レポート

ビデオ『苦い砂糖の島』(1986年)

2017年8月2日

今年はマスコバド糖民衆交易が始まって30年の節目の年となります。1980年代、フィリピン、ネグロス島で起きた飢餓救援をきっかけに日本とネグロスの連帯運動が始まりました。その連帯運動を基盤にマスコバド糖の民衆交易が生まれ、1987年3月、初めての輸入となる10トンのマスコバド糖が神戸港に陸揚げされました。

フィリピンでは1970年代、フェルナンド・マルコス独裁政権に対する民主化運動が活発化し、日本でもそれに連帯する市民グループ、キリスト教や仏教などの宗教者グループが生まれました。そうしたグループが、1979年、「日本フィリピン問題連絡協議会」を結成し、日本企業による公害輸出やプランテーションバナナなどの問題に取り組みました。1985年12月、毎年開催されていた「日比民衆連帯集会」でフィリピン側より提起されたのが、ネグロス島の飢餓問題でした。「子どもたちが毎日、何人も飢餓のため命を落としている。何か協力してもらえないだろうか」と。その呼びかけに応える形で翌1896年2月に発足した市民グループが、日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC、APLAの前身)です。

ビデオ「苦い砂糖の島」は、1985年11月の「連帯集会」での議論を受けて、ネグロス島の飢餓の状況、その背景にあるサトウキビ・プランテーション(アシェンダ)や大土地所有制の問題を日本の市民に伝えるために、1986年1月に現地取材、制作されたビデオです。

ネグロスの農園労働者が置かれた状況は、冒頭にあるコピーがすべてを物語っています。

砂糖は甘い。
それで儲ける者にとってはさらに甘い。
しかし、それを作らされる者にとってはあまりにも苦い。

当時のアシェンダの様子がわかる約45分の貴重な映像です。どうぞご覧ください。

なお、映像はビデオフィルムをデジタル化したものです。画像が粗いことをご了解ください。

広報本部 小林

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