レポート

イベント報告2:パプア・チョコレートの挑戦|パプア現地で今

2012年12月3日

イベント報告2:パプア・チョコレートの挑戦
パプア現地で今

パプアには世界1位の埋蔵量の金、第3位の銅の他、石油、木材、海産物などの資源が豊富です。戦後、パプアでの豊富な天然資源に目をつけた外国企業による大規模な自然破壊が行われています。

広大な原生林を破壊して、アブラヤシ(パーム・オイル)のプランテーションが作られたり、米国の鉱山会社フリーポート社が1970年から金と銅の露天掘りの鉱山開発をしています。これにより多くのパプアの先住民族が土地を失いました。先住民族の存在を無視した大規模開発が行われています。一方、先住民族コミュニティの権利は確立されずに、パプアの村落部貧困率はインドネシアの全国一位となっています。

こうした中で先住民族が自らの手で自立するためのカカオ事業を始めようというわけです。現地の農民を支援するパプア農村発展財団(YPMD)代表のデッキー・ルマロペンさんにお話をお聞きします。


パプア現地の状況を伝えるパプア農村発展財団(YPMD)代表のデッキー・ルマロペンさんパプアの人びとはどのようにカカオの栽培を始めたのですか?

デッキー:1930年代にオランダがパプアでカカオの栽培ができないかということで土壌の調査を始めました。1969年にパプアがインドネシア政府に併合されてから、インドネシア政府とオランダ政府が共同で出資をして、イリアンジャヤ開発財団を立ち上げました(当時パプア地域はイリアンジャヤと呼ばれていました)。その時にパプア人のための研修センターなども作られました。

1970年台からジャヤプラとマノクワリでカカオの栽培が本格的に始まりました。

その時、パプアの人たちはカカオをどのようにとらえたのでしょうか?

デッキー:パプア人はカカオを栽培することをとても喜ばしいこととして受け入れました。ジャヤプラ近郊のグニェム地方は土壌がカカオ栽培にとても適していたということもあって、積極的に受け入れられています。オランダ人の調査に基いて、カカオを栽培する地域を決めました。このイリアンジャヤ開発財団は最初から25年という期限付きで1995年まで事業が行われました。

当時はイリアンジャヤ開発財団がカカオの買い付けを独占していたので、買い付け価格もキロあたり、当時の価格は245ルピア(20円くらい)でした。現在は5000ルピア(日本円にして50円くらい)で売られています。

イリアンジャヤ開発財団が1995年に終わって、それからインドネシア政府主導によるカカオ開発になると思いますが、大きな変化はありましたか?

デッキー:1995年以降はインドネシア政府主導でカカオ栽培が行われたわけですが、イリアンジャヤ開発財団がやっていた頃はカカオとは呼ばずにチョコラ、チョコラテと呼んでいました。ですから地元の人たちは「これはチョコラテの木だ」と思っていたわけです。

 そして2000年になってからインドネシア政府がまたカカオの苗木を配り始めました。その時、インドネシア政府は「これはカカオの苗木だ」と言って生産者に配ったので、生産者は「これからはカカオなんだ。チョコラテの木はおしまいなんだ」と以前のカカオの木を切り倒してしまうという誤解も生じました。

 そして、インドネシア政府が苗木を配り、豆の買い付けは独占ではなく自由競争になりました。カカオの買い付け価格も少しは上がってきましたが。

 YPMDは1984年に設立されたパプアのNGOですが、パプアの人びとの自立、そして環境に焦点をあてた活動をしています。今、日本の消費者の人びとの要望にいかに応えられるようにがんばっています。

 そのためにパプア人が守らなければならない条件があります。

  • 日本にカカオを輸出する上でそのカカオはおいしいもの、高品質でなければなりません。
  • そしてその事業によってパプアの緑がずっと守られていくことが必要です。
  • さらにカカオを通じてパプアの人びとが他の国の人たちとつながって多くのことを学んでいける。

 この3つの条件が必要だと思っています。

 文化の背景の違う人びととつながることで学び、より豊かになっていくことができる。そういうことを私たちは期待しています。

 私たちはすでに日本にカカオを輸出しました。しかし私たちはそれだけで満足しているわけではありません。

パプアの生産地の地図

パプアの生産地の地図。日本との位置を見るためにはこちらの地図

YPMDが活動する村々では、カカオは現金収入を得るために重要な産物でありました。わたしたちはケヒランというところに一時加工場をつくりました。そこでヤニムとブランソーの若者をリクルートして、加工場で働きてもらうことにしました。

カカオ畑の写真
カカオの畑ですが、これは清掃した後なので、普通はもっと鬱蒼とした森のようになっています。

カカオの実と生産者
これがカカオの木です。カカオの花が木の幹に直接咲きます。6ヶ月たつとこのような大きな実になり、中を割るとカカオのタネがこのように入っています。

私たちが買い付けに行く日、生産者たちは朝早く生産者たちはカカオ畑に行ってカカオを収穫します。

カカオの実を取って、一箇所に集めて、カカオの実を割って、中の白いタネを取り出して家に持ち帰ります。

カカオの収穫には男性も女性も出ます。カカオの畑から帰ってくるのは夕方4時くらいです。パプアの人たちは広い土地を持っているのですが、ひじょうに遠くて、近い人でも3キロ、遠い人は10キロほど離れています。20キロの人もいます。みんなが帰ってくるのを待つと夜遅くになってしまいます。

私たちが買い付け前に村の人たちを前に生産者を集めて説明しました。まず白いきれいな豆をYPMDは買います。しかし変色した豆、質の落ちる豆は買わないと言ったら、生産者は非常に憤り、どうして私たちの豆を全部買わないのかと文句を言われたりもしました。いろいろありましたが、生産者たちは私たちを愛し続けてくれています。

買い付ける前に生産者が持ってきた豆を全部ひっくり返して全部選別します。

私たちの買い付けは夜遅くまで続きます。しかし、生産者たちは夜中の12時になっても私たちを待っています。一日に村を3つも4つも回るので、最後の村に着くのはどうしても夜の10時過ぎになってしまいます。

YPMDが買う時には必ず買い付け伝票を生産者に手渡します。その伝票には買い付けた重量と金額が記入されます。生産者はその伝票で、自分がどれくらいの豆を売って、どれくらいの収入を得たかということがわかるようになります。そして直接すぐに現金払いで、お金を生産者に渡します。

カカオの買い付けを深夜まで待っている家族
これは夜間の買い付けですが、夜になっても待っていてくれるわけです。

早く帰ってこられたとしても夜の11時くらいなのですが加工場に戻ってきます。そして600キロ入れることができる発酵箱に入れます。

発酵箱に入れたカカオを取り出す発酵は4日間行います。最初の一日目、二日目はそのまま寝かせて、3日目と4日目はかき混ぜて酸素を入れるようにします。

乾燥は豆の水分含有量が7%になるまで続けます。毎日、熱い日が続いて、天日乾燥ができたらだいたい4日から5日ほどで7%くらいまで水分は落ちます。

カカオを乾燥させる2時間毎に豆をひっくり返して、均等に天日干しができるようにします。しかし、急に雨が降りだすこともあります。そのような時は急いで乾燥台を倉庫の中にしまわなければなりません。

天候の悪い時には機械で乾燥を行います。

照りつける太陽の下で乾燥作業をやるのは大変なことです。

しかし、経験でわかったのですけど天日で乾燥させた方がよいものができました。

さまざまな加工に関わる道具をきれいにあらう、そうした衛生管理を私たちはひじょうに重視しました。

豆の選別は2種類あり、1つは品質の選別で匂い、形から品質を選別するのと、もう一つはサイズで選別するという作業があります。

計量して麻袋一袋がちょうど60キロになるようにします。最後に匂いでチェックしたり、カビが生えていないかをチェックします。

最後の作業が麻袋を縫い付ける作業です。

袋詰めしたカカオをいよいよ出荷ここはコンテナが加工所に来て、東ジャワのジェンブルに出荷するところなんですが、パプアのたくましい青年たちはこの一袋60キロの麻袋を担げない、担ぎたがらない。そこでコンテナの会社が雇っているマカッサル人の人たちが倉庫から出して車に積み込みました。

マカッサル人の人たちは体も小さいのに、12.5トンの豆を4時間もかからずに積み込むことができました。その時皮肉っぽく、マカッサル人の人たちはパプア人と全然違うじゃないか、マカッサル人の人たちの働きぶりを見ろと言いました。

なんとか出荷できてよかったね、という写真です。

私たちは初めて買い付けから加工・出荷までを行ったわけですが、これは生産者にとっても私たちにとってもいろいろと勉強させられました。

まず第一は人間の問題です。誰がやるか、その人たちがしっかり働かなければならないのですけれども、パプアの人たちがどこまでできるかということにかかっているわけです。

一番難しかったことはカカオの加工場で働いている町の若者たち、彼らにどう働いてもらうかということで、というのはパプアの人たちというのは自然の中で自由に生きている人たちです。朝何時に起きて、何時に食事して、というのも自由なんです。そういう人たちが事業という枠組みの中でルールに従い働くというのは大変なことで、これからの挑戦でもあります。

そして2番めには生産者の側の問題です。生産者たちはお金がなくなった時に畑に行き、カカオを収穫します。お金があれば畑に行かないのです。だから畑には熟れすぎてダメになってしまったカカオもたくさんあります。また、パプアの人たちの畑は広いけれども、その広さにもかかわらず生産は多くありません。

そこで収穫が終わった後、生産者たちにカカオの木の実態調査をして、カカオの木の正しい育て方という講習会を行いました。

最後にこのカカオを通じた夢を語っていただきたいと思います

デッキー:私が望むのはパプア人もお金を稼げるようになりたいということです。今まで私たちはただ与えられるのみ。自分たちで作り出すことができていません。ですから私たちは他の人たちに従わなければならない。しかし、自分たちできちんとお金を稼げれば、経済を打ち立てることができれば自分たちが思うように生きることができると思います。

そして、こうして日本のみなさんとつながる、そしてお互いに学ぶ関係を作ることです。そして人と人との結びつき、交流を通じた交易、これが国境を取り払い、それぞれの違いを超えて深くつながることができると思います。

どうもありがとうございます。

最後にデッキーさんに歌っていただいたパプアの歌をお聴きください。

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