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ゲランド塩田:この10年の歩みと発展

ゲランド塩田:この10年の歩みと発展

ゲランドの塩田

 「おいしい塩が残るには、それなりの理由と社会的苦闘があるのだ。」この序文で始まるコリン・コバヤシ著『ゲランドの塩物語』(岩波新書2001年刊)との出会いが、ATJがゲランドの塩に取り組むことになった理由でした。ゲランドの塩では、フランスという日本と同じ「北」に分類される先進国、その中でも自分たちの環境や風景や技術を守るために活動している塩の生産者との出会いを通し、フランスの市民運動から日本の市民運動を見つめなおすきっかけを得る、「北と北の連帯」としての取り組みを始めたのです。

 古い昔から延々と行われていた地場伝統産業としての天日塩づくりは、大量生産でつくられる工業的塩に押され、70年代にはリゾート開発に翻弄されながらも塩職人たちは地域住民と共に闘争してゲランドの塩を守り抜きました。塩職人たちは時代を越えてコツコツと塩田再興運動を積み上げてきたのです。それは、単なる塩づくりを越えた社会変革運動であり、生態系との共生を実現することなのです。

 ATJがゲランドの塩の取り組みを開始してからの10数年間も、ゲランドの塩職人たちは綿々と塩田を復活させ、人材を育成し、自然と共生するゆるぎない地域事業としてゲランドの塩を育てています。そうしたこの10年間の「続ゲランドの塩物語」をコリン・コバヤシ氏がフランスからレポートします。

ATJ政策室 幕田恵美子

特別寄稿:コリン・コバヤシ氏

 拙著『ゲランドの塩物語』が刊行された2001年当時と比べ、この10年ほどのゲランド塩田の歩みは、目を見張るばかりである。それは、生産レベルで言うなら、まず塩田開発面積で表すことが出来るだろう。6800あった採塩池が9000となり、塩田全体の三分の一の面積に相当する発展となった。それほど発展するのは当然、販売量もかなり拡大したからである。2003年に年7100トンだった販売量が、今日、年12000トンとなった。それは過去の販売量の70%の増加であり、劇的と言っていい発展である。そのおかげで、現在、組合員数200名ほどのル・ゲランデ生産者組合の給与は安定し、若い世代をこの職業に引きつけるファクターになっている。そのため、研修を受けた若い新参塩職人が毎年、4-5人の割合で、定着しており、またその他の若い塩職人がル・ゲランデ生産者組合に加盟するようになって来ている。現在、ル・ゲランデ生産者組合の生産量は、ゲランド塩田の全生産量の80%を占めている。

劇的な発展につながった地理的表示保護地域認定

ゲランドの塩 こうした進歩は、むろん、欧州で認定されたラベル「IGP」(地理的表示保護地域認定)を2012年に獲得したことが大きく作用している。ゲランドの塩が職人的技術で収穫されているという、天日塩の特別な品質を公式に売り文句にすることが出来るようになった。今日では、フランス料理の代表的なシェフたちがゲランド塩を推奨しているし、自然食や安全な食品を求めている消費者たちにとっても人気商品となっている。

 ル・ゲランデ生産者組合は、海外への販売戦略も様々な展開を重ねており、現在では54カ国が輸入している。

ゲランドの塩生産者組合 こうした販売上の向上は、当然、収穫した塩の貯蔵場の拡大なしには実現できない。貯蔵場面積はほぼ倍になり、中期的には、年間15000トンの量を取り扱うことが出来る機能と設備を完備した。55人の有給職員が勤務し、40人の身障者の下請け雇用者が製品のパッケージの一部の製造(例えば、布地の袋など)を請け負っている。

 増築された社屋は、塩蔵様式を踏襲しており、建物の屋根には太陽熱パネラーが設置され、雨水は回収され、組合内での活動の自立が保障されている。持続的発展の前線に立とうとする組合の姿勢の表れである。

塩田と繋がる環境保護、そして南と北を繋ぐ塩田技術支援

 もし、すべてが順調に行けば、あと10年で、ゲランド塩田の開発可能な土地はすべて復興されて、塩田全部が生産地として機能する旧来の姿を取り戻すことになるだろう。確かに、この10年で、荒れ地のように放置されていた塩田が数多く復興し、昔の設計図に基づいて再建され、若い塩職人たちが精を出して作業している光景を見ることが出来る。

ゲランドの塩 塩田周辺の道路や周辺の観光名所の駐車場の整備も進み、観光客や訪問者を受け入れやすい体制がかなり整って来ている。組合社屋の横に出来た訪問者受け入れセンターである『塩の大地』は、今日では年中無休で開業している。この中には、野鳥保護協会やNPO『ユニヴェル=セル』(<ユニヴァーサル=普遍的な>と<セル>(塩)を連結させた造語)などが活動している。

 前者は設立当時からのパートナーであり、塩田の環境保護と密接なつながりを持っている。その共同活動の成果で、1995年に国際的に重要な野鳥保護の湿地帯としてラムサール条約で認定されたのだ。今後、ユネスコの『生物圏保護地』として、認定される可能性がある(なお、野鳥保護協会は、現在、事務所を『塩職人の家』に移管している)。

 後者の『ユニヴェル=セル』は、南と北の連帯を謳い、1994年に行なわれた最初の支援活動、アフリカはベナンでの塩田技術支援以来、塩職人の会員たち自身のボランティアの活動によって支えられている。彼らは、とりわけ、アフリカ諸国に行き、水田の灌漑や天日塩の製法をアフリカ現地の人々のやり方を尊重しながら、支援している。こうした支援のやり方は、組合設立後の第一世代が行なって来たことだが、新たな世代に継承され、繰り返し行なわれることが重要なのだ。

 第一世代は、組合の設立、塩価格のアップと維持、販売戦略の発展とともに、天日塩の文化的価値の再評価、塩田作業と結びついた環境保護、塩田の国定保護地としての認定獲得など、多くの局面で闘って来た。それに続く第二、第三世代は、獲得されたものをさらに充実させることに向けて励んでいる。そして、第一世代が獲得したものをまた学び直してもいるのだ。その繰り返しがなくては、生態系は守れない。

ゲランドの塩職人 コリン・コバヤシ氏撮影 彼らの価値観を要約すると、

  • 協同組合的精神
  • 北と南の連帯
  • 先駆的精神
  • 環境の尊重

である。

 また品質の向上と保持にも務め、研修、製品の高品質維持への政策、トレーサビリティ、食品安全、天日塩としての正統性、品質管理と保証(ラベル)、有機食品としての認証、「IGP」(地理的表示保護地域認定)などに留意している。また地域でも根を下ろすべく、様々な近隣地域でおこなわれる地場特産品の市場に、地産商品として出展している。また商品アイテムも多様化されて、様々なタイプの塩が提案されている。一番摘みのフルール・ド・セルから、粗塩、細かく粉砕した塩や、様々なハーブや香料を入れた塩など、商品の多様化研究も怠らない。『赤ラベル』(フランス食品の最高品質に与えられる認証)や有機認定、またNPO『自然と進歩』が規定した生産様式で作った塩に与える認証付きの高品質のアイテムもある。そういった意味で、製品の価値/意味付けがうまく機能しているのである。

多様な価値の宝庫ゲランド塩田の街づくり

 また、今後の展望として、塩田という希有な場所の様々な要素(塩田の植生、プランクトン、鹹水、ニガリ)などを価値付け、それを新たな発展のカギにしたいと望んでいる。

ゲランドの塩のロゴ ゲランド塩田を訪れる観光客は、夏期だけでも2000年初頭は、1万人ほどだったのが、今では二倍から三倍近い。たしかに、塩田のみならず、近隣の市町村も受け入れ態勢が充実して来たし、たとえば、バ=シュル=メールの塩田博物館は、小さな田舎の民俗館といった趣だったが、近年3年間に大幅な増改築が施されて、国立博物館並みの立派な博物館となった。宿泊施設も増え、ツーリストも快適に過ごせるようになった。塩職人も、交代で観光客をグループで塩田に案内し、収穫の作業過程と、環境・生態系との関係を誇らしげに語る。

 エコロジーへの関心が、単なるブームでなく、世界的に定着して来ていることも確かだが、ゲランド塩田は、人と自然の関わりの最も理想的なひとつの好例として、幾度引用しても、しすぎることはないだろう。

コリン・コバヤシ氏のプロフィール:

1949年東京生まれ。1970年渡仏、以来、パリ首都圏に定住。

美術家、著述家、フリージャーナリスト。

著書:『ゲランドの塩物語』(岩波新書、2001年。渋沢クローデル賞現代エッセイ賞2001年)、『国際原子力ロビーの犯罪−チェルノブイリから福島へ』(以文社、2013年)

訳書:『68年5月』(インスクリプト、2015年6月刊行予定)共訳書:『チェルノブイリの犯罪』(緑風出版 2015年)、『徹底批判 G8サミット』(作品社2008年)他

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