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人から人へ、手から手へ

産地紹介

フランス西海岸ブルターニュ地方で古くから繁栄してきたゲランド塩田。
近代に入り、消滅の危機に瀕したこの塩田は、塩職人たちの手により30年の歳月を重ね再生、復興が成し遂げられました。

ゲランドの塩地図

繁栄から衰退へ

ゲランド地方における製塩業の歴史は古く、現在のような塩田技術は9世紀以前から存在していたと考えられています。その後16~18世紀には、肉や魚を 塩漬けで保存していたことから消費も伸び、ヨーロッパ中の注文を受けて、ゲランド塩田は発展を遂げていました。

しかし、19世紀になるとその勢いに陰りが見え始めます。戦争の影響や新産地の誕生などにより、塩職人の生活は苦しくなり、塩田を売り出したり、放置さ れ荒れ地と化していきました。当然、後継者も減り、ゲランドでの塩産業自体が衰退していきました。特に20世紀初頭から工業塩が大量生産され始めたこと で、ゲランドの塩職人はより厳しい状況に追い込まれていきました。

開発の波との闘い

1968年にはこの地方でリゾート開発計画が持ち上がりました。これが実現されればゲランドの塩田が消滅するのは確実でした。しかし、すでに少数になっていた塩職人たちはこれに抵抗、開発計画への反対運動や、輸入塩荷揚げ反対運動を展開していきました。

新たな運動

1972年には協同組合の前身の「ゲランド塩生産者集団」を発足。今までの個人販売から共同貯蔵を開始し、仲買人への交渉力を手にしました。同じ時期フ ランスでは1968年の学生運動(所謂「5月革命」)の中で、資本主義を問い直す思想運動が広まり、「自然に帰れ」や「都市から農村へ」といった合言葉も 生まれ、問題意識をもった若者たちが塩職人の運動に加わるようになりました。もともとリゾート開発反対運動への参加でゲランドに出会ったシャルル・ペロー 氏を中心とする、この68年世代がその後のゲランド塩田を再生していく活力となるのです。

一方、開発計画に反対する環境保護運動を契機として、生物学者・生態学者などがこの地の調査研究を進め、塩田の生態系の豊かさが明らかになってきまし た。そして都市からゲランドにやってきた新たな世代はこれらの研究と連帯し、1996年ゲランド塩田を国の自然保護区とすることに成功したのです。


シャルル・ペロー氏

未来を見据えて

ゲランドの塩田と生態系を守っていくには、塩作りを続けること、技術を受け継いでいくことが最も重要だと考えた塩職人達は1979年に「塩職人養成セン ター」を設置。それまで親子で受け継がれてきた塩職人の仕事を広く解放し、他地域からの若者も受け入れてきました。

販売面では、共同の貯蔵倉庫の建設、1987年には「ゲランド塩生産者集団」を「協同組合」として確立、自主販売を行う組合直営の会社「サリーヌ・ド・ ゲランド社」を設立し、それまで仲買人に頼ってきた販売を自分達が主体的に行う仕組みを作りました。それには気候の変動に収穫量が大きく左右されるため、 3年分のストックをキープし計画的に販売するなど、塩職人がその仕事を続けていけるための仕組みも含まれます。

地域、世界に向けるまなざし

また『ゲランドの塩』がフランス国内で見直されるにしたがって増える観光客を受け入れるために1991年「塩の大地」を作ります。これは塩生産者組合と 野鳥保護団体などで作る市民団体で、塩田の仕組みを理解してもらうための展示施設の運営や観光客への塩田ツアーなどを行い、塩田を含む生態系全体のすばら しさと重要性を発信しています。

1988年からはアフリカ・ベナンへの技術援助も行っています。マングローブを伐採した薪で煮詰める伝統的な製塩方法を、ゲランドの技術を応用して天日のみで結晶させる方法に切り替えることで森林破壊を食い止めることが可能になりました。

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