『バランゴンとバナナ村の人々』制作秘話
以前ご紹介した『バランゴンとバナナ村の人々』は、30年前にバランゴンバナナの輸入が始まった当初のバナナ産地(ネグロス西州ラカルロータ市ラグランハ地区)の様子を記録した貴重な映像です。その撮影を担当したカサマフィルム代表の長倉徳生さんにお話を聞きました。
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当時、私はフリーのカメラマンをしていて、堀田正彦さん(ATJ初代社長)からの誘いで、制作に携わることになりました。全体像はよくわかっていないところもあったのですが、撮影への使命感から引き受けることにしました。1週間くらい現地に滞在して、映像に登場する家族の家に泊まりながら撮影をしていました。始まったばかりのバナナの民衆交易に対する期待感を生産者やパッキングセンターの人たちからすごく感じました。
撮影でこだわったのは、山の上からバナナを担ぎ裸足で降りてくるシーンです。降りてくる時の「ひたひたひた」という足音に彼らの暮らしの現実を感じるとの堀田さんのこだわりがあり、その足元がよく写るようにしました。
集荷したバナナをタライで洗っていたのですがきれいにならなかったり、始めは試行錯誤の連続でした。日本で購入した人に届くのは追熟させていない青いバナナだったので、「手わたしバナナくらぶ」(会員制のバナナの頒布サービス)では、新聞に包んで暖かいところに置いたり、みんなそれぞれの方法で追熟していました。
そうしたことを思い返すと、失敗が許容されづらい世の中になったなと感じます。当時は、失敗を繰り返しながら自然の産物であるバナナと付き合いながらやっていました。自然との付き合いが減ったから、失敗を面白がれる余裕がなくなっているんじゃないでしょうか。
私自身は、コミュニティのつながりを取り戻したいという思いから、荒川区でボランティア活動をしています。今自分たちが取り戻そうとしているものって、ネグロスの人たちが元々持っているものなんですよね。ネグロスの人々への支援と言っているけど、自分たちが学ばせてもらっている一面もあるのだと思います。
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映像を見ると山奥に住む農民がバナナを収穫し、箱詰めされるまでのプロセスは、文字通り「人から人へ、手から手へ」つながれていたことがよくわかります。ちなみに、収穫してから集荷所まで農民が重いバナナを天秤棒で担いだり、カラバオ(水牛)で運ぶのは今もありふれた光景です。多くの人の期待を背負って始まったバナナの民衆交易をこれからも未来へとつないでいきたいと思います。
『バランゴンとバナナ村の人々』(1992年制作、26分)
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