マスコバド糖
Mascobado Sugar- マスコバド糖の産地 フィリピン・ネグロス島
- 別名「砂糖の島」と呼ばれ、見渡す限りサトウキビ畑が広がる島です。スペイン植民地時代にサトウキビ農園が開発され、現在でも砂糖産業が経済の中心です。フィリピン全体の砂糖の約5割がネグロス島で生産されています。
きっかけは子どもたちの飢餓
1980年代半ばに起きた砂糖の国際価格の暴落がきっかけとなり、ネグロス島は「砂糖危機」と呼ばれる経済危機に見舞われます。多くの農園がサトウキビの作付けを控えたため、農園労働者たちが失業し、その子どもたちが飢餓に陥りました。植民地時代から続いていた一部の地主による大土地所有制度がこの飢餓をいっそう深刻なものにしていました。
1986年に日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC、2008年にNPO法人APLAに再編)が立ち上がり、ネグロス島への緊急支援を始めました。しかし、砂糖産業を牛耳る一部の者に土地を含む生産手段や流通までを独占されているなか、農園労働者たちが飢餓を乗り越え自立するためには、食料の自給自足と独自の流通市場を確保することが必要でした。
1986年10月、日本国内の消費者団体のネットワークづくりを目的に開催されたイベント「ばななぼうと」にネグロスの農園労働者の代表が乗船し、マスコバド糖の購入を呼び掛けたことをきっかけに、モノを通してネグロスの人びとを継続して支える仕組みとして、マスコバド糖の民衆交易が始まりました。
昔から続く伝統的な製法で作られる黒砂糖は、ネグロスではムスコバド(muscovado)と呼ばれています。しかし、砂糖産業を支配する地主や製糖工場ではなくネグロスの人びとが自主生産する民衆交易の砂糖は、「人びと、民衆」を表すマサ(masa)にちなんでマスコバド(mascobado)と名付けられました。
希望と誇りを胸に~労働者から生産者へ~
1988年に法制化された農地改革によって土地を手に入れた西ネグロス州の元農園労働者たちが地域ごとに生産者協会を設立し、協同でサトウキビを栽培、出荷しています(2021年8月現在386名が11の生産者協会に所属)。
また、サトウキビの製糖、輸出・販売を担っているのはオルタートレード・フィリピン社(ATPI)です。
ATPIのパートナー団体であるオルタートレード・フィリピン財団(ATPF)が、サトウキビ生産者に対して資金調達や組織運営のサポート、有機栽培プログラムなどを提供しています。民衆交易が始まった当初は日本だけだった販売先も、現在ではヨーロッパのフェアトレード市場や韓国、フィリピン国内へと広がっています。また、生産者協会のうち10組織が有機認証を、そのうち5組織がフェアトレード認証も取得しています(※日本に輸入されるものはフェアトレード・有機の認証はついていません。同じ生産者でも有機栽培へ転換中のサトウキビを使用したものを輸入しています)。
さらに自給用のコメや野菜作り、養鶏や養豚、魚の養殖など収入の多様化にも取り組んでいます。生産者協会の中には、精米所や脱穀機を所有したり、貯水槽や自動揚水器を設置し灌漑設備を整えているところもあります。
こうした取り組みによって生産者の暮らしは大きく改善されました。それだけではなく、地主から命令されるだけの労働者から「知識、技術を身に付け、自信と希望を持てるようになった」という生産者としての意識の変化こそが何より大きな成果です。