺産として国際法で守られている樹齢数百年というオリーブの木をもお構いなしに引き抜き、その土地を造成してしまう。そんなことが、日常茶飯事として起こっているという。

高い分離壁で分断されている街

高い分離壁で分断されている街

さらに、イスラエルは「自爆テロの防止」という名目でパレスチナの土地に高さ8メートルにも及ぶ分離壁を張り巡らせている。それによって人びとの移動が極度に制限されている。自分のオリーブ畑に行きたいだけなのに、分離壁のために何キロも遠回りをし、なおかつ検問所を何カ所も通過しないとたどり着けないという不便を強いられているのだ。

おまけに、人間が生きていくのに欠かせない水、農業を営むのに必要な水もイスラエルにより制限されている。世界保健機構によれば、一人当たり1日100リットルの水が必要とされているが、水の使用が制限されているため、パレスチナの人びとが使える水は1日わずか70リットル。一方で、イスラエル側、そして入植地に融通されている水は260~280リットルだという。こんな理不尽があってよいものなのか。

人びとの平和な暮らしを祈りながら・・・
パレスチナでは例年10月に入ると、オリーブの収穫が始まる。

家族総出で収穫作業をして、本来は一年の実りを皆で喜ぶ時期なのだが、今年は例年にない不作が見込まれているとの連絡が入ってきている。

PARC、UAWCの担当者はこう話す。「どうか、どこか遠い国で起こっている自分たちに関係のないことと思わないでほしい。無関心でいることが一番罪深いことだから。日本で、そして世界でパレスチナのことを思ってくれている人びとがいるということが、自分たちの力になる」

パレスチナの人びとが当たり前に平和に暮らせる日々が近い将来やってくることを祈りながら、パレスチナの大地の恵みであるオリーブオイルを味わいたいと思っている。

山下万里子(やました・まりこ/ATJ)

【PtoP NEWS vol.26 ここが知りたい!】オリーブオイルの品質

2018年10月30日

パレスチナのオリーブオイル

パレスチナのオリーブオイル

お店に並ぶオリーブオイル、どれを選ぶかとても悩ましい商品の一つではないでしょうか。

 

地中海沿岸地域を原産地として紀元前から栽培されるオリーブ。

オリーブの搾油技術が確立するまでは「貴重品」として扱われていたこともあり、偽の品質表示などが絶えず、古代ローマ時代からすでに「格付」が存在していたといわれています。

 

 

 

オリーブの実の摘み取り

オリーブの実の摘み取り

第二次世界大戦以降、戦争で産地が荒れたスペインやイタリアの農業復興の目的で「国際オリーブ協会(IOC)」が設立され品質規格が設けられましたが、それでも品質偽装が絶えず、その規格や官能検査基準の甘さを指摘する声もあるようです。

 

 

熟したオリーブの実

熟したオリーブの実

オリーブオイルにもワインのように「ソムリエ」がいます。

絶対的な優劣はつけず、オリーブオイルが持つ香り、風味のなかにディフェット(欠点)がないかを確認し、そのオイルがどんな料理に合うのかを判断します。

 

 

ちなみに、オルタート・レード・ジャパンが取り扱うパレスチナのオリーブオイルの産地では、「何と言っても、自分の畑で採れたオリーブからとったオイルが一番!」と、搾りたてフレッシュなオリーブオイルよりも時間をおいて落ち着いた状態のものを好み、大地の恵みを余すことなく味わっている生産者もいます。

パレスチナ料理「ムサハン」。食べた後は、口の周りがピカピカになるぐらいオリーブオイルがたっぷり!

パレスチナ料理「ムサハン」。食べた後は、口の周りがピカピカになるぐらいオリーブオイルがたっぷり!

出会ったオイルの風味を感じ、どんな料理に合うか想像しながら使ってみるのも楽しいですね。

山下万里子(やました・まりこ/ATJ)

 

【パレスチナ】行政拘禁されていたファラージ氏が釈放されました!

2018年9月13日

釈放後のファラージ氏

昨年5月よりずっと行政拘禁(注)されていたパレスチナ農業開発センター(UAWC)職員のアブドゥル・ラザック・ファラージ氏が釈放されたという嬉しい報告が本人よりありました。

 

ファラージ氏は昨年5月24日未明、イスラエル軍により拘禁され、翌25日に4か月間の行政拘禁を言い渡されました。ATJはパレスチナのオリーブオイルの民衆交易を通じてUAWCと連帯している生協、産直団体との連名で、ファラージ氏の即時釈放と行政拘禁制度の即時廃止を求める嘆願書を在日イスラエル大使館などに提出しました。

UAWCファラージ氏の即時釈放を求める嘆願書を、駐日イスラエル大使に提出しました。

しかしながら、ファラージ氏の拘禁は、その後2度にわたって更新され、ようやく7月に釈放された訳です。以下、ファラージ氏からの報告です。

[box type=”shadow”]
皆さまのパレスチナの人びと及びUAWCに対する継続的なご支援に心より感謝申し上げます。とりわけ、私が過去14か月間、イスラエルの刑務所で行政拘禁されていた間に寄せられたご支援、連帯に御礼申し上げます。皆さまからのご支援は、長年続くイスラエル占領にもかかわらず、パレスチナ人、とくに行政拘禁者は世界中に真の友人がいることの証左です。私も釈放されてから3週間が経ち、今はUAWCの業務に戻っています。

ご存知の通り、行政拘禁はイスラエルにより1967年より継続され、何度も繰り返されています。それは恣意的な拘禁であり、国際法に反しています。

現在、3名の女性を含む約500名が、起訴や公正な裁判を経ずに、単に容疑のみで行政拘禁されています。そこで去る2月、行政拘禁者たちは、イスラエルの裁判所の判決をボイコットすることを決めました。行政拘禁の決定を審議すべきイスラエルの裁判所が、実際にはイスラエル諜報機関の勧告を支持しているだけというのがその理由です。

皆さまのパレスチナ人、とくに政治犯に対するご支援は、世界中で自由と正義の原則を求める人々の関与、献身を私たちに再確認させてくれました。

最後に改めてお礼を申し上げるとともに、解放されたパレスチナでお会いできることを楽しみにしています。

アブドゥル・ラザック・ファラージ [/box]

釈放を喜ぶ家族たちと

 

(注)無期限に更新できる軍令に基づいて起訴や裁判なしの拘禁を認めるもので、この制度を濫用しているイスラエル政府は人権団体から国際的に非難されている。

【PtoP NEWS vol.21】パレスチナでのオリーブ収穫

2017年12月25日

広がるオリーブ畑

広がるオリーブ畑

油の中の油 オリーブオイル

「太る」とか「ぬめぬめする」とか「脂ギッシュ」とか、割と否定的なイメージも少なくない「あぶら」。

しかしそれは、生命活動に必須の栄養素であり、エンジンを回すために必須の動力源であり、天ぷらを揚げるのに必須の食材でもあり、絵描きには必須の画材でもあります。今や「あぶら」は、人類の営みとは切っても切れない存在と言えます。

パレスチナのオリーブオイル

パレスチナのオリーブオイル

主に常温で液体のあぶらを指す「油」は、英語ではOil。その語源はオリーブです。ようやく日本でも認知度が高まりつつあるオリーブオイルは、つまり、油の中の油。それだけ長い人類との付き合いがあるのです。

調理、美肌、灯り、石けん、媚薬… 頼れる生活のパートナー

オリーブは、今から6000年くらい前には、すでに栽培されていたと言われます。そして、人びとはその実を搾ることで油を得ていました。

なお、それ以前の人類にとって、あぶらと言えば「脂」。これは、単純に狩りが中心の生活だったからですが、植物から油脂を得ることが難しかったからでもあるようです。

そんなオリーブの栽培が始まったとされるのが、パレスチナ周辺の地中海沿岸部。以来6000年にわたり、そこに住む人びとは、ずっとオリーブと共に暮らしてきました。

オリーブの古木

オリーブの古木

今でもレストランに行くと、ピッチャーに入ったオリーブオイルが机上に鎮座し、皆ドヤ顔で料理にかけまわしています。

聖書にも頻繁に出てくるこの油は、調理油としてはもちろん、ダイレクトに飲用されたり、美肌を保つために塗られたり、灯りを灯されたり、石けんにされたり、香料を溶かし込まれて媚薬にされたり、色々なモノの潤滑油にされたりと、八面六臂の大活躍をしてきました。

またオリーブの木そのものも、その堅く締まった木質から、材木として活用。搾りカスですら家畜のエサになるなど、オリーブは余すことなく使える、頼れる生活のパートナーなのです。

パレスチナを訪れると、今なお広大な土地にオリーブ畑が広がっています。ヒトよりオリーブの木の方が多そうです。丘陵地のため、ロバが入れるように段々畑チックに作られているところもよく見かけ、昔の人の知恵が偲ばれます。コンクリ舗装の道路と電線、そしてイスラエルによる入植地の姿さえ無視すれば、きっとその風景は、数千年前からあんまり変わっていないのではないでしょうか。

オリーブの実

オリーブの実

オリーブの花

オリーブの花

 

品質の良いオイルが取れるように

さて、モクセイ科であるオリーブは、年に一度花を咲かせ、年に一度実をつけます。その実が熟してくる10月頃が、オリーブの収穫期です。

スペインやイタリアの大規模農園のように、理路整然と植えられたオリーブの樹上を機械がまたいで摘み取っていくわけではありませんので、当然、収穫は地道な手作業となります。

収穫されたオリーブの実

収穫されたオリーブの実

パレスチナ自治政府によって「収穫開始」の合図が出ると(2017年は10月10日だったそうですが、現地パートナー曰く、「フライングするヤツも必ずいる」とのこと)、学校も官公庁も1週間お休みとなり、家族総出での一大イベントに。

恐らくは古き良き日本の、田植えや稲刈りと同じようなイメージなのでしょう。この時期になると、大人も子どもも、暇さえあればオリーブ畑で収穫作業です。

では具体的に何をするのかと言うと、地道に手で一粒ひと粒摘んだり、オリーブの木によじ登って砂場遊びのクマデのような道具でオリーブの実をしごいて回収したり、下から丈の長い器具で枝を震わせて落とした実をキャッチしたり、いたって素朴な作業です。

現在では、一番良いオイルが取れるとされる実の色が黒く変わる直前を見極め、昔の様に木や実をブッ叩くことなく丁寧に収穫することで、品質の良いオイルが取れるように心を砕いております。

集められたオリーブは、大体どこの村にもある搾油場へ。そこでオリーブオイルに姿を変え、タンクに保管されます。

これも、昔は収穫された実はボロい麻袋などに入れてロバでのんびり運ばれており、その過程で劣化してしまうため、今のような品質の高いオイルは取れなかったそうです。

収穫したオリーブはロバで運搬

収穫したオリーブはロバで運搬

現地の人はそういう昔風のオイルが好きなようですが、イスラエルの占領下においてパレスチナ産オイルの扱いは低く、適正価格で流通できない事情もあります。

生産者がきちんと生計を立てていくためには、品質を向上させ、域外へ輸出していくことが重要でした。

そこで、パートナー団体であるパレスチナ農業復興委員会(PARC)やパレスチナ農業開発センター(UAWC)は、生産者への農法指導や輸送時の管理方法の改善、また時間の短縮に取り組み、搾油場にも最新の機械を導入し、保管場には空気に触れないステンレスタンクを設置するなど、オイルの品質改善を進めてきました。

その結果、今では国際的に認められるレベルにまで向上し、皆様のお手元にも届いていることになります。

引き抜かれたオリーブの木

引き抜かれたオリーブの木

これだけ聞くと、牧歌的な暮らしが想起されますが、実際のパレスチナでは、周辺にイスラエル入植地が乱立し、入植者からの嫌がらせが後を絶ちません。

大切に育てたオリーブを切る、燃やす、引っこ抜くといった、極めて残忍かつ幼稚な行為が、頻発しています。

オリーブの木を植樹するパレスチナの生産者

オリーブの木を植樹するパレスチナの生産者

それらは全て、「パレスチナは神がユダヤ人に与えた土地」という妄想と、それに基づく排他主義による自己正当化の賜物です。

そんな理不尽な苦労を強いられているパレスチナの人びとが一生懸命育てたオリーブから取れたオイル、ぜひ一度手に取ってみてください。

若井俊宏(わかい・としひろ/ATJ)

大切に育てられたオリーブから出来たオイルは、“パレスチナのエキストラバージンオリーブオイル”として販売しています。

オリーブの木の下で

オリーブの木の下で

 

【PtoP NEWS vol.07.201610 特集】パレスチナ人民連帯国際デー

2017年11月22日

毎年11月29日は、国際連合(以下、国連)が定めた「パレスチナ人民連帯国際デー」です。

「世界トイレの日」と並んで国際デーに位置付けられているこの日は、特に昔からパレスチナに住んでいた人びとやその親族から見れば、10年間我慢して腸内に溜め込んだガスを一気に連中の顔面に目がけてダイレクトに放屁してやりたいと思うほどに(それができないので、彼らは石を投げたり火炎瓶を投げたりして抵抗していますが)、黙って過ごすことのできない日として、心に刻み込まれています。

 

 

パレスチナの子どもたち

パレスチナの子どもたち

「パレスチナ人民連帯国際デー」制定は、1947年11月29日、国連がパレスチナの地を「ユダヤ人向け」と「アラブ人向け」に分割するという決議を採択したことに端を発します。
この時点で、多くの人びと(パレスチナ人)がこの地に住んでいましたが、同決議をきっかけとして翌年5月に現在のイスラエルの建国が宣言され、その地に住んでいた多くのパレスチナ人(主にアラブ人)が自分たちの土地を追われて難民となりました。
では、パレスチナ人とは全く無関係な第三者が寄り集まって二分割するという理不尽な採択が、何故なされたのでしょうか?

 

家族でオリーブの収穫

家族でオリーブの収穫

そもそも、「パレスチナ」という言葉は、地中海東岸・シリアの南側一帯を指す呼称として、ローマ時代から用いられてきました。
パレスチナは「ペリシテ人の土地」という意味で、ローマ時代以前にこの地に存在していた古代イスラエル王国を滅ぼしたローマ帝国が、ユダヤ教に関する言葉をなくすという目的で付けた地名と言われています。

ペリシテ人というのは、この地に入植して住み着いていた民族で古代イスラエルの主要な敵として知られています。後述の通りこのようにローマ帝国によって、各地にユダヤ人が離散したことも、その後のパレスチナ問題の一端を担っているといえるでしょう。

オリーブ畑

オリーブ畑

その後パレスチナは、かの有名なナザレのイエスがこの地で誕生し、受洗して布教した後に処刑された場所として知られるようになります。
16世紀にはオスマン帝国がこの地を支配し、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の全てにとって重要な聖地として存在する一方、これらの宗教を信仰する人びとが共存してきました。
重要なのは、彼らが特に大きな争い事もなく共存してきたことであり、また、前述の通り、そのパレスチナの地に住んでいた「パレスチナ人」がいたという事実です。
現在のパレスチナ問題は、あたかも根深い宗教上の対立・紛争であるかのように報じられることもありますが、必ずしもそうではありません。

オリーブの古木

オリーブの古木

2000年前の離散以降、ユダヤ人は世界各国に居を移し、彼ら独自の信仰とそれに基づく行動規範を守ってきました。しかし時には、それを異端と捉える周囲の人びとから迫害を受けることも少なくありませんでした。

そのようなユダヤ人の中で、かつての祖国である古代イスラエル王国のあった地、つまりパレスチナに、ユダヤ人国家を作るというシオニズム運動が展開していきました。

オリーブの実

オリーブの実

その結果として、19世紀以降、多くのユダヤ人がパレスチナの地に移住しました。この運動の標語として有名なのが「土地なき民に、民なき土地を」という言葉ですが、パレスチナの地にはすでに多くのパレスチナ人が住んでいたことはご説明した通りです。

 

つまり、シオニズム運動は、このような事実を隠蔽し、「2000年前に離散したかわいそうなユダヤ人が、自分たちの力で誰に迷惑をかけることもなく土地を取り戻し、国を再建する」というような美談を掲げ、1948年のイスラエル建国にこぎつけたものであると言えます。

 

 

オリーブの生産者

オリーブの生産者

特にユダヤ人の多い米国を筆頭に、冒頭に述べた国連による分割決議案に賛成票が投じられ、その後連綿と続くパレスチナ問題につながっていきます。
この「パレスチナ人民連帯国際デー」は、国際社会共通の問題として解決をしていくべきというところから、1977年に制定されました。
しかし実際には、この日を契機にパレスチナ問題の解決に動くという実効性を持っているわけではなく、また日本においては、国際デーはおろか、そもそもパレスチナという場所についても「何だか危ないところ」程度にしか認知されていないのが実態です。

 

実際に訪れるパレスチナは、古来より続くオリーブ畑の広がる長閑な地域です。もしこのような問題がなければ、今の100倍は観光客が訪れる風光明媚な土地として名を馳せていると思われます。そしてこれが、本来のパレスチナの姿であるはずです。誰も好き好んで石を投げているわけではありません。

今我々ができることは限られていますが、少なくとも同じ地球上に生きる人間同士、なぜこのような問題が起こっているのか、またパレスチナという地がどのような場所なのか、この日をきっかけとして少しでも伝えていきたいと考えています。

若井俊宏(わかい・としひろ/ATJ)

UAWCファラージ氏の即時釈放を求める嘆願書を、駐日イスラエル大使に提出しました。

2017年6月23日

去る5月24日未明、パレスチナのオリーブオイル出荷団体の一つ、パレスチナ農業開発センター(UAWC)職員のアブドゥル・ラザック・ファラージ氏がイスラエル軍により拘禁されました。

緊迫するパレスチナ情勢、UAWC職員ファラージ氏再拘禁

UAWCからの情報によると、ファラージ氏は翌25日に4ヵ月の行政拘禁を言い渡され、ラマラ市郊外にあるオフェル刑務所に拘留されているとのことです。

この事態を受けて、ATJとNGO法人APLAは、ファラージ氏の即時釈放及びイスラエル政府による行政拘禁制度の即時廃止を求める嘆願書を用意し、6月16日、オリーブオイルの民衆交易などを通じてUAWCに連帯している生協や有機農産物宅配団体との連名で、駐日イスラエル大使宛で大使館に嘆願書(英文)を郵送しました。本日(6月23日)、郵便物等配達証明書が届き、イスラエル大使館が嘆願書を受け取ったことを確認しました。

英文嘆願書 Petition for Abolition of Administrative Detention in Palestine and Immediate Release of the Detainee

嘆願書の全訳及び賛同団体は以下の通りです。

 

2017年6月16日

駐日イスラエル大使 ルツ・カハノフ殿

パレスチナ自治区における行政拘禁制度の廃止ならびに被拘禁者の即時釈放に関する嘆願書

嘆願の趣旨:

 私たちは、現在のパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地区・ガザ地区)の置かれた状況を憂慮し、パレスチナ自治区で活動するパートナー団体との連帯のもと、そこで生産された産品の輸入・販売や交流事業を通じて彼らの活動を支援している交易会社、NGO、ならびに消費者団体です。

 私たちは、パートナー団体の一つであるUnion of Agricultural Work Committees(以下、UAWC)の職員、アブドゥル・ラザック・ファラージ氏が、去る5月24日未明、貴国政府軍隊により行政拘禁令に基づき逮捕されたという情報を受け取りました。そして、翌日に貴国が管轄する刑務所内における4ヵ月の拘禁を言い渡されたという情報も、新たに受け取りました。

 以上の情報を受け、私たちは、仲間であるファラージ氏の状況について非常に心を痛めていると共に、上記の理不尽な貴国の行いについて、極めて強い憤りを覚えています。

 つきましては、私たちは貴国に対し、以下の通りに理由を添えて、ファラージ氏の即時釈放ならびに行政拘禁制度の廃止を求めます。

 嘆願事項:

1.5月24日未明に貴国により行政拘禁されたアブドゥル・ラザック・ファラージ氏の即時釈放を求めます。

2. 同氏が拘禁される理由として貴国が掲げる行政拘禁制度について、即時廃止を求めます。

嘆願理由:

1. アブドゥル・ラザック・ファラージ氏は、その人生において実に16年近い時間を、貴国による身柄拘束の後、刑務所で過ごしています。そのほとんどは5回に及ぶ行政拘禁です。そして、今回も何ら拘禁の理由も示されぬままラマラ市内(エリアA)の自宅で逮捕されました。これはオスロ合意等の国際的な取り組みの中で認められたパレスチナ自治政府の行政・治安双方の権限を無視したものであり、貴国の権限を逸脱したものであると考えられます。パレスチナ自治政府により正当で明確な罪状で起訴され、公平かつ迅速に裁かれるのでなければ、貴国に同氏の身柄を拘束する権限はなく、故に、同氏の即時釈放を求めるものです。

2. 行政拘禁制度は、貴国の治安に著しく危険をもたらすと貴国が考える人びとを予防的に拘禁するための例外的措置として導入された経緯があると、我々は認識しています。しかしながら、実際には貴国の治安に著しく危険をもたらすことが懸念される根拠を一切示さずに、パレスチナ自治区に住む人びとが無条件に拘禁されてきた実態に対し、多大な批判が国際社会から挙がっています。更に、貴国によって行政拘禁された人々は、貴国が自国内の囚人には認めている月に2回の家族との面談すら認められないなど、貴国が明らかな差別を行っている点についても、集団懲罰的な処遇であるとして、多大な非難が寄せられています。それが、本年4月から5月にかけて行われた、パレスチナ人被拘禁者によるハンガーストライキを招いたことは、記憶に新しい通りです。我々は、そのような貴国の、パレスチナ人に対する差別的な対応の全てに対して明確な非難の声を挙げると共に、その典型である行政拘禁制度の即刻の廃止を求める次第です。

 

株式会社オルター・トレード・ジャパン

特定非営利活動法人APLA

グリーンコープ共同体

株式会社 大地を守る会

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以上

ATJ、APLAは、引き続きファラージ氏の状況についてフォローします。

広報本部 小林

 

 

 

 

 

 

緊迫するパレスチナ情勢、UAWC職員ファラージ氏再拘禁

2017年5月31日

日本ではほとんど報道されていませんが、パレスチナでは4月17日から1,500人を超える政治犯が集団で無期限ハンガーストライキを行っています。彼らは、イスラエル当局に対して、行政拘留者(下記)の即時釈放、刑務所内での拷問や虐待の停止などを求めています。ヨルダン川西岸では各地で連帯デモが広がっています。このハンストに対して、5月22日、オリーブオイル出荷団体であるパレスチナ農業復興委員会(PARC)が連帯声明を出しました。

 

[box type=”shadow”]

  パレスチナ農業復興委員会(PARC)は、2017年4月17日にイスラエル刑務所でハンガーストライキを始めたパレスチナ人拘禁者への連帯を表明します。

  1,800名以上の拘禁者が、刑務所の不平等かつ劣悪な環境に対して抗議を行うためのハンガーストライキを始めました。国際法の下、拘留している全ての人々の福利や環境改善に責任を持つイスラエル政府に対して圧力をかける目的で、それから36日間にわたり、彼らは塩と水だけで生きています。

  拘禁者が求めているのは、非常に単純で基本的な、人間として必要なものだけです。それは、家族と話をするための公衆電話の設置、定期的な家族の訪問とその際に家族写真を撮影する事の許可、医療の改善、空調管理の導入などです。

 また拘禁者は、「行政拘禁」の廃止を求めています。行政拘禁とは、「公表されない機密な証拠」という理由のみでパレスチナ人を拘禁することを認める制度で、その期間は数か月、時には数年にも及ぶものです。この制度は、国際法のもとで違法とされています。

  PARCは、すべてのパートナーに対し、イスラエルの刑務所に拘禁されているパレスチナ人の法的権利を守ることを支持し、イスラエル政府が国際人権法を遵守し、パレスチナ人拘禁者の苦しみに終止符を打つように圧力をかけるべく、自国政府に要請することを求めます。

2017年5月22日
Palestinian Agricultural Relief Committee (PARC)[/box]

パレスチナ自治政府、国際赤十字とイスラエル政府の間の交渉により、政治犯の要求が認められたため、ハンガーストライキを継続していた800余名の政治犯は、5月27日にハンストを終了しました。認められた内容は、政治犯の面会を月2回認めること以外は、まだ公表されていません。 

アブドゥル・ラザック・ファラージ氏

そして、5月24日夜、パレスチナのオリーブオイル出荷団体のひとつ、パレスチナ農業開発センター(UAWC)より、UAWC総務部長であり、ジャーナリストとしても活動しているアブドゥル・ラザック・ファラージ氏が、同日未明逮捕されたという報告が入りました。

 

 

[box type=”shadow”]  現在、数百名のパレスチナ人拘禁者が、基本的な人権を求めてハンガーストライキを継続しています。彼らは、彼ら自身のみならず、世界中の抑圧された人々の自由と尊厳のために、闘っています。パレスチナ自治区を占領しているイスラエル政府は、いまだにパレスチナの一般市民および拘禁者に対する抑圧的な政策を止めようとはしません。その卑近な例として、我々パレスチナ農業開発センター(UAWC)事務局長であり、またジャーナリストとしても活動しているアブドゥル・ラザック・ファラージが、本日未明に自宅で、それも彼の家族の目の前で、再度拘留されました。

  UAWCは世界中の自由と正義を愛する人々に対し、我々の同僚であるファラージ、ならびにハンガーストライキを継続している全ての拘禁者の釈放を求めた連帯のために立ち上がるように呼び掛けます。

  ファラージは、実に人生のうち16年間をイスラエルの刑務所で過ごし、結果として、多くの病を抱えています。それらの殆どは、「行政拘禁」と呼ばれるイスラエルの制度によるもので、令状なしに不都合な人物を逮捕・拘留しても良いとされているものです。これは、国際協定、とりわけジュネーブ条約第4条に明確に違反しています。UAWCは、パレスチナ自治区の存在と正当性を信じ、イスラエルが行う占領や隷属化を否定する全ての組織に対し、ファラージを解放し、彼を家族のもとへ返すようにイスラエル政府に圧力をかけるため、自国の政府へ書簡を送る国際的な連帯キャンペーンを立ち上げることを呼び掛けます。

2017年5月24日
Union of Agricultural Work Committees (UAWC)[/box]

ファラージ氏は2014年2月にイスラエル政府により行政拘禁されましたが、行政拘禁制度に抗議して同年4月より約2か月間、数十名の拘禁者による集団ハンガーストライキに参加しました。ATJでは、UAWCから届いた緊急アピールを受けて、貴団体を含む株主生協・団体、APLA、ATJ計11団体連名で、同氏を含む行政拘禁者の即時釈放を求める嘆願書を在日イスラエル大使館に送付した経緯があります(イスラエル大使館は受け取り拒否)。

詳しい経緯はこちらからご覧ください。⇒ ファラージさんに自由を!

ファラージ氏はようやく2015年10月に釈放されましたが、それから1年半余りで再逮捕されたことになります。同氏はこれまでの生涯で実に16年も刑務所で過ごしていますが、そのほとんどが行政拘禁によるものです。行政拘禁とは、報告にも説明があるように、令状なしに不都合な人物を逮捕し、無期限に拘留できるとする制度であり、国際協定、とりわけジュネーブ条約第4条に明確に違反しています。イスラエル政府はこの制度を濫用し、国際社会からも強く批判されてきました。

UAWCは、同氏の即時釈放を求めるキャンペーン活動への協力を国際社会に対して求めています。ファラージ氏逮捕の詳細な背景については現在、UAWCに問い合わせ中です。

広報本部 小林

パレスチナ:オリーブの木、2000本が破壊される

2017年1月20日

パレスチナのオリーブオイルの出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)が、イスラエル軍によるパレスチナ人の暴力行為を止めるよう国際社会に呼びかけるアピールを出しました。

2017年1月16日、イスラエル当局は、104ドナム(1ドナムは約1ヘクタール)もの不法なイスラエル人入植地につながるバイパス道路を建設するため、カルキリヤ県のパレスチナ農民が所有する2000本のオリーブの木を破壊しました。一本一本のオリーブの木には、世代を超えたパレスチナ人の誇りが刻み込まれ、歴史そのものです。それが根こそぎにされたのです。

パレスチナ地図

2017年、イスラエル政府によるパレスチナ人の土地の接収や入植地の拡大は劇的に増加するだろうと用心しています。昨年12月23日、イスラエルの入植活動を国際法に対する「目に余る違反行為」であり、「法的正当性がない」とした国連安全保障理事会決議2334号(注1)が採択された後、イスラエル政府はその決議を順守するつもりはないと発表、さらに、エルサレムにおいて1506戸の住宅建設を認めることがあったため、尚更です。2016年も土地接収や入植地が前年より58%も増加したことは特記されるべきでしょう。イスラエル政府による土地接収の増加は、C地区(注2)に指定された土地のすべてを没収し、(イスラエルとパレスチナの)二国家共存を葬ろうとする極端な右翼政権の姿勢の一端が現れたものと言えます。

UAWCからのアピール:行動を起こしてください!
世界中の人権団体、活動家、社会正義活動団体に対して、イスラエルのパレスチナ農民や農業部門に対する暴力行為を終わらせるために声を挙げるよう求めます。

○ 土地接収に反対する声明を出す。
○ 国際社会の沈黙を破り、パレスチナ人を保護し、イスラエルの占領に終止符を打つよう行動する。
○ 各国イスラエル大使館前で、効果的な抗議行動を組織すること。
○ 入植地で生産された製品の不買運動、

注1:国連決議2334号関係情報 「国連安保理、イスラエル入植地非難決議を採択 米国棄権」
注2:オスロ合意で定められた、イスラエル政府が行政権、軍事権共に実権を握る地区

 

*なお、この破壊行為については現地の新聞、Palestine Chronicle でも写真付きで報じています。

Israeli Army Uproots 2,000 Ancient Olive Trees

(要旨)イスラエル軍は、西岸地区北部カルキーリヤ近郊のナビ・アリアス、アズーン、タビーブの3村で、パレスチナ人所有のオリーヴ収穫林一帯を「軍事閉鎖地区」に指定し、ブルドーザー多数を使い、果樹2000本の撤去に着手した。パレスチナ人や、支援のイスラエルの人権・平和活動家らは、オリーヴの木に身体を縛り付けて抵抗、イスラエル兵の排除により負傷者も出た。オリーヴの撤去は、近くのイスラエル人入植地へのアクセス道路工事のため。入植者らは、「通行の安全のため」バイパス道路を要請していた。樹齢500年の大木も抜き取られたという。(パレスチナ最新情報-JSRメルマガ20170118号より)

パレスチナ報告(後半)パレスチナのオリーブオイルについて

2016年1月18日

オリーブ生産についてお話しましょう。オリーブの収穫は年1回、10月初めから11月中旬にかけて行われます。この期間、パレスチナの農村はもっとも活気にあふれます。収穫は重労働ですが、農民はお祭り、お祝いごとのように感じています。日の出前から日の入りまで家族総出、それこそ老若男女が収穫にあたります。畑が遠い場合は、お昼ご飯も持参して畑で食べます。まるでピクニックのようです。

製造工程を見てみましょう。パレスチナのオリーブ収穫は基本的に機械を使わずに手摘みすることが特徴です。手摘みにこだわるのは、オリーブはパレスチナ人にとって尊いものという意識もありますし、機械を使うと、実を傷つけてよい品質のオリーブオイルが生産できないことも理由としてあります。

畑でオリーブの実を選別する

できるだけ収穫した同じ日のうちに村にある搾油場に持ち込み、搾油します。オリーブの実のまま(種も皮もついたまま)搾油しますが、その工程では温度があがらないように注意します(コールドプレス)。搾油率をあげるために温度を上げる搾油場もありますが、そうすると品質が悪化し、とくに香りがなくなってしまいます。遠心分離機で固形物と液体、それから水分と油に分離するとオリーブオイルの出来上がりです。

搾油されたオリーブオイル

搾油したオリーブオイルは、いったん各協同組合の倉庫で保管されます。ここには簡単な分析室があって酸度などをサンプル検査し、合格したものだけがPARCの倉庫、充填工場に移送されます。PARCでは海外からの注文に沿って瓶詰、輸出します。ただ、日本向けはバルク(一斗缶)で輸出され、日本国内で瓶詰めされています。

PARCが農産物の流通に関わり始めたのは1980年代後半からです。1987年から1993年にかけて発生した第1次インティファーダにより治安が悪化しました。イスラエル政府は夜間外出禁止令を発令し、パレスチナ住民の移動を厳しく制限しました。そのため、オリーブオイルや農産物を市場に運搬、販売することができなくなった農民に代わってPARCが流通に関わりました。ビジネスというよりは救済事業という意味合いが強い活動でしたが、これがフェアトレードにつながるきっかけになっています。

1994年以降、フェアトレード運動を知って海外のフェアトレード団体とネットワークを築き、市場を開拓していきました。EUのパートナーも占領下にあるパレスチナに連帯して何とか支援したいという思いでオリーブオイルなどの農産物を買ってくれました。

そうした連帯や厚意に甘えるのではなく、他の生産国のフェアトレード商品に競合できるよう品質改善に取り組み始めたのが1999年からです。農民はオリーブオイルの生産技術、有機栽培の方法を研修を通じて学びました。日本には2004年から輸出しています。

それでは、パレスチナにおいてなぜフェアトレードが重要なのでしょうか。

第1に政治的な理由です。イスラエル政府は、3年間土地が未利用だと接収します。オリーブを植えて育てることがそのまま土地を守ることにつながっているのです。勿論、経済的な意味も大きいです。過去20-30年間、パレスチナの多くの住民が依存してきた国連や海外の人道支援に頼ることなく、自立した収入を得ることにつながります。また、フェアトレードは女性の社会進出にも役立っています。クスクス(中東でよく食べられる小麦でできた食物)加工協同組合では50名の女性が働いていますが、その多くは貧しい家族の出身で満足な教育を受けていません。しかし、現在ではEUを中心に年間100トンを輸出するまでに成長し、家計を支えています。

クスクスを加工する女性

しかし、フェアトレード事業にもパレスチナ特有の困難があります。内陸に位置する西岸地区は、欧米に輸出する場合、通常イスラエル領内の2つの港、ハイファ、アシュドッドを利用せざるを得ません。イスラエル領内では何の理由もなく荷物が止められることもしばしばです。そのため、扱う商品はオリーブオイル、アーモンド、デーツ(なつめやしの実)、クスクス、ザータル(ハーブ調味料)、ドライトマトなどすべて1年以上保存できる加工食品に限られます。生鮮物を扱うのはリスクが高いのです。

パレスチナのオリーブオイルが高い理由もよく尋ねられます。家族による小規模生産であり、手摘みで丁寧に収穫されるので人件費がかかることや、港までのコストが高いことが大きな理由です。加えて、占領下の特殊な事情もあります。例えば、資材の輸入。瓶などの資材は輸入していますが、パレスチナの会社が直接輸入することは禁止されています。イスラエルの会社を通して輸入するしか方法がないので高くついてしまいます。さらに輸入税も高い。瓶の場合は製品そのものより関税が高いほどです。また、オリーブオイルを海外に輸出する際、イスラエル政府はコンテナに満載することは許さないため、必ず1/3以上のスペースを残さないといけません。こうした点が重なってコスト高となってしまうのです。

最後に強調しておきたいことがあります。世界中の多くの人は、ユダヤ教とムスリムの宗教対立だと考えています。これはイスラエルによるプロパガンダの結果であり、間違った認識です。衝突の原因はイスラエルの占領にあり、占領によって基本的人権がないがしろにされていることです。パレスチナ人はテロリストというイメージも作られたものです。私たちは自由と独立国家を求めているだけです。

占領下の農民の苦しみや抵抗をオリーブオイルと一緒に受けとめてもらえると有り難いです。

(学習会での発表及び質疑応答の一部をまとめて編集しました)

政策室 小林

パレスチナ報告(前半)パレスチナ問題とは何か。そしてイスラエル占領の実態について。 

2016年1月7日

昨年11月、パレスチナのオリーブオイル出荷団体、パレスチナ農業復興委員会(PARC)フェアトレード部海外マーケティング責任者、シャディ・マフムッドさんが来日し、福岡、大阪、東京で主に消費者対象の学習会で現地報告をしました。学習会でお話したパレスチナの実情とオリーブオイル生産について報告します。

シャディ・マフムッドさん
2007年PARC入社。入社以来一貫してフェアトレード部において海外での販促、新規市場の開拓を担当。家族は妻と男の子2人。

これはパレスチナの領土の変遷を表した4枚の地図です。緑の部分がパレスチナ人、白の部分はイスラエル人が支配する土地です。パレスチナ人の土地がどんどん狭くなっているのがよくわかります。

パレスチナ地方領土の変遷(左から1946年、1947年国連分割案、1948~1967年、1999年)

1947年、国連はイギリスの信託統治領であったパレスチナにイスラエルの国家建設を認めました。当時、パレスチナ人が支配する土地は90%以上(左端の地図)でしたが、国連の分割案はイスラエルに半分以上の土地を分け与える不公平なものでした(左から2番目の地図)。パレスチナはこの分割案を拒否しましたが、イスラエルは独立を宣言し、圧倒的な軍事力に物を言わせてパレスチナ地方全土を占領しました(左から3番目の地図)。土地を追われた多数のパレスチナ人は難民となってイスラエルやパレスチナ、隣国のシリア、レバノン、ヨルダンとなって流れ込みました。イスラエルは1967年、第3次中東戦争によりさらにヨルダン川西岸地区を占領しました。それから半世紀近く、イスラエル軍撤退を求める国連決議に従うことなくイスラエルは占領は継続しています。

 

その間、1987年には占領に抗議してパレスチナの民衆が投石で抵抗する第1次インティファーダ(民衆蜂起)が起きたり、1993年にパレスチナ暫定自治協定共同宣言(オスロ合意)が成立し自治政府が樹立されたものの、イスラエルの支配が進行し、パレスチナ人の土地は虫食い状態になっているのが現実です(右端の地図)。

分離壁の建設状況(赤線、緑の線はグリーンライン)

虫食い状態にしている主な原因が入植地と分離壁の建設です。入植地は国際法では違法とされているにもかかわらず、今や西岸地区では200の入植地に70万人のイスラエル人が住むまでに拡大しています。そしてアパルトヘイト・ウォールと称される分離壁は、パレスチナとイスラエルの国際法上の国境とされるグリーンラインだけでなく、その内側、つまりパレスチナ領内に食い込む形で建設されています。北部では水資源が豊かな土地が、中西部では天然ガスが埋蔵されている地域が分離壁によってイスラエル領内に取り込まれているのです。

 

 

 

 

土地を分断する分離壁

入植者によるオリーブ畑や農民に対する暴力行為も頻発しています。なぜ彼らはオリーブ畑を攻撃するのでしょうか。それは、オリーブの木がパレスチナ人にとってはアイディンティティであることを知っているからです。先祖から受け継いだオリーブの木、土地や暮らしに根差したオリーブの木をそれこそ根こそぎにして、パレスチナ農民が土地を離れざるを得ないように仕向けているわけです。

 

今年(2015年)7月31日、西岸地区北部にあるナブルスで痛ましい事件が起きました。入植者が真夜中にパレスチナ人の家に放火し、1歳半の幼児が死亡し、入院した両親も後日亡くなったのです。犯人は近くの入植地に住むイスラエル人でしたが、イスラエル政府は逮捕することもありませんでした。これに抗議して西岸地区各地でパレスチナ人によるデモや衝突が起きました。

 

加えて、9月にイスラエル政府がエルサレム旧市街にあるアル・アクサ・モスクでの礼拝を制限したことをきっかけに、10月以降、イスラエル軍や入植者とパレスチナ人の間で衝突が頻発しています。イスラエル軍は一般市民に対して実弾やゴム弾で攻撃し、10月以降75名(11月10日現在)のパレスチナ人が殺されました。武器の無いパレスチナ人は投石で対抗するしかないのです。

 

=== 以下、後半に続く ===

 

(本報告は学習会での発表及び質疑応答の一部をまとめて編集したものです)

政策室 小林

【パレスチナ】ファラージさんからのお礼状

2015年12月1日

10月21日、20か月もの間、イスラエル政府により行政拘禁されていたパレスチナのオリーブオイル出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)職員、アブドゥル・ファラージさんが釈放されました。

仕事に復帰し、久方ぶりに家族との時間を過ごしているファラージさんから支援してくださった日本の方々へお礼が届きました。

[box type=”shadow”]
親愛なる日本の友人の皆さまへ

私がイスラエルに拘禁されていた期間中、私自身、私の家族、そしてUAWCの同僚たちへの皆さまからのご支援に心から感謝申しあげます。

皆さまからのご支援は、パレスチナ人の拘禁者を心から支えてくださる方々が日本にそして世界中にいるということの証です。獄中で私の妻を通じて皆さまからご支援頂いていると聞いたことが、どれだけ私に楽観的な気持ちと希望を与えてくれたことでしょうか。

私は1か月前に釈放され、UAWCの仕事に復帰しました。釈放後は、20か月間に及んだ行政拘禁期間中にできなかったこと、そして、占領下においては普通の生活などないのが現状ですが、それでも何とか日常の暮らしを取り戻そうとしています。

皆さまからのお便り、そしてパレスチナで皆さまにお会いできることを楽しみにしております。

心からの感謝をこめて。

アブドゥル・ラゼック・ファラージ [/box]

釈放直後、迎えに来た家族と。

左から長男バジルさん、次男ワディさん、パートナーのラミスさん、ファラージさん。

政策室  小林

UAWCがアラブ思想財団賞(経済創造部門)を受賞!

2015年11月30日

農民支援のNGOであり、オリーブオイルの出荷団体でもあるパレスチナ農業開発センター(UAWC)が取り組んできた「農地開発プロジェクト」に対して、アラブ思想財団(レバノン)が2015年度経済創造部門賞を授与しました。

ヨルダン川西岸地区では、イスラエル政府が行政、治安の権限を掌握する地域(エリアC)が60%を占めています。イスラエルがパレスチナ人の農民を追い出すために、農地を没収して入植地を拡大している現状の中で、このプロジェクトはエリアCにおいて農地を守ることに大きく寄与しています。

UAWCの農地を守る取り組みは4つの活動領域があります。
1)農地開墾 未利用の土地を農業用地に転換する。
2)農地復興 地主により放置されている農地を生産的にする。
3)農道建設 農地へのアクセスを改善する。
4)灌漑整備 水不足(水資源の85%がイスラエルに独占されている)対策のため、井戸、灌漑用水路や送水管を整備。

理事長代行のフゥアッド・アブ・サイフ氏は、「今回の受賞は、パレスチナ人の土地を収奪しようとしているエリアCにおいてUAWCが農地開発や開墾によって土地を守ってきた業績に対する評価であり、今後も同事業を継続していくことの励みとなる」と話しています。

UAWCが長年、農民と一緒に進めてきた活動が表彰されたことは大きな意義があります。みなさんと一緒にこの受賞をお祝いしたいと思います。

 

UAWCウェブサイト 該当記事(英文)

 

政策室 小林