レポート

ペルーコーヒー生産者の再出発 from ペルー (PtoP NEWS vol.40. 2020.10)

2020年10月20日

傾斜地にあるコーヒー畑

オルター・トレード・ジャパン(ATJ)は、1996年から、ペルーの生産者たちが育てたコーヒーを日本の食卓に届けています。世界遺産で有名なマチュピチュから車で1時間半ほど移動した先にあるキジャバンバを中心に活動するコーヒー生産者農業協同組合(通称COCLA/コクラ)という連合体が私たちのパートナーです。1967年7月に設立されたCOCLAは今年で53年目を迎えます。当初は、5つの生産者組合の連合でしたが、若手のコーヒー生産者たちを巻き込み、参加組合数は15に増えています。

今回紹介するチャウピマヨ生産者組合は1973 年に設立され、COCLAの中でも古参の単協です。標高1200~1800mに位置するコーヒー畑でティピカ種、カティモール種に加えてブルボン種も栽培しており、組合員数約40人の内、35 人がオーガニック栽培を行っています。この単協では、果肉除去から乾燥させる工程までを各生産者が担い、組合としてまとめてCOCLA へ出荷しています。

さび病被害に見舞われる

チャウピマヨのコーヒー畑

チャウピマヨの生産者たちは、50年近くコーヒー生産を継続するなかで様々な試練に直面してきました。

そのひとつがさび病害です。2013年頃、ペルーを含めた中南米のコーヒー産地ではさび病の蔓延により生産量が激減、コーヒー生産者の暮らしに大きな影響を与えました。

農薬を一切使わないチャウピマヨの生産者たちもラジャと呼ばれるさび病の蔓延に悩まされました。コーヒーがさび病にかかると、葉の裏に黄色の斑点ができ落葉し、花も実もつかなくなり、3年もすると木が枯れてしまいます。実際に、2013年は前年の半分にまで収量が落ちてしまったそうです。

「向こうのコーヒーがさび病にかかってしまった」

ちょうどこの時期、COCLA内部で組織再編問題が浮上し、連合内の産地のケアが手薄になっていきます。チャウピマヨ生産者組合も例外ではなく、COCLAとの関係性の変化によって支援を受けることも難しくなり、さび病で苦しい状況にあった生産者にとって、より大きな打撃となってしまったのです。

さび病被害は2013年以降も毎年発生したため、年々収量が低下するとともに収入も減少し、さらに国際価格の下落が続くなど、コーヒー生産者の暮らしを取り巻く環境は厳しくなる一方でした。中には有機認証を取得するための費用を負担できない組合も出てきました。その結果、コーヒー生産を辞めてより収入を得られる換金作物に転換する生産者、出稼ぎのために住み慣れた土地を離れる生産者も見られるようになりました。

コーヒーを作り続けるための試行錯誤

チャウピマヨのコーヒー生産者

一方で、病害に耐えうる品種への転換、苗木の植え替え、収穫後の作業工程を通じた品質改善などに取り組み、コーヒーづくりを何とか継続させようと努力している生産者も少なくありません。

また、より良い品質で付加価値の高いゲイシャ種など、スペシャリティコーヒーづくりに挑戦したり、低地ではシトリクス(オレンジやグレープフルーツなど)、中高地ではアチョラ(ターメリック)などを育て、コーヒー以外の収入源を確保しながらコーヒー生産を継続するなど、状況の変化に対応していこうとしています。

コーヒーのチェックをする生産者

生産者のこうした努力に呼応する形で、COCLAの組織体制の再構築、コーヒー生産者の支援体制の再編などが進み、生産者の研修のための基金が創設され、リーダーシップ、マネージメント、技術分野などの研修が開始されました。

次世代を担う若手生産者への働きかけも強化されています。

今後に向けて、それぞれの土地に適した品種や栽培方法も検討されています。

COCLAでは、近年の天候異変の影響などの調査なども実施し、各生産者たちがこれからもコーヒー生産を続けていけるような支援体制が強化されつつあります。

チャウピマヨには様々な人生を送ってきたコーヒー生産者がいます。地元で何十年もコーヒー生産に携わってきたおじいちゃん、 COCLA 設立にかかわった両親のあとを継いだ息子、夫を亡くし一人で家族を支えてきた女性たち。「コーヒー生産は重労働で大変だけど、コーヒー生産に携わることで自分たちの土地を得ることができました。この土地を家族、子どもたちに財産として渡せることを誇りに思います」と彼らは話してくれました。再び産地を訪問し、生産者の皆さんやCOCLAの新たな物語を聞くことが今から楽しみです。

上田誠(うえだ・まこと/ATJ)

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