レポート

2020年10月1日

【バナナニュース308号】モンディア・インボックさん:困難を乗り越える農民の物語②

マキララでの出荷再開後の収穫の様子

 昨年10月にブハイ村のあるマキララ町を大地震が襲いました。マキララ町では2万世帯以上が被災し、多くの家屋が倒壊しました。

 ブハイ村では斜面にあったバランゴンの畑のいくつかは地滑りで失われました。インボックさんの家も流されました。出荷団体のドンボスコ財団は、事務所倒壊などの甚大な被害に遭いながらも、地震の2週間後にはバランゴンの集荷を再開しました。誰もが大惨事に動揺する中でも、人々が生きていくためには収入が必要という判断からでした。バランゴンは人びとが立ち直るのを助け、トラウマの中でも自分たちの土地や農場に戻る勇気を与えました。

マキララでの出荷再開後のパッキングセンターの風景

 今年のコロナ禍でのロックダウンは、先住民族タガバワのコミュニティにさらなる苦しみをもたらしました。商人は地域を横断することができず、ココナツ、ゴム、切り花(アンスリウム)は市場を失いました。一方で、(物流の許可を得た)バランゴンの出荷は継続されたため、バランゴンの回復力は再び人々を驚かせました。危機の際にはバランゴンは食料にもなるため、ブハイ村ではバランゴンの栽培に関心を示す人が増えています。

 インボックさんは今もなお健在です。バランゴンからの収入は、家族の日常生活に必要なものを賄ってくれています。彼は豊かになったわけではありませんが、コツコツ貯めたお金で、バナナをパッキングセンターに運ぶバイクを購入しました。1年前には政府の援助を得て、ブハイ村の農民がバナナをパッキングセンターに運ぶための中古トラックも取得しました。彼は自らの先住民族コミュニティだけでなく、ブハイ村の入植者やイスラム教徒(先住民族マラナオ)にもインスピレーションを与えるモデルとなっています。人々のために夢を見ることをやめず、67歳になってもエネルギーとポジティブさに満ち溢れています。

 なお、地震から1年が経過した現在も、インボックさん達のコミュニティは仮設テントの避難所暮らしが続いてます。もともとの居住地は政府のリスク評価により、居住禁止区域に指定されてしまったためです。

避難所①

 ブハイ村には、2000年に大手のバナナプランテーションが進出し高地栽培バナナの栽培が開始されました。村の人からの聞き取り(2016年)では、農薬散布は早朝にブームスプレー(トラックの後ろに積んだタンクから圧力をかけて道路から農園に農薬を撒く方法)で行われ、風向きによってはきつい臭いの農薬が家まで飛散し、日中もずっととどまっているように感じられるそうです。(ちなみに、バランゴンバナナの圃場はプランテーションから離れた奥地にあります)。

避難所②

 現在の避難所もプランテーションに隣接しており、農薬に曝されるリスクに悩まされています。また、政府が進めるブハイ村コミュニティの移転計画にも問題がありました。再定住地の候補地がプランテーションに四方を囲まれた土地であり、健康リスクが懸念されることです。また、ブハイ村で家を失った先住民族はインボックさん達タガバワの他に、イスラム教徒のマラナオの人たちもいました。(どちらのコミュニティにもバランゴンバナナ生産者がいます)。

タガバワ避難所にパイプ支援

 政府の計画では、2つの先住民族コミュニティが近い地域に移転するものですが、タガバワの従来の暮らし方である養豚や犬を飼うことは、マラナオ(イスラム教徒)の人たちにとっては大きな禁忌事項であり、お互いを尊重した暮らしが継続できるかの懸念がありました。

 そのため現在は、政府の計画に頼る方法ではなく、日本などからの義援金を使って、元来先住民族が暮らしていた土地を購入し、そこに再定住することを目指しています。(マラナオの人たちも親族の土地への移住など、政府が準備する移転地以外の選択肢があります。)

被災者支援の現状は、マキララ地震 復興支援 中間報告をご参照ください。

 

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