レポート

【バナナニュース299号】フィリピン・東ネグロス州マンティケル村

2020年2月25日

ネグロス島には現在10のバランゴンバナナ生産者組合があります。

そのうち最も活発に活動しているのがマンティケル村のグループです。2013年にバランゴンバナナの出荷を開始し、2014年に生産者組合が設立されました。

マンティケル村は、1980年代後半から1990年代初頭にかけて政府軍とゲリラの戦闘が激しく、多くの村民が村外への避難を強いられていました。しかし、2000年代に入って状況が落ち着くと、人々が村に戻ってきました。

この村は町から離れた山奥にあり、日用品が高いことが課題でした。2017年に、組合員からの出資金や、バナナの出荷量に応じて受け取る奨励金を積み立てて共同購買所を設立しました。調味料から缶詰、ソフトドリンクにビール、学用品や石鹸など品揃えは多岐にわたり、共同購買所はコミュニティの結束を強める役割を果たすようになってきています。

これらの物資は、バランゴンバナナの集荷が行われる日に空の集荷トラックに載せて町から運ばれるため、輸送費の節約にもつながっています。

 

 

 

東ネグロス州マンティケル村の生産者

\ ダニーロ・サビナンさん(40歳)に聞きました! /

ダニーロさん(右)と妻のゲラルダさん

2019年前半の干ばつは深刻でした。バランゴンバナナの収穫量は前年に比べて10分の1以下に減少してしまいました。バランゴンバナナが主な収入源でしたので、収入を確保するために、被害を受けたいくつかのバランゴンを抜き取り、その場所に販売および自家消費用の野菜を植え急場をしのぎました。

バランゴンバナナを栽培していて一番苦労することは、台風や干ばつなどの天候被害です。バナナは風に弱い作物で、また干ばつの被害を受けると回復に時間がかかります。そうした災害に備えて、今後は畑の作物を多様化していくことを考えています。それでもバランゴンバナナの栽培を決してやめるつもりはありません。この山間の村まで定期的に集荷に来てくれるのは本当に助かっています。他の野菜の場合は、町まで運ばないといけないですし、価格も安定していません。

小さい頃の夢は、どんな分野でもいいので専門家になって、オフィスで働くことでしたが、経済的な理由で高校に行くことができず、夢は叶いませんでした。村は山間にあるため、農業で生計を立てざるを得ませんでした。バランゴンバナナは7年前に栽培を始めました。村までの道路事情が悪いにも関わらず定期的に集荷に来ているのを見て興味を持ったのがきっかけです。今は、バランゴンの他には、ナスとゴーヤを栽培しています。3人の子供たちは高校を卒業することができ、今は皆家を出て働いています。

日本の皆さん、いつもバランゴンバナナを選んでいただき、ありがとうございます。皆さんとの関係が今後も続くことを願って、バランゴンの栽培を続けていきます。

 

マンティケル村での集荷の様子。太さや外見の品質確認をしている。

村長もバナナの交易が地域に与える効果を高く評価しています。山奥まで入ってきて適切な価格で買い取ってくれるため、かつては経済的な悩みを抱える村民が多かったようですが、そのような生活相談が減ったとのことです。

 

 

 


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