レポート

バランゴンバナナ産地 ミンダナオ島・マキララ地震 復興支援報告

2020年10月21日

~復興とコロナ禍における被災地域の状況~

2019年10月、ミンダナオ島マキララ町のバランゴンバナナの産地で、マグニチュード6規模の地震が数回発生しました。生産者を含む住民、コミュニティ、そしてバランゴンの出荷責任団体のドンボスコも、地崩れ、インフラや建物の崩壊など、甚大な被害を受けました。

日本の消費者からも支援が寄せられ、復興支援活動が続いています。ドンボスコ財団からの報告です。

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2019年10月に発生した地震は、ドンボスコ財団、そしてバランゴン生産者のコミュニティに甚大な被害をもたらしました。パートナーたちからの支援がなければ、耐え難い苦痛から立ち直ることは困難でした。

この大災害の時期に、民衆交易という言葉は、ドンボスコ財団やバランゴン生産者のコミュニティーにとって、より深い意味を持つようになりました。フィリピンのオルタートレード・フィリピン社(ATPI)、日本のATJやAPLA、韓国のPT Coop、ドゥレ生協などのアジアのパートナーたちを通じたみなさんからの支援は、民衆交易を通じた関係が、単なるモノの交易を超えており、地理的、社会的および文化的な隔たりをも越えるものであるということを示しました。援助を受ける側の私たちは民衆交易の深い意味を感じます。人間性の共有がそこにあります。この気づきは、信仰の有無に関わらず、聖なるものとの出会いの経験に似ています。

  • 救援活動と被災からの再建と復興

初期の救援活動では、当面の食料と避難所を準備しました。大地震で自宅の崩壊を目撃し、人々の心は非常に傷つきました。また、避難所での食料と水の不足が、それに追い討ちをかけました。食料や衣料などの必需品を他人の親切に依存しなくてはならない難民になるということは、人間性を奪われるような経験でもありました。食料パック、防水シート、サンダル、水、寝るときに使う断熱パッドの配布など初期の物的支援は容易でした。次の段階では、医療と心理社会的なサポートが必要で、私たちは、関係する代替医療・統合医療従事者のネットワークからトラウマ治療を実施しました。

しかし、最も重要で重い課題は、長期的な視点や戦略的方向性が必要な再建と復興です。私たちは、必要な再建と復興を3つの段階に分けました。

1.ライフラインの復興と被災者目線の避難所の設置
2.人々の生計手段の復興:バランゴンの畑は避難中に手つかずの状態で荒れてしまっています(余震や地滑りとコロナ感染拡大によるロックダウンの影響による)。
3.コミュニティの変革

この災害は、持続可能で気候変動に強い農業コミュニティに向けて人々の意識と状況の変革を促す非常に良いきっかけとなりました。

  • バタサン村の状況

<避難所と移転>

私たちのコミュニティの拠点であるバタサン村では、環境天然資源省(DENR)下の鉱山地球科学局(MGB)によって住居のあった場所が高危険地域と宣言されました。そのため、家を完全に失った先住民族を中心とした55家族の一時的(5年)な移転先として、ドンボスコ財団のバランゴンの圃場の一部を提供しました。また、地震で破壊された古い家から回収したり、修道会からの寄贈で不足している軽量の建材も提供しました。従来の土地に家を再建しても安全と認定された家族や、自分たちで新たな土地を入手して家を新築する家族にも、壁や木材など一部の建築材料を提供しています。

2020年1月訪問時
2020年7月現在ではきれいに花も飾られている

<食料安全保障のためのサバイバル菜園>

私たちの考える復興というのは、単に基本的な住まいを整備するということだけではありません。食料安全保障を考慮し、すべての世帯に対し、移住先として提供された土地に野菜や芋類を栽培するスペースを確保するように伝えました。そこに植えるための種のセットや、葉物や芋類の苗を配布し、さらに有機農業や適正技術に関する研修なども実施しました。

当初はこれらをここに住むための前提条件としていたのですが、今では住民自身が有機農業の考え方を気に入り、自ら野菜栽培に勤しんでいます。自家消費以上のものができた人は、毎週水曜の市に出したり、近所の人と作物の交換をしたりしています。

家庭菜園とサバイバル菜園ができて喜ぶ女性たち

これは、村の他のグループの羨望、挑戦、新たな発想、そしてモデルにもなっています。コロナ感染拡大のパンデミックの最中、食料(特に米)不足の恐れもあるため、ドンボスコ財団の働きかけで、根菜や野菜を各家庭で栽培する「サバイバル菜園」の推進も村の政策に組み込まれました。村の676世帯はグループに編成され、各家庭での農園とは別に、空いている区画や、地主から借りた土地で共有の「サバイバル菜園」で食料を生産しています。現在、バタサン村の人口のほぼ100%が野菜畑などを持っています。

グループで栽培するサバイバル菜園

ほかにも、ドンボスコ財団では500本の様々な果樹の苗を57世帯に配布しました。

<水源確保>

以前、バタサン村にはキダパワン水道局の水源とは別に、6つの湧き水による水源がありました。しかし、これらも損傷、もしくは水源が移動していくつかの泉は完全に干上がってしまいました。一番大きな湧き水は、地震の影響でドンボスコ財団のゴム農場内に移りました。水流は強いものの、地震から8ヶ月経っても水は濁ったままです。村の大部分の世帯に供給する水を確保するために、温泉近くの水源から引くためにパイプや付属品を提供しました。いまだに続く余震による地滑りで危険なため、またコロナ感染拡大によるロックダウンの影響などもあり作業はまだ終わっていません。

新しく建設されているドンボスコ財団の事務所。建材は木材や竹が中心。
  • ブハイ村の状況

<救援活動>

ブハイ村のイスラム教徒のコミュニティの中には、家畜や所持品を守るため地震直後に村に残った人々がいました。村の外から車で乗り込み、避難所に持っていくことのできない家電製品などを盗み出す略奪者がいたためです。鉱山地球科学局(MGB)によって設置された「立ち入り禁止」の看板を横目に、ブハイ村に残った人々を訪れました。医師を伴って怪我の手当てをし、医薬品や米、その他の食料を持参しました。彼らからは地震・地滑りで被害を受けた湧水の補修のためのパイプの要望を受け、ATJと一緒に訪問した際に持参し、水道はすぐに修復できました。

また、避難所に移った先住民族とイスラム教徒のマラナオ族も訪問し、医療ミッションを実施しているグループを紹介しました。

<移転地での復興>

ブハイ村では移転場所のための土地が不足しています。移転先として適した土地は、入植者(ビサヤ人)が所有しており、当然のことながら政府への土地売却に同意しないか、高額の売値を提示しています。 インボク首長率いる先住民族コミュニティが現在いる避難場所の土地は、1ヘクタールあたり100万ペソ(約215万円)で、3ヘクタールが売りに出ています。政府は、地震により住居を失った先住民族のバゴボタガバワ族やイスラム教徒のマラナオ族、ビサヤ人の再定住地としてこの3ヘクタールの買い上げの交渉と処理を進めています。この土地への移転は、MGBによって検査され、国家住宅局(NHA)によって承認されています。

<移転先で抱える課題>

土地購入のプロセスが完了すると、土地は小区画に分割され、各家族に基本的な設備を備えた家が無料で提供されます。比較的平坦なため地滑りの可能性は低くなる一方、別の観点での安全性の問題があります。四方が慣行栽培のバナナプランテーションで囲まれており、それらのプランテーションで大量に投与される農薬による毒性の問題です。女性と小さな子どもたちにとっては、これらの毒性に曝されることは、将来爆発するおそれがある時限爆弾を抱えているようなものです。この健康リスクは深刻です。

また、インボク首長のコミュニティは、先住民族のための専用の土地か、もしくは少なくともイスラム教徒のマラナオ族コミュニティからは離れた場所に移住することを望んでいます。彼らが従来の暮らし方である養豚や犬を飼うことを継続することは、イスラム教徒のコミュニティにとっては大きな禁忌事項だからです。これも、潜在的な時限爆弾と言えます。

バナナプランテーションに囲まれている避難所

<代替案>

私たちはインボク首長に元来先住民族が暮らしてきた地域内での移転について提案しています。その土地は所有権がないため、NHAからの「無償の家」の提供は受けられません。しかし、いくら無償の家があっても、長期にわたって有毒な農薬に曝される危険がなくなることはありません。今の時代を生きる彼ら、そして彼らの孫や子孫の世代にもわたる健康を考えて、政府からの無償提供の家は諦めることにしました。第一、政府から提供される家というのは、持続可能な原則に基づく適切な設計のものではありません。家同士が近接しており、裏庭で家畜を飼うことができません。

地方自治体およびNHAによる家屋建設の条件は土地の所有権があることが前提条件であるため、居住権を認められているだけの先祖伝来の土地は対象になりません。したがって、唯一の選択肢は、先祖伝来の土地の中で、リスクがゼロないしは低い土地区画を購入することです。

先祖元来の土地の中に位置する移転先。後方(矢印上)には厳重に保護されている手つかずの森。手前(矢印下)がバナナ栽培をする3ヘクタールの土地。
インボク首長。彼の部族の再定住先が先祖元来の土地で、横に森から流れるきれいな水と小川があることを喜び、移住を心待ちにしている。部族の仲間たちも農薬が飛散してくる避難所からの引っ越しを心から喜んでいる。

幸いなことに、移住者が所有する先祖伝来の土地内にある3ヘクタールのバナナ農場の使用権が、15万ペソ(約32万円)で売りに出されています。またそれに隣接する3ヘクタールのアバカ農場の使用権も15万ペソで売りに出されています。飲料水や養魚池、農業用に使用できる水もあります。この土地には、再定住先のない家族や、今までの土地では危険性が高く家を再建できない80家族以上の先住民族の家族が移転して、家を建て、裏庭で畑を作ったり、家畜を飼育したりし、共同の養殖池などを作る予定です。コミュニティとして自分たちの事務所、教会、ホールなどの建設もできます。

彼らはすでに先祖伝来の土地内に移住することに同意しており、ドンボスコ財団は、日本からの支援金をこの土地の使用権の購入費用と建設資材の購入にあてました。

この土地での家の建設に関しては町にも届け出ており、MGBによる調査の依頼、さらには所有権がなく使用権のみの土地でもNHAや町の支援を受けることができるかどうかを確認する予定です。

  • コミュニティ開発と変革

ドンボスコ財団では、バランゴンの生産に留まらず彼らと一緒に活動するために、トレーニングとコミュニティ活動のための場所づくりを目指しています。リプロダクティブ・ヘルス、公衆衛生、そしてもちろん農業生態学や環境教育など、他の多くのライフスキルについて学べるきっかけを作り、アポ山を守る民となれるようにしたいと考えています。

先に述べたように、地震とコロナ感染拡大のパンデミックによる損害は大きいものですが、同時によい機会をもたらしました。コロナ禍で他の作物(コプラ、ゴム、切り花など)の取引が停止しているにもかかわらず、バランゴンの出荷は続き、多くの人が、その持続可能性と強さを認識しました。一般的な商品取引とは違う民衆交易の安定性が浮き彫りになりました。

当面の課題は、家屋や生活空間の復興ですが、アグロエコロジーや複合的で多様な有機農業システムの中にどうバランゴン生産を組み込んでいくかも課題です。バランゴン栽培に取り組む生産者が増えるということは、持続可能で環境に配慮した社会的責任のある生活を送る人が増えるということでもあります。苗が不足する中で、農民は自分たちの既存のバランゴンから苗を分けて生産の拡大に取り組んでいます。ブハイ村では、バランゴン栽培への関心が急激に高まっているため、ドンボスコ財団では新たにバランゴン栽培を始めたいという人へも苗を配布し、バランゴンの民衆交易の仲間に加わってもらっています。このことにより、地震とこの激しいパンデミックからの復興及び再建は、長期に渡って持続可能であり、より包括的なゴールを持ったものとなります。

ATJやAPLAを通した日本のみなさんからの支援金とPT Coopとドゥレ生協を通した韓国の消費者からの支援金に支えられて生産されたバナナが出荷されるとき、再びアジアのパートナーとの循環の輪がつながるでしょう。言葉は関係の本質を捉えるには十分ではありません。生産現場であるコミュニティでは感謝の気持ちで溢れています。心の底から「Thank you」、「Salamat(現地語で「ありがとう」)」、「ありがとうございます」。日本ありがとう!韓国ありがとう!アジアのパートナーたちの皆さん、ありがとう!

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