ゲランドの塩
Sel de Guérande- フランス・ゲランド
- フランス北西部ブルターニュ半島の付け根にあるゲランド。良質な粘土層に恵まれたこの土地では、大西洋の潮の干満を利用して塩田に引き入れた海水を、微妙に高低差を付けた塩田でゆっくり巡回させながら太陽と風の力で水分を蒸発させる塩づくりが営まれてきました。
ゲランド塩田の発展と衰退
ゲランド地方における製塩業の歴史は古く、遅くとも9世紀以前頃には現在と変わらない製法が始まったと言われています。その後、16-18世紀には肉や魚を塩漬けで保存していたことからもヨーロッパでの需要と消費は伸び、ゲランド塩田は発展を遂げてきました。
しかし、19世紀には、戦争の影響や新産地との競合などにより、塩職人の生活は苦しくなり、塩づくりをあきらめる職人、手放された塩田の荒廃、後継者の減少など、ゲランドの産業自体に陰りが見え始めました。特に20世紀初頭からの工業的な大規模製塩業の台頭により、塩職人はより厳しい状況に追い込まれていきました。
リゾート開発への反対運動からはじまった伝統製法の再興
1970年代にはいると、塩田一帯にリゾート開発の計画が持ち上がりました。当時すでに数が少なくなっていた塩職人たちは、ゲランド塩田の消滅の危機を乗り越えるべく、生産者組合の前身となる技能集団を立ち上げ、開発計画への反対運動を展開しました。運動には、1968年フランスの学生運動「5月革命」で広まった「自然に帰れ」「都市から農村へ」といった合言葉と問題意識を持った都市の若者たちも加わり、ゲランド塩田の価値が再認識され、再興運動が活発化していきました。
また、開発計画に反対する環境保護運動を契機に、塩田周辺の生態系の豊かさも認識されるようになっていきました。塩職人たちは、今日まで、地域の生態系や環境を保護する取り組みや、後継者育成のため技術指導をおこなう養成センターを設立するなど、ゲランド塩田周囲の湿地帯の生態系の素晴らしさと重要性の発信に取り組んでいます。
1987年に共同の貯蔵倉庫の建設、生産者集団を組合として再編、そして自主販売を担う組合直営の会社「サリーヌ・ド・ゲランド社」の設立など、製造・在庫管理・販売までを主体的におこなう仕組みを作りました。また天候の変化による年ごとの収穫量のばらつきを在庫方式で賄うなど、事業として持続できる体制づくりを整えています。
出会いは一冊の本から
「おいしい塩が残るには、それなりの理由と社会的苦闘があるのだ。」この序文で始まるコリン・コバヤシ著『ゲランドの塩物語』(岩波新書2001年刊)に感銘を受けた当時のATJ社長堀田正彦が、著者に連絡をとったことが、ATJがゲランドの塩交易を始めるきっかけとなりました。自分たちの地域の環境や原風景、技術を守り続ける塩職人、環境保全型の製塩法、世代を越えて繰り広げられている連帯運動に共感し、2001年のゲランド訪問を経て、2002年にATJはゲランドの塩交易を開始しました。
今日では、ゲランドの塩は、フランス国内外で高く評価されています。ラベル・ルージュ(フランスにおける最優秀食品に認定されるもの)の取得に加え、2012年にはPGI(地理的表示保護)マーク※をEU域内における食塩として初めて取得しました。これは、ゲランド地域で所定の方法で製造され、最終製品化されたものであることを証明するもので、他国や他の地域で同じ製法で塩が作られたとしても、ゲランドと名乗ることはできないものです。伝統的な製法や気候・風土などの地域性が、ゲランドの塩の独特な品質を生み出していることが評価されたのです。
※こうしたゲランド社の立場を尊重し「ゲランドの塩」の製品そのものを‘小分け’しての販売はお断りさせていただいております。