レポート

マスコバド糖・品質改善の歩み【ハリーナno.37より】

2017年10月10日

マスコバド糖が日本に届きはじめた30年前、「商品」と呼べるものではなかったとは、当時の語り草になっています。しかし、今や品質面、製造管理面において、認証を取得したり表彰されるほどに成長しました。それは「日本の消費者との二人三脚の成果」と語るのは、現マスコバド糖製糖工場長のスティーブ・リガホンさん。30年間の品質改善の歩みを伺いました。(聞き手・まとめ/幕田恵美子/まくたえみこ ATJ広報本部)

初期のころのマスコバド糖製糖工場は簡素なものでした。

初期のころのマスコバド糖製糖工場は簡素なものでした。

1994年オルター・トレード社(ATC)に入社して最初の仕事が、サトウキビの原料管理でした。長年マスコバド糖の仕事をしてきたウヤ師匠と一緒に、サトウキビの品種、熟度、手入れ、管理作業に関する基準をつくりました。

その後、新しいマスコバド糖製糖工場(ATMC)ができて、97年に工場の管理責任者となりました。当時の工場労働者は主に軍事化の犠牲者や労働組合員・農民活動家たちで、物申す彼らをまとめながらマスコバド糖の製造工程を標準化する仕事はなかなか大変なことでした。

99年に、マスコバド糖品質管理部長となり、まずはマスコバド糖の製造工程を化学的に分析できるように検査室の設置をしました。

品質クレームに向き合って

1993年に新工場が建てられ、壁や窓が整備されました。

1993年に新工場が建てられ、壁や窓が整備されました。

日本の消費者から様々なクレームが届きますが、消費者には品質や食品の安全を要求する権利があり、生産者はそれに応える義務があると考えています。

ただ、改善の努力をしているにもかかわらず同じクレームが続くともどかしい気持ちになります。予算がなくてすぐに対処できなかったり、品質に関するフィリピン人の文化的な捉え方があったりと、理由は様々なのですが……。

しかしながら、オルター・トレード・ジャパン(ATJ)のスタッフや生協、メーカー関係者が工場に来て一緒に解決策を考えてくれたことは、品質づくりに大きく貢献していると思っています。

消費者とともに……

2006年に新工場が建てられ、釜の改善なども行われました。

2006年に新工場が建てられ、釜の改善なども行われました。

生協の組合員がコーヒーにマスコバド糖を入れて飲んだところ、カップの底に何か残ると調べてみると、異物が入っていることが判明。生協から網戸をプレゼントされたのが、皆さんからの最初の協力でした。

フィリピンではどこにでも現れるヤモリ問題の解決策はハードルが高かったです。ヤモリが入ってきそうな入口はすべて封鎖したにもかかわらず、天井に貼り付いているのです。最終的には釜と乾燥台の上部に布を張りました。ヤモリが誤って天井から落ちた場合に、マスコバド糖に混入するのを防ぐ最後の砦としたのです(現在は閉鎖型釜の使用と乾燥室の密閉が可能となりました)。

乾燥は素早く撹拌しながら手作業で行われます。

乾燥は素早く撹拌しながら手作業で行われます。

針金が混入した時には「篩を針金ではなく細かい穴の空いた板で作ったらどうだ」という生協職員の発想には感服したものです。最近も、日本の喜界島の小規模製糖工場との交流を経て、多くを学びながら、更なる改善は続いています。

最後に、消費者の皆さんに、マスコバド糖を食べるときに想い起こしていただきたいことがあります。
「飢餓の子どもを抱えた力のないサトウキビ農園労働者が、自分たちで耕せる土地を得て、そこで生きるための力をつけてきました。それをマスコバド糖という形で日本の皆さまに支えていただいている物語」なのです。

マスコバド糖の袋詰め

マスコバド糖の袋詰め

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