カテゴリー: レポート(オリーブオイル)
オリーブオイル
ATJ30周年 広がる協同のネットワーク
2019年、オルター・トレード・ジャパン(ATJ)は創立30周年を迎えました。ATJには前史があります。1980年代半ばに砂糖の国際価格が暴落したことをきっかけに、「フィリピンの砂糖壺」と呼ばれていたネグロス島で飢餓が発生しました。
深刻な事態を受けて、86年、日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC、2008年APLAに再編)が設立され、飢餓に対する緊急救援を開始しました。しかし、農園労働者が支援に依存せず、事業を起こして自立することを応援するため、1987年、初の「民衆交易」商品であるマスコバド糖(黒砂糖)の生産、87年に日本への輸入が始まりました。
その後、マスコバド糖に続いてバランゴンバナナの輸入が構想された89年、生活協同組合(生協)、JCNCをはじめとする市民団体や個人による市民事業体としてATJが設立されたのです。
社名に込められた意味
「オルター・トレード」という社名は、英語の「オルタナティブ」(もうひとつの、代わりの、という意味)に由来しています。これには2つの意味が込められています。募金を集めて、貧困を解決するためのプロジェクトを実施する従来の国際協力の手法ではなく、国境を越えて市民が協力して経済活動を立ち上げ自立を支援するという、開発の在り方としてのオルタナティブです。
もう一つは生産者と消費者の関係の在り方です。ATJが設立された89年は、ちょうどバブルの時代の絶頂期、日本人の「飽食」がアジアの人びとの暮らしや環境を犠牲にして成り立っているという批判が起きていました。
フィリピンのミンダナオ島にある大規模なプランテーションで生産されるバナナや、台湾、インドネシア、タイといったアジア各地で造成された集約型養殖池で生産されるエビなどがその典型です。
そうした収奪的な消費を推し進めるのではなく、顔の見える交易を通じて互恵的な関係の橋渡しをするための会社がATJだったのです。民衆交易はJCNCに結集した市民による国際協力に、安全・安心な農産物の生産・消費により、環境や地域農業を守るという生協による産直提携事業が出会って生まれたといってよいでしょう。
韓国にも広がった民衆交易
その後、マスコバド糖、バランゴンバナナに続いて、フィリピン以外の国々と様々な商品の交易が始まります。粗放養殖エビ「エコシュリンプ」(92年、インドネシア)、コーヒー(93年、東ティモール、ラオスなど)、ゲランドの塩(02年、フランス)、オリーブオイル(04年)、カカオ(12年、インドネシア・パプア州)などへと展開します。
現在、ATJが取扱うのは7品目、その産地は12カ国に広がっています。さらに2000年代以降は、韓国の生協もマスコバド糖や東ティモールのコーヒー、パレスチナのオリーブオイル、バランゴンバナナなどを輸入するようになり、消費する側の横のつながりも生まれています。
エコシュリンプはインドネシアで古くから続く環境保全型の地場産業を守り、コーヒーの安定的な買い付けは国際市場の相場に左右される生産者の暮らしを支え、パレスチナの農民がイスラエル占領下で作るオリーブオイルを買い支えることが土地を守ることにつながります。
それぞれの商品の交易が地域の課題解決の一助となり、生産者や産地の住民が抱える政治経済的な諸問題を日韓の消費者に伝えるメディアとなっています。
「キタ」の精神は民衆交易のDNA
もっとも新しい民衆交易品はインドネシア・パプア州のカカオで作るチョコレートです。パプアでカカオの集荷・加工・輸出、生産者支援を行う事業体が「カカオキタ社」です。
インドネシア語で「キタ」とは、私とあなたを含む「私たち」という意味。カカオを生産する人、加工する人、出荷する人、チョコレートを製造する人、食べる人、そしてカカオを育む大地と森をも含めすべての仲間が協働することをイメージしてこの社名がつきました。
代表のデッキー・ルマロペンさんは、事業によって「みんなで一緒に幸せになる」という考えを大切にしています。経済のグローバリゼーションが進むに伴って、「持てる者」と「持たざる者」の格差が大きくなっています。
温暖化や異常気象などの環境問題も待ったなしの深刻な状況です。そうした状況下であるからこそ、国境を越えて生産者と消費者が「キタ」という意識をもってつながり、持続的な農業生産、暮らしや地域づくりを進めるという民衆交易の意義がますます重要になっているのだと思います。
小林和夫(こばやし・かずお/ATJ)
パレスチナの農民のために、オリーブオイルの評価を高めたい!イッサ・シャトラさん fromパレスチナ
パレスチナ農業復興委員会(PARC)が設立したフェアトレード事業会社(アルリーフ社)の副社長を務めるイッサ・シャトラさん。
イエス・キリストの生誕地、ベツレヘム出身のクリスチャンであるイッサさんは、高校生のときにPARCのボランティアとして活動を始め、PARCの奨学金を得てフランスの大学で農学を学びました。以来、さまざまな形で働いてきました。
イスラエル占領下にあるパレスチナ西岸地区において、農業が経済活動に占める位置は高く、オリーブは主要作物です。
1990年代よりPARCは農民への技術指導や搾油・保管施設の改善を通して、付加価値の高いエキストラバージン・オリーブオイルを生産し、欧米のフェアトレード市場に向けて輸出してきました。
しかし、知名度が低いパレスチナのオリーブオイルの市場開拓は容易なものではありませんでした。イッサさんはイタリアやスペインといった「オリーブオイル先進国」の事情を勉強して、品質を保証する制度や仕組みの必要性を痛感しました。
イタリアなどではワインのソムリエのように、政府公認のオリーブオイル・テイスター(鑑定士)がいます。エキストラバージン・オリーブオイルには酸度0.8%以下、過酸化物価20以下という国際的な基準があります。
テイスターの役割は、化学的数値では測りきれない質的特徴を判断し、粗悪なリーブオイルを発見することです。
PARCは、イッサさんのアイデアを受けて政府やNGO、農民団体と協力して認証制度を整え、テイスターを養成し資格を与えるパレスチナ基準協会(PSI)を1996年に設立しました。現在、パレスチナには24名(うち2名はPARC職員)のテイスターがおり、海外に輸出する前にすべてのオリーブオイルを検査しています。
品質の高いオリーブオイルを生産するには、何より最高のオリーブオイルを作りたいという農民の意識や熱意が必要不可欠です。
これまた「オリーブオイル先進国」に倣って、PSIは収穫が終わる毎年12月に品評会を開催しています。
化学的数値とテイスティングによって金賞、銀賞、銅賞に等級分けされ、農民の大きな励みとなっています。今では0.8%という基準よりもずっと酸度の低いオリーブオイルも生産されるようになりました。
イッサさんは、パレスチナ農民のオリーブ生産を後押しする認証制度の整備や品評会開催の立役者の一人です。こうした努力の積み重ねによって、パレスチナのオリーブオイルは欧米の市場でも評価が高まりつつあります。
小林和夫(こばやし・かずお/ATJ)
【PtoP NEWS vol.28 特集】土地を守るためのオリーブ栽培 from パレスチナ
なかなか伝わってこないパレスチナの暮らし
パレスチナと聞いて、皆さんはどういうイメージをお持ちだろうか?私の知り合いの大半は「あぁ、あの大変な所ね」という反応である。新聞やマスコミでパレスチナが取り上げられるのは、物々しい話ばかり。
ここ最近では、イスラエルの米国大使館のエルサレム移転に抗議する市民のデモに対してイスラエル軍が攻撃を繰り返し、多くの死者負傷者が出たことが記憶に新しい方も多いと思うが、パレスチナに普通に暮らす人びとの様子はなかなか伝わってこないのが現状だ。
オリーブオイルで平和な暮らしを目指す
オルター・トレード・ジャパン(ATJ)が2004年から取り扱っているパレスチナのオリーブオイルは、パレスチナ農業復興委員会(PARC)とパレスチナ農業開発センター(UAWC)という2つの団体から届いている。ヨルダン川西岸地区で栽培されたオリーブから搾油されたエキストラバージンオリーブオイルだ。
PARC、UAWCともに、生産者が手塩にかけて育てたオリーブから搾油したオリーブオイルやその他の農産物を加工品にして世界の市場につなげることで、パレスチナの産品の商品価値を高めてゆくこと、そして人びとが自分たちの土地で平和に暮らしてゆけることを目指している。
オリーブ栽培そのものが、イスラエルによる入植地の建設のために土地が収奪される危機に常にさらされているパレスチナの人びとの土地を守るための運動であるが、それ以外に、農業技術改善の支援や生産者に向けた研修などにも力を入れている。
目や耳を疑うようなパレスチナの現状
このように生産者の支援を続けるPARCやUAWCの担当スタッフから聞くパレスチナの現状は、目や耳を疑うようなものばかりだ。
冒頭でも少し触れた「土地の没収」については、オスロ合意(いまや完全な崩壊が決定的になってしまっていると言っても過言ではない協定だが…)で認められたパレスチナ人による暫定自治があるにもかかわらず、パレスチナの土地はコマ切れに区分されてしまっている。
行政権や警察権がすべてパレスチナにゆだねられているA地区。行政権はパレスチナ、警察権はイスラエルのB地区、そして、行政権と警察権すべてがイスラエルに管轄されているC地区だ。特にC地区は、自然保護地区、森林、井戸が豊富にあり、農地としての力をもった重要な地域だが、イスラエルは、パレスチナ自治政府に返還するという署名合意も無視し続け、占拠を続けている。
また、新たな入植地を建設するために、パレスチナの人びとがオリーブ栽培をしているにも関わらず、「使っていない土地」と見なすや否や、文化遺産として国際法で守られている樹齢数百年というオリーブの木をもお構いなしに引き抜き、その土地を造成してしまう。そんなことが、日常茶飯事として起こっているという。
さらに、イスラエルは「自爆テロの防止」という名目でパレスチナの土地に高さ8メートルにも及ぶ分離壁を張り巡らせている。それによって人びとの移動が極度に制限されている。自分のオリーブ畑に行きたいだけなのに、分離壁のために何キロも遠回りをし、なおかつ検問所を何カ所も通過しないとたどり着けないという不便を強いられているのだ。
おまけに、人間が生きていくのに欠かせない水、農業を営むのに必要な水もイスラエルにより制限されている。世界保健機構によれば、一人当たり1日100リットルの水が必要とされているが、水の使用が制限されているため、パレスチナの人びとが使える水は1日わずか70リットル。一方で、イスラエル側、そして入植地に融通されている水は260~280リットルだという。こんな理不尽があってよいものなのか。
人びとの平和な暮らしを祈りながら・・・
パレスチナでは例年10月に入ると、オリーブの収穫が始まる。
家族総出で収穫作業をして、本来は一年の実りを皆で喜ぶ時期なのだが、今年は例年にない不作が見込まれているとの連絡が入ってきている。
PARC、UAWCの担当者はこう話す。「どうか、どこか遠い国で起こっている自分たちに関係のないことと思わないでほしい。無関心でいることが一番罪深いことだから。日本で、そして世界でパレスチナのことを思ってくれている人びとがいるということが、自分たちの力になる」
パレスチナの人びとが当たり前に平和に暮らせる日々が近い将来やってくることを祈りながら、パレスチナの大地の恵みであるオリーブオイルを味わいたいと思っている。
【PtoP NEWS vol.26 ここが知りたい!】オリーブオイルの品質
お店に並ぶオリーブオイル、どれを選ぶかとても悩ましい商品の一つではないでしょうか。
地中海沿岸地域を原産地として紀元前から栽培されるオリーブ。
オリーブの搾油技術が確立するまでは「貴重品」として扱われていたこともあり、偽の品質表示などが絶えず、古代ローマ時代からすでに「格付」が存在していたといわれています。
第二次世界大戦以降、戦争で産地が荒れたスペインやイタリアの農業復興の目的で「国際オリーブ協会(IOC)」が設立され品質規格が設けられましたが、それでも品質偽装が絶えず、その規格や官能検査基準の甘さを指摘する声もあるようです。
オリーブオイルにもワインのように「ソムリエ」がいます。
絶対的な優劣はつけず、オリーブオイルが持つ香り、風味のなかにディフェット(欠点)がないかを確認し、そのオイルがどんな料理に合うのかを判断します。
ちなみに、オルタート・レード・ジャパンが取り扱うパレスチナのオリーブオイルの産地では、「何と言っても、自分の畑で採れたオリーブからとったオイルが一番!」と、搾りたてフレッシュなオリーブオイルよりも時間をおいて落ち着いた状態のものを好み、大地の恵みを余すことなく味わっている生産者もいます。
出会ったオイルの風味を感じ、どんな料理に合うか想像しながら使ってみるのも楽しいですね。
山下万里子(やました・まりこ/ATJ)
【パレスチナ】行政拘禁されていたファラージ氏が釈放されました!
昨年5月よりずっと行政拘禁(注)されていたパレスチナ農業開発センター(UAWC)職員のアブドゥル・ラザック・ファラージ氏が釈放されたという嬉しい報告が本人よりありました。
ファラージ氏は昨年5月24日未明、イスラエル軍により拘禁され、翌25日に4か月間の行政拘禁を言い渡されました。ATJはパレスチナのオリーブオイルの民衆交易を通じてUAWCと連帯している生協、産直団体との連名で、ファラージ氏の即時釈放と行政拘禁制度の即時廃止を求める嘆願書を在日イスラエル大使館などに提出しました。
UAWCファラージ氏の即時釈放を求める嘆願書を、駐日イスラエル大使に提出しました。
しかしながら、ファラージ氏の拘禁は、その後2度にわたって更新され、ようやく7月に釈放された訳です。以下、ファラージ氏からの報告です。
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皆さまのパレスチナの人びと及びUAWCに対する継続的なご支援に心より感謝申し上げます。とりわけ、私が過去14か月間、イスラエルの刑務所で行政拘禁されていた間に寄せられたご支援、連帯に御礼申し上げます。皆さまからのご支援は、長年続くイスラエル占領にもかかわらず、パレスチナ人、とくに行政拘禁者は世界中に真の友人がいることの証左です。私も釈放されてから3週間が経ち、今はUAWCの業務に戻っています。
ご存知の通り、行政拘禁はイスラエルにより1967年より継続され、何度も繰り返されています。それは恣意的な拘禁であり、国際法に反しています。
現在、3名の女性を含む約500名が、起訴や公正な裁判を経ずに、単に容疑のみで行政拘禁されています。そこで去る2月、行政拘禁者たちは、イスラエルの裁判所の判決をボイコットすることを決めました。行政拘禁の決定を審議すべきイスラエルの裁判所が、実際にはイスラエル諜報機関の勧告を支持しているだけというのがその理由です。
皆さまのパレスチナ人、とくに政治犯に対するご支援は、世界中で自由と正義の原則を求める人々の関与、献身を私たちに再確認させてくれました。
最後に改めてお礼を申し上げるとともに、解放されたパレスチナでお会いできることを楽しみにしています。
アブドゥル・ラザック・ファラージ [/box]
(注)無期限に更新できる軍令に基づいて起訴や裁判なしの拘禁を認めるもので、この制度を濫用しているイスラエル政府は人権団体から国際的に非難されている。
【PtoP NEWS vol.21】パレスチナでのオリーブ収穫
油の中の油 オリーブオイル
「太る」とか「ぬめぬめする」とか「脂ギッシュ」とか、割と否定的なイメージも少なくない「あぶら」。
しかしそれは、生命活動に必須の栄養素であり、エンジンを回すために必須の動力源であり、天ぷらを揚げるのに必須の食材でもあり、絵描きには必須の画材でもあります。今や「あぶら」は、人類の営みとは切っても切れない存在と言えます。
主に常温で液体のあぶらを指す「油」は、英語ではOil。その語源はオリーブです。ようやく日本でも認知度が高まりつつあるオリーブオイルは、つまり、油の中の油。それだけ長い人類との付き合いがあるのです。
調理、美肌、灯り、石けん、媚薬… 頼れる生活のパートナー
オリーブは、今から6000年くらい前には、すでに栽培されていたと言われます。そして、人びとはその実を搾ることで油を得ていました。
なお、それ以前の人類にとって、あぶらと言えば「脂」。これは、単純に狩りが中心の生活だったからですが、植物から油脂を得ることが難しかったからでもあるようです。
そんなオリーブの栽培が始まったとされるのが、パレスチナ周辺の地中海沿岸部。以来6000年にわたり、そこに住む人びとは、ずっとオリーブと共に暮らしてきました。
今でもレストランに行くと、ピッチャーに入ったオリーブオイルが机上に鎮座し、皆ドヤ顔で料理にかけまわしています。
聖書にも頻繁に出てくるこの油は、調理油としてはもちろん、ダイレクトに飲用されたり、美肌を保つために塗られたり、灯りを灯されたり、石けんにされたり、香料を溶かし込まれて媚薬にされたり、色々なモノの潤滑油にされたりと、八面六臂の大活躍をしてきました。
またオリーブの木そのものも、その堅く締まった木質から、材木として活用。搾りカスですら家畜のエサになるなど、オリーブは余すことなく使える、頼れる生活のパートナーなのです。
パレスチナを訪れると、今なお広大な土地にオリーブ畑が広がっています。ヒトよりオリーブの木の方が多そうです。丘陵地のため、ロバが入れるように段々畑チックに作られているところもよく見かけ、昔の人の知恵が偲ばれます。コンクリ舗装の道路と電線、そしてイスラエルによる入植地の姿さえ無視すれば、きっとその風景は、数千年前からあんまり変わっていないのではないでしょうか。
品質の良いオイルが取れるように
さて、モクセイ科であるオリーブは、年に一度花を咲かせ、年に一度実をつけます。その実が熟してくる10月頃が、オリーブの収穫期です。
スペインやイタリアの大規模農園のように、理路整然と植えられたオリーブの樹上を機械がまたいで摘み取っていくわけではありませんので、当然、収穫は地道な手作業となります。
パレスチナ自治政府によって「収穫開始」の合図が出ると(2017年は10月10日だったそうですが、現地パートナー曰く、「フライングするヤツも必ずいる」とのこと)、学校も官公庁も1週間お休みとなり、家族総出での一大イベントに。
恐らくは古き良き日本の、田植えや稲刈りと同じようなイメージなのでしょう。この時期になると、大人も子どもも、暇さえあればオリーブ畑で収穫作業です。
では具体的に何をするのかと言うと、地道に手で一粒ひと粒摘んだり、オリーブの木によじ登って砂場遊びのクマデのような道具でオリーブの実をしごいて回収したり、下から丈の長い器具で枝を震わせて落とした実をキャッチしたり、いたって素朴な作業です。
現在では、一番良いオイルが取れるとされる実の色が黒く変わる直前を見極め、昔の様に木や実をブッ叩くことなく丁寧に収穫することで、品質の良いオイルが取れるように心を砕いております。
集められたオリーブは、大体どこの村にもある搾油場へ。そこでオリーブオイルに姿を変え、タンクに保管されます。
これも、昔は収穫された実はボロい麻袋などに入れてロバでのんびり運ばれており、その過程で劣化してしまうため、今のような品質の高いオイルは取れなかったそうです。
現地の人はそういう昔風のオイルが好きなようですが、イスラエルの占領下においてパレスチナ産オイルの扱いは低く、適正価格で流通できない事情もあります。
生産者がきちんと生計を立てていくためには、品質を向上させ、域外へ輸出していくことが重要でした。
そこで、パートナー団体であるパレスチナ農業復興委員会(PARC)やパレスチナ農業開発センター(UAWC)は、生産者への農法指導や輸送時の管理方法の改善、また時間の短縮に取り組み、搾油場にも最新の機械を導入し、保管場には空気に触れないステンレスタンクを設置するなど、オイルの品質改善を進めてきました。
その結果、今では国際的に認められるレベルにまで向上し、皆様のお手元にも届いていることになります。
これだけ聞くと、牧歌的な暮らしが想起されますが、実際のパレスチナでは、周辺にイスラエル入植地が乱立し、入植者からの嫌がらせが後を絶ちません。
大切に育てたオリーブを切る、燃やす、引っこ抜くといった、極めて残忍かつ幼稚な行為が、頻発しています。
それらは全て、「パレスチナは神がユダヤ人に与えた土地」という妄想と、それに基づく排他主義による自己正当化の賜物です。
そんな理不尽な苦労を強いられているパレスチナの人びとが一生懸命育てたオリーブから取れたオイル、ぜひ一度手に取ってみてください。
若井俊宏(わかい・としひろ/ATJ)
大切に育てられたオリーブから出来たオイルは、“パレスチナのエキストラバージンオリーブオイル”として販売しています。
【PtoP NEWS vol.07.201610 特集】パレスチナ人民連帯国際デー
毎年11月29日は、国際連合(以下、国連)が定めた「パレスチナ人民連帯国際デー」です。
「世界トイレの日」と並んで国際デーに位置付けられているこの日は、特に昔からパレスチナに住んでいた人びとやその親族から見れば、10年間我慢して腸内に溜め込んだガスを一気に連中の顔面に目がけてダイレクトに放屁してやりたいと思うほどに(それができないので、彼らは石を投げたり火炎瓶を投げたりして抵抗していますが)、黙って過ごすことのできない日として、心に刻み込まれています。
「パレスチナ人民連帯国際デー」制定は、1947年11月29日、国連がパレスチナの地を「ユダヤ人向け」と「アラブ人向け」に分割するという決議を採択したことに端を発します。
この時点で、多くの人びと(パレスチナ人)がこの地に住んでいましたが、同決議をきっかけとして翌年5月に現在のイスラエルの建国が宣言され、その地に住んでいた多くのパレスチナ人(主にアラブ人)が自分たちの土地を追われて難民となりました。
では、パレスチナ人とは全く無関係な第三者が寄り集まって二分割するという理不尽な採択が、何故なされたのでしょうか?
そもそも、「パレスチナ」という言葉は、地中海東岸・シリアの南側一帯を指す呼称として、ローマ時代から用いられてきました。
パレスチナは「ペリシテ人の土地」という意味で、ローマ時代以前にこの地に存在していた古代イスラエル王国を滅ぼしたローマ帝国が、ユダヤ教に関する言葉をなくすという目的で付けた地名と言われています。
ペリシテ人というのは、この地に入植して住み着いていた民族で古代イスラエルの主要な敵として知られています。後述の通りこのようにローマ帝国によって、各地にユダヤ人が離散したことも、その後のパレスチナ問題の一端を担っているといえるでしょう。
その後パレスチナは、かの有名なナザレのイエスがこの地で誕生し、受洗して布教した後に処刑された場所として知られるようになります。
16世紀にはオスマン帝国がこの地を支配し、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の全てにとって重要な聖地として存在する一方、これらの宗教を信仰する人びとが共存してきました。
重要なのは、彼らが特に大きな争い事もなく共存してきたことであり、また、前述の通り、そのパレスチナの地に住んでいた「パレスチナ人」がいたという事実です。
現在のパレスチナ問題は、あたかも根深い宗教上の対立・紛争であるかのように報じられることもありますが、必ずしもそうではありません。
2000年前の離散以降、ユダヤ人は世界各国に居を移し、彼ら独自の信仰とそれに基づく行動規範を守ってきました。しかし時には、それを異端と捉える周囲の人びとから迫害を受けることも少なくありませんでした。
そのようなユダヤ人の中で、かつての祖国である古代イスラエル王国のあった地、つまりパレスチナに、ユダヤ人国家を作るというシオニズム運動が展開していきました。
その結果として、19世紀以降、多くのユダヤ人がパレスチナの地に移住しました。この運動の標語として有名なのが「土地なき民に、民なき土地を」という言葉ですが、パレスチナの地にはすでに多くのパレスチナ人が住んでいたことはご説明した通りです。
つまり、シオニズム運動は、このような事実を隠蔽し、「2000年前に離散したかわいそうなユダヤ人が、自分たちの力で誰に迷惑をかけることもなく土地を取り戻し、国を再建する」というような美談を掲げ、1948年のイスラエル建国にこぎつけたものであると言えます。
特にユダヤ人の多い米国を筆頭に、冒頭に述べた国連による分割決議案に賛成票が投じられ、その後連綿と続くパレスチナ問題につながっていきます。
この「パレスチナ人民連帯国際デー」は、国際社会共通の問題として解決をしていくべきというところから、1977年に制定されました。
しかし実際には、この日を契機にパレスチナ問題の解決に動くという実効性を持っているわけではなく、また日本においては、国際デーはおろか、そもそもパレスチナという場所についても「何だか危ないところ」程度にしか認知されていないのが実態です。
実際に訪れるパレスチナは、古来より続くオリーブ畑の広がる長閑な地域です。もしこのような問題がなければ、今の100倍は観光客が訪れる風光明媚な土地として名を馳せていると思われます。そしてこれが、本来のパレスチナの姿であるはずです。誰も好き好んで石を投げているわけではありません。
今我々ができることは限られていますが、少なくとも同じ地球上に生きる人間同士、なぜこのような問題が起こっているのか、またパレスチナという地がどのような場所なのか、この日をきっかけとして少しでも伝えていきたいと考えています。
若井俊宏(わかい・としひろ/ATJ)
UAWCファラージ氏の即時釈放を求める嘆願書を、駐日イスラエル大使に提出しました。
去る5月24日未明、パレスチナのオリーブオイル出荷団体の一つ、パレスチナ農業開発センター(UAWC)職員のアブドゥル・ラザック・ファラージ氏がイスラエル軍により拘禁されました。
UAWCからの情報によると、ファラージ氏は翌25日に4ヵ月の行政拘禁を言い渡され、ラマラ市郊外にあるオフェル刑務所に拘留されているとのことです。
この事態を受けて、ATJとNGO法人APLAは、ファラージ氏の即時釈放及びイスラエル政府による行政拘禁制度の即時廃止を求める嘆願書を用意し、6月16日、オリーブオイルの民衆交易などを通じてUAWCに連帯している生協や有機農産物宅配団体との連名で、駐日イスラエル大使宛で大使館に嘆願書(英文)を郵送しました。本日(6月23日)、郵便物等配達証明書が届き、イスラエル大使館が嘆願書を受け取ったことを確認しました。
嘆願書の全訳及び賛同団体は以下の通りです。
2017年6月16日
駐日イスラエル大使 ルツ・カハノフ殿
パレスチナ自治区における行政拘禁制度の廃止ならびに被拘禁者の即時釈放に関する嘆願書
嘆願の趣旨:
私たちは、現在のパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地区・ガザ地区)の置かれた状況を憂慮し、パレスチナ自治区で活動するパートナー団体との連帯のもと、そこで生産された産品の輸入・販売や交流事業を通じて彼らの活動を支援している交易会社、NGO、ならびに消費者団体です。
私たちは、パートナー団体の一つであるUnion of Agricultural Work Committees(以下、UAWC)の職員、アブドゥル・ラザック・ファラージ氏が、去る5月24日未明、貴国政府軍隊により行政拘禁令に基づき逮捕されたという情報を受け取りました。そして、翌日に貴国が管轄する刑務所内における4ヵ月の拘禁を言い渡されたという情報も、新たに受け取りました。
以上の情報を受け、私たちは、仲間であるファラージ氏の状況について非常に心を痛めていると共に、上記の理不尽な貴国の行いについて、極めて強い憤りを覚えています。
つきましては、私たちは貴国に対し、以下の通りに理由を添えて、ファラージ氏の即時釈放ならびに行政拘禁制度の廃止を求めます。
嘆願事項:
1.5月24日未明に貴国により行政拘禁されたアブドゥル・ラザック・ファラージ氏の即時釈放を求めます。
2. 同氏が拘禁される理由として貴国が掲げる行政拘禁制度について、即時廃止を求めます。
嘆願理由:
1. アブドゥル・ラザック・ファラージ氏は、その人生において実に16年近い時間を、貴国による身柄拘束の後、刑務所で過ごしています。そのほとんどは5回に及ぶ行政拘禁です。そして、今回も何ら拘禁の理由も示されぬままラマラ市内(エリアA)の自宅で逮捕されました。これはオスロ合意等の国際的な取り組みの中で認められたパレスチナ自治政府の行政・治安双方の権限を無視したものであり、貴国の権限を逸脱したものであると考えられます。パレスチナ自治政府により正当で明確な罪状で起訴され、公平かつ迅速に裁かれるのでなければ、貴国に同氏の身柄を拘束する権限はなく、故に、同氏の即時釈放を求めるものです。
2. 行政拘禁制度は、貴国の治安に著しく危険をもたらすと貴国が考える人びとを予防的に拘禁するための例外的措置として導入された経緯があると、我々は認識しています。しかしながら、実際には貴国の治安に著しく危険をもたらすことが懸念される根拠を一切示さずに、パレスチナ自治区に住む人びとが無条件に拘禁されてきた実態に対し、多大な批判が国際社会から挙がっています。更に、貴国によって行政拘禁された人々は、貴国が自国内の囚人には認めている月に2回の家族との面談すら認められないなど、貴国が明らかな差別を行っている点についても、集団懲罰的な処遇であるとして、多大な非難が寄せられています。それが、本年4月から5月にかけて行われた、パレスチナ人被拘禁者によるハンガーストライキを招いたことは、記憶に新しい通りです。我々は、そのような貴国の、パレスチナ人に対する差別的な対応の全てに対して明確な非難の声を挙げると共に、その典型である行政拘禁制度の即刻の廃止を求める次第です。
株式会社オルター・トレード・ジャパン
特定非営利活動法人APLA
グリーンコープ共同体
株式会社 大地を守る会
生活協同組合あいコープみやぎ
生活協同組合連合会グリーンコープ連合
生活クラブ事業連合生活協同組合連合会
生活クラブ生活協同組合(滋賀)
生活クラブ生活協同組合 都市生活
生活クラブ生活協同組合(奈良)
パルシステム生活協同組合連合会
以上
ATJ、APLAは、引き続きファラージ氏の状況についてフォローします。
広報本部 小林
緊迫するパレスチナ情勢、UAWC職員ファラージ氏再拘禁
日本ではほとんど報道されていませんが、パレスチナでは4月17日から1,500人を超える政治犯が集団で無期限ハンガーストライキを行っています。彼らは、イスラエル当局に対して、行政拘留者(下記)の即時釈放、刑務所内での拷問や虐待の停止などを求めています。ヨルダン川西岸では各地で連帯デモが広がっています。このハンストに対して、5月22日、オリーブオイル出荷団体であるパレスチナ農業復興委員会(PARC)が連帯声明を出しました。
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パレスチナ農業復興委員会(PARC)は、2017年4月17日にイスラエル刑務所でハンガーストライキを始めたパレスチナ人拘禁者への連帯を表明します。
1,800名以上の拘禁者が、刑務所の不平等かつ劣悪な環境に対して抗議を行うためのハンガーストライキを始めました。国際法の下、拘留している全ての人々の福利や環境改善に責任を持つイスラエル政府に対して圧力をかける目的で、それから36日間にわたり、彼らは塩と水だけで生きています。
拘禁者が求めているのは、非常に単純で基本的な、人間として必要なものだけです。それは、家族と話をするための公衆電話の設置、定期的な家族の訪問とその際に家族写真を撮影する事の許可、医療の改善、空調管理の導入などです。
また拘禁者は、「行政拘禁」の廃止を求めています。行政拘禁とは、「公表されない機密な証拠」という理由のみでパレスチナ人を拘禁することを認める制度で、その期間は数か月、時には数年にも及ぶものです。この制度は、国際法のもとで違法とされています。
PARCは、すべてのパートナーに対し、イスラエルの刑務所に拘禁されているパレスチナ人の法的権利を守ることを支持し、イスラエル政府が国際人権法を遵守し、パレスチナ人拘禁者の苦しみに終止符を打つように圧力をかけるべく、自国政府に要請することを求めます。
2017年5月22日
Palestinian Agricultural Relief Committee (PARC)[/box]
*パレスチナ自治政府、国際赤十字とイスラエル政府の間の交渉により、政治犯の要求が認められたため、ハンガーストライキを継続していた800余名の政治犯は、5月27日にハンストを終了しました。認められた内容は、政治犯の面会を月2回認めること以外は、まだ公表されていません。
そして、5月24日夜、パレスチナのオリーブオイル出荷団体のひとつ、パレスチナ農業開発センター(UAWC)より、UAWC総務部長であり、ジャーナリストとしても活動しているアブドゥル・ラザック・ファラージ氏が、同日未明逮捕されたという報告が入りました。
[box type=”shadow”] 現在、数百名のパレスチナ人拘禁者が、基本的な人権を求めてハンガーストライキを継続しています。彼らは、彼ら自身のみならず、世界中の抑圧された人々の自由と尊厳のために、闘っています。パレスチナ自治区を占領しているイスラエル政府は、いまだにパレスチナの一般市民および拘禁者に対する抑圧的な政策を止めようとはしません。その卑近な例として、我々パレスチナ農業開発センター(UAWC)事務局長であり、またジャーナリストとしても活動しているアブドゥル・ラザック・ファラージが、本日未明に自宅で、それも彼の家族の目の前で、再度拘留されました。
UAWCは世界中の自由と正義を愛する人々に対し、我々の同僚であるファラージ、ならびにハンガーストライキを継続している全ての拘禁者の釈放を求めた連帯のために立ち上がるように呼び掛けます。
ファラージは、実に人生のうち16年間をイスラエルの刑務所で過ごし、結果として、多くの病を抱えています。それらの殆どは、「行政拘禁」と呼ばれるイスラエルの制度によるもので、令状なしに不都合な人物を逮捕・拘留しても良いとされているものです。これは、国際協定、とりわけジュネーブ条約第4条に明確に違反しています。UAWCは、パレスチナ自治区の存在と正当性を信じ、イスラエルが行う占領や隷属化を否定する全ての組織に対し、ファラージを解放し、彼を家族のもとへ返すようにイスラエル政府に圧力をかけるため、自国の政府へ書簡を送る国際的な連帯キャンペーンを立ち上げることを呼び掛けます。
2017年5月24日
Union of Agricultural Work Committees (UAWC)[/box]
ファラージ氏は2014年2月にイスラエル政府により行政拘禁されましたが、行政拘禁制度に抗議して同年4月より約2か月間、数十名の拘禁者による集団ハンガーストライキに参加しました。ATJでは、UAWCから届いた緊急アピールを受けて、貴団体を含む株主生協・団体、APLA、ATJ計11団体連名で、同氏を含む行政拘禁者の即時釈放を求める嘆願書を在日イスラエル大使館に送付した経緯があります(イスラエル大使館は受け取り拒否)。
詳しい経緯はこちらからご覧ください。⇒ ファラージさんに自由を!
ファラージ氏はようやく2015年10月に釈放されましたが、それから1年半余りで再逮捕されたことになります。同氏はこれまでの生涯で実に16年も刑務所で過ごしていますが、そのほとんどが行政拘禁によるものです。行政拘禁とは、報告にも説明があるように、令状なしに不都合な人物を逮捕し、無期限に拘留できるとする制度であり、国際協定、とりわけジュネーブ条約第4条に明確に違反しています。イスラエル政府はこの制度を濫用し、国際社会からも強く批判されてきました。
UAWCは、同氏の即時釈放を求めるキャンペーン活動への協力を国際社会に対して求めています。ファラージ氏逮捕の詳細な背景については現在、UAWCに問い合わせ中です。
広報本部 小林
パレスチナ:オリーブの木、2000本が破壊される
パレスチナのオリーブオイルの出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)が、イスラエル軍によるパレスチナ人の暴力行為を止めるよう国際社会に呼びかけるアピールを出しました。
2017年1月16日、イスラエル当局は、104ドナム(1ドナムは約1ヘクタール)もの不法なイスラエル人入植地につながるバイパス道路を建設するため、カルキリヤ県のパレスチナ農民が所有する2000本のオリーブの木を破壊しました。一本一本のオリーブの木には、世代を超えたパレスチナ人の誇りが刻み込まれ、歴史そのものです。それが根こそぎにされたのです。
2017年、イスラエル政府によるパレスチナ人の土地の接収や入植地の拡大は劇的に増加するだろうと用心しています。昨年12月23日、イスラエルの入植活動を国際法に対する「目に余る違反行為」であり、「法的正当性がない」とした国連安全保障理事会決議2334号(注1)が採択された後、イスラエル政府はその決議を順守するつもりはないと発表、さらに、エルサレムにおいて1506戸の住宅建設を認めることがあったため、尚更です。2016年も土地接収や入植地が前年より58%も増加したことは特記されるべきでしょう。イスラエル政府による土地接収の増加は、C地区(注2)に指定された土地のすべてを没収し、(イスラエルとパレスチナの)二国家共存を葬ろうとする極端な右翼政権の姿勢の一端が現れたものと言えます。
UAWCからのアピール:行動を起こしてください!
世界中の人権団体、活動家、社会正義活動団体に対して、イスラエルのパレスチナ農民や農業部門に対する暴力行為を終わらせるために声を挙げるよう求めます。
○ 土地接収に反対する声明を出す。
○ 国際社会の沈黙を破り、パレスチナ人を保護し、イスラエルの占領に終止符を打つよう行動する。
○ 各国イスラエル大使館前で、効果的な抗議行動を組織すること。
○ 入植地で生産された製品の不買運動、
注1:国連決議2334号関係情報 「国連安保理、イスラエル入植地非難決議を採択 米国棄権」
注2:オスロ合意で定められた、イスラエル政府が行政権、軍事権共に実権を握る地区
*なお、この破壊行為については現地の新聞、Palestine Chronicle でも写真付きで報じています。
Israeli Army Uproots 2,000 Ancient Olive Trees
(要旨)イスラエル軍は、西岸地区北部カルキーリヤ近郊のナビ・アリアス、アズーン、タビーブの3村で、パレスチナ人所有のオリーヴ収穫林一帯を「軍事閉鎖地区」に指定し、ブルドーザー多数を使い、果樹2000本の撤去に着手した。パレスチナ人や、支援のイスラエルの人権・平和活動家らは、オリーヴの木に身体を縛り付けて抵抗、イスラエル兵の排除により負傷者も出た。オリーヴの撤去は、近くのイスラエル人入植地へのアクセス道路工事のため。入植者らは、「通行の安全のため」バイパス道路を要請していた。樹齢500年の大木も抜き取られたという。(パレスチナ最新情報-JSRメルマガ20170118号より)
パレスチナ報告(後半)パレスチナのオリーブオイルについて
オリーブ生産についてお話しましょう。オリーブの収穫は年1回、10月初めから11月中旬にかけて行われます。この期間、パレスチナの農村はもっとも活気にあふれます。収穫は重労働ですが、農民はお祭り、お祝いごとのように感じています。日の出前から日の入りまで家族総出、それこそ老若男女が収穫にあたります。畑が遠い場合は、お昼ご飯も持参して畑で食べます。まるでピクニックのようです。
製造工程を見てみましょう。パレスチナのオリーブ収穫は基本的に機械を使わずに手摘みすることが特徴です。手摘みにこだわるのは、オリーブはパレスチナ人にとって尊いものという意識もありますし、機械を使うと、実を傷つけてよい品質のオリーブオイルが生産できないことも理由としてあります。
できるだけ収穫した同じ日のうちに村にある搾油場に持ち込み、搾油します。オリーブの実のまま(種も皮もついたまま)搾油しますが、その工程では温度があがらないように注意します(コールドプレス)。搾油率をあげるために温度を上げる搾油場もありますが、そうすると品質が悪化し、とくに香りがなくなってしまいます。遠心分離機で固形物と液体、それから水分と油に分離するとオリーブオイルの出来上がりです。
搾油したオリーブオイルは、いったん各協同組合の倉庫で保管されます。ここには簡単な分析室があって酸度などをサンプル検査し、合格したものだけがPARCの倉庫、充填工場に移送されます。PARCでは海外からの注文に沿って瓶詰、輸出します。ただ、日本向けはバルク(一斗缶)で輸出され、日本国内で瓶詰めされています。
PARCが農産物の流通に関わり始めたのは1980年代後半からです。1987年から1993年にかけて発生した第1次インティファーダにより治安が悪化しました。イスラエル政府は夜間外出禁止令を発令し、パレスチナ住民の移動を厳しく制限しました。そのため、オリーブオイルや農産物を市場に運搬、販売することができなくなった農民に代わってPARCが流通に関わりました。ビジネスというよりは救済事業という意味合いが強い活動でしたが、これがフェアトレードにつながるきっかけになっています。
1994年以降、フェアトレード運動を知って海外のフェアトレード団体とネットワークを築き、市場を開拓していきました。EUのパートナーも占領下にあるパレスチナに連帯して何とか支援したいという思いでオリーブオイルなどの農産物を買ってくれました。
そうした連帯や厚意に甘えるのではなく、他の生産国のフェアトレード商品に競合できるよう品質改善に取り組み始めたのが1999年からです。農民はオリーブオイルの生産技術、有機栽培の方法を研修を通じて学びました。日本には2004年から輸出しています。
それでは、パレスチナにおいてなぜフェアトレードが重要なのでしょうか。
第1に政治的な理由です。イスラエル政府は、3年間土地が未利用だと接収します。オリーブを植えて育てることがそのまま土地を守ることにつながっているのです。勿論、経済的な意味も大きいです。過去20-30年間、パレスチナの多くの住民が依存してきた国連や海外の人道支援に頼ることなく、自立した収入を得ることにつながります。また、フェアトレードは女性の社会進出にも役立っています。クスクス(中東でよく食べられる小麦でできた食物)加工協同組合では50名の女性が働いていますが、その多くは貧しい家族の出身で満足な教育を受けていません。しかし、現在ではEUを中心に年間100トンを輸出するまでに成長し、家計を支えています。
しかし、フェアトレード事業にもパレスチナ特有の困難があります。内陸に位置する西岸地区は、欧米に輸出する場合、通常イスラエル領内の2つの港、ハイファ、アシュドッドを利用せざるを得ません。イスラエル領内では何の理由もなく荷物が止められることもしばしばです。そのため、扱う商品はオリーブオイル、アーモンド、デーツ(なつめやしの実)、クスクス、ザータル(ハーブ調味料)、ドライトマトなどすべて1年以上保存できる加工食品に限られます。生鮮物を扱うのはリスクが高いのです。
パレスチナのオリーブオイルが高い理由もよく尋ねられます。家族による小規模生産であり、手摘みで丁寧に収穫されるので人件費がかかることや、港までのコストが高いことが大きな理由です。加えて、占領下の特殊な事情もあります。例えば、資材の輸入。瓶などの資材は輸入していますが、パレスチナの会社が直接輸入することは禁止されています。イスラエルの会社を通して輸入するしか方法がないので高くついてしまいます。さらに輸入税も高い。瓶の場合は製品そのものより関税が高いほどです。また、オリーブオイルを海外に輸出する際、イスラエル政府はコンテナに満載することは許さないため、必ず1/3以上のスペースを残さないといけません。こうした点が重なってコスト高となってしまうのです。
最後に強調しておきたいことがあります。世界中の多くの人は、ユダヤ教とムスリムの宗教対立だと考えています。これはイスラエルによるプロパガンダの結果であり、間違った認識です。衝突の原因はイスラエルの占領にあり、占領によって基本的人権がないがしろにされていることです。パレスチナ人はテロリストというイメージも作られたものです。私たちは自由と独立国家を求めているだけです。
占領下の農民の苦しみや抵抗をオリーブオイルと一緒に受けとめてもらえると有り難いです。
(学習会での発表及び質疑応答の一部をまとめて編集しました)
政策室 小林
パレスチナ報告(前半)パレスチナ問題とは何か。そしてイスラエル占領の実態について。
昨年11月、パレスチナのオリーブオイル出荷団体、パレスチナ農業復興委員会(PARC)フェアトレード部海外マーケティング責任者、シャディ・マフムッドさんが来日し、福岡、大阪、東京で主に消費者対象の学習会で現地報告をしました。学習会でお話したパレスチナの実情とオリーブオイル生産について報告します。
2007年PARC入社。入社以来一貫してフェアトレード部において海外での販促、新規市場の開拓を担当。家族は妻と男の子2人。
これはパレスチナの領土の変遷を表した4枚の地図です。緑の部分がパレスチナ人、白の部分はイスラエル人が支配する土地です。パレスチナ人の土地がどんどん狭くなっているのがよくわかります。
1947年、国連はイギリスの信託統治領であったパレスチナにイスラエルの国家建設を認めました。当時、パレスチナ人が支配する土地は90%以上(左端の地図)でしたが、国連の分割案はイスラエルに半分以上の土地を分け与える不公平なものでした(左から2番目の地図)。パレスチナはこの分割案を拒否しましたが、イスラエルは独立を宣言し、圧倒的な軍事力に物を言わせてパレスチナ地方全土を占領しました(左から3番目の地図)。土地を追われた多数のパレスチナ人は難民となってイスラエルやパレスチナ、隣国のシリア、レバノン、ヨルダンとなって流れ込みました。イスラエルは1967年、第3次中東戦争によりさらにヨルダン川西岸地区を占領しました。それから半世紀近く、イスラエル軍撤退を求める国連決議に従うことなくイスラエルは占領は継続しています。
その間、1987年には占領に抗議してパレスチナの民衆が投石で抵抗する第1次インティファーダ(民衆蜂起)が起きたり、1993年にパレスチナ暫定自治協定共同宣言(オスロ合意)が成立し自治政府が樹立されたものの、イスラエルの支配が進行し、パレスチナ人の土地は虫食い状態になっているのが現実です(右端の地図)。
虫食い状態にしている主な原因が入植地と分離壁の建設です。入植地は国際法では違法とされているにもかかわらず、今や西岸地区では200の入植地に70万人のイスラエル人が住むまでに拡大しています。そしてアパルトヘイト・ウォールと称される分離壁は、パレスチナとイスラエルの国際法上の国境とされるグリーンラインだけでなく、その内側、つまりパレスチナ領内に食い込む形で建設されています。北部では水資源が豊かな土地が、中西部では天然ガスが埋蔵されている地域が分離壁によってイスラエル領内に取り込まれているのです。
入植者によるオリーブ畑や農民に対する暴力行為も頻発しています。なぜ彼らはオリーブ畑を攻撃するのでしょうか。それは、オリーブの木がパレスチナ人にとってはアイディンティティであることを知っているからです。先祖から受け継いだオリーブの木、土地や暮らしに根差したオリーブの木をそれこそ根こそぎにして、パレスチナ農民が土地を離れざるを得ないように仕向けているわけです。
今年(2015年)7月31日、西岸地区北部にあるナブルスで痛ましい事件が起きました。入植者が真夜中にパレスチナ人の家に放火し、1歳半の幼児が死亡し、入院した両親も後日亡くなったのです。犯人は近くの入植地に住むイスラエル人でしたが、イスラエル政府は逮捕することもありませんでした。これに抗議して西岸地区各地でパレスチナ人によるデモや衝突が起きました。
加えて、9月にイスラエル政府がエルサレム旧市街にあるアル・アクサ・モスクでの礼拝を制限したことをきっかけに、10月以降、イスラエル軍や入植者とパレスチナ人の間で衝突が頻発しています。イスラエル軍は一般市民に対して実弾やゴム弾で攻撃し、10月以降75名(11月10日現在)のパレスチナ人が殺されました。武器の無いパレスチナ人は投石で対抗するしかないのです。
=== 以下、後半に続く ===
(本報告は学習会での発表及び質疑応答の一部をまとめて編集したものです)
政策室 小林
【パレスチナ】ファラージさんからのお礼状
10月21日、20か月もの間、イスラエル政府により行政拘禁されていたパレスチナのオリーブオイル出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)職員、アブドゥル・ファラージさんが釈放されました。
仕事に復帰し、久方ぶりに家族との時間を過ごしているファラージさんから支援してくださった日本の方々へお礼が届きました。
[box type=”shadow”]
親愛なる日本の友人の皆さまへ
私がイスラエルに拘禁されていた期間中、私自身、私の家族、そしてUAWCの同僚たちへの皆さまからのご支援に心から感謝申しあげます。
皆さまからのご支援は、パレスチナ人の拘禁者を心から支えてくださる方々が日本にそして世界中にいるということの証です。獄中で私の妻を通じて皆さまからご支援頂いていると聞いたことが、どれだけ私に楽観的な気持ちと希望を与えてくれたことでしょうか。
私は1か月前に釈放され、UAWCの仕事に復帰しました。釈放後は、20か月間に及んだ行政拘禁期間中にできなかったこと、そして、占領下においては普通の生活などないのが現状ですが、それでも何とか日常の暮らしを取り戻そうとしています。
皆さまからのお便り、そしてパレスチナで皆さまにお会いできることを楽しみにしております。
心からの感謝をこめて。
アブドゥル・ラゼック・ファラージ [/box]
政策室 小林
UAWCがアラブ思想財団賞(経済創造部門)を受賞!
農民支援のNGOであり、オリーブオイルの出荷団体でもあるパレスチナ農業開発センター(UAWC)が取り組んできた「農地開発プロジェクト」に対して、アラブ思想財団(レバノン)が2015年度経済創造部門賞を授与しました。
ヨルダン川西岸地区では、イスラエル政府が行政、治安の権限を掌握する地域(エリアC)が60%を占めています。イスラエルがパレスチナ人の農民を追い出すために、農地を没収して入植地を拡大している現状の中で、このプロジェクトはエリアCにおいて農地を守ることに大きく寄与しています。
UAWCの農地を守る取り組みは4つの活動領域があります。
1)農地開墾 未利用の土地を農業用地に転換する。
2)農地復興 地主により放置されている農地を生産的にする。
3)農道建設 農地へのアクセスを改善する。
4)灌漑整備 水不足(水資源の85%がイスラエルに独占されている)対策のため、井戸、灌漑用水路や送水管を整備。
理事長代行のフゥアッド・アブ・サイフ氏は、「今回の受賞は、パレスチナ人の土地を収奪しようとしているエリアCにおいてUAWCが農地開発や開墾によって土地を守ってきた業績に対する評価であり、今後も同事業を継続していくことの励みとなる」と話しています。
UAWCが長年、農民と一緒に進めてきた活動が表彰されたことは大きな意義があります。みなさんと一緒にこの受賞をお祝いしたいと思います。
政策室 小林
【パレスチナ】アブドゥル・ラザック・ファラージさん釈放!
イスラエル政府により2014年2月15日から行政拘禁されていたオリーブオイル出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)の職員、アブドゥル・ラザック・ファラージさん(53歳)がようやく釈放されたとのニュースが届きました。
拘留期限は最大6ヶ月なのですが、これまで同年8月、2015年2月、6月と3度にわたり拘禁更新が言い渡されていました。拘留期間は実に通算20か月に及びました。
UAWCによるとファラージさんの健康に異常はないとのことです。
まずはこの嬉しいニュースをお伝えします。
[box type=”shadow”]
(注)行政拘禁とは理由も明らかにせず、起訴なしで拘留する制度です。イスラエルの人権団体、B’Tselemは、国際法では市民に危害をもたらすおそれがある場合の最終的な手段としてのみ執行が認められていますが、イスラエルはこの制度を濫用し、過去数年間で何千人ものパレスチナ人に適用しているとしています。
[/box]
政策室 小林
【緊急アピール】イスラエルによる、パレスチナ人に対するテロ行為を止めて下さい!
パレスチナのオリーブオイルの出荷団体であるパレスチナ農業開発センター(UAWC)が緊急声明を出しました。UAWCはATJを通してオリーブオイルを日本に出荷する団体であると同時に農民の支援活動を行っています。
日本ではあまり報道されていませんが、10月に入ってヨルダン川西岸地区と東エルサレムでパレスチナ人とイスラエル人の間の流血事件が多発しています。この1か月間だけで50人を超えるパレスチナ人が死亡しています。これは、イスラエルによる長年の占領と抑圧、エスカレートする人権侵害や暴力がもたらした結果と言えます。
UAWCは声明の中で、イスラエルの占領と暴力行使を止めるよう国際社会に行動を起こすようアピールしています。
以下、声明文です。
[box]
世界中の人々への緊急声明
イスラエルによる、パレスチナ人に対するテロ行為を止めて下さい!
現在、聖地エルサレムにおいて、イスラエル人入植者によるパレスチナ人に対する攻撃が、毎日のように続いています。その他にも、イスラエル軍による不当な逮捕や拘留に加え、パレスチナ人に対する組織的な拷問や入植者による犯罪が後を絶ちません。卑近な例としては、2015年7月31日、ナブルス南部のDuma村において、イスラエル入植者がDawabsheh一家の自宅を焼き討ちし、1歳6か月になる男の子が亡くなり、両親と4歳になる兄も、大きな火傷を負いました(両親はその後死亡)。イスラエルによる実質的な占領下にあるパレスチナ自治区において、イスラエルによるこのような継続的な犯罪行為が行われていることを、我々は断固拒否します。
パレスチナ自治区の農村では土地の収奪や入植地の拡大など、イスラエルの入植と占領行為も一向に終わりを迎える気配がありません。それは、パレスチナの経済を窒息させ、パレスチナ自治政府とイスラエルとの和平に向けた交渉を閉ざし、パレスチナの主権に対するイスラエルの占領と支配を強めることにしかなり得ません。イスラエルによるこのようなすべての暴力が、ヨルダン川西岸地区、エルサレム、ガザ地区といった占領下にあるパレスチナにおいて、怒りを表現する手段としてデモを起こさせることになります。そしてデモに対し、我々がアラブ系パレスチナ人であるという理由だけで、全世界の人々が見ている前で、イスラエル軍は抵抗する人々を残虐に殺害しているのです。
2015年10月以降、イスラエル軍は明らかにデモに参加するパレスチナ市民への暴力の行使を強めました。そこには、非武装の投石者には決して使用してはならないと国際法で決められている武器や兵器が使用されているのです。
10月に入り、ヨルダン川西岸地区とガザ地区だけで、イスラエル人により殺害されたパレスチナ市民は32人に上ります。その中には、血も涙もないイスラエル入植者の手によって命を奪われた7名の子どもが含まれます。殺された人々の多くは、上半身に攻撃を受けていることがわかっています。また、それ以外にも、200人の子どもと40人の女性を含む1,500人以上が実弾やゴム被覆金属弾を受けて負傷し、さらに150人がイスラエル軍や入植者によって暴行されています。さらに、エルサレム、ラマラ、ナブルス、ヘブロン、トゥルカレム、カルキリヤなどの街で、少なくとも800人以上が不当な逮捕をされており、しかもその半数はまだ子どもなのです。
イスラエル入植者による暴力・破壊行為は、人だけでなく、農地に対しても執拗に続けられています。最近でも、ナブルス県にあるブリン村やハワラ村では、数十ドゥナム(1ドゥナムは約1ヘクタール。もともとは大人1名が一日に耕すことのできる広さから来たと言われる単位)の土地が焼き払われました。昨年エルサレムで起きたMohammed Abu Khudair少年が生きたまま火をつけられて殺害された事件を模倣し、イスラエル入植者がエルサレムの学校に通う生徒の殺害を企てるという事件も起きています。
イスラエルの占領行為とそれに加担する入植者たちは、(美しいはずの)パレスチナの街並みや通りを死の風景に塗り替えてしまいました。我々パレスチナ人は、絶えず銃撃による死の恐怖-それも、武装したイスラエル入植者とイスラエル軍狙撃部隊の双方による-に晒されているのです。それにも関わらず、イスラエルの多くのマスコミは現実を無視し、シオニストの作った「イスラエル人が(パレスチナ人のテロ行為による)被害者である」というイメージにすり替えた報道を、意図的に繰り返しています。
その例の一つが、東エルサレム近郊のAl Issawiyaに住んでいた19歳のFadi Allounの事件です。これは、「彼が入植者をナイフで刺そうとしていた」というイスラエル側の主張により、「彼を追いかけ始めたイスラエル警察から逃げている最中に」射殺されたと報じられました。しかし、残った映像には、彼がナイフは持っておらず、イスラエル入植者に対して攻撃をしようとしていた証拠は認められなかったのです。
世界中の全ての人々は、パレスチナ人が殺されている現状に対し、沈黙したままではいないでしょう。負傷して倒れている13歳の少年Ahmed Manasrahに対し、罵声を浴びせ、「殺せ」と叫ぶイスラエル入植者や警察・軍隊の様子は、彼らがいかに非人道的な扱いをしているかを端的に物語っています。さらに、到着した(イスラエルの)救急隊員が必要な応急処置も施さず、他の入植者に応じて「死ね、死ね」と声を上げる様子に至っては、最悪の人権侵害と言う他ありません。「負傷した子どもの痛み」は、世界中の人々の良心を揺さぶり、イスラエルの組織的なテロを終結させることになるでしょう。
このように、耳を疑いたくなるような暴挙は枚挙に暇が無く、皆さんがこの文章を読んでいる間にも、次から次へとパレスチナ人が負傷し、殺されています。だからこそ、UAWCは全世界の人々に向けて、緊急に次の点を要請します。
- 国際社会の沈黙を破り、我々パレスチナ人を守るための行動を起こし、イスラエルの非道な占領を終わらせるよう、圧力をかけて下さい。
- 皆様の国において社会的な運動を起こし、我々に対するイスラエルの暴力が止められるよう、イスラエル大使館に対してデモを行って下さい。
- イスラエルの占領を支持せず、入植地で作られた製品の不買運動や、イスラエルの不当な政策を支援するような外交をやめて下さい。
どうか心よりの連帯をお願い致します。
パレスチナ農業開発センター(UAWC)[/box]
ドキュメンタリー「”The Iron Wall” 鉄の壁」~パレスチナの人びとの自由を阻む壁~
国際的な意味で「壁」と聞くと、まず思い浮かぶのは「ベルリンの壁」ではないでしょうか。1948年8月13日から建設が始められたこの壁は、当時のソ連が、占領統治していた東ベルリンから西ベルリン(西ドイツ側)への住民流出を防ぐ目的で作られたと言われます。旧東ドイツ領内に飛び地として存在していた西ベルリンを取り囲むようにめぐらされ、1989年11月の崩壊まで40年以上に渡って存在し続けました。
ベルリンの壁は壊されましたが、このように何らかの政治的・差別的な意図を持って大規模に建設された壁に囲まれている場所は、世界中探してもパレスチナにしか見当たらないと思います。
特にヨルダン川西岸地区を取り囲むように建設されているこの壁は、ベルリンの壁の約4.7倍、全長700km以上にも及び、2002年にイスラエルによって建設が始まりました。名目は、「イスラエル国民をテロリストの攻撃から守る」とされていますが、実際にはグリーンライン(1967年の軍事境界線≒現ヨルダン川西岸地区とイスラエルとの境界線)よりヨルダン川西岸地区へ食い込み、その内部に違法に建設されているイスラエル人入植地をイスラエル側へ取り囲むかのように伸びています。明らかに、違法な入植地を強制的に領地として併合する意図が見て取れ、計画上では、ヨルダン川西岸地区の46%がイスラエル側に取り込まれるという試算もあります。
2004年7月、国際司法裁判所は、ヨルダン川西岸地区へ食い込んだ壁の建設は違法であり、壁は速やかに撤去され被害を被った住民への補償がなされるべきであるという勧告を出しています。同年の国連総会決議においても、イスラエルに対し、その勧告に従うように求めた決議が採択されています。
しかしながら、イスラエルはこれらの勧告を一切無視し、今日に至るまで分離壁の建設を続行してきているのです。分離壁がヨルダン川西岸地区に食い込むということは、壁のルート周辺にあるパレスチナ人の土地が奪われ、また分断され、そして壁の「向こう側」が強制的にイスラエルになってしまうことを意味しています。このようにして、ただでさえ占領下で困難を強いられているパレスチナの人々の生活が、さらに奪われていく実態があります。
オリーブオイルを出荷している現地パートナーであるPARCは2006年に、このパレスチナの現状を広く伝えたいとドキュメンタリー「The Iron Wall(鉄の壁)」を制作しました。そして京都YWCA有志の方々が、日本で伝えたいと日本語版を制作し、ご厚意によりこの度、ATJウェブサイトで公開することになりました。10年近く前のものではありますが、ここに含まれている内容は今なおヨルダン川西岸地区で起こっていることです。ぜひご覧いただければ幸いです。
事業部商品二課 若井
制作・著作権:Palestinian Agricultural Relief Committees(2006年)
日本語字幕:京都YWCAブクラ
【パレスチナからのアピール】国際司法裁判所の判決が実行されるよう共に声をあげよう!
イスラエルが建設する分離壁を違法とした国際司法裁判所の決定が出てから11年。パレスチナのオリーブオイルの出荷団体、パレスチナ農業開発センター(UAWC)は、依然として建設が進行している状況に対して抗議するよう国際社会に呼びかけています。
ハーグにおける国際司法裁判所の決定から11年を経てもなお、分離壁はそこにあります!
[box type=”shadow”]2004年7月9日、ハーグにある国際司法裁判所は、イスラエルが建設を進める分離壁に対する法的責任に言及する勧告を提示しました。その中で同裁判所は、分離壁の建設が国際法に反していること、そして占領者であるイスラエルに対しては、直ちに分離壁の建設を取りやめ、既存の壁を壊すべきであること、またパレスチナ人に対して補償を支払う責務があることを明言しました。さらに各国政府には分離壁に反対する義務があること、国連は具体的な行動を示すべきであるとも述べました。しかし、この国際司法裁判所の決議から11年が経った今なお、分離壁は依然として存在し、国際法に違反したイスラエルによる占領が続いているのです。
2002年、イスラエルは「イスラエルからヨルダン川西岸地区を分離する」という目的で、分離壁の建設を始めました。国連人道問題調整事務所(OCHA)によると、分離壁は建設予定分も含めると総長712kmに及び、それはグリーンライン(国際的にイスラエル領を定める停戦ライン)の2倍以上の長さです。実に分離壁の85%以上がグリーンラインを越えて西岸地区の側に食い込み、もし予定通りに建設が完遂した場合、東エルサレムを含む9.4%もの土地が、イスラエル側に孤立することになります。パレスチナの農民が「壁の向こう側」にある自分の農地へ行くには、74ヶ所に設けられたゲートを通過するしかありませんが、そのうち52ヶ所は、10-12月のオリーブ収穫期間にしか開かれません。また「ストップ・ザ・ウォール・キャンペーン」によると、分離壁の建設によって、パレスチナ人の所有する農地の多くが破壊され、帯水層を含めた貴重な水源が奪われました。
国際社会による数々の人道的解決策をことごとく踏みにじってきたイスラエルは、「自由に行き来すること」「土地の所有権を持つこと」「水を使用すること」「食糧の主権を持つこと」というような基本的な権利を、パレスチナ人から奪っています。ダメなことにダメと言い、国際的な解決を希求し、立ち上がることは、地域社会・国際社会が果たすべき役割なのです。
国際司法裁判所の決定を実践し、イスラエルによる差別的かつ非人道的な行いを止めさせるための運動は、今こそ、世界中全ての社会活動家や心ある組織の手によって、強められていくべき時だと考えます。イスラエルによる継続的な占領と土地や資源の収奪、そしてパレスチナの植民地化を、止めさせる時が来ています。どうかこの占領を終結させ、パレスチナが自分たちの手で自分たちのことを決められる社会を作れるよう、支援をお願い致します。
以下に署名をした我々組織や活動家は、国際司法裁判所の決定を実践し、分離壁を無くし、イスラエルに対して全ての国際法や協定を遵守させるために、国際社会の速やかな介入を呼び掛けています。
・ 私たちは、イスラエルによる分離壁の建設によって生じた非合法的な状況を一切認めません。
・ 私たちは、イスラエルによる分離壁が建設されたこの状況を維持するための支援や援助を一切行いません。
・ 私たちは、イスラエルによる分離壁の建設によって生じた、パレスチナ人の民族自決権を妨げている負担や重荷を取り除くことに取り組みます。
・ 私たちは、イスラエルによる分離壁の建設またはその維持を支援する全ての企業・組織・団体をボイコットします。[/box]
UAWCは下記URL(英語)で賛同署名を集めています。みなさんの応援の気持ちをぜひパレスチナの農民に届けてください!
賛同方法について
①UAWCのウェブサイト(英語)にアクセスしてください。アピール内容は上記のとおりです。
11 years after ICJ’s Decision at The Hague and the Apartheid wall still exists!
②下部にある「Support」をクリックすると署名欄につながります。
③記入方法について
各項目にご記入ください。
Full Name(氏名)
E-mail(メールアドレス)
Organization(所属団体)
Job Title(役職)
TEL(電話)
FAX(ファックス)
Celluler(携帯番号)
必要と思われる項目のみで結構です。また、所属団体の後ろにJapanと付記していただくと日本からの賛同だとわかります。
【パレスチナ】 UAWC職員ファラージさんの行政拘禁が再度延長に
パレスチナから大変残念なお知らせがありました。オリーブオイル出荷団体のひとつ、UAWC職員であるアブドゥル・ラゼック・ファラージさん(53歳)の行政拘禁が再度4ヵ月延長されました。
2014年2月25日に拘留されたファラージさんは、拘留期限となる同年8月に6ヶ月、2015年2月に4ヵ月の拘禁更新が言い渡されていました。これが実に3度目の拘留延長です。UAWCは今回の延長が最後になり、10月には釈放されるだろうと話していますが、本当にそう願うばかりです。
ファラージさんの拘留延長は、パレスチナで政治犯を支援するNGO、Palestinian Prisoners Solidarity networkのウェブサイトでも報道されています。
Palestinian writer and land defender Abdul Razeq Farraj’s administrative detention renewed
ファラージさんや家族の状況がわかりましたら、ご報告させていただきます。
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(注)行政拘禁とは理由も明らかにせず、起訴なしで拘留する制度です。イスラエルの人権団体、B’Tselemは、国際法では市民に危害をもたらすおそれがある場合の最終的な手段としてのみ執行が認められていますが、イスラエルはこの制度を濫用し、過去数年間で何千人ものパレスチナ人に適用しているとしています。Palestinian Prisoners Solidarity networkによると現在でも400名を超えるパレスチナ人が行政拘禁されているそうです。
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(政策室 小林)
パレスチナ雑記② パレスチナとオリーブ
最近、イタリアのオリーブの樹が「ピアス病菌」という細菌によって大量に枯死している、という話題が上っています。イタリアは、スペインと並んで世界有数のオリーブ産地であり、イタリア産と表示されたオリーブオイルは、日本に輸入されているオリーブオイルの約半分を占めるとも言われています。なので、このまま被害が拡大すると、今後の日本のオリーブオイル供給量や価格、そして速水もこみちの生活にも影響が出てくるかもしれません。
パレスチナも地中海沿岸に位置する土地でありますので、心配になって状況を聞いてみましたところ、「全く問題ない」とのこと。今年は花の咲きもいい感じだそうで(オリーブの花期は、毎年5-6月頃)、このまま順調に行けば、良いオリーブオイルが採れそうであるとのことでした。この後花が落ちて実が成り、その実が熟し始めて色が黒っぽく変わり始める10-11月頃が、収獲の時期となります。
さて、そんなオリーブは今から6,000年程前にパレスチナ周辺で栽培が始まったと言われます。元々、ジェリコなど「世界最古の街」を標榜する土地でもありますので、そういう人たちが始めたということなのではないでしょうか。以後、花粉や種が風に乗ったり鳥に運ばれたりしたことで、オリーブが地中海沿岸に広がっていったそうです。
それ以前は脂肪と言えば動物由来が一般的だった中、常温で液体のオリーブオイルは、非常に重宝されました。食用はもちろん、皮膚を守るために体に塗られたり、灯りを取るために燃やしたり、香油や媚薬の溶媒にしたり、石けん等の原料として使ったり、まことに多岐にわたる用途があり、現在に至っています。また比較的堅い質感を持つオリーブの木は道具作りにも重宝され、現地の至る所で木工品が売られています。(ナザレのイエスは、よく「キリスト」と呼ばれますが、これは「油を注がれたもの」の意味を持つ「メシア」というヘブライ語をギリシア語訳した言葉から来ているそうです。この油=オリーブオイルと言われます。昔からオリーブオイルは、聖なる油としての神秘的な位置付けもなされていたことがわかります。)
実際にヨルダン川西岸地区を車で走ると、日本の田んぼのような感じで(風景は全く違いますが)丘陵地帯にはオリーブが広がり、走りながら地図を見ると、至る所に「オリーブ」を意味するZeit~という地名が見られ、休憩のために立ち寄ったレストランではオリーブオイルはジョッキに入って机の上に置かれ、そのオリーブを搾るための搾油所では使用料は搾ったオリーブオイルから天引きされるらしい、という具合に、至る所でオリーブが活躍していることがわかりました。パレスチナ人にとってのオリーブオイルは、単なる食品を越えた、民族の根幹を成す生活の潤滑油といって差支えありません。
ヨルダン川西岸地区で最も多く栽培されている品種は、「ナバリ」と呼ばれるもの。日本で良く見るイタリアやスペイン産オイルではあまり見られない品種で、現地の人が、古い樹を「ナバリ・バラディ(バラディ=地元のもの、みたいな意)」と地元愛を込めて呼んでいるのが印象的でした。地方によって異なるようですが、樹齢数十年~数百年程度のものまで、幅広い年齢層の樹が育てられています。多くの生産者は、代々オリーブ栽培を営んできた人々。いくつかの村を訪問しましたが、本当に長閑な雰囲気でした。「パレスチナ」と聞くと、どうしても紛争地帯と言うイメージを抱きがちですが、本来はこのような人々の暮らしが当たり前にある土地であることを再認識させられました。

Al Zawiye村の協同組合長、イスマエルさん宅でごちそうになったパレスチナ料理。生地から滴るほどにオリーブオイルが使われていたが、食べてみるとそれほど脂ぎっているわけではなく、むしろシンプルで日本人の口に合う美味しさ
事業部商品二課 若井