緊迫するパレスチナ情勢、UAWC職員ファラージ氏再拘禁

2017年5月31日

日本ではほとんど報道されていませんが、パレスチナでは4月17日から1,500人を超える政治犯が集団で無期限ハンガーストライキを行っています。彼らは、イスラエル当局に対して、行政拘留者(下記)の即時釈放、刑務所内での拷問や虐待の停止などを求めています。ヨルダン川西岸では各地で連帯デモが広がっています。このハンストに対して、5月22日、オリーブオイル出荷団体であるパレスチナ農業復興委員会(PARC)が連帯声明を出しました。

 

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  パレスチナ農業復興委員会(PARC)は、2017年4月17日にイスラエル刑務所でハンガーストライキを始めたパレスチナ人拘禁者への連帯を表明します。

  1,800名以上の拘禁者が、刑務所の不平等かつ劣悪な環境に対して抗議を行うためのハンガーストライキを始めました。国際法の下、拘留している全ての人々の福利や環境改善に責任を持つイスラエル政府に対して圧力をかける目的で、それから36日間にわたり、彼らは塩と水だけで生きています。

  拘禁者が求めているのは、非常に単純で基本的な、人間として必要なものだけです。それは、家族と話をするための公衆電話の設置、定期的な家族の訪問とその際に家族写真を撮影する事の許可、医療の改善、空調管理の導入などです。

 また拘禁者は、「行政拘禁」の廃止を求めています。行政拘禁とは、「公表されない機密な証拠」という理由のみでパレスチナ人を拘禁することを認める制度で、その期間は数か月、時には数年にも及ぶものです。この制度は、国際法のもとで違法とされています。

  PARCは、すべてのパートナーに対し、イスラエルの刑務所に拘禁されているパレスチナ人の法的権利を守ることを支持し、イスラエル政府が国際人権法を遵守し、パレスチナ人拘禁者の苦しみに終止符を打つように圧力をかけるべく、自国政府に要請することを求めます。

2017年5月22日
Palestinian Agricultural Relief Committee (PARC)[/box]

パレスチナ自治政府、国際赤十字とイスラエル政府の間の交渉により、政治犯の要求が認められたため、ハンガーストライキを継続していた800余名の政治犯は、5月27日にハンストを終了しました。認められた内容は、政治犯の面会を月2回認めること以外は、まだ公表されていません。 

アブドゥル・ラザック・ファラージ氏

そして、5月24日夜、パレスチナのオリーブオイル出荷団体のひとつ、パレスチナ農業開発センター(UAWC)より、UAWC総務部長であり、ジャーナリストとしても活動しているアブドゥル・ラザック・ファラージ氏が、同日未明逮捕されたという報告が入りました。

 

 

[box type=”shadow”]  現在、数百名のパレスチナ人拘禁者が、基本的な人権を求めてハンガーストライキを継続しています。彼らは、彼ら自身のみならず、世界中の抑圧された人々の自由と尊厳のために、闘っています。パレスチナ自治区を占領しているイスラエル政府は、いまだにパレスチナの一般市民および拘禁者に対する抑圧的な政策を止めようとはしません。その卑近な例として、我々パレスチナ農業開発センター(UAWC)事務局長であり、またジャーナリストとしても活動しているアブドゥル・ラザック・ファラージが、本日未明に自宅で、それも彼の家族の目の前で、再度拘留されました。

  UAWCは世界中の自由と正義を愛する人々に対し、我々の同僚であるファラージ、ならびにハンガーストライキを継続している全ての拘禁者の釈放を求めた連帯のために立ち上がるように呼び掛けます。

  ファラージは、実に人生のうち16年間をイスラエルの刑務所で過ごし、結果として、多くの病を抱えています。それらの殆どは、「行政拘禁」と呼ばれるイスラエルの制度によるもので、令状なしに不都合な人物を逮捕・拘留しても良いとされているものです。これは、国際協定、とりわけジュネーブ条約第4条に明確に違反しています。UAWCは、パレスチナ自治区の存在と正当性を信じ、イスラエルが行う占領や隷属化を否定する全ての組織に対し、ファラージを解放し、彼を家族のもとへ返すようにイスラエル政府に圧力をかけるため、自国の政府へ書簡を送る国際的な連帯キャンペーンを立ち上げることを呼び掛けます。

2017年5月24日
Union of Agricultural Work Committees (UAWC)[/box]

ファラージ氏は2014年2月にイスラエル政府により行政拘禁されましたが、行政拘禁制度に抗議して同年4月より約2か月間、数十名の拘禁者による集団ハンガーストライキに参加しました。ATJでは、UAWCから届いた緊急アピールを受けて、貴団体を含む株主生協・団体、APLA、ATJ計11団体連名で、同氏を含む行政拘禁者の即時釈放を求める嘆願書を在日イスラエル大使館に送付した経緯があります(イスラエル大使館は受け取り拒否)。

詳しい経緯はこちらからご覧ください。⇒ ファラージさんに自由を!

ファラージ氏はようやく2015年10月に釈放されましたが、それから1年半余りで再逮捕されたことになります。同氏はこれまでの生涯で実に16年も刑務所で過ごしていますが、そのほとんどが行政拘禁によるものです。行政拘禁とは、報告にも説明があるように、令状なしに不都合な人物を逮捕し、無期限に拘留できるとする制度であり、国際協定、とりわけジュネーブ条約第4条に明確に違反しています。イスラエル政府はこの制度を濫用し、国際社会からも強く批判されてきました。

UAWCは、同氏の即時釈放を求めるキャンペーン活動への協力を国際社会に対して求めています。ファラージ氏逮捕の詳細な背景については現在、UAWCに問い合わせ中です。

広報本部 小林

パレスチナ:オリーブの木、2000本が破壊される

2017年1月20日

パレスチナのオリーブオイルの出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)が、イスラエル軍によるパレスチナ人の暴力行為を止めるよう国際社会に呼びかけるアピールを出しました。

2017年1月16日、イスラエル当局は、104ドナム(1ドナムは約1ヘクタール)もの不法なイスラエル人入植地につながるバイパス道路を建設するため、カルキリヤ県のパレスチナ農民が所有する2000本のオリーブの木を破壊しました。一本一本のオリーブの木には、世代を超えたパレスチナ人の誇りが刻み込まれ、歴史そのものです。それが根こそぎにされたのです。

パレスチナ地図

2017年、イスラエル政府によるパレスチナ人の土地の接収や入植地の拡大は劇的に増加するだろうと用心しています。昨年12月23日、イスラエルの入植活動を国際法に対する「目に余る違反行為」であり、「法的正当性がない」とした国連安全保障理事会決議2334号(注1)が採択された後、イスラエル政府はその決議を順守するつもりはないと発表、さらに、エルサレムにおいて1506戸の住宅建設を認めることがあったため、尚更です。2016年も土地接収や入植地が前年より58%も増加したことは特記されるべきでしょう。イスラエル政府による土地接収の増加は、C地区(注2)に指定された土地のすべてを没収し、(イスラエルとパレスチナの)二国家共存を葬ろうとする極端な右翼政権の姿勢の一端が現れたものと言えます。

UAWCからのアピール:行動を起こしてください!
世界中の人権団体、活動家、社会正義活動団体に対して、イスラエルのパレスチナ農民や農業部門に対する暴力行為を終わらせるために声を挙げるよう求めます。

○ 土地接収に反対する声明を出す。
○ 国際社会の沈黙を破り、パレスチナ人を保護し、イスラエルの占領に終止符を打つよう行動する。
○ 各国イスラエル大使館前で、効果的な抗議行動を組織すること。
○ 入植地で生産された製品の不買運動、

注1:国連決議2334号関係情報 「国連安保理、イスラエル入植地非難決議を採択 米国棄権」
注2:オスロ合意で定められた、イスラエル政府が行政権、軍事権共に実権を握る地区

 

*なお、この破壊行為については現地の新聞、Palestine Chronicle でも写真付きで報じています。

Israeli Army Uproots 2,000 Ancient Olive Trees

(要旨)イスラエル軍は、西岸地区北部カルキーリヤ近郊のナビ・アリアス、アズーン、タビーブの3村で、パレスチナ人所有のオリーヴ収穫林一帯を「軍事閉鎖地区」に指定し、ブルドーザー多数を使い、果樹2000本の撤去に着手した。パレスチナ人や、支援のイスラエルの人権・平和活動家らは、オリーヴの木に身体を縛り付けて抵抗、イスラエル兵の排除により負傷者も出た。オリーヴの撤去は、近くのイスラエル人入植地へのアクセス道路工事のため。入植者らは、「通行の安全のため」バイパス道路を要請していた。樹齢500年の大木も抜き取られたという。(パレスチナ最新情報-JSRメルマガ20170118号より)

パレスチナ報告(後半)パレスチナのオリーブオイルについて

2016年1月18日

オリーブ生産についてお話しましょう。オリーブの収穫は年1回、10月初めから11月中旬にかけて行われます。この期間、パレスチナの農村はもっとも活気にあふれます。収穫は重労働ですが、農民はお祭り、お祝いごとのように感じています。日の出前から日の入りまで家族総出、それこそ老若男女が収穫にあたります。畑が遠い場合は、お昼ご飯も持参して畑で食べます。まるでピクニックのようです。

製造工程を見てみましょう。パレスチナのオリーブ収穫は基本的に機械を使わずに手摘みすることが特徴です。手摘みにこだわるのは、オリーブはパレスチナ人にとって尊いものという意識もありますし、機械を使うと、実を傷つけてよい品質のオリーブオイルが生産できないことも理由としてあります。

畑でオリーブの実を選別する

できるだけ収穫した同じ日のうちに村にある搾油場に持ち込み、搾油します。オリーブの実のまま(種も皮もついたまま)搾油しますが、その工程では温度があがらないように注意します(コールドプレス)。搾油率をあげるために温度を上げる搾油場もありますが、そうすると品質が悪化し、とくに香りがなくなってしまいます。遠心分離機で固形物と液体、それから水分と油に分離するとオリーブオイルの出来上がりです。

搾油されたオリーブオイル

搾油したオリーブオイルは、いったん各協同組合の倉庫で保管されます。ここには簡単な分析室があって酸度などをサンプル検査し、合格したものだけがPARCの倉庫、充填工場に移送されます。PARCでは海外からの注文に沿って瓶詰、輸出します。ただ、日本向けはバルク(一斗缶)で輸出され、日本国内で瓶詰めされています。

PARCが農産物の流通に関わり始めたのは1980年代後半からです。1987年から1993年にかけて発生した第1次インティファーダにより治安が悪化しました。イスラエル政府は夜間外出禁止令を発令し、パレスチナ住民の移動を厳しく制限しました。そのため、オリーブオイルや農産物を市場に運搬、販売することができなくなった農民に代わってPARCが流通に関わりました。ビジネスというよりは救済事業という意味合いが強い活動でしたが、これがフェアトレードにつながるきっかけになっています。

1994年以降、フェアトレード運動を知って海外のフェアトレード団体とネットワークを築き、市場を開拓していきました。EUのパートナーも占領下にあるパレスチナに連帯して何とか支援したいという思いでオリーブオイルなどの農産物を買ってくれました。

そうした連帯や厚意に甘えるのではなく、他の生産国のフェアトレード商品に競合できるよう品質改善に取り組み始めたのが1999年からです。農民はオリーブオイルの生産技術、有機栽培の方法を研修を通じて学びました。日本には2004年から輸出しています。

それでは、パレスチナにおいてなぜフェアトレードが重要なのでしょうか。

第1に政治的な理由です。イスラエル政府は、3年間土地が未利用だと接収します。オリーブを植えて育てることがそのまま土地を守ることにつながっているのです。勿論、経済的な意味も大きいです。過去20-30年間、パレスチナの多くの住民が依存してきた国連や海外の人道支援に頼ることなく、自立した収入を得ることにつながります。また、フェアトレードは女性の社会進出にも役立っています。クスクス(中東でよく食べられる小麦でできた食物)加工協同組合では50名の女性が働いていますが、その多くは貧しい家族の出身で満足な教育を受けていません。しかし、現在ではEUを中心に年間100トンを輸出するまでに成長し、家計を支えています。

クスクスを加工する女性

しかし、フェアトレード事業にもパレスチナ特有の困難があります。内陸に位置する西岸地区は、欧米に輸出する場合、通常イスラエル領内の2つの港、ハイファ、アシュドッドを利用せざるを得ません。イスラエル領内では何の理由もなく荷物が止められることもしばしばです。そのため、扱う商品はオリーブオイル、アーモンド、デーツ(なつめやしの実)、クスクス、ザータル(ハーブ調味料)、ドライトマトなどすべて1年以上保存できる加工食品に限られます。生鮮物を扱うのはリスクが高いのです。

パレスチナのオリーブオイルが高い理由もよく尋ねられます。家族による小規模生産であり、手摘みで丁寧に収穫されるので人件費がかかることや、港までのコストが高いことが大きな理由です。加えて、占領下の特殊な事情もあります。例えば、資材の輸入。瓶などの資材は輸入していますが、パレスチナの会社が直接輸入することは禁止されています。イスラエルの会社を通して輸入するしか方法がないので高くついてしまいます。さらに輸入税も高い。瓶の場合は製品そのものより関税が高いほどです。また、オリーブオイルを海外に輸出する際、イスラエル政府はコンテナに満載することは許さないため、必ず1/3以上のスペースを残さないといけません。こうした点が重なってコスト高となってしまうのです。

最後に強調しておきたいことがあります。世界中の多くの人は、ユダヤ教とムスリムの宗教対立だと考えています。これはイスラエルによるプロパガンダの結果であり、間違った認識です。衝突の原因はイスラエルの占領にあり、占領によって基本的人権がないがしろにされていることです。パレスチナ人はテロリストというイメージも作られたものです。私たちは自由と独立国家を求めているだけです。

占領下の農民の苦しみや抵抗をオリーブオイルと一緒に受けとめてもらえると有り難いです。

(学習会での発表及び質疑応答の一部をまとめて編集しました)

政策室 小林

パレスチナ報告(前半)パレスチナ問題とは何か。そしてイスラエル占領の実態について。 

2016年1月7日

昨年11月、パレスチナのオリーブオイル出荷団体、パレスチナ農業復興委員会(PARC)フェアトレード部海外マーケティング責任者、シャディ・マフムッドさんが来日し、福岡、大阪、東京で主に消費者対象の学習会で現地報告をしました。学習会でお話したパレスチナの実情とオリーブオイル生産について報告します。

シャディ・マフムッドさん
2007年PARC入社。入社以来一貫してフェアトレード部において海外での販促、新規市場の開拓を担当。家族は妻と男の子2人。

これはパレスチナの領土の変遷を表した4枚の地図です。緑の部分がパレスチナ人、白の部分はイスラエル人が支配する土地です。パレスチナ人の土地がどんどん狭くなっているのがよくわかります。

パレスチナ地方領土の変遷(左から1946年、1947年国連分割案、1948~1967年、1999年)

1947年、国連はイギリスの信託統治領であったパレスチナにイスラエルの国家建設を認めました。当時、パレスチナ人が支配する土地は90%以上(左端の地図)でしたが、国連の分割案はイスラエルに半分以上の土地を分け与える不公平なものでした(左から2番目の地図)。パレスチナはこの分割案を拒否しましたが、イスラエルは独立を宣言し、圧倒的な軍事力に物を言わせてパレスチナ地方全土を占領しました(左から3番目の地図)。土地を追われた多数のパレスチナ人は難民となってイスラエルやパレスチナ、隣国のシリア、レバノン、ヨルダンとなって流れ込みました。イスラエルは1967年、第3次中東戦争によりさらにヨルダン川西岸地区を占領しました。それから半世紀近く、イスラエル軍撤退を求める国連決議に従うことなくイスラエルは占領は継続しています。

 

その間、1987年には占領に抗議してパレスチナの民衆が投石で抵抗する第1次インティファーダ(民衆蜂起)が起きたり、1993年にパレスチナ暫定自治協定共同宣言(オスロ合意)が成立し自治政府が樹立されたものの、イスラエルの支配が進行し、パレスチナ人の土地は虫食い状態になっているのが現実です(右端の地図)。

分離壁の建設状況(赤線、緑の線はグリーンライン)

虫食い状態にしている主な原因が入植地と分離壁の建設です。入植地は国際法では違法とされているにもかかわらず、今や西岸地区では200の入植地に70万人のイスラエル人が住むまでに拡大しています。そしてアパルトヘイト・ウォールと称される分離壁は、パレスチナとイスラエルの国際法上の国境とされるグリーンラインだけでなく、その内側、つまりパレスチナ領内に食い込む形で建設されています。北部では水資源が豊かな土地が、中西部では天然ガスが埋蔵されている地域が分離壁によってイスラエル領内に取り込まれているのです。

 

 

 

 

土地を分断する分離壁

入植者によるオリーブ畑や農民に対する暴力行為も頻発しています。なぜ彼らはオリーブ畑を攻撃するのでしょうか。それは、オリーブの木がパレスチナ人にとってはアイディンティティであることを知っているからです。先祖から受け継いだオリーブの木、土地や暮らしに根差したオリーブの木をそれこそ根こそぎにして、パレスチナ農民が土地を離れざるを得ないように仕向けているわけです。

 

今年(2015年)7月31日、西岸地区北部にあるナブルスで痛ましい事件が起きました。入植者が真夜中にパレスチナ人の家に放火し、1歳半の幼児が死亡し、入院した両親も後日亡くなったのです。犯人は近くの入植地に住むイスラエル人でしたが、イスラエル政府は逮捕することもありませんでした。これに抗議して西岸地区各地でパレスチナ人によるデモや衝突が起きました。

 

加えて、9月にイスラエル政府がエルサレム旧市街にあるアル・アクサ・モスクでの礼拝を制限したことをきっかけに、10月以降、イスラエル軍や入植者とパレスチナ人の間で衝突が頻発しています。イスラエル軍は一般市民に対して実弾やゴム弾で攻撃し、10月以降75名(11月10日現在)のパレスチナ人が殺されました。武器の無いパレスチナ人は投石で対抗するしかないのです。

 

=== 以下、後半に続く ===

 

(本報告は学習会での発表及び質疑応答の一部をまとめて編集したものです)

政策室 小林

【パレスチナ】ファラージさんからのお礼状

2015年12月1日

10月21日、20か月もの間、イスラエル政府により行政拘禁されていたパレスチナのオリーブオイル出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)職員、アブドゥル・ファラージさんが釈放されました。

仕事に復帰し、久方ぶりに家族との時間を過ごしているファラージさんから支援してくださった日本の方々へお礼が届きました。

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親愛なる日本の友人の皆さまへ

私がイスラエルに拘禁されていた期間中、私自身、私の家族、そしてUAWCの同僚たちへの皆さまからのご支援に心から感謝申しあげます。

皆さまからのご支援は、パレスチナ人の拘禁者を心から支えてくださる方々が日本にそして世界中にいるということの証です。獄中で私の妻を通じて皆さまからご支援頂いていると聞いたことが、どれだけ私に楽観的な気持ちと希望を与えてくれたことでしょうか。

私は1か月前に釈放され、UAWCの仕事に復帰しました。釈放後は、20か月間に及んだ行政拘禁期間中にできなかったこと、そして、占領下においては普通の生活などないのが現状ですが、それでも何とか日常の暮らしを取り戻そうとしています。

皆さまからのお便り、そしてパレスチナで皆さまにお会いできることを楽しみにしております。

心からの感謝をこめて。

アブドゥル・ラゼック・ファラージ [/box]

釈放直後、迎えに来た家族と。

左から長男バジルさん、次男ワディさん、パートナーのラミスさん、ファラージさん。

政策室  小林

UAWCがアラブ思想財団賞(経済創造部門)を受賞!

2015年11月30日

農民支援のNGOであり、オリーブオイルの出荷団体でもあるパレスチナ農業開発センター(UAWC)が取り組んできた「農地開発プロジェクト」に対して、アラブ思想財団(レバノン)が2015年度経済創造部門賞を授与しました。

ヨルダン川西岸地区では、イスラエル政府が行政、治安の権限を掌握する地域(エリアC)が60%を占めています。イスラエルがパレスチナ人の農民を追い出すために、農地を没収して入植地を拡大している現状の中で、このプロジェクトはエリアCにおいて農地を守ることに大きく寄与しています。

UAWCの農地を守る取り組みは4つの活動領域があります。
1)農地開墾 未利用の土地を農業用地に転換する。
2)農地復興 地主により放置されている農地を生産的にする。
3)農道建設 農地へのアクセスを改善する。
4)灌漑整備 水不足(水資源の85%がイスラエルに独占されている)対策のため、井戸、灌漑用水路や送水管を整備。

理事長代行のフゥアッド・アブ・サイフ氏は、「今回の受賞は、パレスチナ人の土地を収奪しようとしているエリアCにおいてUAWCが農地開発や開墾によって土地を守ってきた業績に対する評価であり、今後も同事業を継続していくことの励みとなる」と話しています。

UAWCが長年、農民と一緒に進めてきた活動が表彰されたことは大きな意義があります。みなさんと一緒にこの受賞をお祝いしたいと思います。

 

UAWCウェブサイト 該当記事(英文)

 

政策室 小林

 

 

 

 

 

【パレスチナ】アブドゥル・ラザック・ファラージさん釈放!

2015年11月19日

イスラエル政府により2014年2月15日から行政拘禁されていたオリーブオイル出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)の職員、アブドゥル・ラザック・ファラージさん(53歳)がようやく釈放されたとのニュースが届きました。

拘留期限は最大6ヶ月なのですが、これまで同年8月、2015年2月、6月と3度にわたり拘禁更新が言い渡されていました。拘留期間は実に通算20か月に及びました。

UAWCによるとファラージさんの健康に異常はないとのことです。

まずはこの嬉しいニュースをお伝えします。

ファラージさん家族

ファラージさんの家族。左からパートナーのラミス、次男ワジさん、ファラージさん、長男バジルさん

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(注)行政拘禁とは理由も明らかにせず、起訴なしで拘留する制度です。イスラエルの人権団体、B’Tselemは、国際法では市民に危害をもたらすおそれがある場合の最終的な手段としてのみ執行が認められていますが、イスラエルはこの制度を濫用し、過去数年間で何千人ものパレスチナ人に適用しているとしています。
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政策室 小林

【緊急アピール】イスラエルによる、パレスチナ人に対するテロ行為を止めて下さい!

2015年10月30日

パレスチナでの弾圧 パレスチナのオリーブオイルの出荷団体であるパレスチナ農業開発センター(UAWC)が緊急声明を出しました。UAWCはATJを通してオリーブオイルを日本に出荷する団体であると同時に農民の支援活動を行っています。

 日本ではあまり報道されていませんが、10月に入ってヨルダン川西岸地区と東エルサレムでパレスチナ人とイスラエル人の間の流血事件が多発しています。この1か月間だけで50人を超えるパレスチナ人が死亡しています。これは、イスラエルによる長年の占領と抑圧、エスカレートする人権侵害や暴力がもたらした結果と言えます。

 UAWCは声明の中で、イスラエルの占領と暴力行使を止めるよう国際社会に行動を起こすようアピールしています。

 以下、声明文です。

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世界中の人々への緊急声明
イスラエルによる、パレスチナ人に対するテロ行為を止めて下さい!

 現在、聖地エルサレムにおいて、イスラエル人入植者によるパレスチナ人に対する攻撃が、毎日のように続いています。その他にも、イスラエル軍による不当な逮捕や拘留に加え、パレスチナ人に対する組織的な拷問や入植者による犯罪が後を絶ちません。卑近な例としては、2015年7月31日、ナブルス南部のDuma村において、イスラエル入植者がDawabsheh一家の自宅を焼き討ちし、1歳6か月になる男の子が亡くなり、両親と4歳になる兄も、大きな火傷を負いました(両親はその後死亡)。イスラエルによる実質的な占領下にあるパレスチナ自治区において、イスラエルによるこのような継続的な犯罪行為が行われていることを、我々は断固拒否します。

 パレスチナ自治区の農村では土地の収奪や入植地の拡大など、イスラエルの入植と占領行為も一向に終わりを迎える気配がありません。それは、パレスチナの経済を窒息させ、パレスチナ自治政府とイスラエルとの和平に向けた交渉を閉ざし、パレスチナの主権に対するイスラエルの占領と支配を強めることにしかなり得ません。イスラエルによるこのようなすべての暴力が、ヨルダン川西岸地区、エルサレム、ガザ地区といった占領下にあるパレスチナにおいて、怒りを表現する手段としてデモを起こさせることになります。そしてデモに対し、我々がアラブ系パレスチナ人であるという理由だけで、全世界の人々が見ている前で、イスラエル軍は抵抗する人々を残虐に殺害しているのです。

 2015年10月以降、イスラエル軍は明らかにデモに参加するパレスチナ市民への暴力の行使を強めました。そこには、非武装の投石者には決して使用してはならないと国際法で決められている武器や兵器が使用されているのです。

 10月に入り、ヨルダン川西岸地区とガザ地区だけで、イスラエル人により殺害されたパレスチナ市民は32人に上ります。その中には、血も涙もないイスラエル入植者の手によって命を奪われた7名の子どもが含まれます。殺された人々の多くは、上半身に攻撃を受けていることがわかっています。また、それ以外にも、200人の子どもと40人の女性を含む1,500人以上が実弾やゴム被覆金属弾を受けて負傷し、さらに150人がイスラエル軍や入植者によって暴行されています。さらに、エルサレム、ラマラ、ナブルス、ヘブロン、トゥルカレム、カルキリヤなどの街で、少なくとも800人以上が不当な逮捕をされており、しかもその半数はまだ子どもなのです。

 イスラエル入植者による暴力・破壊行為は、人だけでなく、農地に対しても執拗に続けられています。最近でも、ナブルス県にあるブリン村やハワラ村では、数十ドゥナム(1ドゥナムは約1ヘクタール。もともとは大人1名が一日に耕すことのできる広さから来たと言われる単位)の土地が焼き払われました。昨年エルサレムで起きたMohammed Abu Khudair少年が生きたまま火をつけられて殺害された事件を模倣し、イスラエル入植者がエルサレムの学校に通う生徒の殺害を企てるという事件も起きています。

 イスラエルの占領行為とそれに加担する入植者たちは、(美しいはずの)パレスチナの街並みや通りを死の風景に塗り替えてしまいました。我々パレスチナ人は、絶えず銃撃による死の恐怖-それも、武装したイスラエル入植者とイスラエル軍狙撃部隊の双方による-に晒されているのです。それにも関わらず、イスラエルの多くのマスコミは現実を無視し、シオニストの作った「イスラエル人が(パレスチナ人のテロ行為による)被害者である」というイメージにすり替えた報道を、意図的に繰り返しています。

 その例の一つが、東エルサレム近郊のAl Issawiyaに住んでいた19歳のFadi Allounの事件です。これは、「彼が入植者をナイフで刺そうとしていた」というイスラエル側の主張により、「彼を追いかけ始めたイスラエル警察から逃げている最中に」射殺されたと報じられました。しかし、残った映像には、彼がナイフは持っておらず、イスラエル入植者に対して攻撃をしようとしていた証拠は認められなかったのです。

 世界中の全ての人々は、パレスチナ人が殺されている現状に対し、沈黙したままではいないでしょう。負傷して倒れている13歳の少年Ahmed Manasrahに対し、罵声を浴びせ、「殺せ」と叫ぶイスラエル入植者や警察・軍隊の様子は、彼らがいかに非人道的な扱いをしているかを端的に物語っています。さらに、到着した(イスラエルの)救急隊員が必要な応急処置も施さず、他の入植者に応じて「死ね、死ね」と声を上げる様子に至っては、最悪の人権侵害と言う他ありません。「負傷した子どもの痛み」は、世界中の人々の良心を揺さぶり、イスラエルの組織的なテロを終結させることになるでしょう。

このように、耳を疑いたくなるような暴挙は枚挙に暇が無く、皆さんがこの文章を読んでいる間にも、次から次へとパレスチナ人が負傷し、殺されています。だからこそ、UAWCは全世界の人々に向けて、緊急に次の点を要請します。

  • 国際社会の沈黙を破り、我々パレスチナ人を守るための行動を起こし、イスラエルの非道な占領を終わらせるよう、圧力をかけて下さい。
  • 皆様の国において社会的な運動を起こし、我々に対するイスラエルの暴力が止められるよう、イスラエル大使館に対してデモを行って下さい。
  • イスラエルの占領を支持せず、入植地で作られた製品の不買運動や、イスラエルの不当な政策を支援するような外交をやめて下さい。

 どうか心よりの連帯をお願い致します。

パレスチナ農業開発センター(UAWC)[/box]

ドキュメンタリー「”The Iron Wall” 鉄の壁」~パレスチナの人びとの自由を阻む壁~                              

2015年10月30日

国際的な意味で「壁」と聞くと、まず思い浮かぶのは「ベルリンの壁」ではないでしょうか。1948年8月13日から建設が始められたこの壁は、当時のソ連が、占領統治していた東ベルリンから西ベルリン(西ドイツ側)への住民流出を防ぐ目的で作られたと言われます。旧東ドイツ領内に飛び地として存在していた西ベルリンを取り囲むようにめぐらされ、1989年11月の崩壊まで40年以上に渡って存在し続けました。

 

ベルリンの壁とイスラエルによる分離壁の比較

ベルリンの壁とイスラエルによる分離壁の比較

ベルリンの壁は壊されましたが、このように何らかの政治的・差別的な意図を持って大規模に建設された壁に囲まれている場所は、世界中探してもパレスチナにしか見当たらないと思います。

 

特にヨルダン川西岸地区を取り囲むように建設されているこの壁は、ベルリンの壁の約4.7倍、全長700km以上にも及び、2002年にイスラエルによって建設が始まりました。名目は、「イスラエル国民をテロリストの攻撃から守る」とされていますが、実際にはグリーンライン(1967年の軍事境界線≒現ヨルダン川西岸地区とイスラエルとの境界線)よりヨルダン川西岸地区へ食い込み、その内部に違法に建設されているイスラエル人入植地をイスラエル側へ取り囲むかのように伸びています。明らかに、違法な入植地を強制的に領地として併合する意図が見て取れ、計画上では、ヨルダン川西岸地区の46%がイスラエル側に取り込まれるという試算もあります。

 

土地を横切って伸びる壁。エルサレム近郊の高台から

土地を横切って伸びる壁。エルサレム近郊の高台から

2004年7月、国際司法裁判所は、ヨルダン川西岸地区へ食い込んだ壁の建設は違法であり、壁は速やかに撤去され被害を被った住民への補償がなされるべきであるという勧告を出しています。同年の国連総会決議においても、イスラエルに対し、その勧告に従うように求めた決議が採択されています。

 

分離壁

分離壁

しかしながら、イスラエルはこれらの勧告を一切無視し、今日に至るまで分離壁の建設を続行してきているのです。分離壁がヨルダン川西岸地区に食い込むということは、壁のルート周辺にあるパレスチナ人の土地が奪われ、また分断され、そして壁の「向こう側」が強制的にイスラエルになってしまうことを意味しています。このようにして、ただでさえ占領下で困難を強いられているパレスチナの人々の生活が、さらに奪われていく実態があります。

 

オリーブオイルを出荷している現地パートナーであるPARCは2006年に、このパレスチナの現状を広く伝えたいとドキュメンタリー「The Iron Wall(鉄の壁)」を制作しました。そして京都YWCA有志の方々が、日本で伝えたいと日本語版を制作し、ご厚意によりこの度、ATJウェブサイトで公開することになりました。10年近く前のものではありますが、ここに含まれている内容は今なおヨルダン川西岸地区で起こっていることです。ぜひご覧いただければ幸いです。

事業部商品二課 若井

 

 

 

 

制作・著作権:Palestinian Agricultural Relief Committees(2006年)

日本語字幕:京都YWCAブクラ

【パレスチナからのアピール】国際司法裁判所の判決が実行されるよう共に声をあげよう!

2015年8月6日

イスラエルが建設する分離壁を違法とした国際司法裁判所の決定が出てから11年。パレスチナのオリーブオイルの出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)は、依然として建設が進行している状況に対して抗議するよう国際社会に呼びかけています。

 

ハーグにおける国際司法裁判所の決定から11年を経てもなお、分離壁はそこにあります!

[box type=”shadow”]2004年7月9日、ハーグにある国際司法裁判所は、イスラエルが建設を進める分離壁に対する法的責任に言及する勧告を提示しました。その中で同裁判所は、分離壁の建設が国際法に反していること、そして占領者であるイスラエルに対しては、直ちに分離壁の建設を取りやめ、既存の壁を壊すべきであること、またパレスチナ人に対して補償を支払う責務があることを明言しました。さらに各国政府には分離壁に反対する義務があること、国連は具体的な行動を示すべきであるとも述べました。しかし、この国際司法裁判所の決議から11年が経った今なお、分離壁は依然として存在し、国際法に違反したイスラエルによる占領が続いているのです。

2002年、イスラエルは「イスラエルからヨルダン川西岸地区を分離する」という目的で、分離壁の建設を始めました。国連人道問題調整事務所(OCHA)によると、分離壁は建設予定分も含めると総長712kmに及び、それはグリーンライン(国際的にイスラエル領を定める停戦ライン)の2倍以上の長さです。実に分離壁の85%以上がグリーンラインを越えて西岸地区の側に食い込み、もし予定通りに建設が完遂した場合、東エルサレムを含む9.4%もの土地が、イスラエル側に孤立することになります。パレスチナの農民が「壁の向こう側」にある自分の農地へ行くには、74ヶ所に設けられたゲートを通過するしかありませんが、そのうち52ヶ所は、10-12月のオリーブ収穫期間にしか開かれません。また「ストップ・ザ・ウォール・キャンペーン」によると、分離壁の建設によって、パレスチナ人の所有する農地の多くが破壊され、帯水層を含めた貴重な水源が奪われました。

西岸地区全図(OCHA2012年版)

グリーンライン(緑色の破線)の内側に建設済(赤の実線)、建設中(紅白)、
建設予定(黒白)の分離壁が食い込んでいる様子が見て取れる。

国際社会による数々の人道的解決策をことごとく踏みにじってきたイスラエルは、「自由に行き来すること」「土地の所有権を持つこと」「水を使用すること」「食糧の主権を持つこと」というような基本的な権利を、パレスチナ人から奪っています。ダメなことにダメと言い、国際的な解決を希求し、立ち上がることは、地域社会・国際社会が果たすべき役割なのです。

国際司法裁判所の決定を実践し、イスラエルによる差別的かつ非人道的な行いを止めさせるための運動は、今こそ、世界中全ての社会活動家や心ある組織の手によって、強められていくべき時だと考えます。イスラエルによる継続的な占領と土地や資源の収奪、そしてパレスチナの植民地化を、止めさせる時が来ています。どうかこの占領を終結させ、パレスチナが自分たちの手で自分たちのことを決められる社会を作れるよう、支援をお願い致します。

以下に署名をした我々組織や活動家は、国際司法裁判所の決定を実践し、分離壁を無くし、イスラエルに対して全ての国際法や協定を遵守させるために、国際社会の速やかな介入を呼び掛けています。

・ 私たちは、イスラエルによる分離壁の建設によって生じた非合法的な状況を一切認めません。

・ 私たちは、イスラエルによる分離壁が建設されたこの状況を維持するための支援や援助を一切行いません。

・ 私たちは、イスラエルによる分離壁の建設によって生じた、パレスチナ人の民族自決権を妨げている負担や重荷を取り除くことに取り組みます。

・ 私たちは、イスラエルによる分離壁の建設またはその維持を支援する全ての企業・組織・団体をボイコットします。[/box]

UAWCは下記URL(英語)で賛同署名を集めています。みなさんの応援の気持ちをぜひパレスチナの農民に届けてください!

賛同方法について

①UAWCのウェブサイト(英語)にアクセスしてください。アピール内容は上記のとおりです。

11 years after ICJ’s Decision at The Hague and the Apartheid wall still exists!

②下部にある「Support」をクリックすると署名欄につながります。

③記入方法について

各項目にご記入ください。

Full Name(氏名)

E-mail(メールアドレス)

Organization(所属団体)

Job Title(役職)

TEL(電話)

FAX(ファックス)

Celluler(携帯番号)

必要と思われる項目のみで結構です。また、所属団体の後ろにJapanと付記していただくと日本からの賛同だとわかります。

【パレスチナ】 UAWC職員ファラージさんの行政拘禁が再度延長に

2015年7月7日

パレスチナから大変残念なお知らせがありました。オリーブオイル出荷団体のひとつ、UAWC職員であるアブドゥル・ラゼック・ファラージさん(53歳)の行政拘禁が再度4ヵ月延長されました。

2014年2月25日に拘留されたファラージさんは、拘留期限となる同年8月に6ヶ月、2015年2月に4ヵ月の拘禁更新が言い渡されていました。これが実に3度目の拘留延長です。UAWCは今回の延長が最後になり、10月には釈放されるだろうと話していますが、本当にそう願うばかりです。

ファラージさんの拘留延長は、パレスチナで政治犯を支援するNGO、Palestinian Prisoners Solidarity networkのウェブサイトでも報道されています。

Palestinian writer and land defender Abdul Razeq Farraj’s administrative detention renewed

ファラージさんや家族の状況がわかりましたら、ご報告させていただきます。

ファラージさん家族

ファラージさんの家族。左からパートナーのラミス、次男ワジさん、ファラージさん、長男バジルさん

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(注)行政拘禁とは理由も明らかにせず、起訴なしで拘留する制度です。イスラエルの人権団体、B’Tselemは、国際法では市民に危害をもたらすおそれがある場合の最終的な手段としてのみ執行が認められていますが、イスラエルはこの制度を濫用し、過去数年間で何千人ものパレスチナ人に適用しているとしています。Palestinian Prisoners Solidarity networkによると現在でも400名を超えるパレスチナ人が行政拘禁されているそうです。
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                                                                                                           (政策室 小林)

パレスチナ雑記② パレスチナとオリーブ

2015年6月2日
日本ではあまり報道されることのない「パレスチナ」について、国際的なニュース記事や、ATJ社員が現地で見聞してきたことなどを交え、不定期で紹介させて頂きます。少しでも「パレスチナ」のことを身近に感じ、興味を持って頂けたら幸いです。

 

最近、イタリアのオリーブの樹が「ピアス病菌」という細菌によって大量に枯死している、という話題が上っています。イタリアは、スペインと並んで世界有数のオリーブ産地であり、イタリア産と表示されたオリーブオイルは、日本に輸入されているオリーブオイルの約半分を占めるとも言われています。なので、このまま被害が拡大すると、今後の日本のオリーブオイル供給量や価格、そして速水もこみちの生活にも影響が出てくるかもしれません。

パレスチナも地中海沿岸に位置する土地でありますので、心配になって状況を聞いてみましたところ、「全く問題ない」とのこと。今年は花の咲きもいい感じだそうで(オリーブの花期は、毎年5-6月頃)、このまま順調に行けば、良いオリーブオイルが採れそうであるとのことでした。この後花が落ちて実が成り、その実が熟し始めて色が黒っぽく変わり始める10-11月頃が、収獲の時期となります。

オリーブの花

オリーブの花

さて、そんなオリーブは今から6,000年程前にパレスチナ周辺で栽培が始まったと言われます。元々、ジェリコなど「世界最古の街」を標榜する土地でもありますので、そういう人たちが始めたということなのではないでしょうか。以後、花粉や種が風に乗ったり鳥に運ばれたりしたことで、オリーブが地中海沿岸に広がっていったそうです。

「誘惑の山」の眼下に広がるジェリコの街は、世界で最も標高の低い街でもある。遠くに見えるのはヨルダン渓谷。

それ以前は脂肪と言えば動物由来が一般的だった中、常温で液体のオリーブオイルは、非常に重宝されました。食用はもちろん、皮膚を守るために体に塗られたり、灯りを取るために燃やしたり、香油や媚薬の溶媒にしたり、石けん等の原料として使ったり、まことに多岐にわたる用途があり、現在に至っています。また比較的堅い質感を持つオリーブの木は道具作りにも重宝され、現地の至る所で木工品が売られています。(ナザレのイエスは、よく「キリスト」と呼ばれますが、これは「油を注がれたもの」の意味を持つ「メシア」というヘブライ語をギリシア語訳した言葉から来ているそうです。この油=オリーブオイルと言われます。昔からオリーブオイルは、聖なる油としての神秘的な位置付けもなされていたことがわかります。)

イエスが受洗したと言われるヨルダン川の場所。川幅は5m程度で、対岸はもうヨルダン。世界中から信者が集まり、イエスの追体験をしていた。

実際にヨルダン川西岸地区を車で走ると、日本の田んぼのような感じで(風景は全く違いますが)丘陵地帯にはオリーブが広がり、走りながら地図を見ると、至る所に「オリーブ」を意味するZeit~という地名が見られ、休憩のために立ち寄ったレストランではオリーブオイルはジョッキに入って机の上に置かれ、そのオリーブを搾るための搾油所では使用料は搾ったオリーブオイルから天引きされるらしい、という具合に、至る所でオリーブが活躍していることがわかりました。パレスチナ人にとってのオリーブオイルは、単なる食品を越えた、民族の根幹を成す生活の潤滑油といって差支えありません。

 

 

 

 

ジャーに入ったオリーブオイル

ヨルダン川西岸地区で最も多く栽培されている品種は、「ナバリ」と呼ばれるもの。日本で良く見るイタリアやスペイン産オイルではあまり見られない品種で、現地の人が、古い樹を「ナバリ・バラディ(バラディ=地元のもの、みたいな意)」と地元愛を込めて呼んでいるのが印象的でした。地方によって異なるようですが、樹齢数十年~数百年程度のものまで、幅広い年齢層の樹が育てられています。多くの生産者は、代々オリーブ栽培を営んできた人々。いくつかの村を訪問しましたが、本当に長閑な雰囲気でした。「パレスチナ」と聞くと、どうしても紛争地帯と言うイメージを抱きがちですが、本来はこのような人々の暮らしが当たり前にある土地であることを再認識させられました。

現地のポピュラーな料理、フムス。ヒヨコ豆のペーストで、ピタパンに入れたりして食べる。真ん中の黄緑色は全部オリーブオイル。

Al Zawiye村の協同組合長、イスマエルさん宅でごちそうになったパレスチナ料理。生地から滴るほどにオリーブオイルが使われていたが、食べてみるとそれほど脂ぎっているわけではなく、むしろシンプルで日本人の口に合う美味しさ

事業部商品二課 若井

【パレスチナからのアピール】スシア(Susia)村が、完全破壊と強制的退去の危機にさらされています。

2015年5月27日

パレスチナのオリーブオイルの出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)は、ヘブロン南部に位置するパレスチナ人村であるスシア村の家屋取り壊しと、そこに暮らす約350名の村人全ての強制退去を認めるイスラエル最高裁判所の判決を凍結するように求めるアピールを出しました。

【アピール】 スシア(Susia)村が、完全破壊と強制的退去の危機にさらされています。

[box type=”shadow”]5月の第1週目、イスラエル最高裁判所はイスラエル軍に対し、(ヨルダン川西岸地区)ヘブロン南部に位置するパレスチナ人村であるスシア村の家屋取り壊しと、そこに暮らす約350名の村人全ての強制退去を認める判決を出した。この非道な行為は、このスシア村の土地に建設されたイスラエル人入植地に住む入植者が、2015年1月に同じヘブロン南部にあるマサファー・ヤタ(Masafer Yata)村の農民が持つ345本のオリーブの樹を切り倒した事件に端を発している。

報道によると、2015年5月5日、スシア村が提示した基本計画を民政局(Civil Administration)が却下したこと、及びその後に予定された村全体の建築物取り壊しに反対する嘆願書を始めとした同村による仮命令の要求について、最高裁判事のノーム・ソルベルグ(Noam Solberg)が否決したとされている。

このようなイスラエルの暴挙は、1948年5月、(パレスチナ人にとっては)「ナクバ」=災厄として記憶されている出来事と同時期にさかのぼる。このナクバによって、数十万ともいわれるパレスチナ人が、イスラエル軍によって住まいを追われ、強制退去させられた。さらに500以上のパレスチナ人村を力づくで空っぽにし、結果として80万5千人以上のパレスチナ人は、他のパレスチナの都市や周辺アラブ諸国、及び西欧諸国へ逃れて難民となった。

スシア村村民の自分たちの土地を守る闘いは、村が考古学上の遺跡として認められ、その土地が(イスラエルによって)差し押さえられ、その土地の洞窟で暮らしていた人々が追い出された1986年から始まった。パレスチナ人がそのような遺跡に住むことが許されないと告げられた一方、イスラエル人入植者が遺跡内の違法開拓地(outpost…入植地の前段階のような集落)へ住み始めた。その時以来、スシア村の人々は、もともと住んでいた土地にごく近い場所で暮らしてきた。しかしながら、彼らが住んでいるその土地はC地区(警察権も行政権もイスラエルが握る)であり、住宅の建設はおろか、単純なテントを張ることすらイスラエルの許可が下りず、絶えず取り壊し命令に晒されてきた。イスラエルがC地区におけるパレスチナ人による90%の計画申請を拒絶してきていることは特記するに値する。その一方で、国際法違反を一顧だにせず、パレスチナ人の土地におけるイスラエル入植地は継続的に拡大している。

私たち署名団体及び署名者は、このスシア村に対する徹底破壊と住民の強制退去というイスラエルの暴虐極まりない命令を凍結させるために、速やかな国際社会の介入を求めます。また全ての人権団体、活動家、社会正義運動に対し、イスラエルによるパレスチナ人農家と農業部門への暴力を終わらせるよう、声を上げることを呼び掛けます。「違法な入植地を建設するための土地の接収」「住民の強制退去」「オリーブの引き抜き」「物理的攻撃及び言葉による攻撃」そして「農業設備の破壊」…これらすべての非道な行為に対し、NOを突き付けて下さい。[/box]

 

 

UAWCスシア村アピール

 

UAWCは下記URL(英語)で賛同署名を集めています。みなさんの応援の気持ちをぜひパレスチナの農民に届けてください!

賛同方法について

①UAWCのウェブサイト(英語)にアクセスしてください。アピール内容は上記のとおりです。

Susia Village is threatened with complete demolition and forcible displacement

②下部にある「Support」をクリックすると署名欄につながります。

③記入方法について

Please Fill The Following To Support The Farmers (農民を支援する方は次の欄にご記入ください)の下にある各項目にご記入ください。

Full Name(氏名)

E-mail(メールアドレス)

Organization(所属団体)

Job Title(役職)

TEL(電話)

FAX(ファックス)

Celluler(携帯番号)

必要と思われる項目のみで結構です。また、所属団体の後ろにJapanと付記していただくと日本からの賛同だとわかります。

【パレスチナ】ファラージさんの行政拘禁が延長(速報)

2015年2月23日

パレスチナのオリーブオイル出荷団体のひとつ、UAWC職員であるアブドアル・ラゼック・ファラージさんの行政拘禁が4ヶ月延長になったという大変残念な知らせがUAWCからありました。

昨年2月25日に拘留されたファラージさんは、拘留期限とされた昨年8月に6ヶ月間の拘禁延長が言い渡されており、その期限が近づいた2月にまたも延長されたことになります。

ファラージさんを含む行政拘禁延長のニュースは、パレスチナ自治政府のメディアであるPalestine News & Information Agency – WAFA(パレスチナニュース情報局)も報道しています(2月22日付)。

Israel Issues Administrative Detention Orders to 26 Palestinian Detainees

これによると、イスラエル当局は今回26名のパレスチナ人に対して行政拘禁令を出しましたが、多くは(24名)はすでに拘禁されている者への2~6ヶ月の拘留更新でした。名簿の11番目にファラージさん(Abd al-Raziq Faraj)の氏名が載っています。

行政拘禁とは理由も明らかにせず、起訴なしで拘留する制度です。イスラエルの人権団体、B’Tselemは、国際法では市民に危害をもたらすおそれがある場合の最終的な手段としてのみ執行が認められていますが、イスラエルはこの制度を濫用し、過去数年間で何千人ものパレスチナ人に適用しているとしています。

日曜日(2月22日)、イスラエルの刑務所にいるパレスチナ人拘禁者たちは、当局の権利侵害に抗議し、行政拘禁終了を含む要求に応えるよう3月10日からハンガー・ストライキも辞さないと発表しました。

ファラージさんの状況に関しては詳しい情報をUAWCに確認中です。入り次第、ご報告させていただきます。

政策室 小林

パレスチナからのアピール 「イスラエルによるパレスチナ農民への暴力行為に終止符を!」

2015年1月20日

パレスチナのオリーブオイルの出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)から、イスラエル人入植者によるパレスチナ農民への暴力行為に反対する署名活動への協力を求めるアピールが届きました。

 

アピールにあるように、ヨルダン川西岸地区では入植者による暴力行為が頻発しています。1月9日~10日にも西岸地区南端のマサファー・ヤタ村で345本ものオリーブの木が切り倒されました。被害規模が大きいこと(345本)、滅多にない雪嵐に乗じての卑劣な行為であること、切り倒された木の一部は昨年10月に海外支援者が泊まり込みで収穫を手伝ったものであることからこのようなアピールを出しました。

 

 

 

 

【アピール】 イスラエルによるパレスチナ農民への暴力行為に終止符を!

 

[box type=”shadow”]数日前にパレスチナを雪嵐が襲ったが、農民の苦労は雪嵐だけではなかった。マサファー・ヤタ村の農民が所有するオリーブの木を、スシヤ入植地のイスラエル人たちが1月9日に45本、10日にさらに300本、計345本切り倒したのだ。すべての木に世代から世代へ引き継がれた思い出が刻まれている。パレスチナにおいてオリーブの木は歴史そのものだ。

 

マサファー・ヤタはヘブロンの南方24キロに位置し、19のベドウィン(遊牧民)の小さな集落からなる。エルサレム応用調査研究所(ARIJ)によると、マサファー・ユタ村の総面積は約3,600ヘクタール、住民の90%は農業従事者であり、農業や牧畜が主な収入源となっている。

 

ソシア村に住む農民でUAWC農業委員会メンバーであるイッサ・アルボール(70歳)は、「農地と農民に対するイスラエル人入植者の野蛮な暴力行為は、パレスチナ人の立ち向かう力を逆に強めている。思い出と労働の成果も木と一緒に失われたが、引っこ抜かれた本数以上にオリーブを植えていく。決してこの土地を離れない。

 

占領するイスラエル人がパレスチナ農民の権利を侵害し、財産を攻撃するのは初めてのことではない。2014年前半、イスラエル軍と入植者は8,480本の木を引き抜いた。その大半がオリーブの木である。また、国連人道問題調整事務所(OCHA)によると、2014年度、西岸地区では入植者によるパレスチナ人への暴力行為は12月中旬までに320件も発生している。

 

賛同署名してくれた団体・個人はスシヤ入植地の入植者の卑劣な暴力を非難する。そして、国際社会と人権団体に対してパレスチナ農民の権利、とくに食料主権を守ることを呼びかけるものである。パレスチナ農民と農業部門に対するイスラエルの暴力に終止符が打たれるように、すべての人権団体、活動家や社会正義運動家に声をあげるよう呼びかける。不法入植地建設を目的とする土地没収、木の切り倒し、肉体的・言葉による暴行、生産財の破壊にNo!の声をあげてください。[/box]

 

UAWC広報担当のルバ・アワダラさんは「こうした許しがたい暴力行為、人権侵害が日常的に起きている事実を世界中の多くの人に知ってもらいたい。そして、アピールに賛同する方はぜひUAWCのウェブサイトで賛同の意思を表明してもらいたい。世界中でこれだけ多くの人がパレスチナ農民の苦労と困難に関心を寄せて応援しているか、彼らに伝えたい」と話しています。

 

下記URL(英語)で賛同署名を集めています。みなさんの応援の気持ちをぜひパレスチナの農民に届けてください!

 

賛同方法について

①UAWCのウェブサイト(英語)にアクセスしてください。アピール内容は上記のとおりです。

International Call to End Israeli Violations against Palestinian Farmers

②下部にある「Support」をクリックすると署名欄につながります。

③記入方法について

Please Fill The Following To Support The Farmers (農民を支援する方は次の欄にご記入ください)の下にある各項目にご記入ください。

Full Name(氏名)

E-mail(メールアドレス)

Organization(所属団体)

Job Title(役職)

TEL(電話)

FAX(ファックス)

Celluler(携帯番号)

必要と思われる項目のみで結構です。また、所属団体の後ろにJapanと付記していただくと日本からの賛同だとわかります。

パレスチナ雑記① アジアカップ初出場のパレスチナ代表

2015年1月19日
日本ではあまり報道されることのない「パレスチナ」について、国際的なニュース記事や、ATJ社員が現地で見聞してきたことなどを交え、不定期で紹介させて頂きます。少しでも「パレスチナ」のことを身近に感じ、興味を持って頂けたら幸いです。

パレスチナ応援団

さて、去る2015年1月12日、サッカー日本代表はAFCアジアカップ連覇に向けた初戦を4-0の白星で飾りました。この相手が「パレスチナ」であったことは、皆様の記憶にも新しいことと思います。翌日、Yahoo!Japanで「パレスチナ」について検索をしてみると、未だかつてない数のニュースがヒット。その全てがサッカー関連でした。普段であれば、パレスチナに関して、ほとんどニュースの更新はありません。恐らくここ10年で一番多く、「パレスチナ」が日本のインターネットに載った日ではないでしょうか。

サッカーパレスチナ代表はAFCチャレンジカップ2014で初優勝を果たし、AFCアジアカップ2015への出場権を獲得。この日は、パレスチナ代表として初めて世界の主要トーナメントへ出場した、記念すべき日となりました。なお、参加16チームのうち、唯一の初参加でもあります。

パレスチナの人々にとって、このような世界の舞台において「パレスチナ」として立ち位置を得ることは、スポーツの枠を超えた大きな意味があります。基本的に“国”の代表チームが集まるこのような場でプレイができることは、国際社会に対してパレスチナのことを強くアピールする場ともなり得るからです。

1967年以降、実質的にイスラエルの占領下に置かれているパレスチナ自治区では、ガザ地区にあったスタジアムが2006年と2012年の空爆で破壊され、代表選手の練習環境も十分に整っていない状況です。また国際試合に出場するにも、イスラエルから選手の出国ビザが下りないことも多く、そのせいで出場を断念せざるを得ないこともあったようです。(注1

2014年には、2名の選手がAl-Ramで練習をした帰り、チェックポイント(注2)でイスラエル兵によって撃たれるという事件もありました。二人とも意図的に脚を狙って撃たれ、二度とサッカーができない体にさせられたのです。それ以外にも、これはサッカー代表に限りませんが、自宅を破壊されたり、令状なしで逮捕されたりという事例(当社のパレスチナのオリーブオイル出荷団体のひとつ、UAWC職員一人が現在拘禁されています。関連記事)が、人々を苦しめています。

隣国ヨルダンを臨む

1月12日の日本戦には、外国に暮らすパレスチナ難民の他、オーストラリア人を含めて15,000名がパレスチナの応援に駆けつけました。金曜日には、隣国ヨルダンとの対戦で1-5と惨敗を喫してしまったパレスチナ代表。1月20日のイラク戦での初勝利を、心から応援したいと思います。

事業部商品課 若井



パレスチナのグリーンID(注1)
写真:グリーンID
このIDでは、パレスチナ自治区の中しか行き来できない。イスラエル側はおろかエルサレムに入ることもできず、域外へ出るには陸路でヨルダンへ行くしかない。場合によっては、チェックポイントで止められる。なお、特別なIDをもらえれば、グリーンID保持者もイスラエルに入ることはできるが、それでもテルアビブの空港は使用できないらしい。


(注2)
写真:カランディア検問所
アルラム付近のカランディア検問所と壁。アルラムには、もうひとつのオリーブオイル出荷団体PARCのオリーブオイル充填所がある。

【パレスチナ】「家族が一緒に暮らせる日々を待ちわびています」~行政拘禁中のファラージさんの妻、ラミスさんのスピーチ~

2015年1月6日

昨年6月~7月に本ウェブサイトでも報告していますが、パレスチナのオリーブオイル出荷団体のひとつ、UAWC職員であるアブドアル・ラゼック・ファラージさんが、行政拘禁制度(注1)に抗議して2014年4月末より2ヶ月近くにわたり、他の被拘禁者約120名と一緒にハンガーストライキを行いました。ATJではパレスチナのオリーブオイルを取り扱う生協・産直団体、APLAなどと連名で、イスラエル大使館にファラージさんを含む行政拘禁者の即時釈放を求める嘆願書を昨年6月に出しました。しかし、ファラージさんは今も拘禁中です。

ハンガーストライキに関する経緯はこちらをご参照ください(2014年7月24日)。

2014年11月3日、ヨルダン川西岸地区にあるラマラ市で開催された「互恵のためのアジア民衆基金(APF)」総会分科会においてアブドアルさんのお連れ合い、ラミス・ファラージさんがスピーチを行いました。

ラミス・ファラージさん

スピーチをするラミス・ファラージさん

スピーチの冒頭、日本からの支援に深く感謝したラミスさんは行政拘禁制度がいかに非人道的で、本人ももちろんのこと家族を苦しめているか切々と訴えました。

以下、スピーチの要約です。

私の夫、アブドアル・ラゼック・ファラージら行政拘禁者たちは、イギリス信託統治時代から続くこの制度を拒否し、反対する意志を示すため、2014年4月ハンガーストライキを始める道を選びました。行政拘禁は告訴なしにパレスチナ人を拘留できる制度です。イスラエル刑務所当局はハンスト実行者を非人道的に扱い、弁護士と面会するといった基本的人権をも無視しています。多くのハンスト実行者が、危機的な健康状態のためアルラムラ病院に移送されました。弁護士は拘禁者がどこにいるか知らされず、家族や医者でさえ会うことができません。病院では拘禁者の手足はベッドに縛られ、移動の自由を奪われています。

約2ヶ月間のハンストの期間中、弁護士が高等裁判所に訴えると圧力をかけた一度を除いて、私たち家族は彼について何の情報も入手することができませんでした。ハンスト実行者は水と塩だけで何とか生き延びました。まさしく命をかけた訴えであり、自らの命を代償にしてまでも、この酷い制度を終わりにしなければいけないと感じていたのです。

家族にとって、行政拘禁制度とはいつも剣が拘禁者ののどに突き付けられているような状態です。本人も家族もいつ拘禁が終了するのか知らされず、それは公開できない機密だとシャバック(イスラエル情報機関)は述べます。しかし、ほとんどの場合、機密ファイルには拘禁者を訴えるに値する重大な情報など含まれていません。しかも、イスラエル政府は拘禁を何度も更新して、何年も続けることができるのです。

夫は告訴なしに計7年間も拘禁され、今も獄中にいます。拘禁によって私たち家族は深刻な影響を受けてきました。何をすべきかわからず、ただ彼が釈放されるのは待つしか術がないのです。特別な日も一緒に祝うことができません。私たち夫婦は一緒に子どもを育て、成長する姿を見る機会を失い、子どもたちは父に相談する機会を奪われてきました。夫は息子の大学卒業式に出席して喜びを分かち合うことも叶いませんでした。

「すべての行政拘留者と共に痛みを担う覚悟です」これは夫がオウファル刑務所から家族に宛てた手紙にあった言葉です。そして夫は常々「私たちにとって人生の最良の時は未来にある」と口にしていました。だから私たちは夫が自由になり、家族と一緒に暮らせる日々を待ちわびています。行政拘禁者の家族としてイスラエルに行政拘禁が終わるよう圧力をかけてもらいたいのです。この制度をなくすことが私たちの自由への第一歩だと信じています。

 

2014年8月下旬にファラージさんの拘禁は6ヶ月延長され、釈放は2015年2月下旬の予定です。行政拘禁はイスラエル当局が理由も明らかにしないまま延長することができる不当な制度ですが、今度こそファラージさんが釈放されることを強く願っています。

また、ラミスさんと次男ワデアさん(大学4年生)にも取材することができました。二人のメッセージも編集中ですので、後日紹介いたします。

今後もファラージさんの近況がわかり次第ご報告します。

注1:行政拘禁とは、無期限に更新できる軍令に基づいて起訴や裁判なしの拘禁を認めるもので、人権団体から国際的に非難されています。

政策室 小林和夫

UAWC(パレスチナ農業開発センター)はガザ緊急キャンペーンの第1パート(最初の緊急キャンペーン)を実施しました

2014年9月29日

UAWC(パレスチナ農業開発センター)から、ガザ地区への緊急救援活動の報告が届きました。
ATJでは今後も、現地の復興状況等をお知らせいたします。
ATJ/APLAでは引き続き、ガザへの募金をお願いしています。  詳細はこちら


UAWC及びそれぞれの農民グループは、ガザ地区への第1段階の緊急救援活動を実施しました。UAWCはガザ地区への緊急支援活動として、食糧及び日用品120トンをガザ地区の避難家族に届けました。UAWCは、400箱のフードバスケット(Oxfamとの協力)、300箱のフードバスケット(World Visionとの協力)、200箱のフードバスケット(Welfare Associationとの協力)をガザ攻撃の最初の1週間に配布することに重点を置いて活動を行いました。同時に、ガザ地区では、漁民の家族のために1500箱のフードバスケット、避難民家族のために700箱のフードバスケットの配布を行いました。

 

 

 

ヨルダン川西岸地区においては、UAWCは、地域住民からの協力で2000箱ほどのフードバスケットを集めました。

キャンペーンは、特にガザ地区における10000世帯の農民と魚民に対して、緊急支援を考えています。次の支援として、農業に必要なもの、生産のための道具、家畜の飼料、水などを検討しています。10000世帯の農民には、さらに農業復興プロジェクトも検討します。

 

PARC(パレスチナ農業復興委員会)は、ガザ地区への支援活動を行っています。

2014年8月29日

8月26日、パレスチナとイスラエルはガザ地区における無期限停戦に合意し、現地時間午後7時(日本時間で8月27日午前1時)に発効しました。8月29日現在、この停戦は続いています。

50日に及んだガザ地区での戦闘、とりわけイスラエル軍による大規模な侵攻により、パレスチナ側では2,104名(うち民間人1,462名で、そのうちの495名は子ども、253名は女性)が犠牲となり、約10万8,000軒の家屋が破壊されました。また、1万人以上の負傷者が出ており、50万人以上(ガザ地区の人口が約180万人なので、約28%)が住む場所を追われています。一方、イスラエル側でも、69名(うち民間人4名)が犠牲となりました。(※8/28付国連人道問題調整事務所(OCHA)報告より)

今回の停戦合意に際し、ハマス側からは2007年から始まったイスラエルによるガザ地区の占領および封鎖を解除することが求められ、またイスラエル側からはハマスの武装解除が求められています。ガザ地区の封鎖解除や湾港・空港の再建に向けた段階的な協議は、1ヶ月以内に進められるとされており、今後の動きが注目されています。
オリーブオイルの出荷団体のひとつPARC(パレスチナ農業復興委員会)より、8月21日付の報告が届いています。


イスラエル軍による攻撃

イスラエル軍による攻撃

2014年7月7日の白昼、イスラエルはガザ地区に対する攻撃を開始しました。ガザ地区に住む人々に対するイスラエル軍の侵攻は、8月21日時点で470人の子どもと400人の女性を含む、少なくとも2,040人の民間人の死者を出す事態となりました。負傷者は、10,000人を超えました。攻撃で住むところを追われ避難民となった520,000人のなかには、家に戻り始めている人もいますが、安全でないことも多く、これからも自宅に戻れない人々の数は増えていく見通しです。一方で、完全に破壊されるか、あるいは甚大な被害を受けた家屋の数は概算で10,000件を超え、65,000人の人々はすでに帰る家がないことも事実です。このガザ侵攻の初期の目的として示唆されたのは、ガザ地区の広範囲にダメージを与え水道設備や主要な衛生管理施設、ガザ発電所を含む電力供給網等、基本的なインフラを破壊することでした。しかしながら、実際はそれだけでなく数十か所の医療関係施設や学校、障害者のためのケアセンター等への甚大な被害ももたらしたのです。

イスラエル軍の攻撃で破壊されたガザの街並み

イスラエル軍の攻撃で破壊されたガザの街並み

国連関係のジェームズ・ローリー氏は、「激しい戦闘から4週間が経過し、必要とされているものの規模は過去に類を見ないものとなった。我々のチームは、必要なものを査定し、救助を続けている。」と、語ります。

PARCは、ガザ侵攻開始後2週目より、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の学校やモスク、公共施設、病院、その他親族のところへ身を寄せている人々を中心に、支援を進めています。水タンク、衛生用品、食糧品といった救援物資を、必要な家族へ配っています。
ガザ救援アピールに応じて下さったパートナー団体や関係各位からの多大なご支援により、私たちは、ガザ地区のほぼ全域に対して支援を行うことができています。

飲料水の支援

飲料水の支援

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  • 1,000リットル容量の水タンク490個と30日分のタンクローリー水:(ラファ、デイル・エルバラー、シェイク・ラドワン・ベイト・ハヌーン、ガザ市、アルシファ病院)
  •  20リットル容量の水タンク330個/330家族(2,310人相当):(ガザ市北部、ガザ市、デイル・アル・バラー、ハン・ユニス、ラファ)
  •  1,155個のフードバスケット/避難家族:(ラファ、ベイト・ハヌーン、アルシファ病院、ワディ・アルサイカ、カザイヤ、コザー)
  •  26,000リットルの飲料水/2,889家族:(ガザ市北部、ガザ市、デイル・アル・バラー、ハン・ユニス、ラファ)
  •  855個の衛生用品/991家族:(ラファ、ベイト・ハヌーン、アルシファ病院、デイル・アル・バラー)[/box]

 

支援物資の詰め込み

支援物資の詰め込み

ヨルダン川西岸地区にあるPARC本部には、イスラエルの侵攻開始以降、ガザ地区への義捐金や救援物資が寄せられています。PARC事務所の駐車場は、届いた救援物資の受け付け、仕訳作業、荷造り、ガザへの荷物の送り出しのセンターとなっています。PARC職員だけでなく、一般市民のボランティア、子供も含めた民間ボランティアが、日夜作業を行っています。

 

 

 

荷造りされた支援物資

荷造りされた支援物資

ガザ地区の悲惨な状況から考えると、今後の支援活動はより重要になるものと思われます。PARCは、ガザ地区の支援を継続し、パレスチナ人に対する侵略を明らかにし、またイスラエルの残虐な行為に対する各国政府の圧力を強めていくために、パートナー団体やパレスチナ人全員へ呼びかけを行います。

 

 

最後に、ネルソン・マンデラの言葉を引用致します。
「人生で大切なのは、ただ生きたということではない。自分の人生を通じて、他の人々の人生をいかに変えることができたか、それが重要なのだ。」


8/23 Stop the killing in GAZA ガザの命を守りたい NGO共同 シューズ・アクション

2014年8月15日

Stop the killing in GAZA ガザの命を守りたい

すべての犠牲者を追悼し、戦闘の即時停止を訴えます

NGO共同 シューズ・アクション

7月8日に始まったイスラエル軍による「境界防衛」作戦以来、ガザにおける死者は1900人を超えました。国連によれば8月11日時点で子どもの犠牲は458人にのぼっています(※)。


一人ひとりの命を見つめて
私たちNGOは、市民を巻き添えにするこのような攻撃を直ちに停止するようイスラエル政府に訴え、国際社会がこの紛争下で起きた戦争犯罪に対して断固とした行動をとるようアピールします。そして、犠牲となった子どもたちの名前を読み上げ、458人分の靴を並べる追悼アクションを行います。
※国際法上、「子ども」は18歳未満のすべての者をさします。

● 皆さんへのお願い ● 靴を持ち寄ってください!


犠牲となった子どもたちの名前を呼び上げ、彼らが「数字」ではなく「一人ひとりの人間」であることを心に刻むために、靴を並べていきます。
 子ども用に限りませんので、靴をお持ち寄りください。
 靴は集会の終了後、お持ち帰りください。


日時:8月23日(土) 16:00 ~ 17:30 (受付開始:15:30)

場所:増上寺境内(港区芝公園)  都営地下鉄三田線 御成門駅から徒歩3分、芝公園から徒歩3分
少雨決行


● 内容(予定) ●
・現地からの報告:志葉玲さん(フリージャーナリスト)
・犠牲者の追悼:犠牲となった子ども458人の名前を読み上げ、境内にその数だ け靴を並べ
ていきます。
・ 黙とう
・ 主催団体からのアピール


<主催団体> 五十音順
アーユス仏教国際協力ネットワーク/APLA/アムネスティ・インターナショナル日本/オルター・トレード・ジャパン/サラーム・パレスチナ/浄土宗平和協会/パレスチナ子どものキャンペーン/パレスチナの子どもの里親運動/ピースボート/ヒューマンライツ・ナウ


【この件に関するお問い合わせは】
アムネスティ・インターナショナル日本 Tel: 03-3518-6777 (担当・川上)
パレスチナ子どものキャンペーン  Tel: 03-3953-1393