エコシュリンプ
Ecoshrimp- エコシュリンプの産地インドネシア
- ジャワ島東部から始まったエコシュリンプは、現在スラウェシ島を含む3つの地域に広がっています。収獲されたエビは東ジャワ州シドアルジョ県にある現地法人オルター・トレード・インドネシア社(ATINA)の工場で加工され、日本に輸出されます。
環境に負荷を与えないエビを求めて
私たち日本人は世界でも有数のエビ好きと言われています。1961年にエビの輸入自由化以降、エビの輸入量は急増し、日本向けのエビを確保するために、60~70年代は天然エビの乱獲が問題となりました。80年代に入り台湾でエビ養殖の技術が確立すると、集約型養殖が東南アジアの国々に広がり、マングローブ林などが養殖池に転換されていきました。また、そうしたエビは、大量の人工飼料と病気を防ぐ抗生物質を投与して育てられ、加工時にも黒変防止剤や保水剤が使用されていました。
「産地の環境に負荷を与えず、安心して食べられるエビ」を求め、『エビと日本人』(岩波新書/1988年)の著者である村井吉敬氏とインドネシアのエビ産地を訪ねました。そこでの エビ生産者との出会いから、エコシュリンプの交易が始まりました。
広がる産地と地域での活動
東ジャワ州グレシック県
スラバヤ市の北部に位置するグレシックでは、元々バンデン(英語名:ミルクフィッシュ)という魚の粗放養殖が行なわれており、1980年代初めよりエビの粗放養殖が盛んになりました。内陸部の養殖池では、ポンプ等で池の水を抜いて大人数での手づかみによる収獲が行われています。
1991年、このグレシックで、「土地は子孫からの預かり物」という考え方を持ってエビの粗放養殖に取り組む故ハジ・アムナン氏と出会いました。自然の循環や土地の生産力を活かした持続的な養殖方法に感動し、エコシュリンプの交易を始めるきっかけとなりました。
東ジャワ州シドアルジョ県
インドネシア第2の都市、東ジャワ州の州都スラバヤ市の南隣にあるシドアルジョは、300年以上も前からグレシック同様にバンデンの粗放養殖が盛んでした。1980年代初めにバンデンと一緒にブラックタイガーの稚エビを放流する粗放養殖が盛んになりました。
この地域では、潮の満ち引きで海水が内陸部まで入り込んでくる地形を利用して養殖池の水の入れ替えを行っています。また、遡上する(流れをさかのぼる)エビの習性を利用して、プラヤンと呼ばれる竹篭でできた仕掛けを水門付近に設置することでエビを傷つけることなく収獲します。
2012年にエコシュリンプ生産者とATINA職員が地域の環境保全のためにKOINという環境NGOを立ち上げ、環境教育活動やマングローブの植林を進めています。また、エコシュリンプ養殖池周辺の村落で取り組み始めた家庭ごみの回収プログラムは地域住民や首長にも評価され、今では複数の自治体と連携して実施しています。
スラウェシ島南部
南スラウェシ州の州都マカッサル市より車で3時間ほど北上したピンラン県の西側沿岸部には、多くのエビ養殖池があります。1980年代のエビ養殖ブーム以降、バンデンと混泳の粗放養殖が広く行われています。この地域ではバガンとよばれる定置網式の罠を仕掛け、集まったエビを手網等で掬い取る方式でエビを収獲します。
ATINAは「アジア・シーフード改良改善機構(ASIC)」と連携して養殖方法の改善や持続可能な環境管理、女性の地位向上をめざすプログラムを進めています。また、KOINの活動に触発された生産者たちは、2020年にKONTINUという環境NGOを設立し、ごみの回収プログラムを始めています。